024話 その頃のアオの町
「わあ! 待って待って! ちょっ……待ちなさいってば!」
「レティシア様……あまり大声を出されますと……」
乳母の声を待たず、声をあげ始めていたリシャールだけでなく、レティシアの腕に抱かれ大人しくしていたイネスまでもが大声で泣き始める。
アオの町、ユーマの館で臨時の主として切り盛りを――しようと張り切っているのはレティシアだ。
実際のところはユーマやフェリシアが指名していった人間や使用人が、財政や庭の世話や客への対応など細々とした事をしてはいる。
だがハーフエルフと王女の住む館には秘密が多い。
館の奥深くまで立ち入って子供たちの面倒まで見るのは、過剰なまでに厳選された乳母1人である。
レティシアの主な仕事は館の臨時主人としてそこにいる事と、秘密だらけな館の奥を管理する事。
……そして2人の赤ん坊の世話なのだ。
「まったく王女の私がおしめの交換だなんて……」
「その様な事はお任せ頂ければ――」
「泣いてるのを横目に、のんびりお茶なんて飲んでられないわよ。はい、出来たわよリシャール!」
それなりに手慣れてきた手際でおしめを交換され、抱き上げられたリシャールが先程までが嘘のように、ご機嫌な笑顔を見せる。
「ほんと、あんたの母親は子供を放り出して今頃何やってんのかしらね~?」
「レティシア様、フェリシア様は重大なお役目がございます。リシャール様を置いてゆかれたのも、レティシア様を信頼されての事ですよ」
「はいはい分かってるわよ、フェリシアは忙しいの。私と違ってね」
「申し訳有りません……その様な含みを持たせたつもりはなかったのですが」
慌てて頭を下げる乳母に声をかけて、面倒な事になる前に軽く流す。
この館で生活を始めて以来、フェリシアは王宮以上に生き生きと活動している。
それは自らの目的を遂行しようという積極性がそう見せるのだとレティシアは思っている。
フェリシアが忙しいのは立場もあるが、何よりも本人がそれを望んでいるから。
自分とは望む物が違うのである。
「フェリシアがいなけりゃ、私なんて何も出来ずに死んでたわよ。だから子供の面倒くらいは見てあげるの、あの子に何かしてやれるのなんて初めてじゃないかしら?」
「フェリシア様はレティシア様がいてくだされば、それだけで良いと仰せですよ」
「代わりに人形でも置いてやれば良いのよ、そんなの」
苦手としているフェリシアに頼らなければ、何も出来ない事が腹立たしい。
その苦手意識さえも、子供の頃の好きだったメイドや同じ年頃の貴族の少年を奪われた事が原因だが、今となっては何か自分の知らない事情があったのではと思わないでもないのだ。
玩具の取り合いならともかく、フェリシアが自分に嫌がらせなどするはずは絶対に無い、だが一度持った苦手という感情はどうしようもないのだ。
フェリシアが産んだ子供の世話をする事で、ほんの少し歩み寄った様にも思えるが、本当のところはもっと役に立ちたいとも思っている。
かといってハーフエルフである自分が何かしようとすれば、間違いなく周囲に迷惑をかける事も分かりきっているのだ。
余計なことをしないのが、父にも兄にもフェリシアにも迷惑をかけない最善の手段だと学んだのは、小さい頃の事。
「……でもミュリエルみたいに変身するってのはアリよね。魔法で別人になって、正体を隠して活躍するのよ。良いと思わない? この館って王宮以上に魔道具が置いてあるし……特に姿を変えるタイプのやつが」
「おかしな効果があるかもしれませんし、勝手に魔道具を扱うのはどうかと思います! あ……ど、どなたかいらっしゃったご様子ですよ⁉」
妙に慌てた様子の乳母を見て、反対されている事を察したレティシアが渋々と子供たちを任せて部屋を出る。
玄関に向かうと執事が応対していたのは、子供を産んでから一部の特徴がさらに大きくなった女性。
あれは規格外……変身したミュリエルくらいの大きさが理想……と、頭の中で繰り返しつつ、授乳時に見た双子の姉の物も大きくなっていた事を思い出す。
変身していないミュリエルでも自分よりは大きい、同世代に見える3人の中では自分が一番……。
「ぐぬぬ……ソフィア、いらっしゃい! どうしたの?」
「こんにちはレティシア。前線から手紙が届いたのよ、あなたにはユーマとフェリシア様、それにミュリエルからね」
「ほんと⁉」
王宮にいた口うるさいメイドが見れば叱られたであろう速さで階段を駆け下り、短いスカートをなびかせながら玄関まで一直線に走っていく。
ソフィアやフェリシアが選んだ執事、そして手紙を運んで来たのだろうか自警団の男性までもが、その疾走に笑みを噛み殺している。
「今度も大した損害を出さずに勝ったみたいよ? 後は2度大きな戦闘に勝利すれば、この反乱も終わるらしいわ」
「へ~凄いわね、連戦連勝じゃない!」
部屋に戻ってナイフを使うのももどかしいと、3通の中からミュリエルの手紙を選んで指で封を切り、その場で開く。
「さすがにお行儀が悪いわよレティシア? 私はすぐ仕事に戻るから、部屋に戻ってゆっくり読んではどうかしら」
「む~ソフィアってミュリエルにお行儀とかを教えてたんだっけ? 仕方ないわね。でも手紙届けてくれてありがとう!」
スキップをするような足取りで手紙を片手に部屋に戻るレティシアを見送るのは、玄関に残った3人。
レティシアの姿が見えなくなり、部屋の扉が開閉した音までを確認すると、その表情を真剣な物に変える。
「……新たに不審な人物を捕えました、やはり館の警備はもう少し厳重にした方が良いかと」
「ソフィアさん、気は進まないのですが自警団の詰め所に……」
「えぇもちろんよ」
戦で劣勢であり、多数の兵を扱うのは食料がない。
だが少数の人間ならば動けるのだ、例えば敵の本拠地に工作をする、残してきた家族を利用する、などである。
「せっかく明るく育ったのだもの、レティシアにはあのまま子供たちに接してもらいましょう。その為なら……家族の為なら、敵は排除してみせるわ」
どれほど口の固い工作員であろうと、その精神を操られれば抵抗は難しい。
物理的に自殺を封じ、複数の魔法を試して工作員の心の奥を探るのだ。
それでも敵の情報を得られなかった場合は……殺してその魂を召喚して縛り、情報を得る。
その情報は町を守り、後方を統括しているアイシャにも送られて活用される。
後方には、後方の戦いがあるのだ。
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