018話 フェリシアの寝室で……
「新しい旗……ですか?」
「急ぎ用意させました、黄頭巾の方々に配布させています」
翌朝には王都軍と戦端を開こうという夜に、サビーナが呼び出されたのはフェリシアの執務用の帷幕ではなく居室用の天幕、その寝室だ。
そこから急ぎで用意させたというのが明日に間に合わせる為であり、たった今完成品が届いたと報告が入ったという事なのだと察せる。
それを肯定するように、フェリシアの姿もガウンを羽織っているとはいえ、その内側は薄い夜着を一枚纏っているだけである。
「親衛隊ではなく彼らにですか? 今回の作戦ですと、彼らはせっかくご用意頂いた旗を打ち捨てる可能性が高いように思われますが……」
「皆さん平民ですからね。所属旗など、命を危険に晒してまで守ろうとはしないでしょう。ですが……そうは思わない方々もおられます」
親衛隊は、フェリシアが使う黄薔薇の紋章を旗印として掲げている。
フェリシアに忠誠を誓った彼らは、劣勢の只中にあってもそれを捨てはしない。
フェリシアが囚われていた屋敷を襲撃した際も、そこに掲げられていた旗を降ろして回収した程である。
だが黄頭巾を被った者達はフェリシアを慕って集まったとはいえ、親衛隊の様な忠誠心を持っているわけではない――極一部の狂信者を除いては。
「なるほど、敵方の騎士や貴族に見せる為の物ですか。では本陣を改修された件についても――」
「あまりにみすぼらしい陣を落としたとしても、嬉しくはないでしょう? 達成感を感じて頂ける様にと思って」
先に到着して陣の設営を始めていた黄頭巾に遅れて、後から到着したフェリシアはそれを一目見るなり作り直しを要求したのだ。
黄頭巾の中から建築や土木に関わる仕事をしていた者を集め、自ら協議に加わる程の熱の入れようで、である。
「フェリシア様がしばらく過ごすのだから贅沢な本陣に直す様にと仰せになったと聞いた時は、王宮を離れて質素な暮らしをされるのが嫌になった物だと思っていたのですが」
「なんですサビーナ、まるでわたくしを華美な王宮でしか生きられない貴族令嬢みたいに」
貴族令嬢どころか、生粋の王女である本人が口を尖らせて言う。
お互いに冗談だと分かっていての会話である。
陽に弱いほど白い肌の少女と褐色の肌を持つ女性の付き合いは、夫のユーマなどよりも長く、深い。
王宮で開かれるパーティで顔を合わせる、幾人もいた友人達とは違う、フェリシアが唯一全幅の信頼を置く相手なのだ。
「これは失礼を、では一度目と二度目はそれらを捨てて逃げ――」
「三度目は予定通り、親衛隊の撤退を遅らせます。わたくしの目前まで迫らせ、優雅にかわして見せてください。そうですわね……バラの残り香を楽しんでいただけるくらいが良いかしら」
「……承知しました」
軽い口調で無理難題を言い放つ主人に、出来ませんとは言えないサビーナは苦笑するしか無い。
フェリシアはサビーナであれば、正規の騎士相手にそれが可能だと確信しているのだ。
サビーナの手腕に賭けるフェリシアのチップは、己の人生または命である。
その信頼を裏切るような真似は出来ない、常に努力する者を好むフェリシアの最も側にあるサビーナは、これまでに出来た事を越えて見せねばならないのだ。
それをせず、ただ自由気ままに振る舞って尚この主人に愛されるのは、サビーナの知る限りこの世界でレティシアのみである。
「ふふっ期待していますよ? ……それではそろそろ休みます。サビーナも疲れなど残さぬよう」
「期待に潰されていなければ明日も働けるかと存じます。おやすみなさいませ、フェリシア様」
ガウンを脱ぎ、下着と肌が透けるほど薄い高価な夜着姿を惜しげもなく晒す主人に頭を下げ、退室する。
黄頭巾の部隊をも管理するサビーナの天幕は、親衛隊の中心部からは外れた位置にある。
そこへ向けて足を進め……ふと、振り返る。
並んだ天幕の中でフェリシアの物は周囲と少しばかり距離を開け、その入口には2人の歩哨が立っている。
その歩哨に1人の少年が声をかけ……場を離れさせていた。
サビーナの視線の先で、主人の天幕の中へ一切の躊躇もなく少年が入っていく。
「ミシェルめ……」
命令系統の問題もあるが、今の少年には主人か自分でなければ言う事を聞かせられない。
部隊指揮官として側を離れるため、普段果たしていた任務を任せた関係上、特別な権限も持っている……歩哨を離れさせたのはそれを使って無理を言ったのだろう。
主人の天幕に向け、踵を返す。
忙しさにかまけて主人の周りから気がそれていたが、自分が気がついて良かったとため息をつく。
いかに少年とはいえ、何度も主人の寝室へ足を運んだりはしていないだろう。
この最初の一回で、自分が注意して止めさせれば問題は無い。
既に結婚し、子をもうけた主人が過ちを犯すとは思えないが……あの少年に限っては万にひとつがあるかもしれない。
彼は自分の知る限り数回――主人のベッドに上がった事があるのだから。
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