018話 伯爵の説得、通じず
伯爵視点です
「――ですので、どうかフェリシア様には神竜殺しの説得をお願いしたく」
「用件は分かったが、その話だとフェリシアを元婚約者である男と会わせなければいけないだろう。正直不愉快だ、フェリシアもそうだろう?」
真新しい調度品で誂えた応接間は、公爵家を継ぐシャルルと王女たるフェリシアの新居に相応しい絢爛さだ。
以前から建築が進められていたこの館を見れば、この2人の結婚がどれだけ望まれていたのかが目に見えて分かる。
自分だって諸手を挙げて祝福しただろう、こんな事態になりさえしなければ。
「えぇ……そうですわね。こうしてシャルル様と過ごしているわたくしが、どの様な顔をしてユーマ様にお会いすれば良いのか……」
シャルル様に声をかけられたフェリシア様からの言葉が、想像していた物とは違っていたのか、将来の夫が不機嫌そうに鼻を鳴らす。
……神竜殺しとは恋仲を認められての婚約という体裁を取っていたのだ、ここでこき下ろすような女は自らの価値を下げるに等しいだろうに。
ましてやフェリシア様が、その様な真似をなさるはずがないでは無いか。
やはり一度成立仕掛けていた婚約話を蹴られて頑なになっておられる。
これではフェリシア様に、神竜殺しの説得に当たって頂くのは難しい。
「あ……申し訳ありません」
「お気になさらず、お疲れですかな? やはり王宮とは違いが」
「分かっておらんなブロス伯爵」
茶の入ったカップを取りそこね、音を立てたフェリシア様――その顔色は王宮で見かけた頃よりも、確かに疲れている様に見える。
陛下と王太子殿下を失った心労もあるのだろう、と思ったのだが。
「昨夜も遅くまで、僕とフェリシアは重大な務めを果たしていたのだ。それなのに、こう早く訪ねてこられては睡眠不足にもなるだろう?」
「シャルル様っ……そのような……」
公爵家を継ぐべき若い2人の重大な務め、多少婉曲な表現ではあるがこの場で言う事ではないだろう。
貴族として子を為す事は確かに大切な行為ではあるが、数時間前まで淫らな行為に耽っていたなどと、客の前で公言されたフェリシア様が羞恥に顔を伏せておられるではないか……。
「これは気が付かず申し訳ありませんでした、フェリシア様にはお休み頂いた方がよろしいかと存じます」
「伯爵の言葉に甘えるといいフェリシア。僕達の子が既に出来ているかもしれない体だ、大切にするにこしたことはない」
頭を下げて退室するフェリシア様に、追い打ちをかけられるシャルル様。
この婚約が成立してから手放せなくなった、胃薬と頭痛薬に手が伸びそうになる。
だが既に暴動は起きているのだ、ここでシャルル様を説得できねば――。
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「あの年頃で深窓の姫君を好きにしろと与えられれば、そうなるのは分かる。だがもう1ヶ月以上だぞ……グレアム、君はどうだった? 最初の女にはどのくらい入れ込んだかね」
目的を果たせぬまま退出しようと、護衛の傭兵を伴って廊下を歩く。
真新しい公爵家の館で出すには下卑た話題だが、愚痴地味た事を口にしたくもなる。
この状況で王位継承権をも持つ方が、閨に耽っているなどと。
しかし愚痴を浴びせられた傭兵団の長の答えは予想外で、思わず後ろを見上げねばならなかった。
「私は経験がありませんので、なんとも」
「何……君がか?」
以前に神竜殺しによって手勢が壊滅の憂き目を見たので、多少値は張っても腕利きと名高い傭兵団を雇ったのだ。
その団長であるグレアム・メイスフィールドは、こうして公爵家の館に伴っても場違いな雰囲気など一編たりとも感じさせない装いを身に着けている。
本人の容姿もそれに負けず、社交界に姿を見せれば令嬢方が声をかけられそうなポジションを争うだろう。
その彼が、童貞?
「……婚約者がおりましたので、結婚まではと」
「なるほど、この館の中では声高に出来ん言葉だな」
シャルル様とフェリシア様は世継ぎを授かろうと熱心に励んでおられるようだが、未だ婚約者の関係だ。
立場を弁えなければ、むしろ聞かせたいところではあるのだが。
「民への負担は仕方のない物なのだが、国内の反発は予想以上だ。このままでは大規模な反乱が起こる。せめて神竜殺しが形だけでも従う姿勢を見せてくれれば、それも治まる可能性があるのだ。それ為にはフェリシア様以上に神竜殺しを説得するに適任な方がおらぬ……」
最悪の想像をすれば、神竜殺しが積極的に反乱を先導するだろう。
そうでなくとも、このままであれば本人の意志に関わりなく旗印として担ぎ上げられる。
またあの男と戦うなどと……。
「閣下は神竜殺しと一戦交えた経験がおありでしたな?」
「以前に聞かせた通りだ。主にゴーレムを扱う系統の勇者だと情報はあったが、使ってきおったのは強力な魔法と報告を受けている」
立場上、神竜殺しと戦う前提で考えているのだろう。
こちらとしてはそうしたく無いが、可能性があるのであれば必要な情報は与えておかねばならんな。
「強力な魔法の具体的な内容と……それに水色の髪の少女、彼の娘についても詳しくお聞かせ願えませんか」
「娘? たしかにい――」
唐突に耳をつんざく轟音が、歩いていた館の廊下を貫いた。
発生源は少しばかり遠く、玄関に近いこことは反対側……居室に近い辺り。
「閣下!」
「いかん……離せグレアム! 今、この館を襲う者など多くはないぞ!」
グレアムを振り切り、館の二階へ……主人と夫人の居室を目指して走る。
館の周囲には公爵家から選ばれた百人の警護がいるのだ。
それを切り抜け館を破壊できるだけの戦力など、そこらの賊ではありえない。
で、あればその目的は――!
「――いけません、サビーナ! あれを置いていけば皆様にご迷惑が⁉」
「追手が参ります、フェリシア様! お諦めください!」
「賊め! フェリシアを返せ!」
おそらくは夫人の居室であろう、駆け込んだその部屋の壁には大穴が空いていた。
フェリシア様を拉致しようとしているのは、護衛騎士だったサビーナ。
そして武装した彼女に、丸腰で近づけない様子のシャルル様――。
「お戻りくださいフェリシア様! このままではミノー王国が! いえ、それだけではすみません! 獣人共への反攻が不可能になります、国を割られますな!」
「閣下お引きください! この場は手勢が少なすぎます!」
館に直接穴を開け進入路を開くなどという真似を、サビーナ1人で出来るわけがない。
あの穴の向こうには相応の敵の手勢がいるのは間違いない。
だが、ここで命を張らねばこの先が――!
グレアムに止められながら食い下がる私に、フェリシア様の視線が向けられる。
壁に空いた穴から飛び降りる一瞬、こちらに向けられたその表情は、王宮で幾たびか見た何かを成した者を褒める微笑みに似ていた。
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