校閲作業
◆◇◆
昼過ぎにもかかわらず先ほどから、少し空が薄暗くなってきているせいだろうか。
鬱蒼と茂った樹木は、行きがけとは違って、それぞれが不気味な形をした怪物のように見えた。
木々の隙間を足場の悪い曲がりくねった道が延々と続いている。
辺りからは時折、静寂を切り裂くようにして獣や鳥の声が響き、そのたびに。
「ひゃあっ、来るなです!」
動物が苦手なのか、デイズは声のほうへとフランスパンを振り回した。
ちなみに、舗装されていない道はというと、ボコボコと窪んでいて一度、足をとられたらなかなか抜け出せそうにないことが見てとれる。
ところどころ点在している泥ぬかるみは、きちんと訓練された馬などでないと、そのうえを跨いでいくのは難しいかもしれない。
頻繁に雨が降る森林の洗礼だ。
さて。
泥ぬかるみには気をつけて進んでいたはずのリクオだが、そんな彼も、まもなく。
「あっ」
ぽちゃん、という派手な音で、バランスを崩す。
「どうしたのですか、リクオ。まさか」
「ああ、さっそくやられたよ」
リクオはぬかるんだ穴に片足をとられたらしい。
「……さっそくかい、なのです」
デイズからテンション低めな突っ込みが入った。
「しかし厄介です」
彼女は、ふむと顎に手を添えて目を細める。
「なにがだ?」
「一見、落ち葉が被せてあって穴があるとはわかりません。国境に近いこの辺りはかつて戦場だったといいます。ですから人為的に造られた罠が未だに破壊されずに存在している場合があるのですよ。加えて、このような鬱蒼とした深い森。小説やバケットを目当てにした盗賊の類がいないとも限りませんから、一応は、ご注意を」
「うん。僕も、当然ながら注意はしていたよ。けれど、そこに、この自然小説が落ちていたからさ、つい一歩進んで、ひろおうとしたら地面が割れてこのザマだ。もし、戦場だったら背後からやられて命はなかったかもね。ちなみに、これが落ちてたやつな」
リクオはいま拾ったばかりの、『自然小説』を読書日和に見せて事情説明した。
「ほう、自然小説ですか。どれどれ」
状況が状況だが、リクオが持つ小説のタイトルを目にした途端に、少女は瞳をキラキラと輝かせていた。それも無理はない。
それは某国の有名なミステリ作家ウィル・ホーカーが執筆した小説だったのだ。
タイトルは「永遠に刹那に」とある。
「わー。これ某国の有名な作家の著書なのですよ。確か、不老不死の細胞を持つ殺人犯と探偵との攻防を描くミステリです。これはかなり美味しいでしょうねー。どうして、ここに? あ、でも、そんなことはどうでもいいです。よだれダラダラでてきました」
「へー。そうか。僕はあんまりミステリは読まないんだけどさ。やっぱり魔法エネルギーはとれるのかい?」
「ミステリは大半が、少しダークビターな味でエネルギー豊富ですね。さらに言えば、ミステリはマジカルロングソードなど魔法素材を使った武器の威力を回数に限度こそあるものの上昇させてくれますです。一度、食べると病みつきになる読後感がたまりません。どうせ暇なら、ささっと校閲のほうお願いします」
「暇っていうか、ちょっとした危機なんだが今の僕は。まぁ、了解した」
泥穴からはまっていた足をなんとか引き抜いたリクオは、その小説「永遠に刹那に」をぱらぱらとめくり速読を開始する。
ほどなく。
「おっ、これは」
パラパラとページを軽快にめくっていた青年の指が止まった。
どうやら、粗を見つけ出すことに成功したようだ。
「あー、やっぱり版が古いからかな。共同文学通信では絶対に使えない文章が混じっているなー。まぁ、これも校閲の仕事だから直しとくよ」
「共同文学つーしん?」
「共同文学通信っていうのはこの世界に流通する文章ルールを定めた専門機関だ。世界に流通する小説には暗黙の文章ルールがある。それに従わないと最高に良質な小説とは言えないのさ。消費者が体調を崩すこともあるしな」
「なるほど。ちなみにその問題部分というのは?」
すでに小説をあらかた読み終えたらしいリクオは、問題のページを指で押さえながらある一文を指摘した。
その一文とは次の通りである。
『私達がウォッカをメインにして晩酌を飲んでいると、気を利かせたフレンチメイドが酒の肴に唐揚げを持ってきてくれたではないか。有難い。お礼に誰かヴァイオリンでも弾いてあげたらどうだろうか』(ウィル・ホーカー著、永遠に刹那に、より抜粋)
「ん、これのどこがいかんのです? いたって普通ではないですか。それに、校閲がされていない割りには整っています」
デイズは納得いかない表情で首をひねる。
それもそのはず、見たところで不自然なところなどなく、意味合いは十分に通じるからだ。
しかし、リクオの目からすれば、これは表外字(共同文学通信に定められた公式ハンドブック『グリモワルス』の表記にない字のこと)のオンパレードにしか見えない。
「まぁ、見てなよ。そのうち分かるさ。おそらく、この作家はこの作品を書き下ろした時点でまともな校閲を雇わなかったんだろう。証拠はサインの形跡がないこと。普通は校閲済み小説に校閲者は魔法のサインを挿入するのだけれど、この小説には、その校閲済みサインはどこにもない」
ふっ、と笑った彼は何やらぶつぶつと呪文のような言葉を詠唱しはじめた。
すると、彼の頭上には一冊の巨大なハンドブック『グリモワルス』が出現していた。
そして、共同文学通信の公式ハンドブック『グリモワルス』はペラペラとひとりでにページをめくりはじめたではないか。
やがてハンドブックが輝きだし、リクオがそれに向けてかざした「永遠に刹那に」に向かって次々と銃弾のような光を連射していく。
「わああーっ」
あまりに神秘的なまぶしさにデイズは目を閉じた。
「な、なんなんです、これはーっ」
そして、彼女が気が付いたときに文章は次のように訂正されていた。
『私たちがウオツカをメーンにして晩酌をしていると、気を利かせたフレンチメードが酒のさかなに空揚げを持ってきてくれたではないか。ありがたい。お礼に誰かバイオリンでも弾いてあげたらどうだろうか』(ウィル・ホーカー著、永遠に刹那に、より抜粋。校閲済)
「り、理屈は全然わからないですが、すごいのです。よく見ると、ところどころが、ちがうーっ!」
はじめて間近で校閲の技をみるデイズは、思わず感嘆する。
それに対してリクオは苦笑する。
「理屈というほど難しいものではないよ。むしろ、この世界の文学、新聞などの媒体共通の原則に近い。たとえば、唐揚げ。唐揚げの『唐』という漢字は共同文学通信の独自ルールで『とう』という読み方しか現在では利用できないんだ。なので『から』という字を表すために『唐』ではなく『空』という漢字で代用しながら表現をしている。それがこの空揚げのルーツだよ。同じように『ヴァ』というカタカナも使用不可なんだ。だからそれは『バ』に書き換えてあげる必要がある。メーン、メードあたりは、メとイの連続するような場面では伸ばすという原則があるんだけど、基本的には使用できない漢字やカタカナなんかは代用の字で補うのが、この世界の正式な文章ルールなんだ」
「でも、どうして。そんなややこしいことをいちいちしなきゃならんのでしょうか。食あたりが怖いのはわかりますが」
少し不審な顔つきでデイズはリクオに聞いた。
これに対して、彼は続ける。
「簡単だよ、公式の文章全体には、統一感をもたせる必要があるためさ。世界の共通文章ルールにしたがえば、それだけ文章の集合体が美しく感じられて、消費者はそれをより楽しめる。そこに至るまでのロジックを組み立ててあげるのが、僕たち校閲の本来の仕事だ。まぁ、あんまり細かすぎるものや、校閲でさえ判断に迷うような字も存在するっちゃあ、するのだけれどね」
「なるほど。勉強になりました。で、このドでかいルールブックはいつしまうのですか? なんか、そのうち落っこちそうで……」
デイズは、ひくっと頬を引きつらせて上空に浮かぶハンドブック『グリモワルス』に視線を向ける。
強がってはいるが、落下してこないか少し不安なのかもしれない。
一方、リクオはというと、いたって平気な表情だ。
それどころか。
「ああ、グリモワルスからきみへの挨拶がまだだったね。挨拶させようか」
そんなことを言い出す始末。
「わああ、いったい全体、おまえの頭はどうなってるですかあああっ! 本がわたしに挨拶って、どういうことです! おまえはさっそく気が狂いましたか!」
デイズの頭はますます混乱した。
だが、リクオは、「グリモワルスは擬人化することもできるんだよ。見ていてくれ」、と言うや否やパチンと指を鳴らした。
同時に、煙に包まれたグリモワルスのハンドブック。
「わああああああっ!」
次の瞬間、デイズは絶叫して思わず、ロングソードごと卒倒しそうになった。
それも無理はないだろう。
目をやれば、魔法使いのようなツバの長い帽子に、マントを着た十歳くらいの少女が現れていたからだ。
ビスクドールのような美しい顔だちに、腰まであるさらさらの髪、ちょっと眠たそうなルビー色の目がとてもかわいらしいが、どこか気だるそうな不思議なオーラを漂わせている。