国境沿い。森の入り口にて
【第一章】
そんな世界にある小さな共和国ベルナンダール。
国境沿いの森の入り口には、二人分の人影があった。
分厚い書を手にした小柄な青年。
そして、それに寄りそうように並んだ、彼に比べても幾分小さな背丈の幼女。
「運が悪けりゃ、これで最後の食事になるかもな。ああ、これだけじゃ満たされないな」
その書『この世界の概要』を手にしていた青年は読書を終えたようだ。
栗色の髪に茶色の瞳、シャツに薄いコートを羽織り、スラックスを履いて荷物を背負った感じのいい旅人のような風貌は、どことなくひ弱そうにも見える。
彼の手で、パタンと書の表紙が閉じられるのと同時に、使用限度を超えた一冊は、紫煙を吐いて世界から完全に消滅していった。
書が寿命を迎えたのだ。
「いまの本……美味しかったですか? 書物の誤字脱字やハンドブック表記外の文字を洗い出す、私たち校閲も……一応は魔法エネルギーを消費……しますからね。嫌です。ふぁあ」
彼の傍らに立つ、魔法使いのようなツバの長い帽子に、マントを着た十歳くらいの幼女はその様子を、眠たそうなルビー色の瞳で見つめて無感動に言うと、小さくあくびした。
それに対して、青年は軽く微笑んで応える。
「うーむ、世界の概要に対しての子供の質問特集みたいな感じであんまり味はなかったかな。でも魔法エネルギーは補充できたよ。エネルギー消費は嫌だけど書や小説の誤字脱字を魔法によって修復するのは作家ではなくて、あくまで僕たち校閲の役目だから仕方ない。それに、文章の修復は、他の魔法ほどではなくても、当然のことながら魔法エネルギーを消費しないと行えないからな。もはや、僕たちの日常生活は読書と校閲とフランスパンなしでは考えられないし、成り立たないんだよ。ああ、それは、不幸中の幸いと呼んでもいいのか……」
幼女は「そうですね」、というふうに一度だけ深く頷いた。
彼女の長い髪が風でサラサラと揺れる。
「……校閲は今や、小説家やバケット職人と並んで必要不可欠になっています……クビになったのは残念ですが……すぐに……就職見つかると思いますよ。誤字脱字、表記外文字のある書はまだまだ多いし……何より、校閲を済ませていない小説はエネルギーの暴発が起きる危険性を秘めています」
「校閲をひとり育てるには多くの手間と金が必要だからな。いまこの国に、そんな余裕はとうにないのかもしれんな。グリモワルス」
グリモワルスと呼ばれた少女は、
「そうですね……。では、校閲作業がないなら……少しおちます」
そう言って眠たそうな目をゴシゴシこすっている。
「あらら、分かったよ」
青年は納得した様子で、パチンと指を鳴らす。
すると、傍らの幼女が消え、初めからその場に何も存在していなかったかのように一陣の風が通り過ぎていった。
「さて。食料探しだ」
青年は荷物を背に、森へと一歩を踏み出す。