さつじん事件の真相
【第四章】
「…………」
ブラッドマリスはがっくりと首を垂れて、ペタンと地面に座り込んだ状態のまま動かなくなった。
どうやら彼女は魔法エネルギーの著しい消費によって疲弊し、戦う気力などもはや喪失しているようだ。
こうなれば、悪あがきはできまい。
そう判断したデイズはジャキン、と二本のフランスパンを背中の専用刀鞘に収めた。
彼女はふぅ、とため息をつく。
リクオとグリモワルスは、いてもたってもいられず、そんなデイズのもとへと駆け寄っていく。
一方、デイズのほうも駆け寄ってくる二人へと視線をむけた。
「おい、大丈夫か!? 手を貸すぞ」
近くにやってきたリクオはそう言って、まだ負傷しているであろう彼女に手を差し出した。
だが、デイズは相変わらず不機嫌な顔つきで「いえ、余計なお世話です」とその手を振り払う。
「そうか」
普段どおりのむっつり具合。
リクオはそれを感じて、思わず苦笑する。
さて、そんな空気の中。
デイズは何気ない口調でリクオに言い放つ。
「おまえのおかげでいい迷惑です。あやうくわたしが落丁本を口にするところでした! このバカモノ」
「すまん」
先ほどの落丁本を使った危険なアシストを注意されて、リクオはしまったという顔で頬をかく。
だが、そんな罵倒の後にデイズはこう付け加えた。
「でも、とりあえずはマリスに勝てたのです。半分は、貴様の手柄です。……それは、まぁ。素直にありがとう」
そのセリフの後、デイズの頬はほんの少し赤くなった。
「僕のほうこそ。ありがとう、デイズっ!」
リクオはそう叫ぶや、照れているデイズにそのまま抱きつこうとした。
しかし。
「ヘンタイですか、おまえ!」
この一言の後。彼の脚に、ドカッと手痛いキックがおみまいされたのは言うまでもない。
「……りくおへんたい」
その隣で、じーっと観察していたグリモワルスはつぶやいた。
「さて、ひと段落ついたところで、そろそろ聞いておきましょうか」
と、ここでデイズはそんな二人に対して切り出す。
「例の話に関してはどうなったのですか?」
「例の話?」
突然の問いかけにリクオは首をひねった。
するとデイズは、やれやれと肩をすくめて。
「馬車の中でおまえとグリモワルスがなにやら話していたことです。グリモワルスは殺人事件の謎が解けたと言って、おまえになにやら耳打ちしていたようでしたが?」
「あーっ、それか。すまん、すまん。完全に失念して伝え忘れていたよ。あ、でも。きみは、あのときはずっと寝ていたはずじゃあ……?」
リクオの指摘に、デイズはふっと失笑する。
「ええ、実際、寝ていました。おまえたちがボケたりつっこんだりする声で目覚めなければ、あのままだったと思います。でも、目が覚めてしまった以上は嫌でも耳に入ってくるものなのです。それから先は念のために狸寝入りしながらおまえたちの様子を薄目を開けてずっと見守っていました。能ある鷹は爪を隠すというのはこのことですよ」
「えーと、慣用句の使い方が違うぞ」
「う、うるさいのですっ! と、に、か、く。グリモワルスが推理しておまえに伝えたことを一応は、一言一句まで聞いてやりたいと言っているのですーっ!」
デイズはひくっと頬を引きつらせて怒鳴った。
リクオは怒りでブルブルとわななくデイズの頭に「まぁまぁ。落ち着け」と手を置く。
そして、ぽん、ぽんっと彼女の頭を軽くなでると。
やがて、彼はグリモワルスの推理について説明を開始した。
「まず、おまえが森で僕たちに話してくれた師匠射殺事件。あれは、グリモワルスによれば密室トリックを使った殺人だ。そして、犯人はマリスではない」
「……ほ、本当なのですか!?」
「本当だよ」
リクオの一言に、デイズの身体から力が抜ける。
これを見て、リクオは彼女に聞いてみる。
「少なくとも僕は馬車で聞いたグリモワルスの説明で十分に納得できた。さて、あの時、ホテルの密室で寝ていた被害者は部屋に入ってきたマリスによって射殺されたといったよな。でもさ、そんなことしてもすぐにばれるだろう。場合によっては、その場で周りの連中に羽交い絞めにされてもおかしくない。まぁ、彼女の場合はなんとかなったようだが、普通はそこまでのリスクを負って殺人まで犯すのかな? 例え、それが音読聖典の利益分配に関わるものだったとしてもだよ。……僕にはマリスがそこまでの悪党だとは思えない。それは先ほど、僕たちを不意打ちできたのにも関わらず正々堂々と勝負を挑んできた点からも見て取れる。それに、あの状況でどうせ殺人をするならば、それこそ師匠の自殺と見せかけるか、あるいは他の人間に罪をなすり付けるほうがずいぶん合理的ではないか? デイズ」
「た、確かにそうかもしれせんね」
この問いかけにデイズは小さく頷いた。
「だろう」
短く相槌して、リクオは続ける。
「で、もうすぐ結論に至るんだけれど。犯人のやり方はこうだ。犯人は隣の部屋から、あらかじめ、隣接する師匠の部屋の壁に予備の穴を開けておき、持参していたレーザーポインターで被害者の枕と穴がちょうどいい位置関係になるよう確認、調整した。そして被害者が部屋で寝静まるのを待って銃を発射したんだ。銃声はもちろんあっただろう。けれど、殺害当時、部屋では大音量で音楽が流れていたから殆どかき消された。まぁ、それでも近くの部屋までは銃声は響いてしまうわけだよ。だが、これが好都合なことにマリスという身代わりをおびき出すのに一役買ってくれたのさ。さて、ここからはグリモワルスの予想の域なんだが、その後、犯人は部屋にあった練りハミガキをボンドと混ぜて漆喰のかわりにして穴を塞いだと思われる。ちなみに銃は、傘の形に加工されていたので発見できなかった。おまけに、犯人はあらかじめ知っていたんだよ。自分が師匠を殺してから一週間後には職人たちによってホテル部屋の改修が行われるということを。つまり、壁の塗り替えにより、証拠は消滅。マリスは身代わりになり、そいつは完全犯罪を実行してしまったというわけさ。デイズの話を聞いた、グリモワルスがこの事実に気が付くことさえなければね。ここまで言えば犯人は分かったよな?」
「……まさか」
デイズの顔は驚愕に歪んで、その身体はわなわなと震える。
そして、ついに犯人の名を宣言する。
「バルザック・ケインズ!」
「そのとおり」
リクオはにやりと笑った。
「えっへん」
推理の立役者であるグリモワルスは腰に手をやって満足そうに息をついた。
「……二人ともありがとう、そうだったのですか……。やつが、わたしたちの師匠を。なのに、わたしは。わたしときたら長い間、マリスのことを疑って……。すま……ない」
先ほどまでとは違い、デイズは心を痛めたように目を伏せる。
「かまわない」
マリスの声がした。
気づけば、彼女はよろよろと立ち上がり、デイズの肩に手をかけていた。
傷を負ってなお、マリスは優しく微笑すると。
「これでお互い様なのだよ」
確かにそう言った。
「マリス……。あ、ありがとう」
デイズの目から、涙の筋がひとつこぼれていった。
「ふ、これで一件落着。さっさと音読聖典を」
リクオがそう言いかけたとき。
「まぁ、待て。大団円とはいかんぞ」
リクオ、デイズ、マリス、グリモワルスの前に、ふらりと姿を見せたその男は立ちふさがっていた。