デイズの追想その2
◆◇◆
「…………うぅむ」
壁時計の針が一定のリズムを刻んでいる。
さて、自室に戻ったものの、デイズは備え付けのベッドのうえで殆ど眠れぬ時を過ごしていた。
その理由はというと、バルザックの部屋から大音量で流れて続けているクラシック調の不可解な音楽のせいである。
グルグルと布団にくるまった少女は、どこかノスタルジックで不可解な音。それらが、まるで小さな音符の精霊となり、自分の耳の中で手をつないで円形にダンスをしているような錯覚すら感じ始めていた。
そして、それはいつしか死を象徴するかのような不吉な印象となり、彼女の胸を締め付け続けていた。
しばらくは悶絶しながらこの現象に耐えていたデイズだったが、そうこうするうちに堪忍袋の緒が切れた。
「あああ、もどかしい。あの黒甲冑のおっさんの趣味の悪い音楽センスのせいでまったく眠れないですよ!」
少女は苛立ちのあまり布団を蹴りあげると、ベッドからむっくり起き上がる。
そして、そのままベッドを降りて、備え付けの姿見の前にひたり、ひたりと裸足のままで歩いて行く。
鏡に映るのは、どこかあどけない自分の姿。
いつものようなドレス装束を着ておらずカチューシャも外しているせいなのか、少しばかり幼くなってしまったような感じがする。
おまけに、寝巻き姿の自分の身体にはあまり女性らしさというか、年頃の女性特有の美しいしなやかな身体のラインというようなものが感じられない。
「うぅむ」
この事実に苦々しい表情を浮かべながらも、デイズは寝巻きのうえから、ぺたぺたと自分の胸にあたる部分を触ってみた。
ない。
全くない。
そこには胸の隆起というものは殆ど存在していなかった。
「わわわわわっ!」
思わず、デイズの口からは驚愕の声が漏れてしまっていた。
「あああああああ」
ついぞ、回廊でブラッドマリスに言われたばかりの『ある言葉』がよみがえる。
そう、貧乳という言葉。
「わ、わたしは貧乳……ではないです。ぎりぎり中乳……のはず。うぐわあああああ」
デイズは無理やりに自分を納得させようとしたが。
やはり、どこか煮え切らなかった。
やがて、少女は自分の寝巻きに手をかける。
そして。
「くっ……」
パチ、パチと寝巻きの上着ボタンを丁寧に外していった。
最後に、するり、と下まで脱いで、姿見でもう一度。改めて自分の身体を確認する。
「ひゃ、ひゃずかしいのです。いま、万が一この姿を見られたら、連中に変態の烙印を押されます故。でも、なんとかしないと」
少女は衣服を脱ぎ捨てて完全に下着姿となった。
彼女は姿見の前で、胸を少し強調したようなポーズをとり、改めて、ぎゅっと殆どないそれを寄せてみる。
こうすれば、先ほどよりは見栄えがする。
「な、なんだ。わたしの胸も意外と捨てたものではないじゃないですか」
急に安堵したデイズは、自ら両手で、ブラジャーに包まれた自分の胸を鷲掴みにして揉んでみることにした。
もみゅっ。
もにゅっ。
ぱふぱふ。
思ったよりも柔らかい感触だ。
「ふわぁー」
思わぬ快楽に身をゆだねるデイズ。
その表情は恍惚に満ちていた。
そんな矢先である。
ドン、ドン、ドン!
デイズの部屋の扉が、何者かにより激しく叩かれた。
「ひゃっ、ひゃわわわわわわわわわーんっ! ちよっ、ちょぉっと待ってぇええええ。たんまぁあっ!」
あまりに突然のことに。
いまにも心臓が飛び出さんというばかりに仰天し、慌てふためく貧乳少女。
「待って。待って。一分でいいから!」
デイズは落ちていた寝巻きをすくい取るなり、すぐさまそれを被る。
そして寝巻きのボタンを留めると、
「ったく、こんな夜分にどちらさんですかっ! もうっ!」
途方にくれたような表情で玄関に行き、扉の施錠を外して開けた。
そこにいたのは謎の黒い甲冑。
……では、なくバルザックだった。
「む。バルザック。なにか御用です?」
相変わらず、鎧兜に頭まですっぽりと覆っているせいで一切、感情の読めない顔をしているバルザック。
だが、その挙動はいつになく切迫していることが分かった。
「デ、デイズ。大変だ!」
「む、変態? このわたしがですか!?」
「ふ、ふざけるな。大変な事態が起きたと言っているのだよ!」
「あ、ああ。すみません。変態という単語に妙に過敏になっていて、完全に聞き間違えてしまいました。で、一体何があったのですか? そんなに慌てて……」
デイズがそう尋ねると、バルザックは漆黒の面を震わせて部屋中に響きわたるような声で叫んだ。
「ブラッドマリスが……ブラッドマリスが師匠を殺したんだーっ!」
それは、あまりにも信じがたく。
あまりにも衝撃的で。
あまりにも残酷な言葉だった。
「……いま、なんと?」
ショックで青ざめるデイズは、器物のように冷たくなった声を漏らす。
「ブラッドマリスが師匠を射殺したんだよっ!」
「まさか!」
そんな短い会話を交わした後に、デイズは身支度を軽く整えると、大慌てで部屋を飛び出した。
「…………」
師匠の部屋に着いたデイズを待っていたのは、魔道式小銃を手にして呆然と立ち尽くすブラッドマリスと、彼女の傍ら、備え付けのベッドに横たわったまま動かない師匠の変わり果てた姿だった。
頭を撃ち抜かれて、デイズの師匠は即死していた。
「マリス! おまえが殺したのですか!?」
この事態を目撃したデイズは、驚愕に歪んだ表情で叫んだ。
しかし、マリスはひどく儚げな表情で首を横に振っている。
「いや、ボクではないっ。音楽に混じって師匠の部屋で銃声のような音がしたのだよ。だから、ボクが護身用の魔道式小銃を持って駆けつけて師匠の部屋のドアを蹴り破ったら……すでに死んでいた。射殺されていたのか自殺したのかは分からないが、恐らく先の銃弾でやられていたのだ。信じてくれたまえ!」
「嘘をつくな! この部屋は施錠されていて完全に密室だったのだ。部屋に入って、きみがこの師匠を撃ち殺したのだろう! 音読聖典の利益独占に目がくらんでな!」
いつの間にか、バルザックも事件の起きた部屋に土足のままでズカズカと入り込んできていた。
「何を言うんだ! ボクは殺していない! 殺してはいないんだよぉ……」
指摘をうけたマリスは狼狽している。
「マ、マリス……。そんな、嘘なのです。貴様ともあろう者が欲に目がくらんだあげく、恩人殺しでブレッダーの名を汚すのですか」
デイズは、狼狽している彼女のそばに駆け寄ろうとしたが。
「うわああああああああああああああああああああああっ!」
容疑者となった少女は絶叫して、バルザックとデイズが止めるのも聞かずにそのホテルから走り去り、そのまま姿を消してしまった。
さて、結果として。
冷たい風の吹く日に起きたこの事件は、師匠の自殺に近い形で処理された。
だが、師匠不在となったブレッダーズギルドは機能と基盤を失い事実上崩壊。
完全に形骸化したギルドは、組織の財産目当ての侵入者たちに、見事なほどに食い荒らされたあげく、これまで集められていた音読聖典に関しても露と消えてしまった。
そしてそのことすら、時が経つのとともにやがて忘れ去られたのである。
この事件の後、デイズやマリスは放浪の魔道騎士となりあの時の混乱に生じて各地に散らばったとされる音読聖典を再び集める旅に出た。
ついでに、バルザックに関してはあれ以来、一切の音沙汰もなく忽然と行方をくらませてしまったのだという。