デイズの追想その1
【第二章】
――――鮮血の方程式と書いてブラッドマリス。
魔道騎士の少女に、馬乗りにされて無意味に尋問されている襲撃者はすぐさま苦悶の声をあげて、軽い口を開いた。
「鮮血の方程式だというのですか……。や、やはり。それは本当なのですか!」
男の言葉を聞くまで悠然としていたデイズ。
「ほ、本当です」
「なっ!?」
だが、一瞬にして少女の表情に、微かな驚愕が広がってゆく。
「……元々、ワシたちはそいつに雇われただけです。だからワシは無実なんだよぉおお。ブレッドと小説は少し分けてもらったし、金も貰った。だけどワシらとあの小娘とはそれだけの関係でしかない」
「…………ふぅむ。よろしい」
男はようやく解放された。
「……マリスの野郎。あのゴスロリビッチめ。ふっ、いいのです。貴様がその気なら殺られる前に殺るのが礼儀。仁義なき戦いなのですよ、これはああああっ!」
一方、その名前を聞いた瞬間からデイズの様子はおかしい。
なんだかさらに殺気が増して、あたかも周囲がメラメラと燃えるような印象だ。
いまの彼女の醸し出す雰囲気は非常に取っ付きにくい。
しかし、意を決してリクオはデイズに声を掛けてみることにした。
「取り込み中にすまんな。よかったら、僕にも詳しく聞かせてくれよ」
「……むぅ、やはり、おまえも気になりますか?」
「それは、もちろんそうだよ。襲撃された以上は僕にも知る権利はあるだろう」
「た、確かに」
「で、要するにどういうやつなんだ? ブラッドがどうだマリスがどうだとかって言っているのは聞こえたけれど、今のところ僕にはさっぱりなんだが? まず、同一人物なのか?」
すると、デイズはどんより澱んだ瞳をリクオに向けた。
「そうです。先ほどの傭兵を雇っての襲撃を差し向けたのは、悪意ある存在として生まれた魔道騎士の少女です。やつの名は、鮮血の方程式。通称、マリス。わたしの最大の宿敵であり、幼馴染であり、わたしのロングソードを奪った存在であり、小説強盗であり、そして討つべき相手です。やつについて語ると非常に長くなりますけれどまぁ、要約すると、黒くて悪いやつなのです」
「だいたい、把握した。デイズにとってのライバルってところか」
リクオは苦笑交じりに頷く。
「ライバル……。そうですね。ブラッドマリス、マリスは確かにライバルと呼ぶのが一番しっくり来るかもしれません。確かにわたしたちはライバルです。しかし、いまのあいつはもはや良きライバルではなく、単純な宿敵に近いです。あの事件以来は特に……」
「あの、事件……?」
リクオは当惑したように聞き返す。
「ええ、ある殺人事件です。かつて、わたしの師匠とも呼べる人物がブラッドマリスに殺されたのですよ」
少女は、ひどく儚げな表情でため息をついた。
一陣の冷たい風が吹き、数枚の落葉をもちあげてどこかに運んで行く。
「……そう、一年前のあの日もこういう冷たい風が吹いていました」
デイズは口を開き、ゆっくりと語りだす。その脳裏には、一年前の殺人事件、在りし日の記憶がだんだんと蘇ってきていた。
◆◇◆
語り手の少女の中で溶けてゆく現在の感覚。
鮮明な回想の中で。
どこかほの暗いホテルの回廊の中で。
気が付けばデイズは、その人物と話をしていた。
――――在りし日のブラッドマリスだ。
そう、思い起こせば一年前まで、デイズとマリスはある『師匠』の立ち上げた小さなブレッダーズギルド(魔道騎士の組合)にともに所属しており、ビブリオンの音読聖典の行方を追っていた。
そして、彼女らのギルドは実際に計四巻の音読聖典の原書を辺境の地で手に入れ、最後の一冊。五巻目の原書の在処を古代地図の復元成功により、ついに突きとめたのである。
「……ふっ、というわけで師匠は、失われた古代地図を復元して五巻目のビブリオンの音読聖典の在処を突きとめたらしいのだよ。それこそが、この街だ。つまり、世界を変えるという意味でも永久魔法エネルギー開発の意味でも、ボクたちのブレッダーズギルドは大手をかけたという訳なのだよ」
朗らかな微笑が漏れているマリスは、このときもゴシックアンドロリータ系のドレス装束に身を包んでいた。
彼女の背には魔道式小銃が一丁固定されている。
あくまで護身用ではあるものの、少女はこの時期までは愛用の魔道式小銃を肌身離さないようにして持ち歩いていたのだ。
「ええ。最後の音読聖典の入手と校閲が完了してそのメカニズムを解明すれば……。もはや魔法エネルギーの永久化も夢ではないのです。師匠も、さぞお喜びでしょう」
マリスの言葉を聞いて、嬉しそうに頷くデイズ。
彼女はホテル貸し出しの寝巻き姿だ。
常に髪につけているブロンズ装飾のカチューシャも外しており、通常よりも随分と幼く見える。
やがて、回廊に別の靴音が響き。
「ははは、きみたちの師匠は大したものだな。私も古代地図の復元作業を手伝わせてもらったことをとても誇りに思うよ。もはや、これからは魔法エネルギーに一切困ることのない時代がやってくるのだ」
新たな人物が現れていた。
「あ、バルザックさんではないですか。お疲れ様です」
マリスがその人物の名を呼ぶ。
この人物の名はバルザック・ケインズ。作家である。
某国の文壇ではある程度、名の知られた経済歴史作家であり、これまでにも数々の著作を発表している。
しかし、業績とは裏腹にその容貌は異形と呼ぶのがふさわしい。
彼は、全身を漆黒の特殊なミスリル甲冑で包んだSF映画の登場人物さながらの風貌をしているのだ。
おまけに、頭はすっぽりと漆黒の兜で覆われているためにその表情すら読み取れず、人を寄せ付けない独特の雰囲気を醸し出している。雨でもないのにも関わらず常に巨大な紳士傘を携えているのも本人の嗜好だろうが、奇妙といえば奇妙だ。
だが、異端の作家である彼はこのホテルにマリスやデイズ、そして彼女たちの師匠とともに宿泊している。
それは彼が自ら、紹介所を介して、現地に知識があるということを武器に魔道騎士たちのギルド(組合)にガイド役としての売り込みをかけたためだった。
当初、デイズたちはあまり彼に信頼を置いてはいなかったが、バルザックが古代地図の復元作業に関しても技術的な貢献をしたために、もともとのギルドメンバーを除いては唯一の例外として、師匠は彼にも五巻目のビブリオンの音読聖典に関する情報を伝えた。
そして、このほど四人は最後の音読聖典があるという街にたどり着き、そこで唯一のホテルに宿泊をしているというわけである。
明日になれば、師匠は音読聖典を探す活動を本格的に開始するだろう。
ギルドの基盤である師匠が先頭にたって古代地図に記された箇所を捜索していけば、もはや最後の音読聖典原書が手に入るのも時間の問題だろうと思われた。
「ここまでくれば、音読聖典、最後の原書は半分手に入れたようなものだな。校閲も必要だが、それは金さえ積めば、紹介所なりが優秀な人材を探してくるだろう。ははは。むしろ、その後の利益的な配分の計算を我々はしておいたほうが良いかもしれん」
すでに先を見据えたバルザックは喉元から、からからと低い笑い声を漏らした。
「むぅ。確かにそれはそうなのですが、いまのわたしたちは目の前の事案に最大限、集中するべきなのです」
男の早計な言葉に、デイズはひくっと、頬を引きつらせる。
「ボクもリーディングデイズと珍しく同意見だ。それはそれ。これはこれなのだよ。師匠の腕にばかり頼るのは魔道騎士としてどうかと思うからね」
マリスも辛辣な口調ではあるがデイズに同調しているようだ。
「ブラッドマリス! 珍しくは余計なのですっ!」
「うるさいなぁ。きみの意見とボクの意見とは普段は相反するものだろう。事実を言ったまでなのだよー」
そんな二人の様子をしばらく黙って見ていたバルザックは、
「ふ、私としたことが、ちと早計だったか。少し早いが、終わらせる必要がある仕事が残っているので失礼する」
どこか乾いた声でそう言うと、足早に回廊を出て自室へと戻っていった。
男の足音が遠ざかると。
デイズはすぐに切り出した。
「……バルザック。相変わらず無愛想で変なやつなのですよ」
マリスは苦笑して頷く。
「確かにな。紳士傘に黒甲冑と読めないやつではある。おまけに、師匠によれば、やつは師匠の隣の部屋に宿泊しているのにも関わらず、最新式のラジオやレーザーポインターを何故か無理を言って持ち込んだという話だ。それが事実ならば師匠の活動を支援したいのか、邪魔したいのか分からないのだよ。本当に変なやつ。特にラジオなんて、こんなに壁の薄いホテルで聴かれたら迷惑だろう」
「うむ。それに、部屋割りの担当者が、バルザックだったのも納得いきません。よりによってなんであいつが師匠の隣部屋で、わたしがマリスの隣部屋なんですかっ」
「おそらく何か思惑があるのだよ。やつなりの。……っておい、それよりも。そんなにボクの隣部屋は嫌か? リーディングデイズっ!」
「嫌ですね」
「はっきり言いやがったな、この貧乳チビ!」
「貧乳チビっていいましたね、貴様!? 誰だっておまえのような変態ゴスロリ娘の隣は嫌ですけれど!? それにおまえだってどちらかといえば貧乳だろがーっ!」
「ボ、ボクはおまえよりは大きいもん」
「じゃあ、揉ませろです」
「なんでそうなるんだ、ボケナス! 変態はおまえだろ! 死んでわびろよ。ふつーに逝ってよし」
「き、貴様ぁっ」
「こい、このチビ! ぶっ潰してやる」
そのまま二人はとっ掴み合いを始めた……が、力がほとんど互角のためやはり決着らしい決着はつかず。
やがて、誰ともなしにつぶやいた。
「……そろそろ、戻るか」
「そうですね」
こうして、決着を諦めた二人は足早にそれぞれの部屋へと帰った。