午後(後半) ローリーと魔術師
「助かったよ! このまま森の中をさまよい続けて野宿するところだった」
少年はローリーと名乗った。彼は御伽の森の近くにある学園の学生で、魔術具の材料を集めるために森に入ったのだという。
「学園……?」
ミリアは聞いたことのない言葉に首を傾げた。
「あれ、知らない? 森の外に『リブーリア魔術学園』っていう大きな学園があるんだ。沢山の人が魔術について学んでいる。退屈な授業もあるけど楽しいよ」
どうやら、学園というのは魔術師が沢山いるところらしい。ミリアは全身を駆け抜けるような緊張を感じた。ローリーも学園に所属しているということは、魔術師ということだ。絶対に魔女であると気づかれないようにしなければ。
幸い彼は何か感づいた様子もなく、屈託のない笑顔で話しかけてきた。
「ところで、ミリア……だっけ? ミリアはどうしてこの森にいたの? それと、後ろにいる狼、魔物みたいだけど……」
ミリアは怯えを押し殺すように小さく唾をのみ、努めて笑顔で答えた。
「私は森で薬草を探していたのよ。リアムは森で仲良くなったの。まあ……、お兄ちゃんみたいなものかな」
後ろで警戒を解かないでいたリアムが「おい」と声をかけてきたが、手振りで話は後にするように伝えた。咄嗟にリアムを「兄」と言ったのを気にしたのだろうが、下手に口を挟まれるよりもこのまま押し通したほうがいいだろう。
ローリーは訝しげな顔をしながらも、どうにか納得してくれたようだった。
「魔物と仲良く……? 聞いたことがないけど、森に何度も入るのならそんなこともあるのかなあ。でも、魔物は危ないから気をつけたほうがいいよ」
「お前ら魔術師ほど危なくない」
リアムがローリーに聞こえないようにぼそっと呟いたのが聞こえて、ミリアはこっそり苦笑を漏らした。
(魔術師や普通の人間にとっては魔物が危ないのは本当なんだから、そんなにムキになって否定しなくてもいいのに)
ローリーは未だリアムに警戒している様子だったが、ミリアの持つ籠を見てふわっと微笑んだ。
「それが薬草? 僕も薬草や木の枝を集めていたんだよ。薬じゃなくて、魔術具の材料にするためだけど」
霊草として集めた草本を普通の薬草と思ってくれたことに安堵しつつ、ミリアは聞きなれない言葉に再び首を傾げた。
「魔術具って何?」
「魔術具っていうのは、魔術を使う時の道具だよ。無くても魔術は使えるんだけど、あったほうが便利なんだって」
そう言ってローリーが取り出したのは淡い翡翠色の水晶球が上部についた短杖だった。あちこちに細かい装飾が施されている。
「綺麗……」
考えることなく言葉が口から零れた。ローリーが嬉しそうに笑った。
「ありがとう。これは作った中でも一番気に入ってるやつなんだ」
「自分で作るの?」
魔女が作る魔法機構と似たようなものだろうか。とても繊細な形をしており、作るのは難しそうに見えるが。
「学園都市でも売られているけど、作った方がその人にあったものになるから自作する人も多いよ。僕は作るのが好きだから作ってるだけだけど」
なるほど、とミリアは頷いた。魔法機構も術者が作って発動させた方が魔力の通りがいいとユマから聞いたことがある。魔術具もそれと同じ理屈なのだろう。
それにしても、ローリーはとても手先が器用らしい。ミリアは感心した。自分は魔法のコントロールが下手なことからも分かる通り、細かい作業が不得手だったから。
「そうだ!」
急にローリーがぽんっと手を打った。ミリアがびっくりして彼を見ると、その口元がいたずらっぽく上がる。
「ミリアに、これよりもっと綺麗なものを見せてあげるよ。今日のお礼ってことで」
ローリーはそう言って、得意げに短杖を構えた。瞬間、周囲の魔力量が跳ね上がったのを感じた。後ろでリアムがぴくりと反応したのを再び手で制す。魔術を使うつもりだ。リアムが警戒するのは分かるが、下手に動いても不信がられるだけだし、何より、ミリアは彼の魔術を見てみたかった。
「【光よ、その羽ばたきを世界に】」
詠うような小さな囁きが響いたその瞬間、杖の先端から数え切れないほどの光り輝く蝶が飛び出した。
「わあ……」
ミリアは思わず感嘆の声をあげた。どうやら蝶というより光を蝶の形にかたどったものらしい。舞い上がった蝶は、淡い煌きを残し、吸い込まれるように陽光に溶けていった。
消えゆく蝶を興奮した様子で見つめるミリアに、ローリーは照れたようにはにかんだ。
「最近できるようになった魔術なんだ。綺麗なだけで、あんまり使う機会はないけどね」
ミリアはぶんぶん首を振った。
「とっても綺麗だったわ! ローリーって凄いのね!」
瞳を輝かせて褒め称えるミリアの言葉を聞いて、彼はくすぐったそうな表情で頬を掻いた。
「まだまだ全然だよ。魔術学校にはもっと凄い人がいっぱいいるし。僕はまだ、学ぶことの方が多いくらいだから」
ローリーはそう謙遜するが、ミリアは素直に彼を凄いと思った。初めて自分以外が使う魔法(彼の場合は魔術だが)を見たのもあるのかもしれないが、『魔女の塔』のどんな本に書かれた魔法よりも、彼の魔術は綺麗だと思った。
(まだまだ、世の中には私の知らない綺麗なものが沢山あるんだわ)
そのことを知れたのが嬉しく、教えてくれたローリーに言葉にできないほど感謝した。
浮かれた気持ちのまま並んで歩き、やがて森の出口にたどり着いた。
「あそこが森の出口だけど……ここからなら分かる?」
ミリアが訊くと、ローリーは大きく頷いた。
「あそこからなら大丈夫! ミリア、本当にありがとう」
嬉しそうな笑顔に、ミリアの方も心が暖かくなった。
「こちらこそ。ローリーと話せてとても楽しかったわ」
会えて良かった。ミリアがそう口にすると、ローリーの目が輝いた。
「本当? じゃあまた会ってよ! 僕、また森に採取にくるからさ」
じゃあまた! ローリーは大きく手を振りながらそう言って去っていった。
*
ローリーが見えなくなってから、黙ってついてきていたリアムがミリアを見た。
「俺のこと、誤魔化しづらいのは分かるが……。兄ってなんだ」
ミリアは一瞬何を聞かれたのか分からなかったが、すぐにローリーにリアムについて説明したときのことだと気づいた。
「咄嗟に出てきたのが『兄』だったのよ。リアムは嫌?」
リアムは別に嫌ではない、といったが、どこか戸惑ったような表情だった。
(嫌なら嫌って言ったらいいのに)
ミリアにとってリアムは兄のようなものだと思っていたが、彼は違うのだろうか。
ミリアは暫くリアムの様子を伺ったが、彼はすっかり黙り込んでしまったので別のことを聞くことにした。
「そういえば、ローリーと会った時、どうかしたの? 何か驚いていたけど」
不意に、リアムの眼差しに怒りとも悲しみともつかない複雑な影がよぎった。
「……あいつの気配がした」
「あいつって?」
リアムの声は常になく低く緊張を孕んでいて、ミリアもつられるように恐る恐る聞いた。
彼はひとつ息をつくと、その名前をためらいがちに口にした。
「……大魔術師だ」
大魔術師。それは、シャルムラーメ王国の基礎を作った人物であり、大魔女と敵対して魔術師中心の社会を作った張本人である。
「ついでに言うと、『魔女の塔』の魔女を滅ぼしたのも大魔術師とその仲間だな」
リアムの言葉に、ミリアが訝しげに眉をひそめた。
「それ、どういうこと?」
「かつて、魔術師たちが『魔女の塔』に攻めて来たんだ。塔の魔女たちは必死に抵抗したが、ひとり残らず滅ぼされた。それから俺は大魔術師と戦い、魔道書に封印された」
「酷い……」
ミリアは俯いた。胸に波のような悲しみがこみ上げてくる。御伽の森にミリアを除いて魔女が誰もいなかったのは、みんな殺されてしまったからだったのだ。
そこまで考えて、不意に理解した。母がミリアを地下に閉じ込めていた理由。あれは、きっとミリアを守るためだったのだ。ミリアが魔術師に殺されないようにするために。
(お母様、ありがとう……)
ミリアは、天にいるであろう母に、ありったけの感謝を込めて心の中でお礼を言った。
そして思う。守られているだけの時間は終わったのだと。リアムと共に地下室を抜け出した時に、母に守られている時間は終わったのだ。そして、ローリーと出会い、魔女の塔と魔術師の関係を知った今、きっとミリアは新たな場所に立ったのだ。母に守ってもらい、リアムに守ってもらっていたこの命を今度は自分の力で守るために。
(私は、知らなければならない)
魔術師とは、魔女とは、どういった存在なのか。どうして争うようになったのか。過去、この場所で何が起きたのか。ミリアはもっと知らなければならないのだ。
ミリアの様子をじっと見ていたリアムは、厳しい眼差しを向けて言った。
「あの魔術師に、また会うのか?」
「会うわ」
ミリアの返事は簡潔で揺るぎない。
「あいつは魔術師だって分かっていて、しかも大魔術師も関係してるかもしれないんだぞ。絶対に危険だって分かってて、それでも会うのか」
「会うわ。私はもっと知らなければならないもの」
ローリーに会えば、魔術師についてもっと知れるだろう。大魔術師に関係しているのなら、もしかしたら母のことや過去の魔女の塔のことについても分かることがあるかもしれない。
「魔女ってバレなければ多分大丈夫よ。それに、ローリーは悪い人じゃないと思うの」
それも、会いたい理由のひとつだった。あんな綺麗な魔術を使える人が、きっと悪い人じゃないと思う。
(仲良くなれたらいいな……っていうのは、思っちゃいけないことなのかな)
リアムは未だ厳しい眼差しのままだったが、ついに諦めたような表情で深々と溜め息をついた。
「まあ、お前は一度決めたらテコでも動かないからな。でも、あいつと会うときは俺もついていくぞ」
リアムの言葉に、ミリアはぱあっと笑顔になった。
「リアム、ありがとう!」
次はいつ会えるのだろう。わくわくしながら考えていたが、ふと思いついたことがあった。
「そういえば、リアムを魔道書に封印したのは大魔術師だったのよね?」
唐突な言葉に、リアムは眉根を寄せた。
「そうだが、それがどうかしたのか?」
ミリアはうーんと首を傾げた。言葉では言い表しにくいのだが……。
「何だか、多いような気がして」
「多い?」
リアムが更に訝しげな顔をした。ミリアはこくりと頷く。
「魔道書の魔術に比べて、ローリーの魔術は音が多い……複雑な気がするの」
音が多い。複雑。この時は、そのことにほんの少しの違和感を抱くだけだった。それが世界の真実に――ミリアを取り巻く世界が、本当に隠しているものに繋がるとは微塵も考えていなかったのだ。