午前 魔女とミリアの夢
朝食の後、ミリアはリアムとともに、「魔女の塔」を訪れた。家からほど近い場所にあるこの塔は、かつて母マデリンが何人かの魔女と集まって過ごしていた場所らしい。整然と石を積み上げて造られた円柱の塔は三階建てで、森の中からでは木々に隠れてしまい分かりにくいが、正面に立って下から見上げれば首が痛くなる程空高い。一階は広いホールの周りに机と椅子が並ぶ講義室がいくつか。二階は中央が吹き抜けになった蔵書室で、壁一面に本がぎっしり詰まっている。三階は床の中央と壁全面がガラス張りの広い空間だ。この場所は見張り台も兼ねていたそうで、様々な仕掛けが隠されているらしい。ミリアは二階の蔵書室で、魔法や魔女について学ぶのが日課だった。
塔の重厚な扉の前で、二人の少女が待っていた。二人ともミリアの膝ほどの背丈で、揃いのエプロンドレスを上品に着こなしている。彼女たちもエミリーと同じ魔法人形で、名前は腰まであるブロンドの髪をおろしている方がユマ、三つ編みにしている方がサリアだ。
ユマとサリアはミリアを見ると、ぱっと花が咲いたように笑顔になった。
「ユマ姉、ミリア様が来たですよー!」
「サリア、嬉しいのは分かりますが、あまりはしゃいだら転びますよ。……お待ちしておりました、ミリア様。今日もお元気そうでなによりですわ」
仲の良い二人を見て、ミリアもふわりと微笑んだ。
「おはよう、ユマ、サリア。二人も元気そうね。今日もよろしくね」
ミリアの言葉とともに、ギィと重い音を立て、「魔女の塔」の扉が開いていく。扉の奥から、柔らかな蒼い光と古い書物の匂いが押し寄せてきた。ユマは先頭で扉をくぐった。
「では、蔵書室に向かいながら昨日のおさらいをしましょうか」
ミリアはうん、と頷いて、ユマの後ろをついていった。
遥か昔、今は魔法と呼ばれる不思議な術を扱う人々がいた。彼らは魔法を用いて様々なことを行ったが、ある時、魔法の源である魔力が、人々の身体だけでなく大地全体を巡っていることに気づいた。彼らは大地を巡る魔力の流れを解き明かし、それを利用することができるようになった。こうして、自身の魔力と大地の魔力、両方を扱うことができる人々が、現在「魔女」と呼ばれる人々である……。
「それで、お母様もこの塔にいた人たちも魔女だったのでしょう?」
ミリアの疑問に、前を歩くユマが答えた。
「はい。この塔には、大魔女マデリン様と彼女を慕う魔女が集まり、交流や研究をしておりました」
「サリアもここの魔女様に作って頂いたんですよー♪」
魔女は昔から探求心が強く研究熱心で、研究の成果として様々な魔法機構を生み出したのだという。エミリーやユマ、サリアのような魔法人形もそのひとつだ。
「魔法人形も魔法で動いておりますから、本来なら主の魔女が亡くなった時点で動かなくなります。しかし、わたくし達は大地の魔力を使用してありますからこうして動くことができるのですわ」
二階への階段を上がりながら、ミリアはふむふむと頷いた。
「つまり、魔女が作った魔法機構は作った魔女が死んでしまっても動くってことよね? それなら、あれも動くの?」
ミリアが指で示したのは、中央の吹き抜けから見える、蒼い光を零す魔法装置だ。一階に入りきらないほど巨大で、この装置のために吹き抜けにしたのだと考えられる。装置は『魔女の天球儀』と呼ばれていて、複雑に円形の板を重ね合わせたような構造をしている。常に神秘的な蒼い光を発し、膨大な魔力は感じるのだが、全く動いているようには見えなかった。
ユマも、『魔女の天球儀』を見て頷いた。
「ええ、あれも動きますわ。ただ、あれは膨大な魔力と繊細なコントロールを必要とするので、それに見合った術者が使用しないと動かないようにしている、とマデリン様がおっしゃっていましたわ」
「マデリン」という名前にミリアはぴんっと閃いた。
「もしかして、『魔女の天球儀』を作ったのはお母様なの?」
ユマは嬉しそうに微笑んだ。
「そうですわ。因みに、動かすことができたのもマデリン様だけでしたわ」
ミリアは目を丸くした。装置の凄さはもちろんのこと、改めて「大魔女」と呼ばれた母の凄さを思い知った気分だった。『魔女の天球儀』を見ながら、ぽつりと呟いた。
「いつか、私にも動かせる日がくるのかな……」
「『魔女の天球儀』を動かすのがミリアの目標か?」
呟きを聞いたのか、突然ずっと黙っていたリアムが声をかけてきた。吸い込まれそうな黑瞳でじっと見つめている。ミリアは少し考えた。
『魔女の天球儀』はもちろん動かしてみたい。でも、それだけでいいのか。
答えはすぐに出た。ミリアはリアムの瞳を見て、いつものようにふんわりと微笑んでみせた。
「いいえ、私の目標は『魔女の天球儀』を作ることよ」
「作る?!」
リアムは驚いたようだった。確かに、ただでさえ複雑で母しか使えなかったという魔法装置を、使うどころか新たに作るというのは、普通に考えたら無茶な話だろう。しかし、ミリアには作りたい理由があった。―母に近づきたい、という理由が。
ミリアは未だ、「母」というものがよく分からない。ただ、母について幾つかの疑問があった。どうして、ミリアを地下室に入れていたのか。
―どうして、ミリアを置いて死んでしまったのか。
全ては過去のことで、今更その理由を知ることはできない。しかし、母に少しでも近づけたら、かつての母の気持ちが分かるのではないか。それは、「母」というものを知ることにも繋がるのではないか。ミリアはそう思う。
「お母様が作れたのなら、私も作れるようになりたいわ。今はその力にとても及ばずとも、私はお母様の娘だもの」
ミリアの言葉に、リアムはただ「そうか」とだけ言って笑った。その笑顔はいつも以上に嬉しそうな気がした。何だかミリアも嬉しくなってくる。
(いつか、リアムにも認めてもらえたらいいな)
リアムにとって、母がとても大切な人だったというのは、その行動の節々から感じられた。多分、初めて会った時にミリアを助けてくれたのも、ミリアが「マデリンの娘」だったからだろう。日常の合間にも、ミリアを見ながらどこか遠くを見るような目をしていることが時々あった。
ミリアは、リアムが自分と母を重ねているのを悪いことだとは思わない。リアムはミリアを沢山助けてくれたし、ほとんど他人と会う機会がないミリアは、そこまで大切に思える人がいるのは素敵なことだと思うからだ。
ただ、いつかミリアも、母のようにリアムに大切に思われたいと思う。大切なものが未だ少ないミリアにとって、リアムはその中でも一際特別だったから。
ミリアはリアムに小さく微笑んでから、ユマとサリアを見た。
「ユマとサリアも、もっといろいろ教えてね。私はまだまだ未熟者だけど、できる限り沢山のことを知って、早く立派な魔女になりたいから」
「もちろんですわ」
ユマは、本棚から大きな本を小さな身体で器用に取り出しながら言った。
「わたくし、ミリア様はマデリン様以上の『魔女の天球儀』が作れると思いますわ」
「お母様以上の?!」
ミリアはびっくりした。「お母様に近づきたい」とは思ったが、実際のところミリアは魔法が全然ダメで、とても遠い目標だと思っていたのに。
魔女として魔法を使う時、大きく二つの素質が重要になる。一つは自分が持っている魔力量。もう一つは、大地から借りられる魔力の量だ。
ミリアはその二つの量がずば抜けて多かった。しかし、二つの素質よりもさらに重要なこと、肝心の魔力のコントロールが下手だった。なまじ沢山の魔力を使えるせいか、何をやっても効果が強力過ぎるのである。
魔法は繊細なもの。単純な魔法であれば強力過ぎるくらいで済むが、高度な魔法だとコントロールの失敗によって発動すらできなくなる。ミリアも何度も失敗してしまっており、『魔女の天球儀』もいつか作れたらいいな、くらいに思っていただけだったのに、今の状態で大魔女と呼ばれた母以上のものが作れるだろうと言うとは。
ユマは本を机の上に置いてから、優雅に微笑んだ。
「もちろん、今すぐにできるとは言っておりません。しかし、弟子は師を超えるもの。ミリア様なら、より素晴らしい『魔女の天球儀』を作れるはずですわ」
ミリアは小さく肩をすくめて苦笑した。
「そう言ってくれるのは嬉しいけど、ちょっと緊張するわ」
「大丈夫ですよ、ミリア様♪ サリアとユマ姉がいるですー♪」
不安な面持ちのミリアに、そう明るく声を掛けてくれたのは奥で本を探していたサリアだった。両腕に何冊も本を抱えたまま、とても楽しそうに言う。
「ユマ姉はミリア様がマデリン様を超えられるようにいっぱい教えるです♪ サリアもミリア様を応援するですー♪」
太陽のようにぱあっと笑うサリアを見ていると、ミリアの方も明るい気持ちになれた。ミリアはサリアの頭をよしよしと撫でた。
「ありがとう、サリア。ユマ、私頑張ってみるわ。いつかきっと、お母様以上の『魔女の天球儀』を作ってみせるわ」
ユマとサリアはそろってとびきり嬉しそうな笑顔を見せた。
「ミリア様ならきっとできますわ。さあ、それでは今日のお勉強を始めましょう」