一日目朝 エミリーと魔女の家
窓を開けると、ふわりと柔らかな風が部屋に吹き込んだ。ミリアは朝の風とともに舞い込んだ桃色の花びらを指で摘んで微笑んだ。
「いい天気」
ヴェールのような乳白色の淡い霞の向こうに、黄金色の陽光が透ける。冬はつい先日去ったばかり。まだ少しひんやりしているが優しい春の空気を堪能していると、階下からリアムの声が聞こえてきた。
「ミリア、起きてるか?」
「ええ、起きているわ!」
着替えて軽く支度をして、一階へ。階段を降りる時に白いワンピースの裾がふわりと舞った。下で待っていたリアムがこちらをちょっと覗き込んで、にっと笑った。
「おはよう。今日は遅めだな」
ミリアははにかむように微笑んだ。
「あまりにも気持ちのいい朝だったものだから。……リアムもエミリーも、起こしてくれればいいのに」
リアムが何か答える前に、キッチンからミリアの膝ほどの背の少女が飛び出した。
「起こすなんてとんでもない。ミリア様はゆっくり寝ていらしていいんですよ。炊事はこのエミリーにお任せください」
クラシカルなメイド服姿のエミリーが小さな身体で上品にお辞儀をする。肩口で揺れるブロンドの髪も、すらりと伸びた細い手足もどこからどう見ても少女のものだったが、彼女は人形だった。マデリンがこの家に遺した魔法人形だ。
ミリアがリアムとともに地下室から出て十数年。彼女は、かつて母マデリンが住んでいたという家に住んでいた。石を積み上げて作られた二階建てで、森の中にひっそりと佇むように建つ古い小さな家だが、外観も内装も家主の愛情深さを示すように手入れが行き届いている。主人がいない家を、それでも大切に、いつでも使えるように保ってきたのがエミリーだ。彼女は家を管理するために作られ、マデリンがいなくなってもずっとこの家を守っていたのだそうだ。
ミリアとリアムがこの家初めて訪れた時、エミリーはミリアを見て驚き、飛び上がって喜んだ。
『お初にお目にかかりますミリア様! 私、マデリン様の魔法人形のエミリーと申します。どうかこの家の主となり、私を働かせてくださいませ』
ミリアがこちらこそよろしく、と微笑むと、エミリーはすぐにミリアを家の中にいれた。ずっと地下室にいたからあちこち汚れているのが分かったのだろう。彼女はミリアを手頃な椅子に座らせるとお風呂を涌かし始めた。リアムを手伝わせて食料庫をひっくり返すように漁ったエミリーは、使い込まれたキッチンでいそいそと料理をしながら感極まったように言う。
『マデリン様が亡くなられてからもずっとこの家をお守りしてきましたが、まさかお嬢様がこの主なき家の主人になってくださるなんて!』
それからずっと、エミリーは炊事洗濯ミリアの身の回りの世話と、ありとあらゆることをこなしてくれている。ミリアもお料理がしてみたくてほんの少し手伝ったりもするが、ほとんどはエミリーがテキパキとこなしてしまっていた。
(そういえば、お母様が亡くなっていることを知ったのもあの時だったっけ)
母が亡くなったのは、もう随分前のことらしい。ミリアは手紙でしか知らない人だったが、その文章から良い人であることは感じていたし、ずっと会いたいと思っていたので、少し残念だった。
(お母様って、どんな人だったのだろう)
ミリアは、今も時折、ここに住んでいたという母のことを考える。……まだ、ミリアは「母」というものがよく分からない。
(きっとお母様のことだけじゃないわ。まだ私には、知らないことが沢山あるはず)
世界は限りなく広くて、知らないことは数え切れない。それでもミリアは、ひとつでも多くのことを知りたいと思う。そのために外に出てきたのだから。
とりとめもなく考えていると、後ろから声をかけられた。
「それで、知りたがりの小さな魔女さんは、今日は何をするんだ?」
リアムが面白がるような瞳を向ける。ミリアも彼に向かってにっこりと微笑んでみせた。
「午前中は『魔女の塔』でお勉強。お昼からは森で霊草探し」
「俺は?」
「リアムはいつも勝手について回るでしょう? ……霊草探しは手伝って。後は好きにしてていいわ」
「了解」
やけに嬉しそうなリアムを、ミリアは不思議に思いながら見ていた。いつも自由気ままな彼だが、ミリアが頼みごとをすると急に機嫌がよくなる。理由は未だ謎。
朝食に焼いてくれたパンをテーブルに並べながら、キッチンのエミリーにも声をかけた。
「お勉強はユマとサリアに頼んであるから、エミリーはお家のことよろしくね」
「はい!お任せください」
エミリーは明るく返事をして、ティーカップにお茶をいれてくれた。