対澪包囲網!? 8
快調に国道五号線を走る軽自動車。
運転するのは琴美、助手席には水晶だ。
ダッシュボードの上のホルダーにセットされた個人端末からは陽気な音楽が流れている。
ハモるところでは琴美と水晶まで声を合わせちゃってるくらいだから、どんだけ陽気なんだって話である。
「アンジー? なんか音程ちがくない?」
「そんな気はした」
自他ともに認める音痴のビーストテイマーだが、歌うこと自体は嫌いではない。
リサイタルとかを開くと友人たちを辟易させるので、歌うのはもっぱら愛車の車内や自室などだ。
と、端末の画面が切り替わる。
『アンジー。きらら。いまどこー?』
大写しになった口がニキサチの声で問いかける。
水晶が、ぷっと噴きだした。
カメラに近づきすぎである。
口しか見えない画像通信というのは、ちょっと新しすぎるだろう。
「学校帰りよ。さっちん。あともうすこしカメラから離れなさいな。虫歯が一本もないのは良いことだけれど」
端末を操作しながら返信するのは水晶だ。琴美は運転中のため、前を向きながら笑っているだけである。
『どのへんー?』
にゅーっとカメラがさがり、今度こそちゃんとニキサチの顔が映った。
すこしそばかすのある、美人ではないが愛嬌のある顔立ち。
影豚を彩る名花三本の一角だ。
あとの二本は、もちろん琴美と水晶である。
「もうすぐ大沼公園よ」
『おけおけ。じゃあ公園でおちあおー』
「意味が判らないのだけれど?」
『じゃー だんご屋さんでー』
質問に応えることなく、一方的に言いたいことだけいって通信が切れる。
やれやれと水晶がため息を吐いた。
さすがニキサチ。
脈絡とか、筋道とか、そういうめんどくさいものは、彼女の辞書には載っていない。
「なんなのかしら?」
「通信だと傍受される可能性があるから直接会って話したかった。でも私たちが澪に戻るのを待つほど時間的な余裕もなかった。どう?」
水晶の質問に琴美が応える。
なかなか筋の通った推論である。
しかし、相手はニキサチだ。
「ぜったいそんな深刻な話じゃない、に、五十億ジンバブエドル」
「いくらなのよ? それ」
天文学的なインフレーションを起こしたジンバブエ・ドル。
二〇一五年の六月、ついに廃止されたが、その直前のレートで、百兆ジンバブエ・ドルで二十五円くらいである。
なかなかに壮絶な交換レートだ。
「だって、深刻な話だったらさっちんを通すわけがないし」
「ま。そりゃそうよね」
ひどいことを言うふたり。
これでも澪役場では親友だとみなされている三人娘である。
ただまあ、少しだけ事情もあったりはする。
琴美、水晶、ニキサチのうち、最後のひとりだけは戦闘員ではない。
もちろん諜報員でもない。
いちおうは量産型能力者なのだが、高校卒業まで所属していたのは住民の避難誘導などにあたる第二隊だし、実戦経験もないのである。
影豚のトップである依田が、そんな彼女を危険な任務に付けるはずがない。
「可愛がってるしね」
「振り回されてる、の、間違いじゃ?」
「アンジー。事実は万人を傷つけるものよ」
「ひっどっ」
ものすごーく複雑で、しかもどうでもいい経緯で依田の秘書となったニキサチは、毎日毎日、上司を困らせているらしい。
つい先日も、幹部会で使う資料を作っていたのだが、その全ページに渡って可愛らしいキャラクターを描いていた。
しかもそれが吹き出しで解説とかをおこなっていた。
なかなかの力作であり、きっと中学生の光とかでも理解できるだろうってくらいの出来だったが、まさかそんなもんを幹部会で使うわけにはいかない。
前日に受け取った依田が、夜なべして作り直したという逸話が残っている。
「きっと暁貴さんは喜んだと思うけどね」
「面白ければいいってものじゃないのよ?」
苦言を呈しつつも笑っている水晶は、もう充分に暁貴菌に汚染されている。
やがて軽自動車は、大沼隧道を過ぎ、道道三三八号線へと右折した。
指定された場所で待っていたのは佐藤とニキサチだった。
慌ただしく情報が交換される。
誘いのあったグルメイベントには人外が絡んでいたらしいということ。そしてその人外が実剛に接触したということ。
「まっこと、退屈しない街だこと」
くすくす笑う水晶。
いつの間にか手には鉄扇があらわれ、それで顔の下半分を隠している。
「ともあれ、どの程度のラインまで北斗市の市政に食い込んでいるのか、それだけでも探っておきたいんだよね。ここまでの経緯から、すぐすぐ敵対するって話ではないと思うんだけどさ」
茶味がかった髪を掻き上げる佐藤。
穏やかで爽やかな青年って感じだが、瞳が好戦的に輝いている。
命じられるままに動くスパイだった彼は、澪に帰属してだいぶ変わった。
挑む謎が難解で、戦う相手が強大なほど面白い。
わりとダメな方向への変化である。
暁貴菌の汚染率は八十二パーセントくらいだ。
「とはいえ僕とニキサチだけじゃ、事が荒立ったときに詰んじゃうからね。姫たちにご出馬願おうって魂胆だよ」
「私だって戦えますよー 佐藤さんより強いですよー」
「はいはい」
憤慨するニキサチに、佐藤は逆らわない。
事実として、量産方能力者の彼女は、彼に数倍する身体能力を持っているのだ。
ただ、それでも佐藤は自分が負けるとは考えていない。
いくら足が速くとも、いくら力が強くとも、それだけで勝敗が決まるわけではないのである。
「はいは一回!」
「さーせん!」
そしてすぐに怒られる。
妙なところで常識を重んじるニキサチなのだ。
「四人でぞろぞろいくの? 多すぎない?」
首をかしげる琴美。
潜入任務というほどではないので少数の方が良いというわけでもない。だが、あまり大人数で押しかけても意味がないのも事実だ。
「まあ、僕とニキサチにガードって考えたら、四人になっちゃうんだけどね?」
佐藤が肩をすくめる。
いざとなったとき、切り抜けることができる程度の訓練を彼は積んでいる。
ただしそれは人間が相手の場合。
人外たちを相手に大立ち回りとか、とてもとても。
「ふむ。ハーレム展開ね」
にへら、と笑う水晶。
顔を引きつらせる元スパイ。
男性は佐藤ひとり。残りは十九歳トリオだ。
琴美と水晶は紛れもない美女。ニキサチだって美人ではないけれどけっこう可愛い。
だけどどうしてだろう。こんなにも心が躍らない。
むしろ恐怖しか感じない。
「HAHAHA。僕にはそんな甲斐性はないよ」
渇いた笑いを浮かべたりして。
「佐藤さんの場合はそうよねえ。あなたの隣は一人分しかないから」
にやにやと笑いながら水晶が手招きし、琴美とニキサチから少し離れたところに引っ張っていく。
「なんですか? きららさん」
「調査員が二人だから護衛が二人必要になる。そう思わない? 佐藤さん」
蠱惑的な笑み。
善良な農民をたぶらかす悪魔のような、善意に満ちていると信じてしまうような笑みだ。
「…………」
「調査員がひとりなら、護衛だってひとりで済むわよねぇ」
「…………」
「ところで妾、回らないお寿司が食べたいなぁ」
「函館に良い店がありますよ。姫。ご案内しましょう」
薄ら暗い取引が成立した。
「アンジー。いま佐藤さんとも話したんだけど」
顔を上げ、親友に呼びかける。
きょとんとした顔の琴美。
「妾とさっちんは、アンジーの車で澪に戻ったほうが良いと思う」
もちろん水晶は説明した。
理路整然と。
人外が絡んでいると判った以上、ただの人間だけで調べるのは危険度が高すぎる。
量産型能力者だって厳密にはイエローゾーンだ。
ニキサチではレッドだろう。
ニンジャたちならまだしも。
人外の関与があきらかでなかった時なら、修行がてらニキサチを連れて行く手もあっただろうが、事態は動いてしまった。
リスクを背負うべきではない。
となれば、佐藤が主体で動くのが常道ではある。
ただ、彼ひとりに琴美と水晶が張り付くというのも人材の無駄遣いだ。
普通に考えて、澪にそんな余裕はないのである。
「だから、アンジーと佐藤さんで動いて」
「べつに、きららとのコンビでも良いんじゃ?」
「妾より付き合いが長いでしょ。ことは連携力に関わってくるからね」
「たしかにね」
考え込んだ琴美だったが、逡巡は短かった。
「佐藤さん。私とのコンビで良いですか?」
「もちろんだよ。アテにしてる。アンジー」
親指を立ててみせる佐藤であった。
「まあ、佐藤さんもアンジーと二人っきりの方が良いでしょうしねー」
そして、すべての作戦を台無しにするニキサチであった。
「……佐藤さん?」
「僕が個人的な感情を任務に優先させる男だと?」
「ですよね。安心しました」
あっぶねー。
ありふれたサマースーツの下。
元スパイがだらっだらと汗を流していた。