そしてまた幕があがる 10
蓮田とこころの結婚式は、人前式で執り行われることになった。
仕方がないことではある。
まさか異星人にキリスト教式や仏前式を押しつけるわけにはいかない。
「私は日本神話の神なんだから、神前式でいいと思うよ。主上も馳せ参じるんじゃないかな」
「やめてください。勘弁してください。ゆるしてください」
こころの主張は、暁貴が誠心誠意お断りした。
主上ってのはこの場合、天照大神である。
そんなのが澪にやってくるとか、悪夢以外のなにものでもない。
こころの友人であるノエルが熱心にキリスト教式を勧めたが、もちろんこれも却下である。
キリスト教式の結婚式を挙げるためには、キリスト教に入信しなくてはいけない。
これは当たり前の話で、信者でもなんでもないやつが神に結婚を誓約してどうするって話だ。
誓約された神さまだって困ってしまうだろう。
あ、はい、ご自由に。としか、いいようがない。
そもそも日本神話の神がキリスト教に入信しちゃったら、ものすごい勢いでアイデンティティが崩壊しちゃう。
そんなわけで、消去法の結果、人前式ということになった。
ようするに宗教などとは一切関係なく、招いた立会人たちの前で、婚姻届にサインするという型式だ。
結婚誓約書とかを独自に用意する場合もあるが、神にではなく友人や知人に永久の愛を誓うのである。
破っても、もちろん神罰はくだらない。
で、先延ばしにしても意味がないため、十月の半ばに予定が組まれた。
場所は迎賓館。
そのまま披露宴へとなだれ込む計算である。
むしろこっちがメインであるといって良いだろう。
「そういやあこころちゃんよ。ご両親はどうするんだい?」
魔王の質問である。
肉体的には普通の人間である天界一の知恵者には、当然のように両親がいる。
木の股から生まれてきたわけではない。
「あとで連絡だけしておくよ。暁貴さん」
こころのこたえは、あっさりとしたものだった。
無情といってもいいくらいに。
そんなんでいいのかよ、と、魔王はつっこまなかった。
異能を持って生まれたものが普通の親の元で暮らすというのは、けっこうたいへんだ。
赤の他人が相手ならチカラを隠すことは難しくないが、一緒に住んでいたらやっぱりばれてしまう。
だからこそ、暁貴の妻であるキクも大学にはいると実家を出て一人暮らしをしていた。
こころだけが例外的に親子仲がよいとは思えない。
根掘り葉掘り聞きだすような野暮は、誰もが慎むべきだろう。
「したら保証人はどうする?」
訊ねたのは実務的な話である。
結婚というのは、婚姻届に新郎と新婦の名前を書いて印鑑を捺すだけ、というわけにはいかない。
保証人が必要になるのだ。
しかもふたり。
ただまあ、借金などの保証人ではないので、成人に達している人ならだれでもいい。
新郎と新婦の父親とか、あるいはどっちかの両親とか、たいていはそのへんにやってもらうことが多い。
ただ、両親と疎遠なら、なかなか頼みづらいだろう。
もちろん蓮田の両親というのは、もっと論外だ。
「暁貴さんと鉄心さんでいいだろ。この街のナンバーワンとツーなんだから」
よろしくね、と、丸投げするこころ。
魔王と鬼の頭領が保証する結婚だ。
慶事だとは、ちょっと思えないだろう。
「あと、披露宴はお金に糸目は付けないから、澪の味覚を全部食わせろってっさ」
蓮田からの伝言を過不足なく伝える。
なにしろ彼は今お金持ちだ。
アイリーンを澪に払い下げた十五億円があるから。
「こういう形で澪に還元してくれるってことだな。あかわらず底の知れない御仁だぜ」
「いや? あの人はただ単に食欲邪神なだけだよ?」
過大評価しようとする魔王に、知恵者が肩をすくめてみせた。
「実剛さん。こちらの方は?」
絵梨佳が訊ねる。
婚約者が東京出身であることは知っていたが、まさか秋葉原のメイドカフェに知人がいるとは、さすがに想像の外側だ。
東京って街は、そこまで世間が狭くはないだろう。
それこそ澪ではあるまいし。
「えっと、僕が東京にいたときに通ってた中学の後輩で、高槻悠人くん。こっちは、婚約者の芝絵梨佳嬢」
一瞬の自失からすぐに立ち直り、婚約者と後輩を紹介する。
「冷凍野菜級の朴念仁といわれた巫先輩にこんな可愛い恋人とか、天変地異の前触れかもしれませんね」
にこやかに挨拶を交わしたあと、悠人がひどいことを言う。
思わず絵梨佳が、ぷ、と吹き出した。
東京にいたときも、実剛は実剛だったらしい。
「羨ましかろう。妬ましかろう」
ふふんと胸を反らす次期魔王。
なにしろ自分の彼女は世界で一番可愛いと信じて疑っていないのである。
しかし、その余裕は極短命しか保ちえなかった。
「いやべつに?」
などと、悠人がのたまったから。
こっちはこっちで余裕綽々だ。
「僕にもカノジョいるんで」
「え?」
実剛が目を丸くする。
たしか高槻くんって、モテないブラザーズの一角だったような。
とか、記憶をたどってみたりして。
「いるんでっ」
二回言った。
すごい大事なことらしい。
「カノジョことウパシノンノだ。よしなにな。魔の皇子」
悠人の背後から美女が近づいてくる。
美人だった。
ものすげー美人だった。
プラチナみたいな光沢を放つストレートの金髪は腰まであり、さらさらと音が聞こえるよう。
処女雪のような白磁の肌。碧玉のような瞳は、強い意志に輝いている。
この世のものとは思えない、と評しても、さほど過言ではないだろう。
次期魔王がぽかんと口を開ける。
彼ほどの鋼メンタルが一瞬で目を奪われた。
「やばっ わたしも変身するしかっ」
危機感をもったのか、絵梨佳がおかしなことを口走る。
この状況で髪を青くしてどうするというのか。
「おちつきなされ。絵梨佳嬢」
まあまあと信二がたしなめる。
ものすごい美人だが、あれは人間ではない。
匂坂がささやいてくれた。
エルフである、と。
「代表者の方とお話がしたいのですがね。伽羅女史でしょうか」
さっさと実務的な話に入ってしまう。
長引かせても意味がないし、痛くもない腹を探られるのだって面白くない。
無関係の他人であり、互いに不可侵、不干渉、という文言を交わすだけなので、すぐに済むだろう。
「代表というものは存在しないのだ。この店の店長ということで良いなら存在するが、あなたたちが求めるのは違うのだろう?」
ウパシノンノと名乗った美女が肩をすくめる。
思わず顔を見合わせる実剛と信二。
代表というかトップのいない組織など存在しない。
趣味の仲良しサークルだって、まとめ役がいるのだから。
つまりこの集団は、組織ではないということか。
「ということは、たとえばウパシノンノさんと、不可侵の協定を結んだとしても、他の方々には通用しない、ということでしょうか」
次期魔王が訊ねる。
だとすれば、話がものすごく面倒くさくなってしまう。
ひとりひとりと約束しないといけない、ということだから。
「そもそも、私たちはそれぞれ勝手な都合で、日々の糧を得るためにこの店で働いているにすぎないのだからな」
「なるほど……」
これは困った。
澪は、伽羅陣営というようなものがあると考えていたのである。
しかし、組織が存在せず、勝手気ままに集っているだけとなると、交渉のために用意したカードは、何ひとつ切れない。
下手な交渉をして、やぶ蛇になっても困るのだ。
「信二先輩」
「相手が個人であれば、なんの約束もできませんよ。御大将。まさか集うなとも働くなとも言えないんですから」
「ですよね」
息を吐いた次期魔王。
ウパシノンノに向き直る。
「どうも僕たちは勘違いをしていたようです。組織でないのなら、こちらとして交渉のテーブルにのせる材料はありません」
「ほほう?」
興味深そうに美女が目を細めた。




