対澪包囲網!? 7
気付かないうちに食べていた。
まるで食欲魔神の光や美鶴のように、試食を受け取る列に割り込みまでして。
「まさか……僕がそんな下品な……」
「認めなさい兄さん。あと私や光を勝手に引き合いに出さないで」
「そーだそーだ!」
憤慨する妹とその恋人。
こいつらはどうでもいい。
「絵梨佳ちゃん……」
「はい。やばいですね。これは」
和牛を食べたときとは、主体と客体を変えた会話。
舐めていたわけではない。このままでは負けるという思いもあった。
しかし、あらためて現実を突き付けられた。
「澪豚はたしかに美味しいです。だけど」
「黒毛和牛や名古屋コーチンほどの力はない。認めるしかないよ」
ぐっと拳を握る実剛。
認めよう。
素材として、澪豚は劣っている。
「勝っても負けてもかまわないって思っていたけど、違うよね。みんな」
ぐるりと仲間たちを睥睨する。
美鶴と新山楓が、まず頷いた。
勝敗は関係ないと最初に考えた次席軍師と第三軍師である。
このまま事態が推移すれば、澪は順当に敗北する。
素材の差、という最も身も蓋もない理由で。
あるいはそれは、人間と能力者の戦いのようなもの。
根元的な力の差。
どれほど鍛えても、武術を極めても、人間は能力者には勝てない。
特殊能力者どころか、量産型能力者にすら遠く及ばないだろう。
「だから諦めて良いのかって話よね」
「ええ。わたくしは話で聞いただけですが、量産型能力者が特殊能力者に勝利した例もあるのでしょう? 美鶴さま」
「私も見てたわけじゃないけどね。安寺のおじさんがアンジー姉さんに勝ったって話」
「凄まじいですわね……」
アンジーこと琴美の戦闘力は高い。
どうしても母親の沙樹と比べられてしまうが、それは、蒼銀の魔女と異名をとる歴代でも最強の戦士との比較である。
ごく普通に判定すれば眷属たちの中では最強クラス。
光則などは言うに及ばず、光ですら経験で及ばないだろう。
そんな琴美に、安寺雄三(当時は旧姓の村井)は勝利した。
辛勝とかではなく、ただ一撃のクリーンヒットすらも許さなかった完勝である。
この件が巫陣営に与えた衝撃は大きかった。
結局、基礎能力の差というのは戦闘力の差には直結しない。
特殊能力者だからといって油断していたら足元をすくわれる。
やや判りにくいたとえに、光などは疑問符を頭上に浮かべた。
佐緒里などは判ったような顔で頷いているが、こいつも安寺氏に負けた一人である。
まあ、間違いなく判っていないだろうけど。
「地力で劣る澪豚でも、戦い方によっては勝てるかもしれない。そういう話よ。光」
勝てるとは断言できない。
だが、戦いようはある。
「ですね。いちおう、こんなものも用意してみたんです。まだ届かないとは思うんですが」
柔らかな微笑とともに五十鈴が戻ってきた。
その後ろには棍棒をもった山田が続いている。
「棍棒?」
「原木ですよ。生ハムの」
見慣れないものに首をかしげる光則に、聞き慣れない言葉が返ってくる。
「木なの?」
「そう呼ばれているだけです。実際は肉ですよ」
笑いながら、山田がテーブルの上に豚の足を置く。
どん、と。
なかなかの迫力だ。
「ふむ? しかし生ハムというのは熟成に二年くらいかかるのではないか? 数日で用意できるものではなかろう」
疑念を呈するのは依田だ。
グルメイベントの誘いからまだ一週間も経っていない。
どう考えても準備できるはずがないし、そもそも五十鈴が澪を訪れてから、まだ一年くらいだ。
時期が合わないだろう。
「じつはトリックがありまして……」
なんだろう?
珍しく歯切れが悪い。
実剛と絵梨佳が顔を見合わせた。
「ええとですね……たまちゃんと裏取引しましてですね……」
なにやらもにょもにょと薄ら暗い取引の内容が語られる。
たまちゃんというのは大國魂神の転生で、この北海道を守護する主神である。
転生してまだ日が浅く、七年ほどしか経過していない。
ようするに小学三年生だ。
そのたまちゃんと、五十鈴は二月のさっぽろ雪祭りで知遇を得た。
具体的にはプロポーズされた。
まるっと謎の状況ではあるが、澪の大シェフは老若男女問わずプロポーズされているので、とくに珍しくはない。
ともあれ、連絡先を交換しあったふたりは、けっこう頻繁に連絡を取り合っていた。
たまちゃんと同世代の子供たちの面倒を見ている五十鈴にとっては、接しやすい相手でもあったのだろう。
そして夏の初め、五十鈴はさらに新しい知己を得る。
山田だ。
フランス料理のコックでもある元スパイから、とある魅力的で魅惑的な料理を教えてもらった。
それが生ハム。
本来はスペインとかイタリアの料理ではあるが、フランス料理でもけっこう使われるそれに、五十鈴もたまちゃんも興味津々だった。
しかし、生ハムを作るには長い時間がかかる。
今日作って明日食べられる、というものではないのだ。
「そしたらたまちゃんがですね……そういうことであれば我が時をすすめてもよい、と……」
はい。アウト。
あきらかにアウトな取引である。
一同、苦笑しか出ませんよ。
生ハムを作るために、神の力を使っちゃうとか。
「まあまあ。過程はアレですが、いいものができましたよ。まずは仕上げをご覧じろですね。ワイン、ビール、日本酒、なんにでも合います。万能のおツマミですよ」
笑いながらウインクし、山田が原木から肉を切り出してゆく。
「うわ……これ美味しそう……」
思わず絵梨佳が呟いた。
艶めかしいまでの飴色。縦横に入る脂が目を奪う。
もう準備はできている、と。
あなたの舌をとろけさせてあげる、と。
ごくりと、誰かの喉が鳴った。
あるいは絵梨佳自身のものかもしれなかった。
山田から小皿を受け取り、刺された楊枝をつまみ上げる。
そして一口。
「ああ……あぁぁぁ……」
とける。ほぐれる。みたされてゆく。
かじかんでいた心が、敗北への恐怖にうち震えていた心が。
一筋の光。
そうだ。
ここまで信じて歩いてきた。
彼の背をずっと追いかけてきた。
強敵が現れたから諦める?
ううん。
諦めない。諦めさせない。
立ちはだかるものは、すべてこの風の剣で切り裂こう。
あなたの進む道。
誰にも邪魔はさせない。
「いって実剛さん……ここはわたしが引き受けるから……」
「おーい絵梨佳ちゃん戻ってこいー」
婚約者の肩を掴み、ゆっさゆっさと実剛が揺さぶる。
久々のトリップ状態だ。
いったい何と戦っていたのか。
ここは任せて先に行けとか、どんな状況だったのか。
もちろん実剛には知る由もない。
「はっ!? 久しぶりにやられましたっ」
「絵梨佳ちゃんがやられるってことは相当なもんだね。僕も気を引き締めてかからないと持って行かれるな」
みれば、あちこちで似たような光景が展開されている。
新規加入の西遊記チームなど、とても見せられないようなありさまだた。
あと山田が洒落っ気をだしてアルコールを用意したせいで、大人チームも大変なことになっている。
「やば。沙樹さんが脱ぎ始めてる。なにがあったの!?」
「止めてきますねー 実剛さんも気を付けて」
すたたーと走っていく絵梨佳を見送りながら一口。
「く……想像はしていたけど、その上をいくな……これは……」
市販の生ハムなど比べものにならない。
むしろ比べたら失礼だ。
フルーティーにすら感じられる風味と、舌に絡みつくような感触。
愛しみあった恋人との口づけのように。
「はぁっ!」
持って行かれると悟った次期魔王。自らの頬を両手で叩く。
「く、くくくく……やるじゃないか五十鈴さん。山田さん」
「どうして怪しい笑いを浮かべながら言うんですかね? 実剛さん」
まるで勇者から良いパンチをもらった魔王のような態度であった。
次期魔王なのに。