そしてまた幕があがる 9
「あいりんっ お買い物いこっ」
「いいですね。おキク。今日はどこにします?」
元気に話しかけてきたキクに、にこりとアイリーンが微笑する。
巫邸の新しい住人である。
セミロングの黒髪を後ろで一本に束ね、楚々たるたたずまいの美女だが、もちろん人間ではない。
地球の科学力では作ることのできない戦闘ユニットが擬態したものだ。
ユーザー登録したのは暁貴ではなくキク。
当初、魔王の護衛として運用する予定だったのだが、この点に関して暁貴は頑として譲らなかった。
最優先はキクを守ること。
ただまあ、優先順位の差こそあれ、魔王一族を守るという本筋からは離れていないため、仲間たちは苦笑とともに許してくれた。
澪そのものにも血族にも興味を示さず、むしろ憎んですらいた暁貴が、初めてもった守るべきもの。
この女性を失うのは、じつのところ魔王を失うのに等しい。
「ポイント十倍やってるからこっちの店にしようっ」
「おキク。あなたはこの店のポイントカードを持っていませんよ」
「細けぇことはいいんだよっ」
「あなたは大雑把すぎます」
なにを騒いでいるかといえば、夕食の買い出しについてだ。
澪にあるスーパーマーケットは五つ。
去年までは三つしかなく、どれも小規模なものだったが、爆発的に増える需要に応えるため、今年度に入って二つも新店舗がオープンした。
既存のスーパーも、かなり品揃えを充実させて対抗している。
もちろん地元の商店街だって負けてはいない。
夕食時ともなれば、街の大通など値下げを叫ぶ声とざわめきに満たされ、ちょっとしたお祭りみたいな騒ぎになる。
街の人々が願って願って、願い続けた光景。
もうシャッター商店街なんていわせない。
道行く人々の顔も明るく、活気に溢れている。
聞こえなくなって久しい子供たちの声が戻ってくるには、もう少し時間がかかるだろうけれど。
ただ、キクにしてもアイリーンにしても、繁栄の途上のある澪しか知らない。
ゆっくりと近づいてくる滅びの足音など、聞いたことがない。
「牛肉が安いですね。オーストラリア産ですが」
「涼しくなってきたし、今夜はスキヤキにしようっ 実剛と絵梨佳もいないしっ」
きししし、と笑う魔王の妻。
食べる人が少ないときこそ、ごちそうのチャンスである。
オージービーフが贅沢かどうかは判らないが。
「良いですね。私も肉は大好きですよ」
「あいりんって水だけでも動けるじゃんっ」
「それはそれです。美味しいものが嫌いな人間が存在するでしょうか」
いや、ない。
と、反語まで作ってる異星人の生み出した戦闘ユニット。
すっかり澪に馴染んでいる。
あるいは魔王菌に汚染されている。
「よーしっ しゅっぱつだーっ いまひがのぼるーっ」
「その歌はそんなに元気なモノではありません。あとそろそろ日暮れが近づいているので、選択としては微妙ですね」
「細けぇことはいいんだよっ」
「おキクは大雑把すぎます。出かけるならブラジャーくらいしてください。透けますよ」
「さーびすっ」
「そのサービスは、暁貴しか喜びませんよ」
やれやれと肩をすくめながら、暑がって渋る魔王の妻を着替えさせる。
この一事だけでも、アイリーンにきてもらって良かっただろう。
たぶん。
と、ぴろしきが近づいてきてにゃーと鳴いた。
「おやつですか? ぴろ。あなた最近やたらとカニカマにはまっていますね」
買い物に行くなら、かに風味かまぼこを加工した猫用おやつを買ってきてほしい、と、催促されたらしい。
どうして判るのかは謎である。
「それにしてもエルフですか。信二先輩の情報でなかったら、笑い飛ばしていましたよ」
「夏前に留辺蘂までエルフ捜しにいった人の言葉とは思えませんよ。御大将」
魚顔軍師の運転する自動車。
助手席にすわる実剛との会話である。
席次的にはものすごくおかしいが、仲の良いふたりだから仕方がない。
後部座席には匂坂と絵梨佳。上座についているのは芝の姫だ。
「あれは観光旅行ですよ。ホントにいるなんて、誰が思うもんですか」
「ま、そりゃそうですけどね」
ちなみにこの車も、日本政府が用意したものである。
高級車であることはかわりないが、若者が好むようなスポーツタイプだ。
なかなかに小憎らしいチョイスである。
もっとも、信二のマンションは大学から徒歩圏内のため、使用頻度は高くない。
高級マンションに高級スポーツカー。
しかも特例だらけ。
あげく総理大臣の孫娘と婚約しているとか。
どんな資産家のぼんぼんだって話だが、金やコネ目当てで彼に近づいてきた者は、まずその面相にびびって逃げてゆく。
肩書きも顔も関係なく友達付き合いしてくれる少数のものがいて、そういう連中のなかから、澪に役立ちそうな人間をセレクトするのも、魚顔軍師に課せられた任務のひとつだ。
「ただまあ、嶢氏の話では認識阻害を使っているらしく、俺たちが見分けるのは難しそうですがね」
話が続く。
迦楼羅王の拠点たるメイドカフェのことだ。
「さすが勇者ですねー それを見抜いちゃうんですからー」
「まあ、俺らはな」
感心する絵梨佳に、匂坂が苦笑を浮かべる。
異能を隠して生きてきた彼らである。
最初に使えるようになるのが認識阻害といっても過言でないくらい慣れ親しんだ能力だ。
自分で使うものだからこそ、他人が使っていればすぐに判る。
「さ。そろそろ到着ですよ。ビルには駐車場がありませんので、時間貸しに入れて歩きですけどね」
やがて車は秋葉原へと進入する。
だいぶ栄えてきたとはいえ、澪なんかとは比べものにならないほどの、サブカルチャーの発信地だ。
「伯父さんがきたかっただろうにね」
肩をすくめる次期魔王。
暁貴がいわゆるオタクで、アニメとライトノベルとマンガをこよなく愛しているのは、周知の事実だ。
なにしろ彼の書斎を彩る万巻の書物の、約半分はそっち系である。
「さすがに魔王が出馬となると、御大将みたいにふたりきりってわけにはいかないでしょうよ」
「ですねえ。可哀想に」
権力欲なんて全然ないのにトップに立っちゃった伯父のため、実剛は同情するフリをした。
なにしろ彼を魔王にまつりあげたのは、次期魔王である。
「まあ、ご当主がきちゃうと、二泊三泊ではすまなそうですしね」
「ありえますね。それは」
魔王にとっては理想郷みたいなもんだ。
檻から解き放たれた野獣みたいに、オタクの聖地を満喫するだろう。
奥さんができちゃったから、さすがに女遊びとかはしないだろうけど。
「ちなみに、どんなのがいました? 匂坂さん」
すいと視線を流し、護衛の勇者にたずねる。
これから向かうメイドカフェについてだ。
とにもかくにも事前情報が足りない。
認識阻害とかを使われちゃうと、さすがの影豚たちもお手上げなのである。
たとえばカメラなどの機械の目を認識阻害は欺けないらしいが、能力者たちは撮影されるような間の抜けたことはしない。
「俺が確認した範囲では」
と、慎重に前置きし、勇者が言葉を紡ぐ。
彼が見たのは仙狸、妖狐、それにエルフとユーワーキーだった。
仙狸というのは猫の妖怪である。狸とはこの場合、山猫という意味だ。
ユーワーキーは幻想種族。
見た目は天使に近いが、べつに聖なるものではない。
「妖狐とエルフしか判りませんよ」
などとほざいた次期魔王に対して、魚顔軍師が説明してやる。
検索エンジンいらずだ。
「まだまだですね。御大将。ご当主なら説明の必要などなかったでしょうに」
ただこの生きた百科事典、余計な一言を付け加えてくれる。
「伯父さんは特殊例じゃないですかねぇ」
ありふれた雑居ビル。
わりと清掃の行き届いた階段を降りると、やたらとラブリーな看板と扉が目に入る。
『ぴゅあにゃん』
と。
なんだか頭痛がしてくる店名だ。
準備中の札がかかっているが、話は通してあるので、実剛はためらわず扉を開く。
看板から想像できるとおりのラブリーな店内。
幾人かの女性がこちらを見ている。
たぶん、気配とかで近づいてるのが判っていたんだろうな、と、次期魔王は推測した。
予想の範囲内である。
ただ、予想外のこともあった。
「巫……先輩……?」
「高槻くんじゃないか。なんできみがこんなところに?」
席から立ちあがった少年と扉を開けた実剛が、何ともいえない表情で立ちすくんだ。




