そしてまた幕があがる 7
閉幕を告げる花火が打ち上がる。
グルメイベント、対澪包囲網は盛況のうちに終了した。
結果は澪の圧勝。
販売総数は、五つの市町を合しても澪には及ばなかった。
ただ、それぞれの街で単価が違うため、厳密な数字は後日にならないと判らない。
「けどまあ、そんな無粋な計算はいらないだろうね。御大将。君たちはやっぱりすごいよ」
主催者のひとり、耶子が右手を差し出しながら笑う。
力強く握り返す実剛。
「ぎりぎりですよ。北斗と八雲の素材を渡されたとき、これはもう負けたと思いましたからね」
「ウチは勝ったつもりだったよ」
敵に塩を送った。
そしたらその塩で研究されちゃった。
笑い話にもなりゃしない。
ふたを開けてみれば澪の圧勝。
完膚無きまでに叩きのめされた。
素材で勝つだけでは勝てないのだと、思い知らされた。
「僕たちも去年、同じ思いをしていますから。経験の差というところですかね」
「ウチらも戦訓を得た。次はこう簡単にはいかないよ」
「怖いですねぇ」
「ところで、ウチも御大将たちの料理を食べたいんだけど」
「なんでイベントが終わったあとに言うんですか? もういくらも残ってませんよ?」
次期魔王が首をかしげる。
食べたいなら、営業中に食べにくれば良い。
行列が短い時間帯だってあったのだから。
「だって、澪さんの売り上げに貢献するの、悔しいじゃん」
「じゃんて」
なんだろう。
初めて会ったとき、耶子はもっと底知れない深淵のような恐ろしさを……。
まったく感じなかった。よく思いだしてみれば。
ぱんぱんに詰まったショッピングバッグを渡されて、腰砕けになっていたんだ。
迫力なんか欠片もなかったよ。
すごかったのは北斗や八雲の食材であって、耶子じゃない。
「蓮田さんは二十人前くらい食べてきたらしいですよ。耶子さんのところのステーキ丼」
「まいどおおきに」
「関西人ですかっ!」
えらく偏見にみちたセリフを吐きながら、実剛が突っ込む。
なにやってんだって話である。
ただまあ、耶子の気持ちも判らなくはない。
どんどん引き離されていく状況だったから。
これ以上差を付けられてたまるかって思えば、澪のテントに足を運ぶ気分には、なかなかなれないだろう。
「だけど、気になっていたのはたしかなんだ。勝負がついた今なら、たべてみたいなーとか」
「負けず嫌いですねぇ」
苦笑しながらシェフたちに依頼し、烤乳猪と石窯ピザを用意してもらった。
いつのまにか耶子の後ろには、シヴァと刈屋、あいらまで集まっている。
ハイエナどもである。
北京ダック風に、ほんの少しのネギとみそと一緒に烤乳猪をくるんで、ぱくりと。
「おうふ……」
うめくガネーシャの転生者。
北京ダック風、などといってはいけない。
これで正解なのだ。
これが正解なのだ。
二の句が繋げない。
咬みちぎる肉。
これは営み。
命の。
あふれでる肉汁。
これはほとばしり。
生命の歓喜の。
彼らのふるさと、はるかなインドのように。
はるかなガンジスを目指すように。
生きとし生けるものは、死してガンジスへと還り、楽園へと誘われる。
善人も悪党も。
金持ちも貧乏人も。
平等に。
公平に。
「करु नाचत आहे. शिव के साथ नृत्य」
突如としてシヴァがなにか叫ぶ。
刻まれるステップ。
実剛には聞き取ることができず、理解もできない言葉だ。
耶子も刈屋も、どんどんと足を踏みならして踊り始める。
涙まで浮かべて。
まるっきり謎な光景である。
何ともいえない表情で首をかしげる実剛。
どこに飛んでいったんだ? こいつらは。
「母なるガンジスへ。ちなみに言葉はヒンディー語ね。みんな踊ろう。シヴァと踊ろうって促したのよ」
「よく判るね。美鶴」
笑いながら近づいてきた妹に視線を向ける。
「インドの言葉くらいはわかるわよ。当たり前でしょ」
「きみの当たり前は、たぶん全国の中学三年生を逸脱しているよ」
これだから知略系の能力者は。
とりあえず、いつまでも踊られていては片づけの邪魔なので、御劔と仁がぽこぽこと頭を小突いて正気に戻してゆく。
「御大将ぉぉぉぉ」
号泣ガネーシャ。
おかわりを求めてすがり付いてきた。
それで良いのか福の神って感じだ。
「あ、もうないですよ? 余り物なんですから」
無情にも切り捨てる次期魔王。
無い袖は振れないのである。
さすがにまた竈だの石窯だのを光則に作ってもらって、焼き始めるというのは、ない話だ。
「そんな殺生なぁぁぁっ!!」
「だいたい、なんでインドの神さまが豚肉たべてるんですか」
しかもトリップして踊るとか。
「兄さん。あまりバカを晒さない方が良いわよ? シヴァやガネーシャはヒンドゥー教の神。ヒンドゥーで食べないのは牛。神聖なモノとされてるからね」
豚肉を不浄なものとして食べないのはイスラム教徒である。
大雑把にインドとひとくくりにはできないのだ。
まあ、こいつらはふつーに牛肉をステーキにして売っていたわけだが。
「御大将! 世の中は! 肉だ!!」
歓喜の舞を中断させられたシヴァが叫んでる。
ついに佐緒里の病原菌にまで感染してしまったらしい。
「こりゃ勝てない。思い知ったよ」
正気に戻った耶子が歎息した。
「いや。研究と研鑽の結果です。僕たちは、初めて北斗さんの食材を食べたとき、飛ぶことすらできませんでしたから」
「ああー 敵に塩なんて、おくるもんじゃないねー」
「同感です。耶子さんたちが食べにきたら、これから澪ではインスタントラーメンでも出すことにしましょう」
「じゃあ御大将が食べにきたら、ウチではレトルトカレーだね」
笑いながら、実剛と耶子がもう一度握手を交わす。
もうね。
なにから突っ込んでいいか判らないんだけど、なんでメイドカフェ?
「そーいやぁ伽羅が名刺おいていったなぁ」
ぼへーっと思い出す魔王。
ため息混じりに。
自分らもたいがい馬鹿なことをしていると思うのだが、これはさらのその斜め上を行く。
伽羅がくれた名刺のメイドカフェは、人外の巣窟だったということだ。
いきたくねー。
そんなメイドカフェ、ぜってーいきたくねー。
「暁貴さまはメイド属性ないんですよー 迎賓館のスタッフをメイドコスにしよーって言ったのに却下されましたもんー」
ものすごくどうでも良い情報を、ニキサチが提示してくれた。
属性のあるなしにかかわらず、いちおう国賓クラスがくるかもしれない迎賓館の給仕係が、メイドのコスプレとか普通にありえないから。
と、依田は思ったが、口には出さなかった。
口にしたのは別のことだ。
「信二からの連絡では、妖怪や亜人まで揃っているそうだ」
「亜人ってエルフとかドワーフとかか? 実在すんのか? そんなもん」
さすがの魔王も驚く。
妖怪はともかく、幻想種族が実在するというのは初耳だ。
うろんげな顔をするハシビロコウ。
「巫おまえ、そんなことも知らんで魔王をやっているのか?」
「俺は魔王なんて自称したこと、いっかいもねーからな。そこんとこよろしく」
不良中年がかっこつけてみせる。
かまってやるとつけあがるので、無視を決め込み、依田が鉄心と沙樹に視線を送った。
知っているか、という意味の視線だ。
ゆっくり首を振る鬼の頭領と蒼銀の魔女。
ふたりとも幻想種族なんか見たこともない。
ファンタジーに詳しくない鉄心など、エルフなんて単語はいま初めて聞いたくらいだ。
依田が腕を組み、右手でややとがった顎を撫でる。
「ふむ。やはり澪というのは情報的に著しく劣位にあるのだな」
あらためて確認する思いだ。
あらゆる神話大系に属さず、独自の文明を築いてきた澪の血族。
ものを知らなすぎる。
神の転生や鬼の血脈が存在しているのだ。
幻想種族だろうが妖怪だろうが、いないと考える方がおかしいだろう。
「しかしエルフか。本物がいるなら見てみてーな。やっぱり美人なんだべかなぁ」
どこまでも他人事みたいに言ってる暁貴である。
自分には関係ないとでも思っているのか。
「見ることにはなるだろうよ。向こうはこちらとの関係成立を拒否したそうだが、それならそれで相互不可侵条約なり結ばねばならん」
ため息混じりです。魔王ハシビロコウさま。
関係ないんだから接触しないよ。
というのは、政治の話ではないのである。




