そしてまた幕があがる 1
八月の終わりには、宿題の処理に追われるというイベントが発生する。
というのは、高校生などを題材にした学園青春ストーリーではテッパンのネタだが、残念ながら北海道には当てはまらない。
お盆が過ぎれば新学期が始まっちゃう北の島では、八月の終わりは普通に授業中だ。
「ゆーて、僕たち三年生に宿題なんてほとんど出ないしね」
「ありがたい話さ」
実剛と光則が笑みを交わす。
いつもの教室。
最上級生にあまりたくさんの宿題が出されないのは、べつに怠けさせるためではない。
忙しいのだ。
進学を希望するものは受験勉強で。就職を希望するものは入社試験対策で。
半年後には卒業する高校のことより、これから向かう先のことを考えなくてはいけない時期なのである。
遊んだり戦ったりイベントの準備をしたりしてる場合じゃないんだよ?
本当は。
とはいえ、実剛が受験を予定している大学は、彼の学力に見合ったものであるし、光則は卒業後に澪役場入りすることがすでに決まっている。
あわてふためくような要素はない。
むしろ問題なのは、
「進学か、就職か。それが問題だ」
いまさらのように悩んでいる佐緒里だろう。
どこのハムレットだって感じだが、進学も就職も無理じゃね? とは、実剛と光則に共通する思いである。
口にはしない。
怖いから。
そもそも、佐緒里の学力で入学できる大学は日本全国探しても、たぶん存在しない。
いくら少子化の影響で、どこの大学も生徒確保に躍起になっているとはいえ、最低ラインってものがあるのだ。
就職にしたって、佐緒里が新人OLとして愛嬌を振りまいている姿なんか、ちょっと想像の外側である。
ものすげー金持ちの娘だし、花嫁修業とか家事手伝いと称して無職を決め込むのが、もっともしっくりくるだろう。
あと他人様の迷惑にならない。
口にはしないけど。
怖いから!
まあ冗談はともかくとして、佐緒里はちゃんと収入があるため、いま現在も無職というわけではない。
こんなんでも、澪の幹部の一人だ。
実剛や光則だって同じである。
無理に進学したり就職する必要はないのだが、職業は戦闘員です、というのは、あんまり澪ではオススメされていない。
できれば何か仕事をして、平時は普通の人間として生きてほしい。
勇者たちにも、ニンジャたちにも、新たに加わった神の戦士たちにも、次期魔王が訓令したことだ。
おためごかしだ、と、実剛自身が思ってはいるが、やはり戦うためだけの存在にはなってほしくないのである。
それに、人材が足りていないのも事実。
爆発的な成長を続ける澪は、いつだってどこだって人手不足なのだ。
だがしかし!
佐緒里を配属できる部署が、澪にあるかどうか。
たとえば役場の総合カウンターに、こんなのが座ってたらどう思う?
「用件を言え。目的の部署に案内してやろう」
とか、役場に入るそうそう、睨まれたらどうよ。
お客さん、泣きながら逃げちゃうこと間違いなしだ。
それ以前の問題として、萩の姫が入口にいたら、町民びびって役場にこれない。
「つーか佐緒里って働く必要なくね? 金持ちなんだし。寒河江の姫だってべつに働いてねーべや」
やんわりと言う光則。
進学うんぬんは最初から考慮に入ってない。
「坂本の家だって金持ちだろう。光則」
「俺は男だしな。プーってわけにはいかんべ」
「男女差別いくない」
「さーせん」
正論で返され、一秒で降参してしまう砂使いであった。
短慮な鬼姫は妙なところでしれっと正論を放つから侮れない。
男だから働く女だから働かなくて良い、というのは、ない話である。
まして北海道は共働き率がものすごく高い。
女性だってふつーに現場仕事をしていたりする。
元々が開拓地としてスタートしたから、男も女も関係なくて、できることをやるって気風が、最初から染みついているのだ。
そんなこんなで手に職のある女の人も多いから、わりと簡単に離婚もしちゃうって側面もある。
まあ、結婚離婚は別の説話で語られるべき問題であろうが、北海道の女性は逞しく、気が強いのはたしかだ。
遊園地でワクワクデート! 絶叫マシンは接近戦のチャンス!
というのを、あんまり北海道の女の子はわからないらしい。
怖いから男性にしがみつく、ではなく、怖いから乗らない、ってなるだけだという。
「薄五十鈴と山田から、じつは誘われている」
「女神亭か」
ぽんと光則が手を拍った。
適職である。
佐緒里は料理上手で、ぶっちゃけ五十鈴の助手が務まるのは彼女と絵梨佳くらいってレベルだ。
しかも料理人であれば、あんまり人前に出ない。
「フランス料理も教えてくれると言っていた」
「マジで! じゃあ俺、将来フランス料理とか食わせてもらえんの?」
光則さん大喜びです。
自分は佐緒里と結婚すると信じて疑ってもいないような態度。
なにしろこいつら、恋人同士ですから。
「そういうことになるな」
ちょっと鬼姫が照れたりして。
「けっ」
すっかりあてられた実剛が吐き捨てた。
三人チームのなかにカップルがあると、あぶれたひとりはどうすればいいんだって話である。
こいつはこいつでちゃんと婚約者がいるのだが、一学年下なのだ。
「爆発しろ。弾けろ。しね。滅びろ。呪われろ」
思いつく限りの悪態を並べる。
絶賛やさぐれ中の次期魔王。
やれやれと光則と佐緒里が肩をすくめた。
バカップルとはお前と絵梨佳のことだろう、と。
「結婚式をやろう」
「またそういうめんどくさいことを……」
ハスターこと蓮田ケンシロウ氏の提案に、こころが頭を抱えた。
八月の終わりに、晴れて日本国籍をゲットしたハスターは、蓮田ケンシロウと自らを名付けた。
ファミリーネームの由来は、もちろんニキサチの勘違いである。
ファーストネームの方は、だって格好いいだろう? とのことだった。
ツッコミどころが多すぎたので、暁貴をはじめとした澪の幹部たちは、むしろ無言を貫いた。
もうね。なんかね。つっこんだら負けのような気がするんだ。
どうせ書類上のことだけだし。
基本的に今まで通り、ハスターか蓮田と呼ばれるんだし。
「結婚式は女の夢だと雑誌に書いてあったからね」
「あなたは女じゃないよね。ハスターさん」
「もちろんきみを喜ばせるためだよ。ココロ」
「本音は?」
「御馳走が食べられるじゃないか」
「うん。それは結婚式じゃなくて披露宴だね」
そんなこったろうと思ったよ。この食欲エイリアン。
という趣旨のつっこみを飲み込みながら、天界一の知恵者が腕を組んだ。
蓮田に与えられた庭付き一戸建て住宅である。
まだこころは同居していないが、定期的に訪れてはいる。
政略的な理由からか、このおかしな異星人を好いているからなのかは、たぶん本人にも判っていないだろう。
「ふーむ」
提案を拒絶するのは、現段階ではよろしくない。
基本的に、ハスターの要望はなんでも呑んだ方が良い時期だ。
まだまだ対等な関係ではないのだから。
もっと時間が経過して、暁貴菌の汚染が進んでからなら、雑に扱っても問題ないだろうが。
「披露宴だけやるってのじゃダメかい?」
食事が目当てなら、それだけで充分だろう。
「ココロは結婚式はやりたくないのかな?」
質問に質問を返された。
「…………」
思わず黙り込んでしまう。
やりたくないのだろうか。
わからない。
そもそも結婚など、考えたこともなかった。
神としての本性が男だから、ということではない。
女の身体で転生した以上、思考も女性のそれにアジャストしているから。
それこそ大國魂にしたって、この世を去ったクーフーリンにしたって、迦楼羅王にしたって、男の神だが女に転生しているし、普通に男性と恋愛しているものもいる。
こころの場合は、見た目が非常に幼いという特殊な事情がある。
内面こそ成熟した大人だが、外見的にはなんとか中学生に見えるか見えないかってレベルだ。
普通に恋愛して結婚するとは、思っていなかった。
「うーん。私はどうなんだろうね」
「悩むならやった方がいいさ。やらなきゃ良かったって後悔と、やれば良かったって後悔は一緒だからね。結局のところ」
手を伸ばして花嫁候補の頭を撫でるハスター。
子供扱いっぽいのに、なぜかこころは逆らわず、くすぐったそうに目を細めた。




