The marriage of Hastur 10
「こいつはヤバイかもしれないな……」
「嶢氏?」
席に案内され、勇者がぼそりと呟いた。
異境なんてレベルの話じゃない。
「人外魔境だぞ。ここは」
ひどいことを言う。
自分だって人外魔境からやってきたくせに。
「というと?」
「仙狸に狐、ユーワーキーにエルフ。この分だと他にもまだまだいるな」
人間に擬態していても、勇者の目はごまかせない。
そもそも認識阻害は彼らの十八番なのだから。
「和洋折衷ファンタジーですねえ。とっとと逃げ出すとしますか」
「賛成だ」
量産型能力者でもある匂坂だが、さすがにこれだけの人外を相手にして軍師を守りきる自信はない。
挨拶をすませたら撤退すべきだろう。
まさか荒事に発展することはないと思うが、長居して良いことがあるとはそれ以上に思えない。
「軍師サン。久しぶりね」
近づいてくるダイナマイトわがままバディ。
伽羅である。
迦楼羅王の転生者だ。
「まだ一週間ほどしか経過しておりませんが、息災そうでなりよりです」
久闊を叙すほどの時間は流れていない。
まあ社交辞令のようなものだ。
お互いに。
「面白い店でしょ?」
「ちょっと面白すぎますね」
薄く笑う魚顔軍師。
気持ち悪い。
匂坂は油断なく周囲に気を配っている。
「まあ澪以外にも面白い人たちはいるってことで」
くすくすと美女が笑う。
慎重に、その意図を軍師が計ってゆく。
よしみを通じたい、という雰囲気ではない。
むしろ硬質な拒絶を感じる。
踏み込んだらタダじゃおかないぞ、と。
なるほど。
信二や匂坂にとっての澪がそうであるように、伽羅にとってこの店は聖域なのだ。
敵対はしない。しかし友好関係も結ばない。
完全に局外中立の不干渉。
今後、澪で起こる騒動に関して、伽羅たちの戦力をアテにするなよ、ということだ。
もちろん、この『ぴゅあにゃん』で起きる事件にも首を突っ込むなよ、という意味でもある。
ごく柔らかく、信二が微笑する。
気持ち悪さの度合いが増したが、べつに伽羅は気にしなかった。
そして、わざわざなにかを訊ねることもなかった。
口に出したのは、まったくメイドカフェ的な言葉である。
「なにか食べていくでしょ?」
と。
彼女もまた計算を終えたということだろう。
「オムライスに字を書いてくれるサービスがあるときいたのですが」
「意外とベタなこと頼むのねぇ。やってるけどなんて書く?」
あと、おいしくなーれ、とかも言ってくれるらしい。
そっちはたいして興味もなかったので、信二も匂坂も字だけお願いした。
もちろん好きな言葉だ。
「俺は雷陳膠漆と」
「俺は明鏡止水と」
「嫌な客か。あんたらは」
額に右手をあてる伽羅。
こいつらには、まだメイドカフェは早いようである。
もうちょっと修行してから出直してこいって感じだ。
「じゃあ、ちょっとハスターさんと相談してみるよ」
などといって、携帯端末を取り出すこころ。
「Chotto Matte Kudasai」
「なにその謎の発音。暁貴さんはサム・○プーにでもなったのかい?」
一九七一年にリリースされたヒット曲で、日本でも多くのアーティストがカバーしている。
どうでも良いことを知っている魔王と知恵者であった。相変わらず。
「ホントにどうでも良いわ。どうしたのよ? 暁貴」
うろんげな顔で沙樹が問いかける。
なんで従兄が押し止めたのか判らなかった。
「なんでこころちゃんがハスターの連絡先を知ってんだよ」
「そりゃデートしたときに交換くらいするでしょうよ。連絡先の」
「そーゆー意味じゃねえって……」
げっそり魔王。
ハスターはそもそもどこにいるのかって話だ。
携帯端末の電波が届くところに暮らしているとでもいうのか。
「おうふ……」
「軌道上の母艦だよ。沙樹さん」
うわぁ、となった蒼銀の魔女に知恵者か説明し、ますます辟易させる。
たぶんどこの携帯電話会社でも、衛星軌道上までは電波を届けてはくれないだろう。
きっと。
「私の端末の発信周波数を勝手に拾うってさ。いやになっちゃうよね」
こころが肩をすくめてみせる。
いまさら驚くことでもないさ、と。
彼女の携帯端末に表示されている番号は、世界中どこにも繋がらないであろうあやしげな数字の羅列だった。
暁貴や鉄心、沙樹にそれをみせてから発信する。
なぜか呼び出し音がなるんだよ。
これが。
とういう仕組みなのか、誰にも判らないが。
「あ、ハスターさん。いつもお世話になってます。ちょっと相談したいことがあって。え? くる? いまから? 三秒て……判ったよ」
ごく短い通話を終える顧問秘書。
とってもビジネスライクな感じだ。
これから結婚しようって相手にかけたとは、あんまり思えない。
「くるってさ。ここに」
「どうやってだよ……」
疲れたように魔王が呟いたそばから、副町長室にハスターが出現する。
「……スター○レックだな。まるで」
やれやれと鉄心が両手を広げてみせた。
出典に敬意を示したのか、アメリカンな仕草である。
で、呆れはするものの、もう驚きはない。
転送装置なんか、恒星間国家連盟にとってあったりまえの技術なんだろうし。
「や。ココロ。今日もめんこいね」
「わざとらしく方言を使うのはどうかと思うんだ。それに、二十代も後半に入った女性に対する褒め言葉として、可愛いはあんまり適切じゃないよ」
挨拶とともに差しのべられた右手を、知恵者が握り返す。
恋人っぽくは見えない。
ジョークを飛ばしあえるくらい仲の良いビジネスパートナー。
最大限、好意的に見積もっても、そのくらいだろう。
「それで、相談というのは?」
本題に入る。
最初はジョークから入るあたり、非常に日本人っぽい異星人である。
来客用ソファへと移動する町幹部とハスター。
提案は魔王からなされた。
こんなんでも、最上位者は暁貴だから。
「ふむ。もうひとつ、選択肢はあるとおもうけどね」
聞き終えたハスターが腕を組む。
微笑しながら。
「ココロが私の母艦に住むっていうね」
これならべつにハスターに戸籍は必要ない。
「里帰りが自由にできるってなら、ありだけどな」
「残念ながらそれは無理だよ。アキタカ。母艦にあるものは移動ユニットや戦闘ユニットなんて比じゃないくらい技術のかたまりだからね」
地球人に見せて良いようなものではまったくないし、もし見てしまったら、もう地球に戻してやることはできない。
ましてこころは、見てもなにがなんなのかわからないのー、というようなタイプではないのだ。
知恵の神である。
おそらく、ほとんどの機材を理解できてしまう。
そんな知識を得てしまった人間を、地上に帰すことはできないのだ。
「なら却下だ。街のためにこころちゃんの自由を奪うことはできねえからな」
断固とした拒絶だ。
街を守ることは大切だが、そのために誰かを人身御供として差し出すというのは、ない。
こういうことに関して、暁貴が絶対に譲らない人間であることを、たとえば鉄心や沙樹はよく知っている。
「私としては知的好奇心を満たす機会ではあるけど、戻れないってのはちょっとね。沙樹さんやきくのんと遊べなくなるのも嫌だし」
肩をすくめるこころ。
「きみたちは本当に面白いね」
誰かが犠牲になるのは嫌、って。
ハスターと戦うことを選択したではないか。
誰も死ななかったのは、本当にたまたま。
そしてそれ以上の戦いを避けるための、これは婚姻政策だろう。
ようするに、少数の犠牲によって多数を救おうとするサクリャクのはずだ。
にもかかわらず、徹底できていない。
非情に徹し切れていない。
本当に面白く、未熟で、でたらめで、愛すべき原始人たちだ。
「いいだろう。私が澪に住もう。伴侶の命が尽きる、そのときまで」
人間の生は長くても百年ほど。
こころはすでに四分の一を消費している。
残りは、そう長い時間ではない。ハスターにとって。
一瞬といっても、さほど言い過ぎではないほどに。
祭りに付き合うのも、そう悪くない。
守ってやろうじゃないか。
恒星間国家連盟の干渉から。
愉悦に唇を歪める。
なんだろう。この感覚は。
楽しくてたまらない。
「魔王菌に、どうやらハスターさんも感染してしまったみたいだね。ごろにゃーん」
ものすごく無表情にこころが言った。
猫みたいにまるめた手で、ハスターの肩を叩きながら。
「……それはなにかな? とくに終盤のセリフと行動について説明を求めるよ」
すいと視線を逸らす魔王、鬼、魔女であった。
まさか本当にやるとは。
痛々しい。
あまりにも痛々しい。
「私がごろにゃんと甘えたから、ハスターさん籠絡されただろ?」
「ア、ハイ。そうですね」
よく判らないけど、とりあえず頷くハスター。
なんか逆らうと面倒そうだし。




