対澪包囲網!? 6
次期魔王をかばって前に出る勇者。
ちょっと英雄譚にはしづらいような光景である。
前方に立つのは女性だ。
年の頃なら二十台の半ばくらい。肩口で切りそろえたやや茶色い黒髪。愛嬌のあるタレ目はすこし細い。
「やめときなよ。量産型。勝てないことくらい判るだろ」
「判っているから実剛を置いて逃げるというのか? 笑止だな」
唇を歪める御劔だったが、その頬を汗が伝う。
もちろん、七月終盤の澪が暑いためではない。
彼の戦闘力は高い。
量産型能力者であるという事実は動かないが、もともと持っていた勇者としての力もある。
量産型能力者の中でも、頭ひとつかふたつ抜きんでた存在なのだ。
具体的にいえば、鉄心や酒呑童子に迫るほどの戦闘力だろう。
もちろん相性とかの問題もあるから、一概に順位はつけられないが。
その御劔をして勝ち筋が見えない。
戦えば負ける。確実に。
だがそこは問題ではない。
まったく問題ではないのだ。
自分の命など惜しむものではないから。
問題となるのは、彼が殺されている間に実剛が逃げ切れるか。ただそれだけである。
ここから『暁の女神亭』まで、走れば五分足らず。
稼げるか?
判らない。だが、やるしかない。
勇者の右手に現れる長剣。
「実剛。合図したら走れ」
「いやいや。戦いにきたんじゃないから」
女がぱたぱたと手を振る。
「ここで君たち二人を殺しても意味がないだろ?」
「……御劔くん」
大きく息を吐いた実剛が、勇者の肩を叩いた。
「……わかった。だがけっして気を抜くなよ」
女から視線を外さないままに頷き、御劔が認識阻害で剣を隠す。
「ウチの用は最初に言ったよ。敵に塩を送りにきたんだ」
「あなたは誰ですか?」
「おっと。これは申し遅れました。ウチは北斗市で経営コンサルティング会社をやっとります、金石というもんです」
自然な仕草で歩み寄り、名刺を差し出す。
ただの高校生である実剛は交換すべきものを何ももっていなかったため、受け取っただけだ。
それでもいちおうビジネスマナーを守り、両手で。
名刺には、金石耶子と記されていた。
「巫実剛です」
「次期魔王さんだね。あらためてよろしく。ウチが対澪包囲網の仕掛け人だよ」
「ほう」
澪の好景気に乗るかたちで、道南一帯に良い風を吹かせる。
一撃目としてのグルメイベント。
こんな企画を立てられるのはタダモノではないとメディア対策室は読んだ。
もちろん実剛は依田の読みなど知る由もないが、正鵠を射ていた。
御劔が敗北を覚悟するほどの相手。
人間のはずがない。
神の転生か。あるいはもっと別のなにかか。
「このイベントを成功させるためには、澪さんには巨大な敵として佇立してもらわないといけないんだ」
けどね、と、言葉を切る。
「今の澪じゃちょっと勝負にならないからさ」
不敵に笑い、指を鳴らした。
どこからかスーツ姿の男たちが駆け寄り、耶子の手にショッピングバッグを渡す。
ぱんぱんに中身の詰まった。
なんか北斗市のゆるキャラ『ずーしーほっきー』がプリントされた素敵なやつだ。
「おっも……」
腰砕けになりそうになる女。
ものすごいシュールな光景である。
「こ、これあげるわー」
思わずぼーっとする実剛と御劔。
なんというか、どこから突っ込めばいいか判らなかった。
「はやく受け取ってよ! 重いんだから!」
「あ。はい。さーせん」
怒られた。
次期魔王の目配せを受け、勇者が布製のバッグを受け取る。
たしかに重い。
「ウチからは黒毛和牛のロースとヒレが三キロずつ。八雲さんからは名古屋コーチンの丸がひとつと、卵を十個」
そりゃ重いわけだ。
ちなみに丸というのは丸鳥のこと。ようするに一羽を丸ごとという意味である。
買い物バッグだってぱんぱんになろうというものだ。
「なるほど……敵に塩を送る、ですか」
「塩は入ってないけどね。八雲さんは自慢の『藻塩』も入れたかったらしいけど」
「く……」
歯噛みする実剛。
藻塩というのは、この国が塩作りを始めるよりずっと昔、古墳時代からの製法で作り上げた塩のことである。
一般的な塩に比べてマイルドで味に尖りがなく、料理の味をワンランクアップさせるといわれている。
そして八雲町の熊石地区では、その藻塩を生産しているのだ。
噴火湾と日本海、二つの海を持つ唯一の町という触れ込みは伊達ではない。
「ウチらの材料があれば研究できるでしょ? 次期魔王殿下」
くすくすと笑う。
「ありがとう……ございます……」
実剛が歯ぎしりしそうな声で礼を述べた。
情けをかけられた。
ハンデを与えられた。
これほどの屈辱は、たぶん初めてのことである。
勝つにしても負けるにしても、堂々たる戦いの結果であった。
突き返してやりたい。
いらないから持って帰れと言ってやりたい。
だが、これがあれば研究できる。勝つための算段をすることができる。
鋼のメンタルを持つ少年の脳細胞は、そう考えてしまうのだ。
「……お金は払います……」
それだけ言うのが精一杯だった。
「いらないいらない。君たちが強くないと、ウチらもつまらないからね」
どこまでも上から目線なことを言って耶子が踵を返す。
ひらひらと手を振りながら。
「では殿下。イベント会場であいましょう」
たっぷり十秒ほども後ろ姿を睨みつけていた実剛。
「……急ごう。御劔くん。はやく女神亭に行かないと、食材が悪くなっちゃう」
「……だな。すぐに研究をはじめよう」
悔しさを滲ませた会話を交わした。
『暁の女神亭』に、町幹部たちも集結した。
実剛からの報告を受け、暁貴や鉄心や沙樹、依田や高木といった連中も、さすがに虚心ではいられなかったのである。
黒毛和牛に名古屋コーチン? 俺らにも食わせろ、という動機ではない。
たぶん。
どうやら敵にも人外がいる。
この一事だけで、彼らが動く理由としては充分である。
肉を食べるのは余録みたいなものだ。
きっと。
「ここまで高級な食材は扱ったことがありませんので、シンプルにステーキにしてみました」
そう五十鈴が言って、まずお披露目したのが黒毛和牛のステーキである。
部位はロースとヒレ。
あまり手は加えていない。
軽く下味をつけ、肉汁を閉じこめるように焼いただけだ。
これに、山田が丹精したペリグーソースが添えられている。
ペリグーソースというのは、フォンドボーとマデラ酒、それにトリュフでつくるフランス料理ではテッパンの肉料理用ソースらしい。
「う……あ……」
一口食べた佐緒里。
謎のうめきを発した。
トリップしない。
できない。
「くそ……くそ……だめだ……こんなんじゃだめだ……」
悔しそうにテーブルを叩いている。
なにやってんだ?
という表情でステーキをつまむ仲間たち。
そして、大人チームも子供チームも沈黙してしまった。
『暁の女神亭』に満ちる、まるで葬式のような沈黙。
僧侶の読経が聞こえないのが不思議なほどであった。
どこまでも柔らかく、深い味わい。
口の中でとろけてゆくように。
つけられたソースが、さらに肉の味を惹きたてる。
「実剛さん……」
絶望の面持ちで、絵梨佳が婚約者を振り仰いだ。
「うん。やばいね」
実剛もまた、愛しい少女の瞳の中に打ちひしがれた自分の顔を見た。
トリップすら許さない、圧倒的な美味。
勝てるのか?
本当にこれに。
「名古屋コーチンも、よく判らないので卵とじにしてみました」
次の料理を五十鈴と山田が運んでくる。
ようするに、親子丼の具みたいなものだ。
使われている肉と卵が名古屋コーチンという高級食材なだけで。
「ふむ? 意外と普通? 美味しいことは美味しいんだけど」
もぐもぐもぐもぐと咀嚼しながら実剛が感想を漏らす。
肉はやや固めだ。しかし歯応えが心地良い。
噛むほどに味が増すような感覚だ。
包み込む卵も美味しい。むしろ卵かけご飯で食べたいほどに。
だが、先ほどの黒毛和牛のような絶望感はない。
「兄さん。自分が今なにをしているか、もう一度考えてから言ってみて」
呆れたような美鶴の声。
それによって実剛は気がついた。
「あれ? 僕はなにを……」
「その試食用のお皿、六つめよ。兄さん」
「バカな……」