The marriage of Hastur 9
まずは皮を。
北京ダッグみたいに、ちょっとのネギとぴりっと甘辛いみそダレと一緒に薄焼きの生地に巻いて。
「おおう……おおう……」
リーンの頬を涙が伝う。
なんなのだ。これは。
銀河の辺境で、出会ってしまった。
出会う?
違う。これを、私は知っている。
はるかな昔。
気の遠くなるような過去。
「なんなの……?」
ぽんと肩を叩かれた。
佐緒里である。
「ただの烤乳猪だ。リーン」
「佐緒里……」
「何万年も昔に異星人たちの街で流行った。当たり前の」
『烤乳猪』
声を揃えて、にまーっと笑う。
息ぴったりである。
「なにやってんだよ。お前ら」
額に手を当てる光則。
なんだろう。
バカが増えた気がするよ。
あんまりリーンに変なことを教えない方が良いと思うんだ。
地球のことが、すごく間違って恒星間国家連盟に伝わっちゃうぞ。
「光則ー! ちょっと石窯の方をお願い!!」
実剛の声が響き、砂使いは大きく右手を振り上げた。
子豚の丸焼きを作る竈だけでなく、ピザを焼く石窯も彼の謹製である。
大活躍です。光則さん。
「ちょっと行ってくるけど。ぜんぶ食うなよお前ら。ちゃんと俺の分を残しておいてくれよ」
佐緒里とリーンに釘を刺しておく。
あと、美鶴と光にも。
こいつらほっといたら、あるだけ食っちゃうから。
「光則ってー!!」
「わーかった! 今行くから!!」
なんかトラブルっぽい。
ててっと駆け出す砂使い。未練がましく丸焼きに一度だけ視線を投げて。
俺がもどるまで残っていてくれよ、という願いを込めて。
実剛たちが担当するのはピザだ。
もともと生ハムと夏野菜、というプランだったのだが、やはりそれだけではものたりない。
シンプルなのも良いが、もうちょっとなにか欲しい。
そんなわけで、乗せる肉は三種類になった。
バラベーコン、モモの生ハム、クラコウソーセージ。
もちろんいずれも澪豚の肉だ。
そしてソースに使うトマトは、これまた澪の名産。
この街では地熱を利用した栽培方法で絶品のトマトが作られており、全国に向けて出荷されていたりする。
で、あいかわらずまったく宣伝していないから、知名度はゼロだ。
こんなんばっかりである。
実剛や美鶴でなくたって嘆きたくもなるだろう。
海の恵み、山の恵み、そして農産物に畜産物。
これほどのものを揃えておきながら、なーんにもやってこなかったんだから。
「なんか焦げちゃうんだよ」
「火力が高すぎるのかな? ちょっと循環効率を調整する」
赤々と燃えている薪が入ったままの石窯を調整できちゃう砂使いは、たぶん世界一の窯職人だろう。
すぐに温度が安定してゆく。
さすがである。
「これで焼いてみてくれ。たぶん二、三分で火が通ると思う」
「OK やってみるよ」
ピールにのせたピザを、すいと石窯に入れる実剛。
すぐにチーズの溶ける素晴らしい香りか漂う。
じわじわと膨らんでゆく生地。
モノ自体はすでにシェフたちが作ってくれているので、実剛の仕事などほとんどない。
焼くのだって、石窯がやってくれているし。
そもそも火加減を調節するとか、そういう調理器具じゃないし。
窯のなかとストップウォッチを交互に見る。
何分で焼けるのかとか、ちゃんと計っておかないといけないのだ。
「よし。そろそろかな」
ふたたぴピザピールを窯につっこむ。
引き出されたピザは、良い頃合いに焼けている。
外周部はこんがりと、中心部は溶けたチーズとトマトソースが見事なハーモニーでくつくつといっていた。
「よっし。今度は上手くいったね!」
「ですねー」
「で、ござる」
絵梨佳や仁も大きく頷いている。
そして、さっそく始まる試食だ。
熱ち熱ちと騒ぎながら頬張る。
広がってゆくハーモニー。
それは調和。
この街に生きとし生けるものすべてが奏でる多重奏。
ときに荘厳に。
ときに軽妙に。
「義姉上……」
「仁くん……」
「拙者は今、生きているのでござるな……」
「そう。生きてるんだよ。仁くん」
道具じゃない。
命だ。
この街に生きる、人間のひとりだ。
「拙者はここで、生きてゆくのでござるな……」
「うん。ここがきみの居場所なんだよ」
天国じゃない。
楽園じゃない。
「格好悪くたっていいでござる」
「出会えた幸せを感じて」
両手を合わせる義姉弟。
「はいはい。風にはならなくていいからね」
ぽこぽこと頭をたたき、ほたるちゃんが二人を正気に戻していく。
なにやってんだって感じだ。
「まあ、気持ちは判るけどね」
恋人と義弟の醜態を確認してから、実剛も食べてみる。
うん。
美味しい。
澪豚と澪の食材が、なんの違和感もなく溶けあい、混じり合い、高め合う。
たぶんこれが、目指していた理想郷。
人も、鬼も、女神の末裔も、堕された神も、神の使徒も、異星人さえも。
愚かで良いんだ。
夢はちゃんとここにあるんだから。
「今なら言える。ここが楽園なんだ」
「なにいってんだお前」
親友の頭にチョップしてあげる光則。
ついさっき楽園じゃないとか仁と絵梨佳がほざいていたではないか。
飛ぶならせめて方向性は統一しろ。
「ごめごめ」
「まあいいけどよ。食い慣れてる実剛が飛ぶってことは、そうとう美味いんだろ。これも」
「だねえ。ちょっと想像の外側だったよ」
ベーコンと生ハムとソーセージの全部乗せなんてやったら、バランスが悪くなるかなとも思ったけど、まったくそんなことはなかった。
どうしてどうして、澪豚の潜在能力はそんなもんじゃない。
人間の小賢しい計算なんて、軽々と飛び越えてゆく。
「んだば、俺も食ってみるかね」
砂使いの手がゴージャスピザに伸びる。
と、そのとき。
「光則さんーっ! 竈が変ですー!!」
五十鈴の声が響く。
振り向くと、なにやら黒煙が上がっている。
「おお!? なんだあの煙!」
慌てて走り出す。
「お前ら! 全部食うなよ! 俺の分残しておけよ!」
言い残して。
ちなみにこの日、石窯と竈の調整に走り回った光則は、まったくなんにも試食できなかった。
残しておけって言ったのに。
この街には裏切り者しかいないらしい。
その店はありふれた雑居ビルの地下にあった。
とくに怪しい雰囲気はないが、やらためったらラブリーな店構えだ。
店の名前は『ぴゅあにゃん』。メイドカフェらしい。
「未体験ゾーンですね。こいつは」
やれやれと肩をすくめる魚顔軍師。
「そうなのか? 東京にきて半年以上だから、悪い遊びはもうだいたいやりつくしたと思っていぞ。信二くん」
「嶢氏は俺をなんだと思ってるんですか。カノジョがいる身で女遊びなんかするわけないでしょう」
「語るに落ちてるぞ軍師さま。女遊びとは限らないだろうに」
酒でもギャンブルでも、悪い遊びなんていくらでもあるのだ。
「してませんて。勉強漬けですよ。ずっと」
もう一回、肩をすくめてみせる。
日本政府がとった特別な措置により、信二には単位履修の制限が付かないことになった。
ふつう大学一年といったら一般教養科目に終始するものだが、彼の場合は専門科目もばんばん受講できる。
なので時間の許す限り、出られる講義はすべて出てみた。
「日本一の大学とはどの程度のものかと思いましたが、今年度で卒業要件は満たせそうですね」
「さすがだな」
「まあぶっちゃけ、異星人の血ですからね。こっちは」
出席日数が必要な科目も、彼は試験のみで単位認定に挑むことができる。
もちろん出席点の加算がないから、ある程度のハンディキャップは背負うことになるが、その程度の不利をひっくり返せないようであれば、澪の主席軍師など務まらない。
「それでも講義を聴くのは楽しいですから。大学にきてよかったですよ」
「好きこのんで勉強したいって気持ちは、俺にはよく判らんがね」
苦笑しながら、匂坂がドアノブを回す。
店内から漏れ出す陽気なアニメソング。
ぱたぱたとメイドさんが駆け寄ってきた。
「お帰りなさいませ! ご主人さま!」
う、と、たじろぐ野郎二匹。
まさに異境である。




