The marriage of Hastur 5
函館の夜景というのは、宝石箱をひっくり返したような、と、たとえられることが多い。
計算されない美しさだから。
なにしろこの街は、計算も計画性もなく発展していったのである。
都市は生き物、という言葉の通り。
もともとは五稜郭要塞を中心とした城塞都市だから、道は入り組んでいて迷いやすい構造だし、函館山地区などはものすごい急勾配な坂も多い。
まあ、あんまり暮らしやすい街ではないだろう。
だがそこにこそ美しさがある。
たとえば完璧な都市計画によって作られた札幌市などは、街並みも碁盤の目。
整然とした夜景は、もちろん美しくはあるのだが、感動をおぼえるようなものではない。
「命の輝き、だね。まるで」
函館山から市内を一望した蓮田が、ほうと息を漏らす。
「あなたたちの目から見ても、この夜景は美しいかい?」
横に並んだこころが微笑を浮かべた。
身長差がかなりあるので、あんまり絵にならない二人である。
カップルというより親子のようだ。
「そうだね。宇宙にはたくさんの星があり、それぞれに美しいけれど、この水の星の美しさは、特筆に値するだろうね」
「私は他の星を知らないけど、地球人のひとりとしてお礼をいっておくよ」
「地球神だろう。どちらかといえば」
「この身体は人間だよ。蓮田さん」
「たしかにココロの本体は精神生命体に近いものがある」
「そういうのまで判るんだ」
なんともいえない会話。
もう少しロマンチックでもバチは当たらないだろう。
「二回目ですね。ここにくるのは」
「また絵梨佳ちゃんとこられて嬉しいよ。何度でもきたいね」
「何度でもこれます。何度でも連れてきてくださいねー」
絵にならないカップルの横では、けっこう絵になるカップルが談笑している。
腕なんか絡めて。
死ねばいいのにって感じだ。
こいつらだって政略の結果として婚約したはずなのに、ラブラブっぷりが腹立つほどである。
ちらりと横目で見遣ったこころが苦笑いを浮かべた。
さすがにこいつらの真似はできないな、と。
まず年齢が違いすぎる。
こんなんでも、こころは二十六歳だ。
それなりに酸いも甘いも噛み分けていたりする。
男性経験がないわけでもない。
恋に恋する乙女、というわけにはいかないのだ。
夢見る少女じゃいられないのだ。
「蓮田さんはさ。本当に私みたいなのでいいのかい?」
無作為な思考を中断して問いかけた言葉は、やはり無作為なものだった。
やや考える素振りをする異星人。
「私が初めて会話を交わした澪の女性はニキサチだった。その次がきみだったね。ココロ」
よく判らない言葉。
かるく知恵者か頷いた。
続きがあるだろうと思ったから。
基本的に、彼女は他人の言葉を遮らない。
かぶせて何かを言う、ということはしない。
それは自分の知謀に絶対の自信を持っているからだ。ぜんぶ語らせてから、ひとつひとつ叩き潰すというのが、天界一の知恵者のスタイルである。
「どちらも面白い女性だと思う。澪の女性から誰かを選びなさいと言われたら、私はココロかニキサチを選ぶだろうね」
「なんでさっちんと争うことになるのか……」
げっそりするこころ。
なんぼなんでも対照的すぎる。
そこそこのナイスバディで、どっちかっていうとものを考えないニキサチ。
完全に幼児体型で、思慮深いこころ。
正反対だ。
「そして、そのふたりのうちどちらかと問われたら、間違いなくきみだよ。ココロ」
予選通過が二人。決勝戦で知恵者が勝利した。
なんというか、選び方として、とてもとてもおかしい。
恋愛とは、そういう風に考えを進めるものではないだろう。
たぶん。
「そういうことでしたら、勇者隊から誰か、ということになるんじゃないですか?」
軍師たちにおやつを与えながら、五十鈴が提案した。
霊薬を服用した量産型能力者の町外運用は難しいとはいえ、他に選択肢がないのはたしかだ。
となれば勇者かニンジャ。
後者はちょっと適さない。道具として教育されてきた彼らは、けっこう一般常識を知らないところがあるから。
澪で暮らしているうち、だいぶ現代社会に馴染んではきたが。
「匂坂が良いんじゃないかと思うんですよね。東京生まれですし」
「嶢さん東京だったんだ……」
「たしか向島じゃなかったかな、と」
匂坂嶢。
勇者のひとりで、獲物は日本刀。
しかも脇差しなんて可愛らしいものではなく、背中に背負うような両手持ちの野太刀だ。
片手で戦うときにはメイスを使ったりもする。
身長は実剛とほとんど変わらない程度なのに、とにかくでかくて重い武器を好む青年。
勇者隊の中にあって、たとえば次期魔王の護衛だったり、第一隊の副将だったり、女神亭の大シェフだったりという重責を担ってはおらず、普通に役場職員をやっている。
具体的には、町が運営する老人福祉施設の介護スタッフだ。
五人まで数を減らしてしまった勇者隊は澪防衛の要ではあるが、ヴァチカンから派遣された神の戦士三十名が加わったことにより、多少はウェイトが軽くなった。
能力的にも人格的にも、魚顔軍師の護衛を大過なくこなせるだろう。
ちなみに勇者隊にはもう一人隊員がいるが、こちらを五十鈴は候補として挙げなかった。
女性だからである。
信二の護衛に女性がついちゃうと、楓が妬くだろうなーと思ったのだ。
それに、どうせなら御劔みたいな立場になってくれた方が、からかい甲斐がある。
いろいろ捗るというもんだろう。
「そうねえ。勇者なら戦闘力も申し分ないし、墨田区出身なら東大も近いから地理的なことも詳しいだろうし。悪くない手かも」
ふむと下顎に右手を充てる美鶴。
楓も頷いた。
信二が暮らすマンションは東京大学のある文京区に存在する。
学生の分際で、5LDKとかあるような高級マンションに住んでいやがるが、これは日本政府が用意したものなので彼に責任はない。
なんでそんな広い家を用意したのかといえば、政府としては護衛も一緒に住むだろうと考えたからだ。
まったくなんにも考えなかった澪がおかしいのである。
入学から四ヶ月以上も経過して、やっと護衛の必要性に気付いたというんだから、ちょっとびっくりだろう。
「護衛が女の人でないなら、楓さんも安心でしょうし」
「どうでしょう? 向島出身なら、悪い遊びとか知ってそうですよ。信二さまを悪の道に引き込まないか心配ですわ」
からかう第二軍師に、くすくすと第三軍師が笑う。
向島というのは、明治以降、花街として栄えたのだ。
まあ芸妓も時代の流れとともに減少し、かつては千人以上いたといわれるそれも、百人くらいまで減っちゃったらしい。
「なにをいっているんてすか。楓さんは。貧乏な私たちが芸者遊びとかできたわけがないでしょうに」
五十鈴も笑う。
料亭で遊ぶなんて、お金持ちの特権なのである。
信二と嶢が高級料亭に入ろうとしたって、一見さんお断りと、ぽいって捨てられておしまいだ。
「そして遊べなかった鬱憤を、お互いに慰め合うんですよ」
きしししし。
「院長先生。ものすごく腐った顔をしてるよ」
やれやれと呆れるほたるちゃん。
立派な人格の所有者で、優しくて、気配りもできて、料理上手で、ほとんど非の打ちどころもないような五十鈴なのに、男性をからかって遊ぶ悪癖だけが玉に瑕だ。
そもそも筋骨隆々とした勇者と魚顔軍師の絡みなど、どこに需要があるというのか。
「それはそれで悪の道ですわよね」
困ったような顔をする楓だった。
でもまあ、もし五十鈴が薄い本を書いたらぜひ読ませてもらおう、なんてことを思いながら。




