対澪包囲網!? 5
「佐藤。鈴木。佐々木。田中補佐も。ちょっと集まってくれ」
メディア対策室長たる依田が、部下たちに声をかける。
名称ほど安穏とした部署ではない。
澪に対して仕掛けられる様々な謀略を事前に察知し、防ぐ。
澪の敵となるものの勢力の情報を探る。
防諜と諜報。
この二つを任とする影豚。その本拠地こそが、メディア対策室なのである。
構成員は元スパイの三名と、自衛隊から派遣された田中二尉だ。
男どもが依田の前にぞろぞろと集まってくる。
なぜか女性まで。
「きみは呼んでいないぞ。ニキサチ」
「仲間はずれ! ダメ! ゼッタイ!!」
「あ、はい。さーせん」
一秒で論破された室長が、スパイと自衛官と秘書を等分に眺めやった。
「今回のイベントの件だがな。すこし探ってみてはくれんか」
「む? どういうことです? ボス」
佐藤が首をかしげる。
影豚たちの中では最も若く、二十台の前半に見える。自称も二十歳だ。
ただ、なにしろ元スパイなので、経歴も年齢も本名さえも、申告された内容はまったくあてにならない。
これは佐藤以外のすべてにも言えることである。
『暁の女神亭』のシェフである山田にも、酒呑童子の部下として建設課で働いている中村にも。
「なかなか面白いアイデアだと思いましたがね」
澪をラスボスとして祭り上げたグルメイベント。
『秋の味覚大戦! 対澪包囲網!!』
お祭り騒ぎの大戦争だ。
実際に銃弾が飛び交うわけても、死人がでるわけでもない。
こういう楽しそうな戦いなら大歓迎である。
「ああ。面白い」
いちど言葉を切って腕を組む室長。
「だが、人間の、しかも役人の頭から出るアイデアかな? こいつは」
続ける。
影豚たちが、あるいは面白そうな、あるいは不敵な表情を浮かべる。
ニキサチはにこにこしている。どうでもいい。
これだ。こうてなくては。
唇を歪めた佐藤が思った。
スパイのトップに立つ男は、このくらい頭が切れて、このくらい狡猾でなくてはいけない。
たったひとつのイベントでも、裏の裏を読み、影をうかがう。
「もう一枚、カードが隠されてるかもってことですね?」
役人というのは、基本的に冒険をしない。
こういう明確に敵を作るようなタイトルは、絶対につけないと断言しても良いだろう。
仮に新人がアイデアを出したとしても、上が許可しない。
であれば、なにかがあるのかもしれない
「あくまでも、かも、だ。単に先進的な考えを持った幹部がいるだけ、という可能性もあるからな」
「ま、だから探るってことですね」
「そういうことだ。頼んだぞ」
佐藤を見ながらの言葉。
どうやら自分が担当するのだと悟り、二十台にしか見えない元スパイが肩をすくめる。
面白そうだと思ってしまったのだから仕方がない。
まったく、我ながら困った習性である。
「女スパイ潜入ですね! わくわくですねっ!」
なぜか盛り上がるニキサチ。
まったく視線とか向けられていなかったし、お前がやれとも言われていないのに。
そもそも、彼女に任せるほど、依田は事態を投げ出してはいない。
「うむ……そうだな……」
しかし、逆らうほどの蛮勇も持ち合わせてはいなかった。
思いっきり視線を逸らす。
弱いハシビロコウ。
「頼むぞ……佐藤……」
「…………」
逃げやがった。
こいつ、投げやがった。
じと目でボスを見つめる元スパイであった。
勉強を終え、『暁の女神亭』へと向かおうとした実剛は、玄関先で御劔朔矢と鉢合わせた。
芸能人みたいに格好いい名前のこの男は勇者の末裔である。
ちなみに格好いいのは名前だけではない。
眉目鋭く秀麗で、身長は高く体つきは引き締まって細いくせに、筋肉がしっかりついている。
一口にイケメンといってしまうには、ちょっと決まりすぎだ。
対する実剛は十人並みである。
どこからどうみても普通の少年で、特徴といえば、この夏ようやく身長が百七十センチに届いたということくらいだろうか。
これだってべつに特筆するようなことではない。
たとえば婚約者の絵梨佳などからは都会的で格好いいとは言われているが、これは贔屓の引き倒しという次元の話だろう。
事実として、彼は絵梨佳以外の女性にモテたという経験はない。
「あれ? 御劔くん。奇遇だね。これから女神亭?」
「ああ。実剛もか?」
「うんうん。一緒にいこうよ」
ゆっくり歩けば十五分ほどの距離だ。
散歩がてらともに歩こうとの誘いに、御劔はなぜか頬を赤らめる。
「絵梨佳は一緒じゃないんだな。それはすこし無警戒すぎだろう」
ちょっとうわずった声。
軽く肩をすくめた実剛が歩き出し、左側に御劔が並んだ。
「いってらっしゃーい」
ほたるちゃんが手を振って見送ってくれる。
聡明な彼女は、もちろん口にしない。
勇者隊のリーダーが朝から孤児院に張り付いていたことも、実剛が出てくるのを今か今かと、そわそわしながら待っていたことも。
「なんでほたるちゃんは、にやにやしていたんだろう?」
「……たぶん薄のせいだな。本当にあいつはろくなことを教えない。院長の人選は、暁貴どのの数少ない失敗だな」
実剛の言葉に、ふんすと鼻を鳴らす御劔だった。
ちなみに、たぶんそんな評価をしているのは勇者だけだ。
五十鈴という女性は気は優しくて、しっかりもので芯が強く、料理上手で物腰も柔らかい。
彼女に育てられたら、おかしな大人には絶対にならないだろうと町幹部たちは太鼓判を捺している。
「十和田では惨敗だった。札幌では圧勝だった。ここでも勝って通算成績を勝ち越しにしたいところだな」
不意に話題を変える。
五十鈴の人事問題の話題を続けると、なんだか墓穴を掘りそうだったので。
「勝負事じゃないよ。御劔くん」
笑う実剛。
ほたるちゃんに指摘されるまで気付いていなかった男とは思えない。
「そうなのか?」
「勝っても負けても話題性があるからね。そりゃあ、できれば勝ちたいけど。その程度のものさ」
肩をすくめる。
駒ヶ岳をぐるりと囲む自治体によるお祭り騒ぎ。
それで良いのである。
「ただまあ、こうやって挑まれちゃった以上、恥ずかしいモノは出せないから。そこだけが心配かな」
「カツカレーではダメなのか?」
実剛の歩調に合わせたゆっくりとした散歩だ。
勇者には遅すぎるが、もちろん彼は「もっとはやく歩け」とか言わない。
「間違いなく研究されてるだろうからね。それを超えるモノじゃないと」
「無理ではないか?」
苦笑が浮かぶ。
『真・澪豚カツカレー』は、御劔がこれまで食べてきたどの澪豚料理よりも美味かった。
かつてニンジャボーイの仁は、トリップしないために自らの太腿に棒手裏剣を刺したというが、御劔もまた同じことをした。
彼は自分の左手を愛剣で傷つけて正気を保ったのである。
あんまりな使い方をされ、柄頭にくくりつけられたストラップの『えべチュン』が泣いていたくらいだ。
あれを超える料理など、そうそう簡単に生み出せるとは思えない。
「難しいとは思うよ。北斗からは黒毛和牛、八雲からは『名古屋コーチン』がでてくるだろうし」
単なる素材勝負ということになれば、澪豚の不利は否めない。
「黒毛和牛か……でも、お高いんでしょ?」
「なんで通販番組みたいなのりで訊くのさ。お高いに決まってるじゃないか」
なんとも言えない顔をする次期魔王だった。
二週間ほど前になるか。
新規加入のゆかりたちを歓迎会を、魔王城たる巫邸の庭でやったのだ。
メニューは食欲魔神どものリクエストに応えて焼肉だった。
義理の伯母である菊乃と函館まで材料の買い出しに出かけた実剛は、誘惑に負けて買ってしまったのである。
『飛騨牛』というA5ランクの牛肉を。
すげー高かった。
すげー美味しかった。
「正直、あんなん出されたら、多少の小細工じゃ勝てないよ」
素材が違いすぎるのだ。
「ま、そう言うと思って、敵に塩を送りにきたよ。次期魔王殿下」
唐突に、声が降りかかる。