邪神VS魔王 2
「うっわ……美味しいこれ……」
ホッケのバジルソース焼きを食べ、若者が感歎の息を漏らした。
釣りたてほやほやの新鮮な魚を、山田が絶倫の技量で調理したのだ。
美味くないわけがない。
「ふむ。器用に箸を使うね。異星人なのに」
「ナイフとフォークで食べても良いけど、この魚は箸で食べたい味だよ」
「私が言っているのはそういう意味じゃないよ。邪神ハスター」
「きみは箸が進んでいないようだけど、もし苦手なんだったら、私が食べてあげようか?」
「欲しいなら素直にそう言いなよ。あげないけどさ」
こころと蓮田のキチガイじみた会話である。
ここまで噛み合わないケースは、ちょっと珍しいだろう。
ともあれ、噴火湾というのは恵みの海だ。
もっのすごい魚介類が豊富で、湾だから海も荒れず、一年中いつだって漁ができる。
根魚(巣を作るタイプの魚)だけでなく、マグロやスケソウダラなどの回遊魚もたくさん入ってくるし、エビやカニなどの甲殻類、ホタテやツブなどの貝類、ウニとかだっていくらでも獲れる。
まさに豊饒の海。
澪の人々はそれに甘え、甘えきって、水産資源を維持し育て次代へ繋ぐ努力を怠ってきた。
いつまでも、無限に資源はあるのだと思ってきた。
噴火湾を汚し続けてきた。
結果、ここ十数年は漁獲量も減少し、かつては岸壁近くにいくらでもいたウニもほとんど獲れなくなった。
白石老人が蓮田に語ったように、海が死にかかっていたのである。
誰のせいでもなく、住民たちの手によって。
「でも海は蘇った。海洋保全はクトゥルフ人たちのお家芸だからね。その力を使ったんだろう?」
「そのあたりは私に訊かれても判らないな。まだ澪にきていなかったし、そもそも、その力ってのがどの力を指しているのかもさっぱりさ」
こころが肩をすくめる。
彼女は改革のスタートから澪にいたわけではない。
客将として居座り始めたのだって、今年に入ってからだ。
去年の夏前にあった出来事など詳しく知るわけもないのである。
「どういう力か知りたいかい? 教えてあげても良いよ? その魚を私に譲ってくれるなら」
「…………」
ため息とともに、皿を蓮田の方へと滑らせる。
べつに暁貴の力なんぞ知りたくもない、というか、ほとんど興味もないのだが、ことあるごとにどーでもいい取引を持ちかけられるのは、正直言ってめんどくさい。
にまー、と笑みを浮かべる蓮田。
邪悪なというより、食欲にまみれた笑みだ。
「山田くん。悪いんだけどさ、カツカレーも出してあげて。私のおごりでいいから」
とりあえず食わせておこう、と、副シェフにオーダーする。
食ってるうちは攻撃を仕掛けてくることもないだろう。
たぶん。
「食べ物で籠絡されるほど、私はちょろくないよ。辺境の神よ」
もっしゃもっしゃとバジル焼きを頬張りながら邪神が宣言した。
素晴らしい説得力である。
食欲異星人が二杯目のカツカレーに手を付けたタイミングで、暁貴と沙樹が女神亭にやってきた。
偶然ではなく、こころの意を受けた葉月によって連絡が為されたのである。
おっつけ実剛たちも駆けつけるだろう。
「あ、家に寄ってくれば良かった」
「なんで?」
「邪神がくるなら、用意しとかないといけないもんがあるだろ」
「そうなの? 先祖伝来のものとか?」
「ちゃうちゃう。十面ダイスがふたつだよ」
「なにそれ? なんに使うのよ?」
蒼銀の魔女は、六面体いがいのサイコロがあることなど知らないし、そもそもそんなもんを何に使うのかも知らない。
普通の人はだいたいそうだ。
「そりゃあ、SANチェックに決まってるべや」
「???」
謎の会話をしながら、こころたちが占拠しているテーブルへと近づいてゆく。
ちなみに、もう客はいない。
これもこころが警備を担当しているポーク隊を動かして、臨時休業にしてしまったためである。
食事をしている客にとってはたまったものではないだろうが、女神亭が戦場になる可能性が否定できない以上、取っておかなくてはいけない処置であった。
まさか蓮田の方を庁舎に連れて行く、というわけにはいかないのだから。
「きみが澪の魔王だね」
ちらりと暁貴を見る若者。
しかしその視線は、すぐにカツカレーに戻ってしまう。
「ちょっと待ってね。食べ終わるまで」
首脳会談より食欲の方が優先らしい。
肩をすくめたものの、べつに暁貴は文句をつけなかった。
だって澪にはいくらでもいるんだもん。そんな連中。
蓮田の正面に座っていたこころが横にずれ、魔王に席を譲る。
沙樹は暁貴の斜め後ろに立ち、ニキサチ、ノエル、葉月は少し離れたテーブル席だ。
「SANチェックって自分でやるもんなんだね。暁貴さん」
蓮田が食事を終えるまでの短い間を持たせるために、こころがどうでもいい質問をする。
「TRPGの判定なんてもんは、基本的に自分でやるんだぜ。もちろんマスターがダイスを振ることもあるけどな」
そしてどうでもいい回答をする魔王。
仮にSANチェックとやらをしたとして、失敗したら彼はどうするつもりだったのだろう。
一時的狂気の演技でもしたのだろうか。
やがて、二杯目のカツカレーを平らげた若者が、満足の吐息とともに匙を置く。
「はじめまして。巫暁貴だ」
こほんと咳払いしたあと、魔王が名乗った。
「私はハスター。地球人のいうところの邪神だけど、公的な役職は恒星間国家連盟の監察官だよ」
レモン水で口を湿らせ、ハスターもきちんと自己紹介をする。
前任者の転属にともない、地球の日本時間の先月から太陽系に赴任したことを含めて。
「いいのかい? そこまでバラしちまって」
「いまさらだね。きみたちはもう恒星間国家連盟が存在することも、この星を監視する存在がいることも知っている。私が偽りの肩書きを名乗れば、たとえばそこの少女などは疑問を持つことになるだろう。私の動きは監察官の知るところなのか否かとね」
「私は少女じゃない。失礼な邪神だね」
憤慨するこころ。
二十六歳である。
合法ロリだとかいわれたら泣いちゃうぞ。
「これは失礼。私の感覚では、地球の公転周期で千歳以下は少年少女なもので、ついね」
「むう……」
それでは地球人類は、みんなお子ちゃまである。
かろうじて屋久杉くらいだろうか、大人として扱ってもらえるのは。あれは人間じゃなくて木だけど。
「しかし、ほんとに黄色い服を着ているんだな」
当たり障りのない部分から、暁貴が話を進めてゆく。
クトゥルフ神話TRPGなどで描かれるハスターの化身は、黄衣の王。
かなりどうでもいい部分なのだが、とにかく現状は探りを入れなくてはどうにもならない。
何を考えているのか、何が目的なのか。
すでに美鶴のチームがイタクァと一戦交えているのだ。
あれはハスターの眷属として描かれている存在だ。
経緯から考えて、味方や中立だとは考えにくい。
かといって単刀直入に訊くのは、交渉術としてNGである。
「好きな色だからね。つい身につけてしまう。そういうきみも、この暑いのに黒いシャツとか着ているだろ」
「黒、好きなんだよ」
「少しは引き締まって見えるしね」
くすくすと沙樹が笑う。
「あと汚れも目立たない」
「洗ってもらいなさいよ。もう奥さんがいる身なんだから」
「結婚しているのかね? 魔王くん」
馬鹿な会話に割り込み、ハスターが腕を組んだ。
けっこう深刻そうな顔である。
「俺が既婚者だと、なにか問題があるのか?」
「きみがモテそうにないから意外だった、というわけではないよ」
「知ってるよ! あんた邪神のくせにウィットに富みすぎだろ!」
いきり立つ暁貴。
くすくす笑ってる愉快な仲間たち。
裏切り者ぞろいである。
「ふむ。邪神か。まずそこから話を始めた方が良いかもしれないね。ところで、この『澪豚ざんぎ』というのも注文していいだろうか」
すっごい真剣な顔でメニューに視線を注ぐ邪神だった。