対澪包囲網!? 3
「理不尽だ」
不意に巫実剛が口を開いた。
夏休みの真っ最中。
受験生のはずのこの男は、いつもどおり澪孤児院を訪れていた。
子供たちに勉強をみてもらうために。
「いまさらだよ。実剛お兄ちゃん」
くすくすと笑う少女はほたるちゃん。
小学校五年生の女の子で、実剛の教師役である。
実剛の学力は志望大学に届かないほどではなかったし、受験に向けたプログラムといっても軽くいままでの復習をする程度。
孤児たちのリーダーの将太くんの手をわずらわせるまでもない。
ただまあ、次期魔王の勉強をみるのだから、あんまり容儀を軽くもできないため、副将格のほたるちゃんが登板している。
「いや、そっちでなくてね?」
なんで高校三年生が小学生に教わっているのか、という質問をするような常識人は、たぶん澪では生きていけない。
澪孤児院。通称は澪の頭脳集団。
魚顔軍師と第三軍師が育てあげた、四十一人の次代を担う軍師候補生たち。
最年少は幼稚園児だが、英語と中国北京語くらいは普通に話せるマルチリンガルだ。
ぶっちゃけ、実剛ごときの学力とは比べる方が失礼だってレベルなのである。
ほたるちゃんに勉強を教わるくらい、まさにいまさらだ。
「ん? じゃあなにが理不尽なの?」
「どうして僕の出番が、こんなにあとに回されるんだろう」
すごくおかしくない?
などと、わりと真剣に問いかける。
どうでもいい質問だった。
「それは私にきかれてもわからないよ」
くすくすと笑う。
軍師の卵といえども、判らないことはあるのである。
「でもさ。実際どう思う? 今回のイベントのこと」
訊ねる。
より正確には、離反してしまった名古屋からきた男のことだ。
戦力的にはもちろん痛い。
今後、みそダレの新たな入手方法を考えなくてはいけないというのも、けっこう頭の痛い問題だ。
しかし実剛が気にしたのは、戦力やモノの話ではない。
孤児院の子供たちがあの男に懐いていたのを、次期魔王は知っている。
ちょくちょくお土産を持って孤児院に顔を出し、子供たちと遊んでくれる。
強烈な名古屋弁のせいで言語コミュニケーションがわりと大変ではあったが、気の良いおっちゃんという印象だ。
そんな人物が離反してしまった。
きけば、八雲陣営に合流しちゃったとかなんとか。
普通に裏切りである。
命のかかった戦いではないが、それだけに子供たちがショックを受けているのではないか。
実剛でなくとも心配になるだろう。
「ふむ……」
ほたるちゃんが細い腕を組んだ。
「ねえ実剛お兄ちゃん。美鶴お姉ちゃんや楓お姉ちゃんは、なんか言ってた?」
質問する。
「いや。なんにも。ふーんって態度だったよ」
やや憤慨した表情の実剛であった。
澪の味覚の、影の立て役者たる男がいなくなったのに。
まーるで興味もないような態度である。
それで良いのか軍師どもって感じだ。
「ん。やっぱり判ってるよね。そりゃそうか」
美鶴が実剛にすべてを語らないのは、ただ単に面倒くさいからだろう。恋人の羽原光が質問したなら懇切丁寧に解説してくれたこと、万に一つも疑いない。
兄と恋人なら、後者に不等号が開くのはべつに美鶴に限った心理でもないだろう。
妹萌えのお兄ちゃんたちには業腹だろうが、現実の兄妹などそんなものである。
しかし、楓まで説明しなかったというのは、ちょっと気にかかる。
主君としての成長を促そうとしているのか。
それとも、恋人たる凪信二の悪影響を受けて、もったいつけるクセがついてしまったのか。
「判ってるって? ほたるちゃん?」
「んっとね。私たちがショックを受けるわけがないんだよ。そりゃあ院長先生に付き合って、あの晩は泣き真似とかして引き留めたけど」
「真似て……」
「B級グルメ選手権のときに、お兄ちゃんたちは江別の学生や寒河江の鬼さんたちと戦ったよね」
昨年の秋のことだ。
記憶が風化するほど大昔ではない。
三者とも入賞すらできない惨敗であった。
実剛が頷く。
「もしあれで、寒河江が優勝したとするね。もう澪は寒河江と仲良くしないってなったと思う?」
「あー」
ぽんと手を拍つ次期魔王だった。
実際には惨敗であった。しかし違う結果だったとして、現在の友誼が築かれなかったとは思えない。
たとえば江別の学生たちがピンチになったなら、実剛たちは何をおいても駆けつけるだろう。喜んで。
彼らがさっぽろ雪祭り会場に駆けつけてくれたように。
一緒に鎬を削りあった好敵手である。
「今回も同じってことだね」
「うん。イベントが終わったら、おじちゃんはしれっと戻ってくるよ。勝っても負けても」
「そりゃそうか」
思わず苦笑を浮かべてしまう実剛だった。
当たり前の話である。
澪豚が負けるかもしれないって思ったせいで、思考がおかしな方向にいってしまったようだ。
べつに命を賭した戦いではない。
ただのお祭りだ。
勝とうが負けようが、さほど気にするようなものではないのである。
「でもまあ、負けるのは悔しいから、院長先生には言っちゃだめだよ? 実剛お兄ちゃん」
いまごろは『暁の女神亭』で研究に勤しんでいる女勇者のことをいって笑うほたるちゃん。つられるように実剛も微笑した。
彼の婚約者である芝絵梨佳も手伝いにいっている。もちろん萩佐緒里も。
子供チームを代表する料理巧者が手伝わなくてどうするって話だ。
「判ってて止めないとか。さすが信二先輩の弟子だよ。ほたるちゃん」
「ありがと。最高の褒め言葉だよ」
「謎すぎる……」
志津野ゆかりは、目の前に展開されている光景にげっそりと呟いた。
玄奘三蔵の転生者。
夏の初めに澪に降った西遊記チームのリーダーである。
新参なのだから、雑用でもなんでも申しつけて欲しいとは言った。
当然のことだ。
敵対した自分たちを許し、助け、住む場所まで与えてくれた心優しきモンスターたち。
さらに高校への編入も許してくれた。
一年も前に退学してしまっているから、一学年遅れることにはなってしまうが。
報いないわけにはいかない。
無為徒食に甘んじていては、志津野組四代目としての名折れだ。
あ、ちなみに彼女の実家は札幌で暴力団をやっています。はい。
だから海岸掃除ボランティアも積極的に参加したし、子供チームの次の仕事であるイベントへの参加もいち早く表明した。
で、今日『暁の女神亭』までくるように言われたのだ。
調理補助でも皿洗いでも手伝うつもりだった。
だったのに。
テーブルに並べられた料理、料理、料理。
豪華絢爛である。
そして渡された紙とペン。
「食べて感想を書いていってね。ただ美味しかった不味かったってのはダメだよ。ちゃんとどういう風に美味しかったのか、不味かったものでも、改良すればいけるのかどうか、きっちり書いて」
訓令するのは、澪の第二軍師こと美鶴である。
実剛が受験勉強のため孤児院に行っている間、妹の美鶴が子供チームの指揮を執るのだ。
「なあ美鶴……」
「なに? ゆかりさん」
「私たちはいったい、なにをさせられるんだ……?」
当然の疑問だろう。
「試食よ」
「は?」
「試食よ」
いっそ厳かに繰り返す少女軍師。
周囲を睥睨する。
守人であり恋人の光がいる。第一隊指揮官の凪信一がいる。客分の自衛隊員、紀舟陸曹長もいる。
芝の眷属からは、坂本光則に牧村准吾。
絵梨佳の弟である芝仁は、孤児院の護衛という仕事があるため不参加だが、ようするに高校生以下の子供チームが集結しているのだ。
まるで戦支度であるが、集まってなにをするかといえば、新作澪豚料理の試食だ。
ちなみに、すでに高校を卒業して澪町役場の職員となった信一と、自衛隊所属の紀舟は、厳密にいえば子供チームではないが、何かを食べるという会合を見逃すわけがないのである。
ゆかりでなくとも謎だろう。
仕方がない。それが澪クオリティだ。