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澪を覆う影 8


 クトゥルフ神話におけるハイドラ。

 澪の伝承に登場するハイドラ。


 それが同じモノかどうか、という詮索は無意味である。

 たしかめる術がないからだ。


「ひとつの可能性としてなんだけど、音だけが残ったってのはあるかもね」


 腕を組みながら、なんとはなしに身体を前後に揺するこころ。

 微妙な表情なのは、澪の神話を認めてしまうと、高天原の神による国産みというのが崩れてしまうからだ。

 まあ、それを言いだしたら、どの神話が正しくても他の神話は否定されちゃうのだが。


「音だけ?」


 美鶴が首をかしげる。


「ん。仮定に仮定を重ねるカタチになってしまうから、信憑性を問わないでおくれよ。美鶴」


 前置きして、天界一の知恵者が自説を開陳(かいちん)する。


 この宇宙には多くの文明が存在する。

 地球などよりはるかに進んだ文明だ。

 彼らは相互に手を結んでおり、それらの調整をおこなう組織もある。

 それが恒星間国家連盟(リーグ)


 この星でたとえれば、国際連合(こくれん)などが判りやすいだろうか。

 リーグの仕事のひとつに、後発の文明の健全な発展を見守る、というものがあったとする。

 実務担当として派遣されるのが監察官(インスペクター)だ。


 もちろん地球にも派遣されていた。

 それが何十万年か何百万年か昔の話。

 インスペクターの名を、レラという。


 彼の任地で、ちょっとした事件が起きる。

 旅行中だった女性の個人宇宙船がトラブルを起こし、地球に不時着したのだ。

 この女性がハイドラである。


 なんやかんやあって、レラとハイドラ結ばれ、その子供たちが澪の血族の祖となった。


「とまあ、ここまでが美鶴と光に蘇った記憶をもとに想像したことだよね」


 いちど言葉を切る知恵者。

 一同が頷くのを確認する。

 これは前段だ。


「レラとハイドラは遺伝子だけを残したわけじゃない。知識だって当然のように伝承されただろうね」


 恒星間国家連盟のこと。それを構成する恒星間国家のこと。そこに住まう人々のこと。

 そういう知識は、おそらくはきちんと文献として残ったわけではないだろう。

 人類なんてまだ誕生しているかしていないかって頃の話である。


「口伝とか、そういう形で人造人間(クローン)たちが語り継いでいったことかな?」


 実剛が首をかしげる。

 これは巫の眷属たる津流木聖(つるき ひじり)からツルギを受け取ったとき、彼に蘇った記憶である。


 レラとハイドラは、自分たちの身の回りの世話をさせるために人造人間をたくさん作った。

 聖のもつ『聖剣』は、レラが趣味の木工をするのに、助手人造人間(クローン)に内蔵させたチカラである。もちろん当初は剣の形なんかしていなかったが、代を重ねるごとに心象が変わり、剣になった。


 で、クローンとはいえ、レラやハイドラの遺伝情報から作られたものであるから、血族といえば血族である。


「たぶん、ハイドラの死後、レラを慰めるために生まれた澪標(みおつくし)ってのは、人造人間のことでしょうしね」


 肩をすくめる美鶴。

 時系列がおかしい気がするが、そのあたりは神話である。

 きっちりとしたもののはずがない。


「んで、そのクローンたちがレラやハイドラから聞いたことを、ふわっと人間たちに伝えた」


 それが長い年月をかけて世界各地に散らばり、さらにふんわりとした形で残ったんじゃないかな、と、こころが締めくくる。


 イタクァとか、ハイドラとか、おそらく他にも。

 音だけが伝わった。

 もちろんそれがなんなのかなんて、伝えた人にも判らない。


「そういうのを集めてクトゥルフ神話は編まれたってことか。なんともほんわかした話だな」


 タバコの先に火を灯す暁貴。

 推論というにも薄弱すぎる根拠だ。


「でもさ。暁貴さんはあの怪物がイタクァだってすぐに判ったじゃないか。見たことなんかないのに」

「そりゃあ俺や実剛には無駄知識が……」


 言いかけて止める。

 おかしい。

 いくら知識があったって、まったく見たことのないものを、それがなんなのか理解できるわけがないのだ。


 たとえば辞書で赤という言葉を引くと良く判る。

 その色の存在を知らない人が、本当にその説明で理解できるのか、という話だ。


「うん。気付いたみたいだね。暁貴さん。実剛は映像で判ったかい?」

「いいや。僕は伯父さんが言ってくれたから、そうだなって思い当たっただけだね」


 知恵者の問いに次期魔王が首を振る。

 つまり魔王が怪物の正体に気付いたのは、無駄知識の恩恵ではないということだ。


「なんてこった……」

「もちろん私にも心当たりなんかなかった。ということは、この怪物は地球の存在じゃないってことさ」


 こころの声が、不吉な彗星のように尾を曳いてゆく。






 防波堤を歩く若い男。

 中肉中背で容姿も十人並み。身につけた黄色いTシャツだけが特徴みたいな、そんな男だ。


「釣れてますか?」


 コンクリートに腰掛けて釣りを楽しんでいる老人に声をかける。


「ぼちぼちだなあ」


 無愛想に返す老人だったが、横に置いたバケツの中にはすでにホッケが五匹も窮屈そうに泳いでいる。

 どこがぼちぼちなんだって話だ。


 東京とかの居酒屋で食べたら、いったいいくらするんだって大きさである。

 さすがに、時価とか、危険な香りの値札は付いていないだろうけど。


「この時期はホッケですか?」


 バケツの中身を、やや羨ましそうに見ながら若者が訊ねる。


()はホッケ狙いだどもよ。ソイ狙ってるやつもいれば、ヒラメ狙ってるヤツもカレイ狙ってるやつもいんべよ」


 ぶっきらぼうな口調だが不機嫌なわけではない。

 訛りがきつく、その上ぼそぼそと喋るため、街の外の人には非常に不快に映るというだけのことだ。


 典型的な澪人の特徴といっていいだろう。

 爆発的に発展していく中で、徐々に澪人気質も変わりつつあるが、漁業者やご老体はそんなに変わっていない。


 まあ、まだまだ時間はかかるだろう。

 改革が始まって、まだ二年も経っていないのだから。


「良い釣り場なんですね」

「何年もよ。釣れ()くて、獲れ()くて、もう噴火湾は死んでまったんだべかって言われてたんだ」


 国産の格安煙草(エコー)をくわえる老人。

 ごそごそとポケットを探っているので、若者がオイルライターを差し出した。

 どんも、と、礼を言って火を付ける。


「それが変わった、と?」

「んだ。魚も戻ってきて、(ひど)っこも戻ってきて、景気ばり()()くなっだ」


 巫さまさまだ、と、老人は笑うが、賞賛以外の成分が口調に含まれていることに、若者は気付いた。

 視線で先を促す。


「んだども、()だら、あの人はあんまり好がね(かない)

「ほほう?」

「澪(まじ)(そど)がらばり(ばかり)(ひど)っこ呼んで、王様きどりだで」

「ふむ……住民の声を無視していると?」


 首をかしげる若者に、老人が肩をすくめてみせる。


 澪町が掲げるのは、対話のできる町政。話のできる役場だ。

 そのため役場には大小三十もの町民相談室が設けられ、専門の相談員まで置いて、ありとあらゆる相談を受け付けている。


 生活、住居、病気、介護、就学支援や就職支援、失業対策やご近所付き合いに至るまで。

 ただ話を聞くだけでなく、きっちりと解決までサポートをする。


 そこまでしてはじめて住民サービスといえる、とは、魔王の腹心たる高木総務課長が幾度となく訓令していることである。

 住民の声を聞かない、というのは、ちょっとおかしい。


()()も、道路拡張だがの邪魔になるとかで、立ち退けとよ」

「ふむ。補償はされるのでは?」


 ただ立ち退けというのでは、地上げ屋などと変わらない。


(あだら)しい()も建てでけだ(てくれた)し、引っ越し費用も人足(作業員)も全部(まじ)で持つとよ。()は、手ぶらで新しい家に移れば良いとよ」

「破格の条件だと思いますけどねえ」


 なにが不満なのか、若者には判らなかった。

 そしてそれは、おそらく町の幹部たちにも判らないことだろう。


(いだ)れり尽ぐせりだ。んだどもよ、()だば乞食(ほいど)でねんだわ。札束で(ほっぺだ)ひっぱだぐよんだ真似されてもよ、なんもありがだくねんだわ」


 鼻から吹き出す煙とともに、老人が吐き捨てた。



 

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