澪を覆う影 3
「化け物がでる? なんだそりゃ?」
うろんげな声を出す暁貴。
今日も今日とて、澪の副町長室には変な報告ばかりがもたらされる。
鉄心と五十鈴が仙台に向けて出発した翌日だ。
つい先ほど、白鶴童子との折衝が不調に終わり、シヴァ神の力を封印するための方法について、有効な情報はなかった旨の報告を、こころから受けたばかりである。
ただ、澪に帰順することに関しては、前向きに検討するらしいとのことであった。
光と互角以上に戦える戦士である。
降るというなら大歓迎であるが、去るつもりならべつに止めるつもりもない。
「ゆーて、行く場所もないだろうけどね」
とは、沙樹の言葉だ。
太公望陣営は消滅してしまったのだから。
ともあれ今は捕虜のことにだけかまっている暇はない。
やることは山積みになっているのだ。
くっそ忙しいのである。
それなのに、化け物だの幽霊だの。
「夏休み怪奇特集か? 広沢」
報告者をじろっと睨みつけてやる。
子供の頃は、よく視聴していたものだ。
「噂ですよ。第三水源地建設の作業員たちが騒いでいます」
肩をすくめてみせる北海竜王。
第三水源地とは、リン城を含めた澪の鹿部方面エリア全域に給水するため、新たに作られた水源である。
この地区は、平成も四半世紀をすぎた現在においても、いまだ上下水道が完備されていない。
二、三戸しか家のないような集落ではなく、三千人以上が居住する地域が、井戸水を汲み上げて生活し、下水は垂れ流し、トイレは汲み取り。
笑っちゃうような状況。
これをなんとかするのが、澪改革の柱である。
水源地建設もその一環だ。
ちなみに第三があるということは、第一も第二も存在する。
聡いものであれば、偽装要塞と同数であることに気付くだろう。
三つの水源地が相互に連携しあいながら、三つの要塞に給水する。
澪の防衛構想である。
いずれかひとつが破壊されたとしても、水が止まることはない。
水利の達人たる広沢が提案した方法には、もちろん莫大な金がかかる。
しかし幹部たちは是とした。
水がなければ、どんな生物も生きられない。
要塞に籠もって戦うといっても、給水が止まってしまったらあっという間に陥落してしまうだろう。
気合いとか根性とかでどうにかなる問題ではない。
水源の確保と上下水道網の敷設。
最も重要で、かつ手を抜けない分野だ。
もちろん水源地というのは、でっかい水たまりではない。
そこに流れ込む川がなければいずれ枯れてしまうし、取水塔とか、濾過設備とか、造らないといけないものはたくさんある。
現在も急ピッチで建設作業中だ。
その作業員たちが、化け物が出たと騒いでいるらしい。
「どう思うよ。おたか」
「調査はしないといけないでしょうね」
副町長の視線を受け、ふうとため息を吐く総務課長。
当たり前の話だが作業員というのは大人だ。彼らの間で噂になるというのは、子供の遊びでは済まないのである。
不安が伝播すれば、士気にだって影響する。
いささかめんどくさいが、放置するという選択肢はない。
「ったく。化け物くらいでびびんなよな。庁舎きてみろって。魔女だの人面鬼だのがうろうろしてんだから」
余計なこと言って、暁貴が沙樹にオシオキされる。
ほほえましい光景であった。
「とはいえ、役場が本腰を入れて調べるほどの案件とも思えませんからね。子供チームに丸投げで良いんじゃないでしょうか」
とくにかまうことなく、高木が方針案を示した。
広沢が軽く頷く。
まず無難な提案である。
なにしろ学生連中はまだ夏休み中だ。
暇をもてあましていることだろう。
羨ましいことに。
「自分も学生時代に戻りたいですわー」
「かなりの線で同意見ですよ。上下水道課長補佐。そうしたら毎週でも深雪に会いに行けるのに」
「その意見には同意しない。とりあえず爆発しれ」
のろける高木にジト目を向ける北海竜王であった。
暇で困ってるんだろ?
という、ひどい理由で、めんどくさい案件を押しつけられた子供チームは、さっそくたまり場に集まって対応の協議を始めた。
ちなみに、まったく暇ではない。
夏休みとはいえ、実剛などは完全オフの日は一日しか作れなかった。
受験生なのである。
幹部としての仕事と受験勉強を両立させなくてはならないのだ。
次期魔王はつらいのである。
「自分だけ苦労してるっぽいこと言ってるけど、私も受験生よ。兄さん」
大げさに嘆く実剛に、美鶴が白い目を向けた。
兄が高校三年生なら妹は中学三年生である。
立場的にそう変わるものではない。
血統的には魔王の姪。
地位継承の序列でいえば第二位だ。加えて次席軍師の重責を担っている。
「でも僕は、きみが勉強しているのを見たことがないよ。愛する妹よ」
「高校受験。しかも澪高ていどで勉強が必要な軍師は、たぶんものの役に立たないかと思うわよ。愛するお兄様」
嫌味を飛ばし合う。
うるわしい兄妹愛である。
ちなみに美鶴は自分の勉強をしていないし、兄の勉強をみてやることも一切ないのだが、恋人たる光の勉強はみてやっている。
結果として、なんと光は一学期の期末試験で学年十位の好成績をおさめた。
巫家と羽原家の人々が驚倒したほどのそれは成績である。
羽原の家では赤飯を炊いたとかなんとか。
わりとどうでもいい情報だ。
「おばけ退治! 俺もいく!!」
その光がいち早く参加を表明する。
宝探しとか探検とか、大好きな少年である。
まったく予想通りの展開なので、次期魔王もその妹も軽く肩をすくめただけだった。
「まあ、いつものカルテットだよね」
琴美、佐緒里、光則、光。
これを美鶴が指揮統率する。
最も安定したチームだ。
多くの局面で投入されてもいる。
「んー」
瞳に保留の色を浮かべる美鶴。
安定していて、実績もあるだけに、いつもこの選択肢をとってしまう。
組織としてはあんまり良い傾向じゃない。
まして澪は敵襲の可能性のある場所なのだ。この人と組んだことがないから連携がとれませーん、というのはちょっとまずい。
「アンジー姉さんはいずれ兄さんの秘書になるんだから、いっつも現場仕事ってわけにはいかないし」
ぶつぶつと呟きながら、チーム編成を考えてゆく。
指揮を執るのは美鶴。これは揺るがない。
さすがに次期魔王が出馬するような案件ではないのだから。
光は護衛として常に侍る。実剛と絵梨佳の関係のように。
そのうえで、実際に動くメンバーとなれば。
「ゆかりさんのチームと、光則さんと佐緒里姉さん。こんな感じでどうかしら」
「それはありかも」
ぽんと実剛が膝を拍った。
ビーストテイマーの琴美がいないということは、情報収集という分野では戦力が低下する。
しかし、回復能力者のゆかりが加入すれば、全体的な安心感が違う。
また、琴美の目ほど万能ではないが、西遊記チームは気配読みができるため、戦力が馬鹿みたいに低下するってことはないだろう。
「ちょっと人数が多くなっちゃうけど、考えようによっては現場で二チームに分かれることもできるっとことだからね」
美鶴チームとゆかりチームに。
「うん。せっかくだし、今回は新しい編成を試してみよう。美鶴の判断を是とする」
「ご下命、賜りました」
次期魔王の言葉に、恭しく一礼する魔王の姪であった。
命のかかっていない局面だからこそ、いろんなことを試しておきたい。
実戦に勝る訓練はないが、ぶっつけ本番というのはなるべく減らしたいのである。
決定を受け、御劔と仁が安堵の吐息を漏らした。
夏の初め、実剛みずから金鉱跡地を調査に行くとか言い出して、勇者も義弟も肝を冷やしたものである。
この次期魔王、戦えないくせにちょろちょろ動き回るせいで、護衛役は気苦労が絶えないのだ。
「足を引っ張るなよ。ポークチャップ」
「誰がブタだ。鬼っころ」
がるるる、と睨み合う佐緒里と猪八戒。
いきなり仲間割れしているが、これは仲良くケンカしているだけなのである。
仲間たちがなまあたたかく見守っていた。




