澪を覆う影 2
五十鈴が不在の間、暁の女神亭は閉店する、わけがない。
たかが二泊三日である。
そんな大げさなことをしなくても、副シェフの山田で充分にまわせる。
他のスタッフの技能だって日々進化している。
二月末の開店から五ヶ月と少しが経過して、接客スキルも調理スキルも掃除スキルも、円熟の域に達しようとしているくらいだ。
レベルアップが速すぎだろうって話である。
まあ、毎日毎日、千人を超える客がきているのだから当たり前だ。
実戦に勝る訓練は存在しない。
しかも今は夏休み期間中。
第二隊の高校生たちもアルバイトとして駆けつけている。
「で、またお母さんが余計なことを言ったらしいわ」
「沙樹さんらしい」
琴美の言葉に実剛が笑う。
真・澪豚カツカレーを食べながら。
こいつらはアルバイトではなく、客である。
昼を外した時間帯ではあるが、相変わらず客席は大盛況だ。
駐車場にはひっきりなしに車が出入りし、ポーク隊が手際よく場内整理をしている。
「しかし安寺琴美。父親にはいちおう妻がいるぞ」
「一応て。そりゃいるでしょうよ。あんたが木の股から生まれたんじゃなければ」
佐緒里の言葉に苦笑する琴美。
鉄心の妻とは、佐緒里の母親である。
なんでこいつは他人事みたいに語っているのか。
「夫婦仲も親子仲も冷え切っているからな。出て行っていなければ、たぶんまだ屋敷に住んでいるだろう」
ふんと佐緒里が鼻を鳴らす。
なにか言おうとした琴美だったが、さすがに深入りすることは避けた。
よその家庭事情にくちばしを突っ込むべきではない。
その程度の常識は、澪生まれのビーストテイマーだって持ち合わせている。
「父親が我が師薄五十鈴を籠絡できたなら、むしろその甲斐性を褒めてやりたいほどだな」
「そういうことを言うもんじゃないよ」
それでも、こつんと鬼姫の頭を小突く琴美だった。
「むしろわたしとしてはー 五十鈴師匠のことより、アンジーお姉ちゃんの方が気になりますけどねー 佐藤さんと外泊したそうじゃないですかー」
きししし、と絵梨佳が笑う。
目下、子供チームの間ではそっちの話題の方がホットである。
佐藤か将太くん。果たしてどちらが魔女の娘のハートを射抜くのか。
元CIAの影豚が琴美と外泊した。
仕事中のこととはいえ、これは佐藤が一歩リードかと姫たちは騒いだものである。
他人様の色恋ほど、女性陣が盛り上がるネタはない、ということで良いのだろうか。
はあぁぁぁぁ、と、琴美が大きなため息を吐く。
「お母さんも似たようなこと言ってたけどねえ。佐藤さんは任務で私に近づいただけだし、将太くんは年上の女性ってのに憧れてるだけでしょ。なんでもかんでも恋愛に結びつけるのは良くないわよ?」
ビーストテイマーの言葉。
なにか理不尽なものを見るような目で、芝の姫と萩の姫が魔女の娘を見た。
異世界の生物に会ってしまったような、というのが最も近いだろう。
どちらからともなく席を立ち、すみっこへと移動する。
「おい。芝絵梨佳。あれは本気で言っているのか?」
「うん……たぶん……」
ぼそぼそと会話を交わす。
とても信じられないが、琴美は本気で自分がモテていないと思っているらしい。
「ありえないだろ……」
「だよね……」
佐藤は任務で近づいた。それは事実だろう。
しかし澪に降った今、その任務は終わっているのだ。
そもそも降ったのは、あきらかに琴美のせいだ。
魔女の娘に本気で惚れてしまったから、彼女を騙し続けることができなくなったのである。
なんで気付かないのだ?
将太くんが年上の人に憧れているだけ。
何をどうやればそういう結論が導かれるのか判らない。
その程度の想いで、敵の本拠地に単身で飛び込む馬鹿がいるとでも思っているのか。
そもそも年上の人というなら、五十鈴だって琴美と同い年だろう。
そんな理由で惚れるなら女勇者だって良いはず。
なんで判らないのだ?
「凪信一や凪信二のせいか……」
「たぶん……聖さんとか光くんとかも……」
ごく幼い頃から家族同然に育った巫の眷属たち。
琴美にとって、彼らは兄弟に等しい。
とんでもねー兄弟どもだ。
だから、琴美の審美眼は、おかしなことになってしまっている。
信一の実直さや義侠心を超えるような男でなければ、
信二の思慮深さや優しさを超えるような男でなければ、
聖の格好良さを超えるような男でなければ、
光の天真爛漫さを超えるような男でなければ、
「異性として認識していない……のか」
「やばいね……佐藤さんと将太くん……」
姫たちがどこかに行ってしまったので、テーブルには実剛と琴美が残された。
いままで男ひとりに女三人というハーレム状態だったわけだが、べつに次期魔王はシチュエーションに狂喜乱舞もしなければ、ドキドキしたりもしない。
佐緒里は親友たる光則の恋人だし、琴美は又従姉である。
恋愛感情など抱くわけがない。
むしろ、このお邪魔虫たちのせいで絵梨佳ちゃんとふたりきりになれないんじゃわー! くらいの感覚だ。
あげく、恋人は鬼姫とどっかいっちゃったから目も当てられない。
又従姉と二人っきりになって、どう恋愛方向に発展するというのか。
もちろん琴美のことが嫌いだなんてことは、まったくない。
「そういえばアンジー姉さん。白鶴童子と会ったんですよね」
「ええ。私は立ってただけだけどね」
交渉そのものは、こころと水晶がおこなったと教えてくれる。
太公望陣営の一角であった少年。
彼ならば、シヴァ神の力を封印する方法を知っているかもしれない。
ただ、天界一の知恵者は大きな期待をしていたわけではない。
現実、同じく太公望陣営に属していた水晶も、ほとんどなにも聞かされてはいなかった。
封印の方法については、太公望が秘匿しているだろう。
そう予測した上での交渉である。
「とはいえ白鶴童子は、竜吉公主よりずっと太公望に近い立ち位置だからね。コンビみたいな扱いだし」
「それはマンガの話じゃないかと思いますけど。でもたしかにそうですね」
水晶と太公望は最初からそりが合わず、任せられた局面も重要度は高くなかった。
戦ったのもノエルだったし。
むろんノエルが弱いということではないが。
対して白鶴童子が相手をしたのは光。
澪にとっては、まさに主戦級だ。
しかも援軍が駆けつけるより前。
沙樹と光の活躍に全体の趨勢がかかっている状態であった。
澪の飛車角にぶつけたのが白鶴童子だ。
ちなみに沙樹が戦ったのは二郎真君。
太公望陣営トップの戦闘力をもつ戦士だった。
「信頼も厚いんじゃないかなーってくらいの感じだったけどね」
両手を広げてみせる琴美。
口調と態度で、実剛は交渉が不調に終わったことを悟った。
「重要なことはなんにも知らされていなかったって感じ」
「そうですか」
ふむと腕を組む。
味方を誰も信用せず、ただ手駒のように扱った太公望。
降伏勧告も無視されてしまったことを思い出す。
勝敗が決し、もう勝ち目などなくなっても突きかかってきた。
なんとも陰気で、救いのない戦いだった。
「あ、そういえば姉さん。ちょっと気になることがあるんですけど」
「ん?」
「きららさんって、元の名前関係ないですよね。ゆかりさんたちも」
ふと心づいて訊ねる次期魔王。
本来、転生者たちはまったく違う名前は名乗れない。
自己同一性が失われてしまうから。
「なんか、こころとかおキクさんとは方法が違うって言ってたわね」
「方法?」
「なんだっけな? 高天原の神たちは人間に生まれ変わるんだってさ」
それが転生だ。
当然、親もいるし歳も取る。
いずれは寿命が尽きて死ぬだろう。
カトルやリンなどは、召還された存在だ。
人間の姿を取ってはいるものの、じつは人間ではない。外見もずっと変わらないらしい。
「ふうむ。きららさんたちは、それとも違うってことですよね」
「そそ。元々いる人間を乗り移るてきな? 憑依とか、そういうやつみたいよ」
なんだか、ずいぶんと乱暴な方法である。
乗り移られた側はどうなってしまうのか。
「消えるっていうか。もともと死体だからね」
「死体て」
「殺して乗っ取る。で、知識とかだけいただく」
「うわあ……」
思わず声を出す実剛。
食事中にする話じゃなかったと後悔しながら。




