対澪包囲網!? 2
ちょっとびっくりするようなタイトルであった。
澪を敵として設定し、それを打ち倒すのだー! というのだから。
町幹部は当初かなり苦い顔をした。
暁貴をはじめとして、けっこう頻繁に人間の敵であることを口にしちゃってはいるものの、こういうイベントごとで敵役というのは、なんだかバカにされているみたいで面白くない。
「ただまあ、なかなか面白いアイデアではあるよね」
幹部会議の席上、八尾こころが言った。
筆頭軍師である凪信二が不在の今、澪で最高の賢者はと問われれば、間違いなく顧問秘書たるこころだろう。
なにしろ、天界一の知恵者だ。
「どういうことだい? こころくん」
「人間の集団が団結するため、絶対に必要なものってやつだよ」
高木の問いに、まるで謎解きのような返事をする。
もちろん魔王の腹心には、これで充分であった。
人間の集団を団結させるためのもの。
すなわち、敵の存在である。
わりと初歩の支配術で、たとえば日本は敵だと喧伝することによって国民を結束させている国もある。どことはいわないが。
「けどよう。たかがグルメイベントだぜ? こころちゃん」
ストレスとともに、煙を鼻から噴きだす暁貴。
役場の会議室は禁煙ではない。
あと、副町長室とかメディア対策室とか、禁煙文化が加速する現代の気風に逆らっていくつか喫煙できるスペースが確保されているのが澪町役場だ。
魔王としては、殊更に近隣市町村と敵対してきたつもりはない。
むしろ急速な発展を続ける澪のおこぼれで、周囲の自治体だって潤っている。
感謝されこそすれ、憎まれる筋合いはない。
まして、こういうお遊びイベントでの敵役とか。
「イベントだからだよ。暁貴さん」
本気で敵対なんかするわけないじゃないか、と付け加える。
発展にともなう余波には、まわりの自治体だって感謝している。
もちろん嫉妬はあるだろうが、澪のおかげで自分たちの町にも金や人が流れ込んでいるという事実は認識しているのだ。
「これはね。ちょっと皮肉を込めた感謝のシルシなんだよ。企画を立ち上げた人は、なかなか面白い為人をしていると思うよ」
「なるほど」
頷く高木。
席を立ち、ホワイトボードへとむかう。
天界一の知恵者の婉曲的な言葉を、仲間たちに判りやすく解説するのが、いつの間にか若き総務課長の任務のひとつになっていた。
なにしろ軍師というイキモノは、やたらと回りくどくできているから。
「澪という巨大な敵に、近隣の力を結集して立ち向かう」
フローチャートにして説明してゆく。
一見すると澪への敵対行為だ。ただし、あくまでもお遊びである。
変な言い方になるが、しゃれになるのだ。
本気で澪を叩き潰そうとか、滅ぼしてやろうとか、そんなことを考えているわけではない。
幹部たちの顔に理解が広がる。
澪に求められているのは横綱相撲である、と。
いまや道南最大の、雇用の供給源となりつつある澪。
なかでもグルメという舞台においては、特筆に値する実績を残している。
二月のさっぽろ雪祭り。三月にオープンした『暁の女神亭』。
どちらも連日の完売御礼。
後者など開業から半年近く経とうというのに、行列ができなかった日は存在しないくらいだ。
まさに横綱。
この謎イベントでも、澪にはその強さが求められている。
てきとーな料理で、一参加チーム、ということではなく。
ラスボスとして君臨してくれ、と。
「たしかに、それは面白いな」
腕を組んだメディア対策室長が大きく頷いた。いちおうこいつにも名前があって、依田孝実というのだが誰もそんなふざけた呼びかたはしない。
諜報と防諜を担当する影豚たちのトップ、魔王ハシビロコウ。
澪に存在するもう一人の魔王である。
ちなみに、その横でにこにこしているのが秘書の仁木幸。
すべて判っているから微笑している、のではない。念のため。
「ラスボスを応援するもよし、挑むチャレンジャーたちを応援するも良し。客は大いに楽しめるだろう」
「うん。開催まで時間がないなかで、よく考えたもんだと思うよ」
依田の言葉に微笑を浮かべたこころが、暁貴に視線を投げる。
どうする? という意味だ。
挑戦を受けて立つか、それとも付き合いきれないと脱落するか。
にやりと笑う澪の魔王。
「もちろん受けるさ。澪に逃走はないことだぜ」
暁貴の裁可がおりた。
こうなったら澪は速い。
『暁の女神亭』に、新メニュー開発の命が下る。
具体的には、澪の大シェフたる五十鈴と副シェフの山田にである。
あまり時間的な猶予はない。
しかもけっこう難題だ。
周辺自治体が用意する食材の情報も伝わったからである。
それは、これまでの澪豚の優位性を打ち砕く情報であった。
北斗市からは黒毛和牛。
まだあまり知られていないが、ブランド牛として、近年、人気急上昇中の逸品がある。これを使った料理を出してくるという。
そして八雲町。
三浦陸将補らの対澪特殊部隊が本拠地を置く彼の町が用意した必殺の武器は、『名古屋コーチン』。
なんで北海道で名古屋なのかと思うところだが、いるのだ。
原産地からはるかに寒冷な地域なのに、不断の努力と試行錯誤によって、この北の島でも、わずか三ヶ所、『名古屋コーチン』の育成に成功した農場が存在する自治体がある。
そのうちのひとつが八雲町だ。
一般的な鶏肉とは比較にならないほどの深いコク。引き締まった歯触り。
現在、多くの地鶏が他の鶏との交配種なのに対して、かたくなに他種と交配させないことによって、昔ながらの地鶏の風味を保っている数少ない品種。
それが『名古屋コーチン』である。
これだけでも澪豚にとって楽勝の相手ではないのに、さらにもうひとつ武器かあったりする。こいつには。
卵だ。
鶏なのだから卵を産むのはあたりまえだが、やっかいなことに『名古屋コーチン』の鶏卵は、むちゃくちゃ美味いのだ。
もちろん鶏肉との相性もばっちりである。
厳しい戦いになる。
条件をきいた五十鈴と山田は、知らず顔を見合わせた。
国産黒毛和牛なんて、地方の小さなグルメイベントに出てくるようシロモノではない。
価格だってちょっと庶民的ではないのだから。
国産地鶏だって同じ。
貧乏暮らしをしていた五十鈴などは、口にしたこともない。
まだブランドとして確立されたわけではない澪豚で、この牛と鶏に勝てるのか。
しかもただ勝つだけではいけないという。
堂々と、胸を貸すような戦いをしなくてはならない。
「五十鈴シェフ……」
気遣うような山田。
『暁の女神亭』の厨房である。
グルメイベントの開催まで二ヶ月もない。
はたして、『真・澪豚カツカレー』を超えるようなメニューを開発することかできるのか。
元スパイの料理人でなくとも不安になるところだろう。
「悩んでいても仕方ありません。とにかくやってみるしかないでしょう。山田シェフはフランス料理の方からアプローチをお願いします」
ふうとため息をもらした五十鈴が依頼する。
すでに賽は投げられた。
やるしかない。
幸いなことに山田はフレンチの専門家だし、五十鈴には子供チームのバックアップもある。
「ですね。あと、たしか五十鈴シェフの知人に名古屋出身者がいたのではないですか?」
あるいは『名古屋コーチン』の味について、なにか知っているかもしれない。
この際はワラにでもすがるつもりで訊いてみてはどうか、と、山田が助言する。
「明日にでもきいてみますか」
軽く頷いて帰宅の準備をはじめた。
彼女は大シェフである同時に、孤児院の院長なのだ。
あまり帰りが遅くなると、子供たちが心配してしまう。
このとき、まだ五十鈴はさほどの危機感をおぼえていたわけではない。
顕在化するのは夜。
名古屋からきた男の来訪を受けてのことであった。