敵じゃマハラジャ! 8
すごい勢いで回れ右したかった実剛と絵梨佳だったが、ここまできて、そういうわけにもいかない。
にっかーと男が笑う。
目が合っちゃったし。
年の頃なら暁貴と同じくらいだろうか。
伯父ほどぷよぷよはしていない。
なんでそれが判るかというと、上半身裸だからである。
ビジネスビルの最上階で!
「……あれがウチらの大将の、司馬豪だよ……」
絶望の表情で紹介してくれる耶子。
「……わたしと同じ苗字ですね……死にたくなってきました……」
そして絶望は絵梨佳にも感染した。
「大丈夫だよ芝の姫……漢字が違うから……」
「せめてもの救いですか……」
ぼそぼそと会話を交わしている。
深く深く実剛は同情した。
もうね。なんかね。耶子には同情しかない。
澪の魔王も相当にあれだけど、ここまでエキセントリックじゃないもの。
「司馬ってことは、シヴァ神かな? 伯父さんがインド神話じゃないかって予想していたんだけど」
ぽつりと呟いた言葉。
それが地雷だとも知らずに。
ぎゅりんと音がしそうな勢いで、耶子が実剛を見た。
「あ……」
その瞬間、実剛は気がつく。
インド神話の主神シヴァ。その息子とは福の神ガネーシャである。
今生での性別はあまり関係ない。
彼が知っているだけでも、八意思兼や大國魂やク・ホリンが女性に転生しているから。
あれが父親だとしたら、耶子の苦悩はいかほどのものか。
「でもまあ、あくまで前世的なものの話だし」
そしてまた地雷を踏む。
じっと見つめる耶子。
ガン見だ。
「……え、でも苗字」
「母親の姓を名乗ってるんだよ。察しろよ。殿下」
「……さーせん。ほんとさーせん」
本当に心から頭を下げる次期魔王であった。
だって、彼ですら伯父があれで同情されることがある。
実の親子だったりしたら、どうなってしまうのか。
「おおい! 澪の衆! こっちゃ来々!!」
呼ばれてしまった。
覚悟を決め、三人が近づいていく。
まず被害にあったのは、耶子だった。
「ぃやっこー! お仕事ごくろうさまー! 愛しているよーっ!!」
抱きしめられる。
「…………」
すべてを諦めきった表情で身を任せている、経営コンサルティング会社の取締役。
なんというか、アニメとかでたとえるなら、瞳からハイライトが消えているような感じだ。
上半身裸のおっさんに頬ずりとかされても、なんの反応も示さない。
大きく息を吐く実剛。
このまま放置するのは、なんぼなんでも耶子が可哀想すぎる。
咳払い。
「お初にお目にかかります。澪の巫実剛と申します」
一礼。
「おお!」
耶子を解放して、向かってくる。
「君が!」
くるくる。
「澪の!」
くるくる。
「御大将だねっ!」
くるくるとステップを踏んで、実剛の前でびしっとポーズ。
何故に踊る。
何故に歌う。
「あ、はい。そう申し上げました」
耐えろ。耐えろ僕。
まだ怒るような時間じゃない。
「Meは! 耶子の父で! 豪だよ!!」
ばっと両手を広げる。
ハグするつもりだ、と、少年は理性によらず悟った。
咄嗟に絵梨佳がかばうように前に出る。
身代わりになってでも婚約者を助けよう、という悲壮な決意が大きな瞳にたゆたっていた。
いけない。
この変態に僕の絵梨佳ちゃんを汚させるわけには。
それは究極の選択。
絵梨佳がハグされるか、自分がハグされるか。
前者を選べるわけがなかった。
「大丈夫だよ」
力無く言って、婚約者を押し止め、運命に身を委ねた。
「会えて! 嬉しいよ! 御大将!!」
抱きしめられる。
「……僕もデスよ。司馬さん」
平坦な声。
少年の瞳は、もう何も映してはいなかった。
司馬は、シヴァ神の転生者だった。
べつに知りたくもなんともないが、本人が笑いながら、かつ歌いながら語ってくれた。
で、耶子は司馬の娘で、ついでにガネーシャの転生者である。
神話での親子が、現世でも親子というのはちょっと珍しい。
「もっとも、ウチは中学を出たらひとり暮らしを始めたけどね」
「……とても気持ちは判ります。耶子さん」
いままではフルネームで呼んでいた実剛だったが呼び方を変えた。
共感というか、シンパシィというか。
とても耶子が他人とは思えなくなっていた。
「ゆーて、高校生でできるバイトなんか限られてるし、金銭的な苦労はけっこうしたよ。これでもね」
「金運の神なのに?」
「そのころはまだ覚醒していなかったさ。とにかく、くそオヤジから逃げたい一心で母親の姓を名乗ることにしたんだ。そしたらさ」
「覚醒した、と」
ふむと頷く実剛。
司馬耶子から、金石耶子へ。
その瞬間、彼女は目覚めた。
ガネーシャの力に。
そして父親の正体にも気付いた。
「……ご愁傷様です」
「同情すんな。ともあれ、そこから先は金に困ったことはないさ」
やる商売やる商売うまくいく。
それが福の神ガネーシャの特殊能力である。
「羨ましい能力ですねー」
なんかトロピカルなジュースを飲みながら絵梨佳が笑う。
司馬を含めた四人か車坐となって寝椅子にくつろぎ、その横に立った美女が大きな団扇で風を送ってくれている。
かなーり扇情的な服装で。
当たり前だが、耶子も絵梨佳も、このサービスをまったく喜んでいない。
実剛だってべつに嬉しくない。
扇いでくれるのが絵梨佳ならともかく。
「澪に欲しい能力だね」
くすりと実剛も笑うが、これは社交辞令である。
神の力で商売繁盛、という未来を、彼は望んでいないから。
「ぃやーこの力で! Meは! うはうは!!」
豪快に司馬が笑う。
耶子がげっそりした。
次期魔王と芝の姫は深く深く同情した。
「耶子さんの力は判ったけど。今回のイベントもお金儲けの一環ってことなのかい?」
「それを説明するには、まずオヤジの能力から説明しないといけないよ」
ジュースで唇を湿らせ、耶子が語り始める。
シヴァ神のチカラ。
それは破壊である。
すべてを破壊し、その後に一から作り直す。
そういう権能である。
ひとくちに言って、ちょっと洒落にならないチカラだ。
「しかもこれは、オヤジの意志とは関係なく発動してまうんだ」
コントロールできない、という意味である。
おいおい、と、実剛はため息を吐いた。
そんな巨大なチカラがコントロール不能とか、笑えなさすぎる。
「何度か発動しかかったんだよ。じっさいね」
「マジですか……」
「十五年前の九月と、五年前の三月。そのとき何があったか憶えているかい? 殿下」
「…………」
黙り込む実剛。
次期魔王は知っている。あわや世界戦争の勃発か、となった大事件と、未曾有の大災害を。
「そんな馬鹿な……」
「残念ながら! 事実だよ! 御大将!!」
司馬が楽しそうに嘆き悲しむ。
まるっと謎の光景だ。
もちろん耶子は説明するつもりである。
「この世界はね。殿下。神々によっていつ滅ぼされてもおかしくない状態なんだよ」
驕り高ぶった人間ども。
際限なく地球を汚し、文明も頭打ちとなり、未来への展望もそれほどない。
日本だけに限ってみても、出生率は低下し、若者は将来に希望を持てず、政治家の腐敗にも政治の腐敗にも歯止めがかからない。
もう、終末だ。
どうにもならない。
ならば滅ぼして、作り直した方がマシだ。
「いやいや耶子さん。ちょっと待ってよ」
思わず実剛が声をあげる。
そんな無茶苦茶な話があるか。
世界は神の箱庭ではない。気に入らないから壊すとか、やって良いことではない。
軽く耶子が頷く。
「ウチもそう思ったよ。そんな未来は嫌だ。だからそのチカラが発動しないようにするには、どうしたらいいか考えたんだ」
十五年前。
テレビの前で呟いた、父の言葉。
「はじまってしまった」
と。
覚醒したばかりの耶子は、すぐにその意味に気付いた。
そして父も、こんな未来を望んでいないと判った。
彼個人が望まなくても、どうしようもなく発動するチカラなのだ、と。
「回避する方法はね。ひとつしかなかったんだ」
「それは……」
ごくりと唾を飲む実剛。
「オヤジを退屈させない。ただそれだけさ」
ガネーシャの転生体。その唇が皮肉げに歪む。