敵じゃマハラジャ! 1
「アンジーさんが外泊!? 佐藤のくそやろうと!?」
地団駄ダンスを踊るのは将太くん。
悲痛な叫びが澪孤児院に木霊する。
琴美と佐藤が北斗市へと調査に赴いた翌日である。
ふたりは昨日、帰ってこなかった。
べつに誰も心配していない。
まだ未成年ではあるものの琴美は短大生だし、わりと一人前の大人としてみなされている。
もちろん佐藤は社会人なのだから、年齢問わずに一人前だ。
まして無断外泊でもなんでもなく、ちゃんと経緯は連絡されている。
北斗市で経営コンサルティング会社を経営する人外との接触に成功し、歓待を受けている、と。
で、ふたりとも酒が入ってしまったので、一泊してから帰る、と。
予定外の行動ではあるが、由々しき事態というほどでもないだろう。
「由々しき事態だよ! 絶対に許されないよ!! ふざけんなよ佐藤!!!」
唯一、大暴れしているのは将太くんだけだ。
大激怒である。
朝になってからことの顛末を聞いたのだ。
幸いなことに。
もし昨夜のうちに聞いていたら、北斗市まで乗り込んでいたかもしれない。
なにしろこの男には前科がある。
「落ち着きなって、将太お兄ちゃん。言葉遣い悪くなってるよ」
やれやれとため息を吐くのはほたるちゃんである。
普段は真面目で理知的で、シンクタンクのリーダーとして町幹部からの信頼も厚いのに、魔女の娘のことになると理性も知性も吹き飛んでしまう。
「うううほたる……だってだって……」
泣きだした。
これで次代を担う俊秀なのだから驚愕だ。
「お酒が入ったって仕事中だよ。なにかあるわけないじゃん」
琴美はまだ甘い部分があるものの、佐藤は完全にプロフェッショナルである。
接待されたからといって正体をなくすほど深酒をするはずがない。
まして酔った勢いでパートナーを押し倒すとか。
世界の果てまでそんな可能性を探したって見つからないだろう。
「むしろ、将太お兄ちゃんの方が危なそうだよね。アンジーお姉ちゃんと泊まったりしたら」
「ぐ……」
「そんな態度だと、佐藤さんに差を付けられるよ?」
大人の余裕をみせなよ、と笑う。
一言もなく将太くんが黙り込んだ。
言われてみればその通りで、彼らの仕事は取り乱すことではない。
琴美と佐藤が持ち帰った情報を整理し、分析し、暁貴をはじめとした幹部たちの方針決定の一助となさしめることだ。
「お姉ちゃんたちは仕事をした。次は私たちの番なんじゃない?」
ぽんぽんと肩を叩いてやる。
「そうだった。頑張ってアンジーさんに認められる男にならないと」
気合いを入れ直している将太くん。
ふ、ちょろいな、という趣旨の笑みを満面の笑顔の下に隠し、ほたるちゃんが頷いた。
まあ、だいたいいつも通りである。
澪の男性陣が情けないのは、べつに今に始まった話ではない。
「よーし。今年は泳ぐぞー!」
「いっぱい遊びましょうねー!!」
気合いを入れているカップル。
実剛と絵梨佳だ。
次期魔王と芝の姫である。
この無駄な気合いには、ちょっとだけ理由があった。
澪の海水浴場がオープンしたのは昨年から。
海岸を清掃し、砂を敷き詰め、海水の浄化までおこなって、なんとか開業にこぎつけた。
このアイデアを出したのは実剛であり、企画そのものも大成功を収めた。
昨年夏の集客実績は、のべ三十二万人。
小さな田舎町の海水浴場としては、ちょっと桁違いの結果である。
しかし、成功に多大な貢献をしたはずの実剛は、まったく遊べなかった。
ホストに徹していたから、ではない。
そういうことだったら、まだ彼も納得できただろう。
勇者の襲来、沙樹の拉致監禁事件とその救出戦、テレビの取材、北海道知事との会談、東京に乗り込んでの御前との戦い。
びっくりするくらい事が多くて、遊んでいる暇がぜんっぜんなかったのだ。
もうね。
気付いたら夏休み終了のおしらせが届いていたってくらいである。
去年の夏の思い出なんて、最終日に絵梨佳とキスをした、くらいしかない。
「どうなってんの!? 僕の高校二年の夏休み!」
「そして今は三年生ですしねぇ」
「まったくだよ」
本当は遊んでる暇なんかない。
大学受験に向けた準備もあるし、それに加えて九月のグルメイベントだ。
町おこしと戦争に賭けた青春というのは、少しばかり寂しすぎる。
というわけで、完全にオフの日を作った。
それが今日である。
「夏休み中にオフ作るってのも、すごい話だけどね」
多少は運命の理不尽さを感じないわけではないが、自分で選んだ道である。
不平を漏らす筋ではないだろう。
「良いじゃないですかー 戦士にも給食は必要なんですよー」
「うん。休息だね」
べつに給食は必要ない。
稼ぎのある身なのだから、買うなり作るなりして勝手に食えって感じだ。
「知ってましたー 試したんですー」
相変わらず、試される実剛である。
笑いをこらえながら、あらためて恋人を見る。
眩しい。
背中までの髪。大きくくりっとした瞳。
健康的に細く、張りのある肢体は、本日は真っ赤なビキニで最低限に隠されている。
本人は胸が小さいことを気にしているらしいが、そんなものを気にする必要がないくらいスタイルも良いし、なにより可愛らしい。
その上、気は優しくて料理上手。
「なんですかー? じろじろみてー」
少しだけ照れくさそうに身をよじったりして。
「いや。絵梨佳ちゃんが可愛くてさ。こんな子とつきあえる僕は幸せだなって」
「もー! からかって!」
べしべしと実剛の背中を叩く。
薄着だからわりと痛い。
まったくどうでも良い話だが、次期魔王も水着姿で上半身は薄手のパーカーを羽織っただけである。
「あ! イカ焼き売ってる! 食べましょうよー」
「いいね。僕もイカ焼きは好物だよ。あと、ゲソの唐揚げとかも。おっさんくさいけどね」
なんとなく照れ笑い。
イメージとして、イカゲソとかはお酒のつまみだ。
高校生の好みとしては渋すぎる。
「いいじゃないですか。わたしも好きですよ? ゲソ揚げ。わさび揚げにすると、さらに美味しいんですよねー」
「え? なにそれ美味しそう」
きゃいきゃいと騒ぎながら屋台へと移動する。
ちなみに、わさび揚げというのは、ゲソを蝦夷山わさびを溶いた醤油にくぐらせた後、片栗粉をつけて揚げたものである。
蝦夷山わさびのぴりりとした辛みが鼻に抜け、なかなかの美味だ。
「今度つくりましょーか?」
「ぜひ」
「それはもちろん、俺の分もあるよな? 絵梨佳」
「光則には、あたしが作ってやろう」
突如として割り込む声。
すげー嫌そうな顔で、実剛が振り向いた。
予測通りのふたりが立っている。
光則と佐緒里のカップルだ。
前者は親友だし、後者は同じ家で暮らしている。
仲が悪いわけではけっしてない。
けっしてないのだが、
「ふたりはふたりで楽しんでれば良いと思うんだよね。なんでわざわざ声をかけてくるのさ」
ブーイングしたりして。
二組ともカップルである。べつにダブルデートとしゃれ込む必要はない。
それぞれ勝手に楽しめば良いだけではないか。
ビジネスマナーなどの本にも書いてある。
休日に街で上司や同僚を見かけたらどうするか、と。
声をかけるというのは、残念ながら不正解だ。
気付かないふりが正解。もし目が合っちゃったら、軽く目礼だけして通り過ぎる。
なんとも人情味のないことであるが、こればかりは仕方がない。
たとえば相手が不倫中だったとしたら、下手に声をかけたらとってもとっても気まずいことになってしまうのだ。
ほどよい距離感、というのが、ビジネスの場では大切なのである。
「そう言うな。巫実剛。あたしの水着姿を見れるという余録がついてきたのだから、幸運と思うべきだ」
「いやいや佐緒里さん。そういうのは光則にだけ見せてあげなよ」
「是非もない」
「実剛はラッキーかもしれんが、俺は嬉しくも何とないな。色気もない従妹の水着なんぞ見たってなあ」
「よし。良く言いましたみっつ。海のモズクにしてあげましょう」
「砂地は俺のフィールドだ。やれるもんならやってみろ」
ばちばちと火花をあげて絡み合う絵梨佳と光則。
仲の良いことである。
「藻屑だね。モズクだと食べ物だよ。僕は好きじゃないけど」
「そこに突っ込むより、止めた方が良いのではないのか?」
豊かな胸を強調するかのように腕を組む鬼姫であった。




