表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

【注意喚起】全身白タイツ姿の不審者(女性と推測)に、餅を強制的に食べさせられる事案が発生

作者: 佐々雪

『6月9日(金)深夜22時頃、全身白タイツ姿の不審者(女性と推測)に、餅を強制的に食べさせられる事案が発生。各自、深夜の独り歩きに注意されたし』


 なんだそりゃ、意味わからんな……と、今朝読み捨てた町内会報に、そんなことが書いてあった。そして会社からの帰り道。その全身白タイツの生命体が、いま目の前にいる。なんだそりゃ。


 白タイツはマンホールの上に立っていて、街灯にゆらゆらと幻想的に照らされている。神々しい。神々しすぎてマンホールが一瞬、セーブポイントに見える。よく見れば、両手に白くて丸いものをもっている。神々しさのせいで一瞬オーブか何かに見えたが、落ち着いてよく見ると、ただの丸い餅だった。


 白タイツの身長は150cm程度。胸に大きな膨らみがあることから、確かに女性であると推測できる。そして時間は深夜の22時。


 ……なるほど。何から何まで、町内会報に書かれている通りの状況だ。あの一件怪文書に見えた警告文は、ごく正確に状況を伝えていた。


 白タイツまでの距離は、10メートルくらいまで近づいている。私が歩いている姿を、餅を持ちながらじっと見つめている。すでにこちらの存在は、認識しているようだ。


 何でも安易に事案呼ばわりされがちな昨今、確かにこれは事案と呼ぶのにふさわしい状況だ。何かのセレクションに出品すれば、最高金賞に認定されるはずだ。事案部門で。


―――さて、どうしたものか。


 私は黒縁メガネをくいっと持ち上げる。それから『いつものように』、冷静に状況を分析する。


 そう。私はトラブル回避をなりわいに仕事をしている、いわば『危機管理』のプロフェッショナルである。あの銀行系システムの大規模なシステム障害発生時も、某テレビ局の買収問題発生時も、実は裏では私が回避策を提案・検討し、危機的状況をくつがえしてきたという実績がある。自称『危機管理界の諸葛孔明』といえば、私のことである。


 そのようなプロの私にしてみれば、この程度の危機を安全に処置することは朝飯前である。確かに、今までに遭遇したことのない種類のトラブルではある。ただしどのようなトラブルにも、共通したリスク低減の定石がある。


【あらゆる対策を検討し】

【その中でもっとも被害の少くなる選択肢を選択する】


 さて、ここで私がとれる選択肢は何だろうか。じっくりと考える時間はとれない。瞬時に判断しなければならない。ふむ。ざっと考えて、主要な選択肢はこんなもんだろう。


 (1) 立ち止まり経過観察する

 (2) 引き返す

 (3) 気づかないふりをして通り過すぎる


 白タイツとの距離は、もう5メートルまでせまっている。

 どの選択肢がもっとも危険性が少ないであろうか。歩きながら頭の中で瞬時に思考をすすめる。


 どれが最良の選択肢なのか。賢明なる読者諸賢も、ここで一度読むのをやめて、考えてみてほしい。(1)〜(3)の、どれがもっとも、被害が少なくなる選択肢なのか。


 ここからは、解答編である。


 まず(1)であるが、これはもっとも取ってはならない下策である。危機の前でいたずらに立ち止まる時間を増やすことは、トラブルが発生する確率を高めるだけの悪手である。これを選んでしまったあなたは、戦場では敵に撃たれて即死するタイプだ。


 そして(2)。悪くない。だが、これで相手が逆上したらどうだろう。女性の足なら、追いつかれることはないから大丈夫?果たしてそうだろうか。白タイツがピストルを持っていて、後から撃たれる可能性もゼロではない。そしてピストルで致命傷を負わされて身動きがとれなくなったところ、餅を食べさせられたらどうなるか。バッドエンドである。これがサウンドノベルゲームならタイトル画面に戻るくらいですむかもしれないが、今起こっていることは現実である。戻るタイトル画面などない。戻るのは土だけである。この選択肢を選んでしまったあなたは、戦場では敵に撃たれて即死するタイプだ。


 そして最後に残った(3)。これが正解である。一見、消極的に見える選択肢であるが、この中ではもっともマシな選択肢である。相手を視界にとらえながら、次のアクションを検討することができる。適切な距離感をとりながら相手を観察し、最悪の場合は走って逃げる。ピストルで撃ってくるようなそぶりをみせたら、左右にランダムな動きを取り入れながら走る。口は固くとざしておき、餅の侵入をこばめる体制を整えておく。これが現時点でとれる、ベストなアクションである。


 選択肢を選べば、迷いなくそれを遂行することが肝要である。道路の真ん中に突っ立っている白タイツには、こちらからは目を合わせないようにする。なるべく自然をよそおい、白タイツをさけて通る。


 しかし白タイツは、通り過ぎる私をまじまじとタイツごしにながめてくる。その視線を無視する。白タイツの姿は、視界のすみでこっそり確認するにとどめる。私の視線は、前方にある電信柱にロックオンさせる。「私はあなたを気にしていません何ら違和感を感じていません大丈夫です私の趣味は電信柱を眺めることです大丈夫です」という小芝居である。


 この小芝居を白々しいと思ったあなたは、やはり戦場で敵に撃たれて即死するタイプだ。戦場では、敵意・悪意を見せないアピールを常にすることが、一秒でも長く生き延びるコツなのである(そしてここはすでに戦場である)。


 そうして私は白タイツの熱視線をスルーする。5メートルほど距離を離す。ほっと一息つく。これだけの距離があけば、もう走って逃げても大丈夫だろう。……と思ってさりげなく後ろを振り返ったら、白タイツは全速力で私を追いかけてきていた。


「えっ……ええええええーーー!!!?」


 スピード感あふれる展開に、私は思わず悲鳴をあげる。『あ、やばい、走って逃げよ』と思ったときには時すでにおそし。白タイツに後から抱きつかれ、羽交い締めにされてしまう。それまでは餅の侵入をさまたげるため固く口をとざしていたが、叫んで助けを呼ぼうとした瞬間。口元に熱い何かをねじ込まれる。


「くはぁー!……うごうぐふ!!あっちーーー!!」


 咀嚼するまでもない。この熱さ、この粘り。餅だ。餅である。町内会報に書かれていた通りの展開になってしまった。くそ。判断を間違えたのか。いや、私が判断を間違えるはずがない。きっとどの選択肢を選んでも、このルートにたどり着いたのだろう。サウンドノベルゲームなら、クソゲーである。口の中に広がる餅のあまりの熱さに、私は一瞬タイトル画面に戻りたくなる。が、残念ながらこれは現実である。続けるしかないのである。


 となれば、この状況からも、危機を回避する策を講じるしかない。口の中の餅の熱量を考えると、緊急的に回避策をうたねばならない状況である。こんな緊急度の高い状況では、先ほどのように悠長に選択肢を並べあげ、吟味するのは得策ではない。


 こういうときはもう、直感を信じた力技である。危機管理だなんだ高尚な理論を並べ立てたところで、人間なんて所詮は動物。最後に物を言わせるのは力技である。


 私は白タイツの腕をつかみ、柔道の要領でぐるりと腕をねじあげる。危機管理の一環で、柔道を練習していたかいがあった。白タイツがバランスを崩すやいなや、全力で躊躇なく、飛び込み腕十字を決める。


「いたたた……ごめなさい!ごめなさい!」


 女の声であった。思いのほか、甘ったるいアニメ声である。しかし私は容赦はしない。倒れ込む白タイツに、引き続き腕十字を決め込む。白タイツは私の足にタップをしてくる。しかし私は腕十字をゆるめない。危機管理の観点でそのようにしているわけではない。純粋にむかついているのだ。


「いいえ、タップなど存在しません。これはプロレスではないのです。そう、殺るか殺られるかの真剣勝負」

「やめて腕もげる!ボクの腕もげる!ボクの肩の☆マークとれちゃう!」

「であれば、その両手の餅を捨ててください。そしてタイツを脱いで、顔を見せてください」

「わかったわかった!ボク、お餅も捨てるし、タイツも脱ぐよう!」


 そういって、白タイツはお餅を手放し、降参の意をしめす。私は腕十字をとき、お餅をすばやく拾い上げる。これで彼女の攻撃はゼロになった。白タイツは両手をあげてみせる。私の怒りはようやくおさまり、少しだけ冷静さを取り戻した。


「タイツを脱いでください」

「か、顔だけでいいですか。身体のほうまで脱ぐと、乳首の☆マークまでとれちゃうかもなので勘弁して下さい……」

「もちろん。顔だけで構いません。私は危機管理のプロフェッショナルであると同時に、紳士でもあります。貴女が普段どのような理由で乳首に☆マークつけているのかには少し興味がありますが、紳士なので問いません」


 彼女が観念して白タイツから顔を出すと、黒くて短いくせっ毛がばさりとあらわれる。年のほどは15、6だろうか。高校生くらいに見える。美しい少年のような風貌をしている。


 長いまつげはうなだれるように下をむいており、その向こうに見える眼はとても理知的で素直そうに見える。このような珍事を好んで起こしそうな女の子には見えない。

 

「さて。貴女は、なんでこんなことをしてるんでしょうね」

「ごめんなさい。ボクね。お餅を一緒に食べて欲しかったの」

「申し訳ありませんが話が見えません。詳しくお願いします」

「あなた、ボクのパパに似てるから。それで……」

「私が、パパに?」

「うん。でもボクが5歳の頃に死んじゃったの。でも、パパと最後のお正月に一緒に食べたお餅のことが忘れられなくて……。また一緒に食べたいなあって……寂しくなっちゃったの。それでボク……」

「通行人に無理やり食べさせていたってことですか」

「そう。パパに似た人を探して……」

「なるほど。そういうことでしたか」


 理由を聞いて、私は長いため息をつく。


「ねえ、こんなひどいことしておいて、お願いできる立場じゃないのは分かっているよ?ボクがやっていることは、とても歪んだことだっていうことも分かってるよ?分かってる。分かってるからお願い。ボクとお餅一緒に食べて?」


 そういって、彼女は両眼からぽろぽろと涙を落とす。月の光は彼女の味方であるらしく、涙は月の光を滲ませて、宝石のように見える。私はため息をつき、息を吸い込みながら観念する。


「分かりました。ではこれを」


 私は彼女から奪い取った2つのお餅のうち、一つを彼女に返す。彼女は一瞬だけ驚いたような顔をみせる。涙顔を崩して、ぐにゃっと笑う。心を許した親族にだけみせるような、そんな種類の笑顔だ。


 私がお餅を口にすると、彼女もにこやかにそれを食べる。


「えへへ……パパ、あけましておめでとう。お餅、おいしいね」


 パパ。自分につきつけられた言葉の違和感に、何色ともつかない顔になってしまう。こうして一時的にでも彼女のパパの代わりをすることは、本当に正しいことなのだろうか。それを一時的に自分が担ったところで、この後、彼女はどうやって生きていくのだろうか。

 

「すまないが、私は君のパパではない」

「……そんなの分かってるよ。今だけでもそういうことにしてくれればいいじゃん」

「だめだ。私は君のパパの代わりなんてできないし、君のパパだって、私なんかに代わりになって欲しくはないはずだ」

「でも……じゃあボクはどうすればいいんだよ……!」

「私は誰かの代わりにはなれない」

「そっか……そうだよね……ごめんなさい……」

「しかし、喜んでください。幸運にも、私は危機管理のプロフェッショナルです。私だからこそできることもあるはず。それをやらせて頂きます」

「あなただからできること?」

「餅は残っていますか?ではついてきてください。この先に小さな河原があるのは知っていますか?そこに向かいます」


 彼女は涙をぬぐいながら、こくりとうなずく。

 私は彼女を河原まで案内する。私はそのへんに自生している笹の葉をいくつか摘みとる。彼女に手渡す。


「貴女は笹舟を作れますか?」

「うん。作れるよ」

「よかった。じゃあそれをたくさん、作って下さい」


 彼女はかさかさを手際よく、笹舟を作っていく。

 私は彼女の作った笹舟に、お餅を小さくちぎって乗せる。そして彼女に、それを川に流すようにうながす。


 白いお餅をのせた笹舟は、月の光を浴びながら、幻想的に川を流れていく。途中で岩や木の枝に引っかかりながらも。優しい月の光をあびて、一生懸命に川を流れていく。


 その様子をながていると、彼女は私に問いかけてくる。


「えっと……これはどういうこと?」

「今日は七夕でしたね。貴女と貴女のパパの間には、七夕の川のように、隔つものがあります。しかし七夕の彦星と織り姫のように、川を渡って出会うこともできないのでしょう」

「隔つもの……」

「ですから、この笹の葉に貴女の願いをのせて、川に流してみてはどうでしょう、というご提案です」

「ボクのお願い……」

「はい」

「パパと、あのときみたいに、一緒にお餅を食べたい……」

「では、そうしましょう」


 彼女はうなずいて、涙と鼻水を流しながら、お餅を食べはじめる。


「パパ、おいしいね……。お餅、おいしいね」


 まるで5歳児のように、幼い口調。彼女がどんな表情をしているのかは、曇った眼鏡からはうかがい知れない。


「わたしね。最近、バスケ部でレギュラーになったんだよ。すごいでしょ。パパ、運動神経よかったから、たぶんその遺伝だね」

 

 目を閉じると、笹舟が流れていく。川の向こうの向こうまで。


「ごちそうさま。パパ。パパも元気でね。あのね、ボク、パパに早く会いたいなって、毎日そればっかり考えてるんだよ。だって、パパのことすきだし、あのころは本当に楽しかったから。でも、パパが悲しむ顔はみたくないから、もうちょっとだけ頑張ってみるね。ボク、頑張るから、どうか見守っていてね」


 すべてのお餅を流し終えると、彼女はしばらくの間、わんわん泣きわめいた。右手が一瞬、彼女の頭へと伸びかける。私はそれを心の中でいさめ、その右手でハンカチを差し出す。彼女はハンカチで涙をふく。しばらくして彼女は「ありがとう」と言葉をそえて、笑顔でハンカチを返す。


「あのね。とても楽しい時間だった。懐かしかったし、不思議だね。パパの笑顔をたくさん思い出したよ」

「それはよかったです」

「……ねえ。一つ聞いてもいい?」

「なんでしょう」

「ボクって変かな?歪んでるのかな?」


 曇りの色をみせる彼女に、私は微笑みかける。


「歪んでたっていいではないですか。生きていれば人間、何らかの歪みは生まれるものです。貴女の歪みに文句をつけてくるやつがいれば、そんなのは無視すればいいです。そんな下らない人間に、生きていく上での重要な判断を委ねてしまってはいけません。これは人生における、非常に重要な危機管理の一つです」

「そっか。歪んでてもいいのか」

「私はそう思っています。たまには自分の歪みに花を添えてあげてください。それは貴女が何かを大切にしてきた証ですから」


 それから私と彼女は30分ばかり話をして、星空を眺めて解散した。名前も住んでいるところも、お互い話はしなかった。もう二度と会うこともないのだろう。


 私は家に帰る前に、コンビニで柿の種とビールを買い、自宅のマンションのドアを開ける。鍵をポケットから取り出すときに、しめり気をおびたハンカチが指にふれる。ハンカチを開くと、中からビニールに包まれた数個のラムネが出てきた。彼女の泣き顔と笑い顔が、火花のように頭の中で散る。




 それから一ヶ月が経った。

 新しく届いた町内会報に、既視感にあふれる事案が乗っている。


『7月7日(金)深夜23時頃、全身白タイツ姿の不審者(女性と推測)とスーツを着た不審者が、河原で白い不審物を流す事案が発生。各自、深夜の独り歩きに注意されたし』


 餅を強制的に食べさせる事案の方は発生していないようだった。私は胸をなでおろす。


 この私も、町内会報の事案にのってしまったわけだ。あの七夕の一件があり、不審者として警察や市民にマークされる危険をおかしてしまったわけだ。この事実に対し、


「お前はそれでも危機管理のプロフェッショナルか!」


 そう罵る人がいるかもしれない。


 しかしここまで一緒に危機管理についての話を学んでくれた賢明なる読者諸賢であれば、その認識は誤っていると気づいてくれることと信じている。


 私は危機管理の定石について、最初に以下のように説明した。


【あらゆる対策を検討し】

【もっとも被害の少くなる選択肢を選択する】


 この広い世界のかたすみで、たった一人で女の子が深く悲しみ続けなければならない。そんな重大な危機を、私は無事に回避できたわけだ。それに比べれば、私が不審者扱いされる程度の被害など、ごくごく些細なものである。


 私は危機管理の定石を、プロフェッショナルとして貫き通すことができたわけだ。そのことが自分の中で少しだけ誇らしい。私は心地よい気持ちで、クソくだらない町内会報をゴミ箱に投げ捨てた。

最後までお読み頂き、ありがとうございました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 創作するとき、現実と非現実の比率をよいあんばいにしたいなーと思ってて、そーいう時は佐々雪さんのこういう作風を参考にしてるんですが。 わたしはとても好きです。おもちもすきです。きなこをつけて…
2017/07/09 09:39 退会済み
管理
[良い点] 力技に噴いた。どんな状況にも対応できる危機管理のプロフェッショナルってすごい(勘違い)。 最初シュールなコメディかと思ったら思った以上に良い話に展開して面白かったです。 [気になる点] (…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ