俺はギタリストなんだが、なぜか満腹中枢が変になってるベーシストにメシを奢ったりする#4
この”同時メシ同時消化ミッション”の一ヶ月くらい前のことを話そう。
その数日前に俺の前髪付近に異空間が生まれ(第4話参照ね)、
俺はついにその日、金髪にしようと計画していた。
午前9時頃、市場のバイトからビリーに乗り我が家に帰って来た俺は、
夕方に予約したアオ山にあるいつもの美容室へ出かけるまで、
ちょっと睡眠を取ろうとして横になり目を閉じた。
……その時、電話が掛かってきた。
ブーッブーッ。
「うおっ!……叉市つくるからだ!」
俺は飛び起きた。
「もしもし。叉市?」
「なあ、今まで俺たち色々やってきたがな...」
な、なんだ??いきなり大事な話っぽいのが始まったのか?
俺は続きを待った。
「恐らく、そろそろ色々始まろうとしてるぞ。」
「なんだよ……。それ前も言ってたやつじゃないかよ。
んー。で、何が始まるって?」
「お前さ。分かってるかも知んないけどさ。
俺たちが生きてるこの世界ってのは時間が作ってるわけだよ。」
「時間が作ってるって……いや、物と時間とかそういう事?
空間と時間?良く知らないけど、叉市、前言ってたよね。」
「時間と空間?なんだその対比。俺がそんなセンスない事言うはずないが、
なんにしても時間が世界を作ってるんだ。って事はどういう事だと思う?
って事は言葉が世界を決めてるって事なんだ。」
わからなかった。話が飛躍しすぎている。
ただ、”言葉が世界を決めてる”という響きには直感的な説得力を感じた。
「いやー……はじめっからわかんないし途中も繋がりもわかんないけど、
それはこの際いいよ。そうだったらどうなんのさ。」
「その昔、日本語ってのが作られた時の話だ。
それはある時、形から作られたんだ。そういう言語は日本語しかない。」
なんだ。またいきなりなんの話だ。どこでそんな事知ってくるんだ。
「あの……うん。まあ、
日本語ってのが言語学上すっげえ特殊だってのはよく言われてるみたいだよね。
韓国語と文法は似てるとか言うけど、発音は似てないし。」
「ラテン語とかに古い日本語の要素は少しは入っているんだけど、
日本語以外の言語は動きから作られてる。」
「前に言ってたよね。”形”と”動き”ね。
それは同じものから出来てるとかって、それの話だろ。」
「まあ、そうだ。良く憶えてたな。
なあ、”形”が無いと”動き”は生まれないだろう?
その両方が無いと流れは生まれないだろう?」
抽象的過ぎてイメージとよく結びつかないが、
叉市の声や流れそのものに既になんらかの意味があるのか、
その状態としてのニュアンスはわかった。
叉市が続ける。
「個人認識的な世界ってのはほとんどが画で出来てる。なんでかって言うと、
人間は外界の視覚情報を中心に物事を認識するようになったからなんだ。
画っていうのは元は単なる色彩だが、
時間毎のその色彩を頭ん中で組み合わせる事で、
初めて認識としての世界は生まれる。」
またややこしい事を言ってくる。
「それはなに……えっと、
画が時間毎に組み合わさるって動画とかの事?
映画みたいに画が連続して動いて認識として世界が出来るって事?
ランダムではないのが大切って事?」
「違うよ。その前段階の話、静止画の事だ。例えばリンゴというのは、
人間の頭の中でそれがあの形をしているのは一つの角度からのリンゴの色彩だけではなくて、
いろんな角度からのリンゴの色彩を知っていて、
初めて認識としてのリンゴと立体感が得られるだろ。」
「ああ、そうか。」
言われて見ればそうかもしれない。
騙し絵などがそれを応用している。
「形というのはつまり、
動的主観からの静的対象の多角度色彩集積のコンセンサスであり、
動きというのは静的主観からの動的対象に対する多角度色彩集積のコンセンサスなんだ。」
「っつ、急にややこしい事を言うなぁ…。でも、なんだ。
その場合の対象色彩の集積ってのは動いてる主観だろうが、
停まって見てる主観だろうが同じと言えるんじゃないか?
だって、例えばダンスしている人とその観客が一人ずついたら、
ダンスしてる人が動きながら観客を多角度から見ていて、
観客はダンスしてる人が動くから多角度から見るって事だろう。」
「そう。まさにその通り。」
「じゃあ、”形”と”動き”って言う定義自体があやふや過ぎるじゃないか。」
「そうなんだ。あやふやなんだよ。だけど、それはちゃんといつもある。
だって、ダンサーは観客じゃないし、観客はダンスしないからな。」
「ダンサーは観客じゃない。って、それは踊ろうとする意志の有無か。」
「違う、そんな哲学的なこっちゃない。単なる色彩集積の方法の違いなんだよ。
でも、両方とも同じ集積だ。この事はまさに言語にも当てはまるメタファーなんだ。」
途中までわからなかったが、何かが心でカチッとはまった。
「言葉が世界を決めるってのは色彩情報集積の方法の違い、
つまり言語の違いで世界の認識に差が出るという事……か。」
「おー!アーク冴えてるな!そうマジその通り。
そしてその両方が流れを作る。二つへの分岐点が重要なんだ。」
「分岐点?わかるようなわからんような。
今言ったのだって、なんか口をついて出てきただけで、
あんまり理解してるわけではないんだがな……。
「そんなのは理解とか良いんだよ。俺たちが何をするかが大切なんだ。
でな、こないだの言葉あっただろ。You are so sweet!ってやつ。」
「え。ああ。それが?」
「とりあえずお前、なに、今日金髪にするの?きっとするよな。」
「よくわかったな。もう美容室予約してあるよ。今日の夕方。」
「それしてからその言葉を色んなふうに言うんだ。色んなふうに何度もな。」
「前もなんかそれ言ってたな。まあ、うん。わかった。言うようにするよ。」
「おう。じゃな。頼んだ。」
「うん。」
プツっ。
叉市とは今から一ヶ月前くらいにこんな事を話していた。
言語の違いによる強制的な世界認識に対する差だと……?
"You are so sweet!"というフレーズが、
俺の耳にはそのまま英語として聞こえるのかはわからんが、
「やさしい」と佳棲が言うのがなぜか"You are so sweet!"と聞こえるようになっているようだ。
気がつかなかったが、よく考えるとすごく響きは近い。
そして、それは佳棲がそれっぽく発音しているのではなく、
多分俺の側の気分の違いとか、なんかそんなもんでそこだけがクルっと入れ替わってると思われる。
あの異世界的な無人電車の三両後ろからダグがつぶやいたのは、
英語だったんだろうか……日本語だったんだろうか……。
ただ、俺はあの時なぜか日本語で言ったと判断したのだ。
英語でしか話した事がないダグが言ったのに。
あの変な世界と、今、皆といる普通の世界との関係性、
それとある響きのフレーズに対する解釈の分岐。
そこに何か意味があるって事になるのか。
『分岐点が重要なんだ』
……
恐らく、さっき俺がシブ谷の地下道でしゃがんで休んでいた時、
セージが言った言葉もセージとしては日本語で喋っていたんだろう。
俺はあの時、自分で体験した事もない記憶を持っている事で混乱しきっていた。
日本語と英語の聞き分けの無意識的な分岐ポイントと、
世界線みたいなものとの分岐ポイントにはなんらかの共通点があるって事になるのか?