俺はギタリストなんだが、もしかして前髪の辺りが異空間なのか?#3
終電近くの電車でG徳寺に向かいながら、
今日の労働ですっげえ疲れてるってのにまーた変な難題を押し付けられたかー…。
と考えていた。
ただ不本意だし妙なのだが、叉市と電話で話をすると、
色んなわけがわからん事言われたりしてもっとずっと疲れてしまうかと思いきや、
気がつくと体の疲れは軽減されている事が多いのだった。
それに、通話前に例えば気分が落ち込んでいたりしても、
話し終ると大抵はすっかり回復している。
そして今日もそうだった。
"ボヤけ空間"の事は全く解決していない。
なのに、さっきよりも前向きな気持ちになっている自分の表情が、
Z谷区の夜景と重なって窓に映っていた。
映っている顔の前髪辺りには、
すごくよく見るとやはり"ボヤけ空間"があるようだが、
夜のせいもありほとんど気にならない。
周りの人も別に気にはしていないようだ。
"You are so sweet!"ねえ。金髪ねえ。まあ、そうだな。
金髪にするかどうかなんて、考えてみた事もなかったからなあ。
電車がG徳寺に着く頃、車両の窓に雨粒がバチバチと当たり始めていた。
改札を出るとものすごい土砂降りになっている。
おいおい...。なんなんだよ。
いきなりドーっと降ってきたから同じようにいきなり止むだろうと考え、
五分くらい待っていたが一向に雨足は収まらなかった。
俺と一緒のタイミングで電車から降りてきた人々で、
傘を常備していないらしい15人程も改札前で雨の様子を見ていたが、
それぞれに選択を迫られ始めていた。
近いなら濡れるのを覚悟で帰るか、
近くのコンビニで傘を買うか、それとももう少し待つか。
雨の勢いは当初よりも幾分弱まってきていた。
とは言え、まだまだ強い雨だった。
んー。部屋に帰れば数本の傘があるわけだし、また買うのもなあ。
ソッコーで走って帰ってすぐにシャワー浴びようか。
それでもいいけどなぁ...。
要は、どの選択肢でも良いのだった。
絶対に濡れたくないわけでもないし、
傘を買うのがそんなにイヤなわけでもない。
このままちょっと雨宿りしてボーっとしててもいいけど、
もし30分もここにいて雨が止まないとしたらそれはやっぱりやだ。
ここにいる皆が大体同じように考えているのだろうか。
そういうふうに考えると連帯意識が生まれてもおかしくない気もするが、
みんな素知らぬふうで電話をかけたり、スマホをいじったりしている。
もう人数はだいぶ減って5、6人くらいになっているが、
彼らは雨が止むのを待つという事なのだろう。
となると、俺もそうしようか。
いや、みんなそんな感じなのかもな。
どうしようかなぁ。と考えたり、
周りの行動を見ている間に、
勝手に自分の方向性がそこで決定しているものなのかも知れない。
ここに今いるのはそういう人たちで、
そういうふうに決まった人たちが残っているという事なのかも知れない。
少なくとも自分はそうだと言えた。
そうだ。他の人の事は知らないが、
今、俺はそういうふうに決まってしまおうとしている。
---それはダメだ。なにかわからんが全然ダメだ。
という強い気持ちのようなものが頭の真ん中辺りにフッと湧いた。
ん??
いや、でも、「こうしたい」という心の動きのない状況で、
無理に決断する事が俺にとって合っているのだろうか。
なんだ?これは。
例えばある事柄に対して、
『それについてはどっちでも良い』という自分の態度が、
結果として自分の客観的な評価を決めたとして、
俺はそれについてどっちでもいいと感じるワケだから、
どう評価してくれても判断してくれても良い。
それはどうでも良い数多の事に対するいつもの俺のスタンスだ。
ところが、変だった。
待っていてもいい。
傘買ってもいい。
走って濡れて帰ってもいい。
というこの緩すぎる三竦み的状況下で、
俺は本当に「どれでも良い」と心から言える。
それらのどれでも条件も状態も結果も大筋大差ないと考えて良いし、
心もどれでも受け入れられる。
じゃ、なにも決断しないで、
迷っている状態が決定に移行していくのを受け入れて良いか。
と訊かれると、それに対しては俺の心はものすごい勢いで抵抗していた。
ああ、そうか。
これは強制スクロール型の分かれ道的選択なんだ。
「何もしない」「選ばない」状態がただ保たれていくのではなく、
その態度が意思表示となり、
結果決まった枠に強制的に振り分けられるケースなのだった。
黙っていると、時間が自分を自動的にカテゴライズする分岐点まで連れて行って、
仕分けされてしまう。
決めろ!と言っている。待つなら待つと決めろ。と心は言っていた。
別にどれでも良いが決めないで決まってしまうな。
と言っている。
そうか。わかった。わかったよ。
じゃあ、傘買うわ。傘買って帰るわ。そうする。
そこまで考えた時初めてパッと答が出た。
俺は近くのファミマに走って、さっと入り口すぐにある傘を手に取った。
それと、なんとなくついでにアルコール類でも買おうと思い立ち、
サワー系のショーケースを開けようとした。
その時、扉の取っ手を先に掴んだ手があった。
俺は手を引っ込めた。
扉を開けたツバのある帽子を被った男は、
俺も開けようとしていた事に気がつき、
一瞬顔を見合わせてしまった。
彼はニコッと微笑んだ後、俺の方に先にドリンクを選ぶように勧めてくれた。
ん?あ。この人...。へえ。感じの良い人なんだ。
俺はブドウサワーを選んで軽く会釈をしてレジに向かった。
えーっと、今のは...お笑い芸人のユージ公示の坊主の方の人だな。
傘を差して部屋に帰る途中、気になるのでググってみた。
名前は、マ志子と言うらしかった。
部屋に着いてすぐにカーテンを閉めようとしたら、
雨はさっそく降り止んだようだった。
ふーん。ま、まあ...別にいいけどね...。
玄関には今さっき立てかけた傘が、猛烈にしたたっていた。
それを見て立ったまま、サワーのプルタブを開けて一口飲んだ。
ふぅー......。
惰性的なし崩し的決定と、きっぱりとした決断の間、
そして彗星のように現れたユージ公示...か。
ってか、なんだそれ。
"ボヤけ空間"の事を急に思い出し、鏡を見てみた。
部屋の灯りの下でも、やはりそれはあった。
ただ、それは昼間とは違い、
確かに自分の目にもほんのり金髪に見えるように変わっているようだ。
指を近づけてもボヤけるだけの変化しか起きないが、
髪の毛にその空間が重なると金髪のように見える。
マ志子と言う人、あの人これが見えていたんだろうか。
顔を見合わせた時、彼は見えてしまったに違いない。そんな気がした。
ニコッとしていたけど。
確かにこれを見てニコッとするタイプの人もいるらしい...
と言うのは経験済みだったが、
彼にはどう見えたんだろうな。
…にしても、このまま放っておくと、
髪の部分全部が"ボヤけ空間"になるとか...あるのかな...。
そこまでじゃなくても、この空間が拡がっていったりとか。
しかし、もしそんな事があったとしたら、
かなりワケのわからん状態が頭上に生まれる事になるな。
トナルド・ドランプ氏以上の難解な不思議へアスタイルが...
極東に誕生する事になるだろう...。
惰性的なし崩し的決定と......か。
主題は金髪の件に還ってきていた。
心は決めろと言っている。この場合もそれは同じだ。
ふむ。
俺は金髪そのものにも確かに抵抗があるが、
それ以上に今の髪色をわざわざ変える事自体に億劫さを感じ、
反射的に拒否している部分がある。それは自分でもわかっていた。
”なぜ、変えなきゃならんのか?”と考えていた。
「なぜ」に対する合理的な答えはない。
でも、ここで何かを変えなきゃならないのかも知れない。
そして決めなきゃならない。か。
つまり、そう。叉市の言うのは......なんていうか、こういう事だ。
"ボヤけ空間"はもう、俺に見えてしまっているのだ。
気づかないうちに、新しい状況はもう既に始まってしまっていたのだ。
変えなければならない理由は、論理を超えてまさにもう、
目に見えて現れてしまっていた。
そう、すごく、あまりにもわかりやすく。
合理性など入る隙もない。
そういう類の事だった。
それは、急に降りだしたさっきの強い雨のようなものだ。
新たな状況を俺に示しており、なおかつ誰に文句を言ってもしょうがない。
"ボヤけ空間"は俺たちの歩んできた流れの中で多分、
必然的に生まれてしまった。
流れと言うのは確かに、自分達ではどうしようもない事もある。
変えられない事もある。流されてしまう事もあるだろう。
ただ、それに漫然と流されていくのを俺の心は拒否している。強く。
その流れがあるのを知り、例えばどうしようもないのだとして、
でもそれを自ら受け入れるなら、それはそう決めないとならない。
決めたよ。と意思表示しないと...ならない。
この問題も、実は強制スクロール型分かれ道だったってワケだ。
“決めないで決まってしまうな。”か。ふーむ...。
金髪。
そこまで考えて、なぜかなかなか良いアイデアに思えてきた。
金髪にする......のか....。金髪のギタリストか.....。
俺は以前のライブ写真をPCで見てみた。
もしかすると、わりと俺地味だって事なのか?
どうなんだろうな….。いや、まあ......うん。
やってみるかーーーーーー......。
俺は伸びをして、ブドウサワーを飲み干した。
活動報告に、「俺はギタリストなんだが、最近は割とネットショッピングにはまっている。」という記事を掲載しました。
また、同じく活動報告に、「俺はギタリストなんだが...いや、だからこそ新しいギターが欲しい。」という記事を掲載しました。