俺はギタリストなんだが、もしかして前髪の辺りが異空間なのか?#2
その時、閉店し施錠された入り口のドアを、
泥酔した男がドンドンと勢い良く叩き出した。
はじめは、ひどく酔っ払っているせいでワケもわからずそういう行動に出ているのだし、
放っておけばすぐどこかに行くだろう...と思っていたが、
ひどい剣幕で叩き続け更に何かを叫んでいて、
一向に諦める気配を見せなかった。
みんな仕事が終わり、
やっと一息ついているところなのでかなり迷惑そうにしている。
ドアはかなり頑丈なガラスで出来ているものの、
あんまり無茶をされても困る。
俺はたまたま一番近くにいたのもあり、足取り重くドア前まで歩いて行った。
男は20代後半くらいだろうか。
ネクタイは緩められているが、
バリッとした高価そうなスーツを着ている。
ドアに手を付いていないと真っ直ぐ立っていられないほど酔っていて、
もはや表情どころか人相もはっきりしないが、よく見ると接客した覚えがあった。
今日のディナーの団体客の一人だ。
店を出る時にはここまでは酔っていなかったはずだ。
ドア越しに大きな声で「どうしたんですか?」と訊くと、
男はフラフラしながらも何かを俺に伝えようと、大きく口を開けた。
しかし、そのまま男はなぜか一言も発せず、
俺の"ボヤけ空間"の辺りを凝視して固まった。
驚いているというのだろうか。
ただ見ている。
数秒の時が流れた。
いや、もっとだろうか。
俺はその男に見られながら、
何故かSorrys!の“ONE2People”の歌が頭を巡っていた。
“具現出現実現の元はここにある
人間理念経験がいくら違っても
所詮当然賭けんのは一つだけ
解けん謎にもう全部注いじまえ!
そうなんだ 人生は劇場!
それぞれが客でありHERO!
カストロも然り
それぞれが光
人海戦術でも たった二人きりでも
間違いではない
正解でもない
君の壇上で 試す以外にはない!”
「おーい。どうしたー?だいじょうぶかー?」
俺と男の様子を、店の奥から見ていた他のスタッフが声をかけてきた。
「だいじょうぶー。かなり酔っ払っているみたいだからー。」
とりあえずそう答えておいた。
男はまだ俺の前髪の辺りから目を離さず、口をパクパクさせ始めていた。
なんだ...?怖がっているのか?
いや、なんだろう。驚いているだけなのだろうか。
なんともいえない表情だ...。
俺の頭の中では、未だに“ONE2People”の曲は再生され続けていた。
”MAN(1) TO(2) FREE(3) FALL(4)!
ALL PEOPLE
VIBE(5) SICKS(6)! SAVE(7)! AID(8)!
ALL PEOPLE
ONE(1) TO(2) FREE(3) FOR(4)
SEVEN BILLION!
数が世界を統べるはずはない!
THIS IS ONE YEAH!たった一つだよ!
THIS IS ONE YEAH!それが全てだ!”
...なんだろう。
この人からすると、一体俺の前髪の辺りに何が見えてるんだ?
あまりうるさくしていたものだから警備員がやってきてその男に注意を与え、
穏便に連れて行こうとした。
そこで警備員が言うには、
どうも男は店内に手帳を忘れたと言っているらしかった。
俺たちはすでに店内の掃除を済ませていたので、
そのような物はなかったと警備員に伝え、
その男もそれをよく説明され納得したらしかった。
”ONE TO PEOPLE
ONE TO PEOPLE
ONE TO PEOPLE
ONE TO PEOPLE”
俺の脳内再生は、セージのボコーダーのパートで止んだ。
俺は色々とよくわからない気持ちを抱えながら、
店長やまだ残っているスタッフに挨拶をして店を出た。
さっきの男の表情や行動について少しだけ気になりながら、
ゴッサムバークスビルティング内を歩いていた。
...と、途中のテラスのテーブルの上に
手帳が開いたまま伏せて置かれているのが目に入った。
さっきの男が探していた手帳かもしれないと思い、手に取った。
開かれたままの状態でクセが着いてしまっているが、
どこかが破けていたりしているわけではなかった。
警備員室の前を通るのでついでに渡して帰れば良い。
開かれたページには、紙いっぱいにボールペンで大きく
”You are so sweet!"と書かれている。
警備員に手帳を渡し、AKA坂駅まで歩いていく途中の坂道を登りながら、
俺はなんとなく手帳の言葉を声に出してみた。
「You are so sweet......うーん.....」
その声に被せるかのように、どこかでクラクションが三度鳴った。
その後一拍置いて電話の着信音が鳴った。
俺は驚いてビクンッとなった。
まただ。
そしてどうせ叉市だ。
「おっす。アーク。なんかあったよね?」
「あぁ。色々あったよ。で、これは一体なんなのよ?」
と、俺はちょっと責めるようにカマをかけてみた。
「なんだろうね。ま、あれだよね。
そろそろ色々始まってくるって事だよね。」
「あのさ、まず訊きたいのは俺の前髪のところの変な状態の事なんだよ。
これはどういう仕組みと言うか原因と言うか、どういう事なのよ。直るのか?」
「前髪のところ?髪が何かなってるの?
え。もしかして金髪になったとか?」
俺はかなり驚いた。
「あ......え、叉市!あの、やっぱりあれか、
これ叉市と関係してる事なのか?」
「あ。そうなんだ?へー、どっか金髪になったの?
いやーしかし、そんな事あるかねぇ。
そこまでなるはずもないとは一応思ってたんだけどなー。」
と、愉快そうに言って笑っている。
「叉市、何したんだよ......?」
「何したって言われてもな......
別にそんな大したことはやってないよ。
流れの中でそれがちょっと先に出てきちゃったのかな。
にしても、なるかなぁ?
そこまでボーンと影響が出るってのもおかしい気がするな。」
叉市が何のことを言ってるのかは相変わらず分からんが、
今日の"ボヤけ空間"を巡るあれこれについて説明した。
それを昼ごろにウチで発見し、
自分では鏡でしか確認出来ない事。
セージが見るとその部分は金髪であるらしい事。
ある特定の人々には見えるが
見えない人がいるかも知れない事。
薄暗いとあまり見えないのかもしれない事
(変態っぽい質問をした件はカットした)。
すごく酔っ払うと見えるようになるかも知れず、
ある男性は酔っていない時と違い、
普通じゃない反応をしていた事...などだ。
「なーんだ。別に金髪になったわけじゃないんじゃん。
びっくりさせるなよ。」
つまらなそうに咎めてくる。
しかし、もし前髪のほんの一部が急に金髪みたいになる人が居ても、
まあ珍しいがおかし過ぎない気もする。
だが、"ボヤけ空間"が現出し、なおかつ見る人によって、
その箇所がキラキラシールみたいに異なっているような事は...
かなりおかしいはずだ。
そんな事でいちいち大げさな。
そんな事で...。みたいな態度は心外だったが、
そんな常識的なクレームをまた叉市に言ってもまずスルーされるし、
自分もそれを言うのに飽きていた。
「えーと、言ってなかったけど
アークはそろそろ金髪にしてもらわないとなんないんだよな。」
とちょっと言い忘れていた事を伝えるみたいに言った。
というか実際叉市にとってはそうでしかないのだろう。
しかし、俺にとっては違う!
「きんぱつーっ!?えー?やだよ!なんでだよ!
バイトだってあるし、そんなの急に。
いくらなんでも無理だそれは!無理無理!」
「まあ、でもしないとな。だって、そんなんなってるわけだし。
バイトの件はなんとかなるだろ?レストランと市場だっけ。
大丈夫なはずだよ。そこは心配すんなって!」
何を根拠に言っているかわからんが、
これまたかなりの自信をその懐にたんまり持っている。
なんなんだ本当に。
俺は反論する。
「それに俺...高校の時、
一回文化祭で金髪にして似合わないって言われた事があるんだよ。」
これは本当だった。
それ以来、俺は軽く茶色にするくらいしかカラーリングはしていなかった。
似合わない髪色にわざわざするのは御免だった。
「そうなの?まあ、今は似合う。それは保証しよう。」
また何を根拠に言っているかわからないが、
この男は本気のようだ。
「無理だってば!金髪は無理だよ!いくらなんでも!」
今までも色々あったが、今回はムチャ振りが過ぎる。
俺はハッキリと拒絶した。
「あのな、アーク。お前分かってないのか?
その変な前髪の状態、
何でお前にわざわざ分かるくらい大っぴらに現れてると思ってるんだ?」
叉市は真面目な声のトーンで言う。
「これは叉市が何かしたんだろ。さっき言ってただろ。
ふざけてないで直してくれ早く。いい加減にしてくれ!」
俺は興奮して強く言い返していた。
叉市はゆっくり一呼吸置いてから話しだした。
「もしだ。もし、それを俺がやったとして、
俺は俺の為にそれをやれるはずがないんだよ。
いいか。そういうのはな、
それが目の前に表現される前に色んな段取りを踏んでいるんだ。
俺たちが考えているよりずっと複雑なんだ。
それら全部を俺がお膳立てして、
イタズラ半分にそれだけを起こすなんて事出来るはずはないんだよ。
俺がやるのは、そういう精緻な仕組みをただちょっと助けてるに過ぎないんだ。
お前に時々頼んでやってもらってるような事だって、全部そうだ。
そういう流れの中で、お前は金髪にしなきゃならないんだ。
それは決まっているから、それは今お前の目の前に現れてるんだ。
バイトがどうとか似合わないとか、そういうのはそもそも起きない。
なぜなら金髪の方が先に決まってる事だからだ。
そしてそんな理由で停まってしまったら、
なによりこっちが困るからだ。
だから心配するな。」
叉市が今話し始めてから、俺にはその内容があんまり入ってこなかった。
ぜんぜん良く分からんが、頭の中のヴィジョンとしては、
その昔Sorrys!が自主制作して売っていたCDRのジャケットが順繰り映っていた。
(それはジャケットと言えるかどうかわからないが、まるで町のお肉屋さんが新聞紙に商品を包むみたいにCDRを雑誌の切り抜きに包んでそこに自分達のステッカーを貼っているだけのもので、売った枚数分だけ種類があると言えた。俺が加入する前のものなので俺は制作に関わってないが少しだけ見せてもらった事があった。)
そしてただ、叉市のしゃべっているリズムが声と一緒に流れていた。
そして“決まっている”というフレーズだけがはっきりとクローズアップされて聞き取れ、
結果として心の中に残っていた。
「決まってる...決まっているって。
金髪が決まってるってどういうことだよ。」
なぜか俺の昂っていた感情はもう収まっていた。
叉市は少し黙ってから言った。
「ちょっと話の順序が逆になっちゃったけどな。
お前な、さっき何かを言ったろう。
俺が電話する前に何かを言ったはずだ。
何を言った?」
何かを言った?話の順序?逆?
なんで急に叉市がそんな事を言うのかわからなかったが、
混乱しながらも俺は、
叉市からさっき電話かかってくる直前に口にだした言葉を自然と思い出していた。
そして、手帳に書いてあった言葉をもう一度そのまま言った。
「You are so sweet!」
「は?」
叉市が聞き返してくる。
「何だって?」
「YOU・ARE・SO・SWEET!」
ゆっくりと、一つ一つの単語を聞き取りやすいように発音した。
「なんだよ。それ。」
「その…さっき話した酔っ払い、俺の前髪のボヤけた空間を見て、
あんぐりしてた男の人が落としたっぽい手帳に書いてあったんだよ。
ユー・アー・ソー・スウィート!って。
電話が鳴る前に俺はそれを言ってたんだ。」
俺は分かりやすくカタカナ英語で伝えた。
「お前、英語って前から出来るんだっけ。
それとも何かで最近すごく出来るようになったのか?」
「まあ、前からちょっとは出来たけど…。
ゴッサムバークス(ビルディング)でバイトしだしてから、
かなり色んな意味で上達したとは思うよ。」
叉市は黙った。何かを考えているようだ。俺は少し待った。
「そのYou are so sweet!ってのがヒントなのは確かだ。
なんだ、これはあなたはすごくやさしいですね。
とか親切ですね。って意味になるのか?」
「そうだね。この場合だと、
sweetには優しいとかあとは愛しいみたいな意味があるね。」
俺は答えた。
「『やさしい』か。」
「ちょっと。言っとくが、叉市に対して『すげえ優しいね』とか、
『愛しいよ』って意味で言ったのでは全然ないぞ。」
「んな事わかってるよ。ただ別に俺は優しくなくないわけだから、
完全に誤解かと言うとそれもちょっと変だが、
今お前が言ったのはそういう意味ではないだろう。」
色々言いたい事はあったが、黙っておいた。
「ハイハイハイ。それで?」
「そう。それで、それはつまり『やさしい』という意味なわけだから、
お前は早く金髪にしてくれ。金髪の色の具合については任せるから。」
「は?話の順序だとか何だとか言うから聞いていたけど、
結局何にも話が進んでないじゃないかよ。どういう意味だよ。」
俺は飽きれて言った。
「いや、ものすごく進んだんだ。
今までで一番進んだ。これはやばい。」
「何を言って......」
「あのな。アーク、髪の毛にはアンテナ的な意味があるんだよ。
それだけじゃないけどな。わかるか。
思考やそれに食い込んでくるインスピレーションと直に関係してるんだ。」
「え。まあ、それはある程度そうかも知れないけど。」
それについては俺にも経験的に思い当たる事があった。
髪の毛のカラーリングをしたり、
カットをすると考えがすっきりしたり整理しやすくなる事が確かにあるのだ。
「でも、それが今そんなに重要なのか?」
「そりゃそうだ。こっから俺たちが先に進むには、
お前が金髪にするのが必須になる。そして、似合うから安心しろ。
今すぐここで金髪にすると思えなくっても、
ちょっと時間を置いてうちに帰って、
一回順を追ってその現象についてよく考えてみろよ。
お前が金髪にするってのはそんなに突飛な話じゃないはずだから。
そうしたらそれも治まる。じゃあな。」
叉市は電話を切った......
と思ったら切ってなかった。
珍しい。
「あ、そうだ。あと、
ユー・アー・ソー・スウィートって言うのを英語の発音で、
そして色んなイントネーションで何度も言ってみてくれ。
あと出来るだけ早く金髪にはしてくれ。
そうすればもっと簡単に分かる。
お前がお前で分かってくれなければしょうがないんだ。
これは全部Sorrys!の為でもあるんだ。
じゃあな。頼んだ。」
電話は切れた。