5.そこは貴方の場所
クリスと共に行く何度目かの舞踏会。
今日もしっかり変装し、彼とダンスを踊る。
「アリーシア、今夜……その、私に時間をくれないか?」
珍しく、『遠慮』という雰囲気を醸しながらそう言った彼に、あたしは涙を流す。
「あの我が儘坊主が大人に……!!」
「知ってたか? 俺は君より年上だぞ」
なにはともあれ、一つ大人になったクリスに敬意を表し頷けば、「欲しかった返事だけど……!! 多分、意味が違うッ」と、何故か悔しそうに拳を握っていた。
クリスは舞踏会を早々に辞して、あたしを連れて馬車へと乗り込んだ。
乗っている時間はそう長くはなく、「着いた」と言われるまでほんの十数分。
彼のエスコートで降りると、そこは豪奢なお屋敷の前だった。
「本当はこんな時間に連れて来て良い場所じゃないんだけど……」
でも、アリーシアが怖がる事は何もないから。
そう言ってあたしの手を引き、クリスはファーレンのお屋敷へと誘った。
連れて行かれたのは温かいお屋敷の中ではなく、庭園だった。
マーグス家とは比べ物にならない程広い庭園は、一体何人の庭師を抱えているのかと思う程で、しかもその手入れは細部にまで行き届いている。
ただ、その多くは春を待つ株が多く、花はおろか葉すら付いていない物が多い。
「寒いかい? アリーシア?」
「ええ。少し」
そう聞くなら何故庭へ?
「もう少し、もう少しだから」
クリスはあたしの手を引き、ずんずん先へと進んでゆく。
少し駆けるように進んでゆく彼に戸惑いを覚えつつも、この光景はどこかで見た気がした。
――――そうだ。あの本だ。
少し前にルシルから渡された恋愛小説。
訳あり男装令嬢と、その思いを汲んで一歩踏み出せない貴族男性のじれじれ恋物語。
その中に舞踏会を抜けだし、庭園を散歩する場面があった気がする。
恥じらう様に手を繋ぎ歩く二人。
その庭園には美しい花が咲き誇り、二人を祝福しているようだ。
……と、そこで貴族男性は足を止める。
令嬢と向かい合い、そして―――……
「アリーシア」
不意に声をかけられ、顔を上げる。
金色の髪が柔らかく月明かりを受け、クリスの笑顔を特別な物にする。
思わずぽーっと見つめていたら、彼は嬉しそうに笑みを深め、その手を伸ばす。
誘われる様に手の差す方へと視線を向け、あたしは息を呑んだ。
そこには一面、光の絨毯が広がっていた。
背丈の低い、鈴なりの花達。
光の陰影を完全に無視したその姿は発光しており、夜風に吹かれては、鈴の音を奏でそうなほど、その小さな花を揺らす。
「アリーシア。この花はね、月明かりの元で見た男女の願いが叶うって、言い伝えがあるんだ」
クリスははにかむように笑い、「アリーシア。君は何を願う?」と、尋ねてくる。
その表情は愛しい者を愛でる様なそんな、優しい笑顔で。
だからあたしはその問いに、ウソ偽りなく答えようと言葉を紡ぐ。
「ずっと大好きな本を読んでいられます様にかな」
「ブレないよなアリーシアは」
良い顔のあとは残念な顔と決まっていたクリスの表情が、今日は良い笑顔のままだった。
それはそれでいい事だと思いつつ、あたしは彼の手を引き、近くの大木の下に腰かける。
「アリーシア! ドレスが!」
「大丈夫です。草の絨毯がありますから」
そう言ってもクリスはすぐにあたしを立たせ、自分のジャケットを地面に敷いた。
「急にどうしたんだ?」
「本が、読みたくて」
クリスが願いの叶う花を見せてくれた。
だから、その願いが叶ったのだと、今すぐ見せたかったから。
「まったく……」
そう言いながらクリスはあたしの隣に腰かける。
触れあわない様に少し隙間を開けて腰かけた彼は、腕組みをし空を見上げた。
それを横目で確認し、あたしはコートのポケットに入れていた本を取り出す。そして、彼が取り返してくれた銀の栞を目印に、つっと指を入れ、読みかけのページを開く。
あたしは暫し本の世界に没頭する。
物語は今、感動の再会を迎えたところ――――……
――――くしゅんっ!!
ハッと集中が切れ、隣を見れば、クリスが鼻をこすっていた。
あたしは自分の下敷きになっている彼のジャケットの存在を思い出す。
このままでは、クリスが風邪をひいてしまう。
そう思ったあたしは、クリスの腕を引き自分へと引き寄せる。
「ア、アリーシア!?」
「クリス様、もっとこちらへ」
抱きしめたクリスの腕はとても冷たく、冷え切っていた。
――――こんなに冷えているなら身体も……
あたしは彼にピッタリと身を寄せ、身体をさすった。
幸いまだあたしの身体は温かい。だから、少しでもこの体温を分けてあげればいいと、そう思って。
「ダ、ダメだアリーシア! こんな風に触れてしまったら、俺は……!」
「『俺は』? どうなってしまうのですか?」
素直にその続きを促すと、クリスは顔を真っ赤にして「もっと、もっと……触れたくなる」と、尻すぼみに呟いた。
「いいですよ」
「え? ア、アリーシア……?」
信じられないという様に瞳を揺らすクリスに、あたしはニッコリと笑う。
「クリス様の額は私の本置き場でしょ? だからずっと、傍に居てくれていいんですよ?」
あたし、ずっと本読んでますから!
そう答えたらクリスは口元を押さえ、顔をそむけた。
「クリス様?」
「いや、分かってるんだけど……なんていうか」
クリスは「ああっ」と、両手で頭を抱え一瞬黙ったかと思うと、次の瞬間にはキッと瞳に力を入れ、あたしを見つめた。
「アリーシア。私をずっと……その場所に居させてくれるかい?」
「ええ、もちろん」
そう答えたらクリスは急に覆いかぶさるようにしてあたしを抱きしめた。
「ずっと、ずっと君の全てを大事にするから!」
…………。
何故、そうなった?
あたしは改めて本置き場に志願したクリスへ返事をしただけなのに。
「……その鈍感も含めて、全部大事にするから」
そう言いながらも、クリスは腕の力を緩めることなくあたしを抱きしめる。
本来なら誤解だと突き離した方がいいのかもしれない。
しかしこの抱擁は不快なものではなく。
むしろ心地よいと感じたあたしはクリスの気が済むまで抵抗しない事にした。
◇◆◇◆◇◆◇◆
最近、クリスが読書の邪魔をしなくなった。
出会ったばかりの頃はイタズラ三昧邪魔してきたというのに、今やピタリと大人しい。
じゃあ何をしているのかと言えば、短い冬が終わった今、本を読むあたしの隣で日なたぼっこしているのだ。
読書をするあたしの隣で、日向ぼっこするクリス。
平和過ぎる景色に、あたし達を写生する者まで現れた。
元々本を読んでいる間は動かないあたしと、その横で昼寝をしているクリスは『動かないモデル』として最高なのだろう。だた、数人に囲まれてチラチラカリカリされるのは、あまり気分のいいものじゃない。
「あのさ……もう少し離れてくれると助かるんだけど」
「それじゃあ、美しくアリスンとクリストファーが描けないじゃないか」
「……おい。その絵、誰に頼まれたんだ?」
「あ、クリス。寝てたんじゃないのか?」
「こんなに大勢にじろじろ見られて眠れるかよ!」
「いやあ……美しい蝶達の頼みとあっては断れないじゃない?」
「人の安らぎを邪魔しやがって!! どんだけ俺が苦労して……」
「それよりもみんな。人物に集中するより全体を描く方が、平和な雰囲気出ると思うけど……?」
「「「「お前一人話がズレてる!!」」」」
え?
一体何処が??
理由が分からず首を傾げると、クリスがバッとあたしの前に立ちはだかり、「シッシ」と、皆を追い払うような仕草をした。
「あんなに余裕のあったクリスが……」
「今は独占欲丸出しだな」
「気付いてるなら気を利かせろ!!」
皆が一斉に溜息をつきつつ、「じゃあなアリスン」と、軽く手を上げ去ってゆく。
今までなかった光景に思わず片手を上げて答えれば、「俺が先に見つけていれば……!!」などと、拳を握りしめる男もいた。
さっきから謎が多すぎる。
一体何が起こっているのだろうか?
「アリは気にしなくていい。ずっと俺の傍で本を読んでたらいいんだ」
クリスが浮かべたその笑顔は、いつもアリーシアに向けているものと同じで。
ドキリと心臓が跳ねる。
「……その笑顔は、特別用だろ?」
「んー? そうだから、いいんだよ」
だから何で?
と、問う前にクリスはまた微笑む。
(一目惚れされたのはアリーシアなのに)
だからこの笑顔はあたしに向けられている物じゃないのに。
なのに何故、同じ笑顔をあたしに向けるのだろう?
「……そういう、乙女思考なアリも悪くないな」
乙女思考?
一体どの辺りが??
それよりもクリスの笑顔の方が謎……!
「……まあ、俺の事で頭が一杯になるのは願ったり叶ったりだから、このまま放っておこう」
最早クリスの言葉は耳に入らず。
あたしは天を仰ぎ、カミサマに問いかける。
ああカミサマ。
あたしはどうしたらいいのでしょう?
今世紀最大の困りごとは、どうやら今世紀最大の謎へと変貌を遂げそうです……!!
『帰国子女アリーシアの困りごと』 おしまい NEXT⇒番外編
お読みいただきまして、ありがとうございました!(*^_^*)
一応アリーシア視点は本日でおしまいですが、番外編がありますので引き続き連載表示にさせていただきます<(_ _)>ペコリ
次回は恐らく本編で謎だったセリフが解明される番外編です!
よろしくお願いいたします(*^_^*)
クリストファー視点です☆糖分UPなるか!?