3.本の虫
「おはよう、アリ」
「おはよう、クリス」
いつもの大木の下で。
あたしより先にいたクリスを無視する訳にもいかず、挨拶を交わす。
それと同時に、無言で『邪魔だ』と、訴えつつも、少しだけ開いたスペースにどっかりと腰を降ろし、手に持った本を開く。
「おいおい、いきなり読書か?」
「何か問題が?」
無表情で切り返せば、クリスは苦笑し「今度話を聞くと言ってた話はどうなったんだ?」と、あたしを見つめる。
お前の話は先日聞いただろう――――
そう喉元まで出かかって、慌てて口をつぐむ。
「思い出したか?」
「……ああ。そうだったな」
最悪だ。この間アリーシアとして話を聞いたのは、カウントされないんだった。
あたしはまた読書への道が遠ざかり、げんなりする。
どうせなら、読む本がこの世からなくなってからにしてくれればいいのに。
「……俺は世界中の本を焼き尽くさないと、話すらできないのか」
「? 何を物騒な事を」
突然意味不明な事を言い出したクリスにあたしは首を傾げる。
すると彼は息を呑み、そっぽを向いた。金色の髪から覗く耳が少し赤い。
まさか彼も風邪なのかと思い、声をかければ「そういう柔らかい声で名を呼ばないでくれ」と、何故か叱られた。
「……わかった。でも、風邪を引いた友人にコートとマフラーを返すのは悪い事じゃないよな?」
あたしは着ていたマフラーとコートを脱ぎ、そっとクリスの肩にかける。
防寒具のない状態はとても寒かったが、この間の彼も同じだったのだと思えば、なんとか凌げる気がした。
「元々自分のものだという事を忘れておけば、かなり嬉しい行為だな」
「直前まで温めておいたんだ。感謝してくれよ」
礼はチョコレートムースワンホールで良いと伝えれば、クリスは苦笑いを浮かべ「今度持って行く」と、言った。
よし。
これで今度の甘味は保証された。
「……そういえばアリ、一週間後の舞踏会は誰か約束しているのか?」
「いいや。俺は欠席だ」
行くわけないだろうメンドクサイ。
クリスは「そうか、それは残念」と、言いながらニヤリと笑う。
「折角俺の好い人を紹介出来ると思ったのに」
ぶはあっつつ!!
……失礼。一応レディに片足を突っ込んでいる者として有るまじき失態を。
「ははは。盛大に驚いたなアリ。まあ、そんなわけで俺は近々結婚するぞ?」
「結婚? そんな話は聞いた事ないぞ!」
「ああ。今初めて言ったからな」
「そうい事はちゃんと相手の気持ちを聞いてからじゃないと……」
「当然だ。彼女とは良い雰囲気だし、今度の舞踏会できっちり決める予定だ」
「はあ!? それこそ急だろう!?」
クリスは愉快そうに笑いながら「まずは舞踏会で何曲も踊り、親睦を深めてから、途中で抜けだして……」なんて言い出すので、思わず「シチュエーションまで語らんでいいっ!!」と叫んでしまった。
うっかりその情景を思い浮かべ、赤面するあたしに「どうしてアリがそんなに焦るんだよ?」と、クリスが笑う。
……そうだった。
今のあたしはアリスンで。クリスはアリーシアの話をしているんだった。
「確かに。落ち着いてみればそうだった」
「落ち着かなくてもそうだろ?」
そう言って笑うクリスがなんだか遠くて、ギュっと胸を締め付けられる。
「……クリスはさ、その人の事……」
自分は何を尋ねようとしているのか分からずにそこまで話すと、クリスはその続きを引き取った。
「ああ。一目惚れだったんだ」
蕩ける様な瞳は、記憶の中の女性を見ていて――――あたしは、何故か心が重たくなった。
◇◆◇◆◇◆◇◆
それから二日後。
クリスは屋敷にやってきた。手土産に甘いチョコレートムースを携え、優しい笑みを湛えながら。
「アリーシア、今日も美しいですね」
「クリス様は褒め上手ですね」
体得した「うふふ、おほほ」戦法で、笑顔を貼りつけるあたし。
こんな張り付いた笑顔に一目惚れだなんて、どんだけ節穴なんだこの男は。
内心毒づいている事など知らないクリスは、ニコニコと笑顔を浮かべながら手土産を侍女に渡す。
「アリーシア、突然ですが週末の舞踏会は……」
きた。
アリスンの時に聞いていた話だったので、あたしはにこやかに微笑みつつ、首を振る。
「いいえ。私など誘ってくださる殿方はおりませんので」
「何を言ってるんですか、それは誰も貴女の事を存じ上げないからですよ」
一度にたくさんしゃべるとぼろが出るので、笑って誤魔化す。
「では貴女の隣は私の為に空けておいて下さったと思っても?」
ええそうです。とでも言って、はにかめばいいのだろうか?
しかし、思ってもいない事など口から出るハズもない。
クリスは笑みを浮かべるあたしに「自分が一番に見つけてよかった」と、笑った。
あたしとしてはそれを喜んでいいのかすら分からず、そのまま笑みを浮かべたままだった。
それから舞踏会の日まで、いつもの場所へは行かなかった。
単に専攻している講義がなく登校しなかったからという理由もあるが、あたし自身、クリスからアリーシアの話を聞きたくはなかった。
何故と聞かれれば、分からないけど嫌だったと答えるしかない。
原因さえわかれば俊足騎士の再来と謳われたあたしの健脚で、バッ……ではなく、サックリ切り捨ててやるのに。
そうして望まぬ舞踏会当日。
あたしはいつもの通り変装(舞踏会ヴァージョン)し、迎えに来ると言ったクリスを待っていた。
迎えに来たクリスは相変わらずの王子様のようなオーラを放ちつつ、あたしを会場へと誘う。
宣言通り一曲でダンスは終わらず、そのままニ曲目へと突入し、クリスはにこやかにほほ笑んでいた。
「疲れたら教えてくださいね、アリーシア」
「ええ。お気遣いありがとうございます」
とは言ったものの、ダンスぐらいで、この俊足……(中略)が悲鳴を上げるわけもなく。
なんなく五曲を踊り終えたのだった。
さすがに疲れましたよね。と、いうクリスに微笑みながら(すでに、「うふふ、おほほ」戦法は打ち止めの為、笑って誤魔化せ戦法に変更中)飲み物を取ってくると言った彼を待つ事にした。
一人きりになり、脳内に余裕のできたあたしは、ふとクリスの言っていた事を思い出した。
『まずは舞踏会で何曲も踊り、親睦を深めてから、途中で抜けだして……』
ダンスは踊った。
親睦は深まったかは謎だが、持久力は付いた気がする。
後は途中で会場を抜けだし、そして……?
「しまった……。話を最後まで聞いてやるべきだったか」
あの時はそのシチュエーションが以前読んだ恋愛小説に似ていたせいで、続きを遮ってしまったけれど、クリスが同じ物語を読んでいる可能性は皆無。なので、あんな風に遮らなくても同じように進むはずがなかったのだ。
ふむ。
となると、クリスは何をするつもりなのだろうか?
「アリーシア」
背後から聞こえた声に振り返る。
すると彼は「よかった。居てくれた……」と、表情を綻ばせた。
「いくら帰国子女と言えど、それぐらいの礼儀は存じておりますわ」
つい、笑って誤魔化せ戦法を忘れ、無表情にそう言い放つと、クリスは慌てたように自分の言葉を詫びた。
もちろんあたしは、笑って(中略)戦法でそれを許し、彼がまた話を始めたので、それをも微笑みながら聞いている。
「ねえ、アリーシア。いつも笑って私の話を聞いてくれるのは嬉しいけれど、私は君の話も聞きたいな」
きたコレ。爆弾発言。
あたしの話を聞きたいだって? それはルシルから禁止されている事で、あたしも良しとしない事だ。
あたしはそう話を振られた時のセリフを猛ダッシュで探し出し、「私は異国暮らしが長いので、殿方を楽しませる話題を存じませんの」と、棒読みで答えた。
「話の内容は何でも良いのです。貴女の思った事とか感じた事とか……」
または、周囲の人の話とか……。
そう続けたクリスは少し顔を赤らめていた。
何故ゆえそこで、顔を染めるのか。
その理由はさっぱりだが、周囲の事なら少し話してもいいだろう。
そう思ったあたしは、読書の邪魔をする我が儘坊主の話をした。
アリーシアとアリスンの結びつきを知らないクリスからすれば、この話の主役が自分だとは気付くまい。
「……やっぱり俺は世界中の本を焼き尽くさないといけないのかも」
ポツリ呟かれた物騒な言葉を、宥めてやったのは言うまでもない。
結局クリスはこれ以上何も言わず。
来週の約束を申し出て、あたしを屋敷まで送ってくれた。
お読みいただきましてありがとうございます!(*^_^*)