表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

絶望イグドラシル

作者: 御先詩乃

 何度も殴りつける。ぐちゃぐちゃになるまで。

 怒りと鮮血で真っ赤になった視界の真ん中に獲物を捉え、まるでそういう動作を繰り返す玩具のように殴り続ける。

 終われ。終われ。

 ひたすら何度も殴りつける。



 ぐおおお、と断末魔の咆哮を上げて、黒竜・マスターティアマトは大地に倒れ伏した。ドスン、と荒野の谷に衝撃が走り、晴れた空の向こう側に鳥たちが逃げていく。

「よっしゃあああ、倒した! やったぜ俺! レア武器ゲットじゃねぇ!?」

 巨大なオリハルコン製のハンマーを地面に叩きつけ、ウォリアー――ユーザーネーム”Albion-S”が勝利の雄たけびを上げた。彼の背後に控えていた三人の仲間も構えを解いて、彼に歩み寄って行く。

「よくやったじゃん、アル。凄いよ、さすがリーダー」

「そうですぅ。ウォリアーのバーサクってすっごい火力ですねぇ(≧∇≦)」

 紫のローブに身を包んだウィザードの”Lin”(リン)と、ユニコーンロッドを携えたハイプリーステスの”Elica”(エリカ)が次々と賞賛の言葉を贈った。二人ともアルと同じくレベルカンスト間近、武具は精錬レベルマックスの最高位スーパーレアを装備しているベテランである。リンはクールビューティ、エリカは明るいムードメーカーといったところで、アルが設立した少人数ギルドの創立メンバーであり、頼れるパーティメンバーでもあった。

「……」

 二人の後ろから、とことこと小さなドワーフの少女が歩み寄って来る。褐色の肌にピンク髪のツインテールのそのシーフは、”Karen”(カレン)という名だ。カレンは二人の間に立ち止まると無言でアルに微笑んで見せた。彼女もまた、祝福しているつもりらしい。

「な、何だよお前ら、カレンまでらしくねぇ。いつもは揃って俺のことバカにするくせに」

「ああ、ウォリアーのくせにINTに十ポイントも振っちゃったお馬鹿さん、って?」

「あはは、攻撃型ウォリアーならSTR極振りがセオリーなんですぅ(≧∇≦)」

「そう、それだよ! くっそ、何でポイントリセット導入されてないんだろうなぁ……五千までは払うのに」

「最初マジックナイト目指して、アプデで弱くなったからってウォリアーに浮気なんかするからですよぉ。魔剣士の呪いなんですぅ(≧∇≦)」

「うるせーよ。マジなんてザコじゃねーか。あんな半端モン……」

 憤るアルのズボンの裾を、こっそり彼の足元までやって来たカレンがくいくいと引っ張った。アルが「ん?」と不思議そうに彼女に視線を落とすと、カレンはやはり無言のまま黒竜の死骸を指差す。

「――ああ、そうだな。ドロップの確認して、ついでに素材剥がねーと」

 行くぞ、とアルは三人を引き連れて黒竜に歩み寄る。頭をしこたまハンマーで殴られ、目を大きく見開いたまま絶命している黒竜の顔前に出現した金の宝箱が、オーラを纏って七色に煌めいていた。アルは嬉々とした表情で宝箱を開き、中を物色する。

「おお、さっすが上級ボス! 黒竜鱗の盾に槍だぜおい」

 箱の中から現れた黒く豪奢な盾と槍に、アルが目を輝かせた。しかし、それを見たリンは残念そうに肩を落とす。

「盾も槍も、使ってる奴いないじゃない……」

 一方でエリカは、相変わらずの笑顔で口を開いた。

「フリマで売れば、結構いいお金になると思うですぅ。あとエリカのサブがドラゴンナイトなんですぅ(≧∇≦)」

「お前、サブなんか居たの?」

 初耳だ、とアルが驚くと、エリカは「んー」と少しだけ言い淀んだ。

「先月作ったんですぅ。ぜんぜんレベルは低いんですけどー」

「どこのギルド入ってんの?」

「『世界樹の暁』っていうギルドなんですけどー……」

 エリカの言葉に、今度はリンが驚く。

「超大手じゃない。楽しい?」

「はい、みんなエリカを可愛がってくれるですー(≧∇≦)」

 満面の笑みで答えると、しかしアルは少しだけ苦い顔をして頭を掻いた。

「――そっかぁ。そっちのが賑やかで、エリカには合ってるかもなぁ……」

「えっ、ちょっと嫌ですよアルさん! そんなこと言わないで下さいー。エリカはアルさんのパーティが一番ですよぉ」

 苦笑しつつぼやいたアルに、エリカが慌てた様子で言った。少しだけ泣きそうな顔で、彼女は続ける。

「だって、一人ぼっちで冒険してたエリカを最初に誘ってくれたのはアルさんじゃないですかー……エリカ、それまで誰ともお話したことなくって寂しかったのに、アルさんが一緒に居てくれて本当に嬉しかったんですぅ。だから、私はアルさんのパーティが一番ですよお」

「エリカ……」

 手を下ろしてアルはじっとエリカを見つめた。普段は精悍な顔に寂しさを滲ませるアルに、リンが横から言葉を掛ける。

「アル、私とカレンだって一緒だよ。ソロでクエスト受けてた私たちを、アルは声掛けて拾ってくれたね。私も別アカで無所属プリースト持ってるけど、それでもアルの今のパーティが最高だよ」

 こくり、と傍らのカレンも頷く。アルはリンまでもがサブキャラクターを所持していることに若干驚いたものの、二人の言葉に胸を打たれ、「そっか」と照れ臭そうに笑った。

「アルさんは最高のリーダーなのです。だから、これからもエリカはアルさんについていきますよ!(≧∇≦)」

「ありがとな、エリカ。それに、リンとカレンも。……俺も、お前たちと一緒で嬉しいよ」

 アルが言うと、カレンが無言で彼の足元に抱きついて来た。リンとカレンが、おお、と驚いた表情になる。

「……カレンも、アルのこと、……すき」

 ぎゅう、と腕に力を込めて、カレンが呟く。アルは思わず顔を真っ赤にして、「よ、よせよ」と笑った。

 そんなアルにつられて、リンとカレンもくすくすと笑い出す。それでも尚カレンは離れず、アルは彼女のその小さな温もりに目を細め、そして楽しそうな二人の笑い声に幸福を感じながら青い空を見上げた。



 ガガガ、というハードディスクの異音で目が覚めた。井上良樹はがばりと散らかった机の上に体を起こして、デュアルモニターのパソコンの画面に向き直る。

 画面には、『イグドラシル・サーガ オンライン』という純国産MMORPGの、3Dで描かれたフィールド画面が広がっている。鬱蒼とした森の中で、芳樹のウォリアー”Albion-S”、自称アルはヒットポイントゼロのリスポーン待ちの状態で倒れていた。

 閉じられたままのカーテンの向こうから、散らかった部屋に忌々しい朝日が差し込んでいた。机の上で文具やフィギュア、それに真新しい資格のテキストの山に埋もれている腕時計を見ると、時刻は午前七時前だった。昨日は寝落ちしちまったのか、と良樹はちっとひとつ舌打ちする。”Albion-S”の周囲には、グリズリーという熊型のモンスターが集団ポップしていた。復活薬勿体ねぇな、と思いながら、良樹は通りすがりの回復職が誰か現れてくれないだろうかと考える。

 その通りすがりの回復職は、間も無く現れた。画面外から現れた高レベルのハイプリーステスはウィザードと一緒にパーティを組んでいるらしく、二人でグリズリーの群れをあっという間に片付けて、”Albion-S”の横を通り過ぎていく。

Albion-S『なあちょっと、レイズかけてくんない?』

 オープンチャットに打ちこんで、良樹はプリーストに頼んだ。すると”Erica”という名前のハイプリーステスは立ち止まり、同じくオープンチャットで返事をしてきた。

Erica『うわー、Albion-Sだ初めて見たぁ』

Lin『やめなよエリカ、もう行こうよ』

Erica『知ってるリン? こいつ、晒し掲示板にスレ立ってんの。PvPで暴言吐くマジ痛ぇ奴って』

Albion-S『は? 何言ってんだお前』

Erica『おとといもさぁ、十レベル以上離れた奴に俺TUEEEやってたら、高レベルにボコられて***だの****だの言って落ちてやんの。スクショ晒されてたよ』

Lin『ああ、見たよ。いつものことじゃない』

Albion-S『うるせえ、*すぞネカマ』

Erica『は? ネカマじゃねーし。*ねよ』

 ――Albion-SさんがEricaさんを通報しました。

Erica『おい何やってんだテメェ。マジ*す』

Lin『ちょっとErica、もう放っとこうよ。あんたがBANされても、ウチのギルド全員でボコっといてやるから』

Erica『ふざけんじゃねーよ。この垢いくら掛けてると思ってんだよ。おい金返せよ、おい』

 ――Albion-Sさんがログアウトします。5、4、3、2、――

 また変な奴に絡まれた、と思いながら、良樹は憮然とした表情で『イグドラシル・サーガ オンライン』のタイトル画面を見つめる。あとでサーバー変えるか、と考えたが、既に五つある全てのサーバーに移動済みだということを思い出した。

 どのサーバーにも、ロクな奴が居ない。

 何せ、オンラインで出会う連中は全員、思考レベルが自分よりずっと低いクズばかりなのだ。ギルドだか何だか知らないが大勢で群れを作って、弱者にたかる。いや、自分を弱者だと思ったことは無い。朝から晩まで食事の間すら惜しんでモニターの前に座り、ソロでレベル上げに励んできたお陰で、今やレベルカンスト手前、クエストボスで倒せないのはソロの関門であるマスターティアマトだけだ。親からの少ない小遣いを崩し、課金武具を導入したお陰で無課金の格上にも負けない。

 だが塵も積もれば山となる、ではないが、有象無象の連中が束になって何の罪もない自分に向かって来るのだ。少し格下に構ってやっただけで、少し雑魚だの弱ぇだの言っただけで、奴らは仲間を呼び寄せて増殖する。てめぇらはスライムかと、良樹は憤慨する。スライムよりずっと小物のクソったれだ。

 ガンッ、と机の脚を蹴り良樹は立ち上がった。散らかった机の上から、ドワーフのシーフを模したフィギュアが転がり落ちる。慌てて拾い上げて、ピンク頭を人差し指の先で撫でた。ごめんねーカレンちゃん、と小さく言って机の上に戻した。

 部屋を出る間際、入口の横に掛けた鏡に自分の顔が映った。白髪混じりのボサボサの長髪に、たるんだ目元。無精ひげが大分伸びていたが、剃る気は起きない。いっそ伸ばしちまうか、と考える。

 部屋の扉を開けた瞬間、悪臭が鼻をついた。くせぇ、と顔を顰め、そう言えばそうだったと思い出す。だから扉は極力開けないようにしていたのだった。やむを得ず開けるときは、鼻をつまむようにしていたのだ。

 便所に行こうと思ってやはりやめて、良樹は居間に向かった。

 ――「アレ」が今どうなっているか興味があった。

 狭い居間に出ると、板の間の真ん中に置かれたローテーブルの横に、相変わらず「ソレ」は転がっていた。

 脳天をガラス製の重い灰皿でかち割られた頭の、母親。見開かれたままの眼球が、今にも零れ落ちそうになっている。大分時間が経って、肌が大分黒ずんでいるように見えた。臭い。虫が沸いている。

 どうすっかなぁ「コレ」、と良樹は冷めた頭で考える。最初は山にでも捨てに行こうと考えたが、生憎と運転免許を持っていなかったので諦めていたのだった。じゃあバラして少しずつ埋めるか――と、色々考えを巡らせていくうちに、相応の時間が経過し現在に至る。

 何もかも母親が悪いのだ、と良樹はまた舌打ちする。いい加減働きなさい、もうお金は渡さないわ――そんなことを言うからいけない。結局お前もクズだ、俺のことなんざ何も分からないのだと言って殴って殺した。

 母親が倒れた時落とした財布で、今のところは暮らしていた。しかしその中身も底を付き、死体の処理と同じくらい良樹の頭を悩ませていた。

 しかし、臭ェ――鼻が曲がりそうだと思いながら、良樹はひとつ咳き込んだ。この臭いにだけは、どうしても耐えられない。

 部屋に戻るか、と踵を返した時、ピンポン、と玄関のチャイムが鳴った。インターホンには出ないでじっとしていると、もう一度チャイムが鳴り、ドンドン、と扉が叩かれる。

「ねえ井上さん、居ますか? ちょっと臭いが酷いって、苦情が来てるんですよ。井上さん?」

 アパートの大家の声だった。ドンドン、ドンドン、と扉を叩く音は徐々に激しくなる。

「うるせえよクソババア!」

 居間から廊下の向こうへ怒鳴りつけると、一瞬だけ静かになった。

「……井上さん、居るのね?」

 良樹は、クソ、と頭を掻きむしって地団太を踏む。また扉を叩く音が始まった。ドンドン、ドンドン、と音はまた一層大きくなった。

「――全員、クソくらえ……!」

 吐き捨てるように言って、良樹はローテーブルを蹴った。木製だが重いローテーブルはびくともしない。

 遠くで、ガチャガチャと鍵が開く音がした。




【用語解説】


ウォリアー(職業):脳筋職。魔法は使えない。武器は大剣とか槌とかとにかく大きなものであることが多い。(似て非なるもの⇒パラディン)

ウィザード(職業):お馴染み魔法使い。頭でっかち。防御が紙のためすぐ倒れる。

ハイプリーステス(職業):プリースト系。癒し系の女の子アバターが多いが、中身は野郎であることが多い。

シーフ(職業):ダガ―系武器を使うのがシーフ、弓を使うのがアーチャーと大別されることが多い、素早さ特化職。モノによって大変人気か不人気かに大別される。

マジックナイト(職業):(1)東京タワーで出会った女の子三人組のこと。 (2)半端職の象徴であり、同時にロマンの象徴。

ドラゴンナイト(職業):竜騎士。ジャンプ。

STR極振り(テクニック):他のすべてを顧みず、ボーナスポイントを攻撃力に注ぎ込むこと。男のロマン。

精錬テクニック:武具を鍛えて+1とか+2とか付けて強くすること。シビアなゲームでは失敗すると、レア装備でもゴミのように消失する。

スーパーレア(ランク):ノーマル<レア<スーパーレア。物によってはSSスペシャルスーパーレアとかあって意味が分からない。(類語⇒超激レア!)

ギルド(施設):同志が集まって出来たMMORPG内のコミュニティ。

顔文字:(≧∇≦)

リスポーン(行為):戦闘不能になったとき、人の手を借りて、または自力で起き上がること。カウントゼロで自動で安全地帯に復活する場合もある。

MMORPGゲーム:廃人を多数生み出す魔性のゲーム。大抵はPCにも廃スペックを要求する。

レイズ(呪文):ふっかつのじゅもん。

PvPイベント:(1)ポリビニルピロリドン。 (2)Player VS Player。プレイヤー同士が戦い俺TUEEEをすること。かつて日本では流行らないだろうという見解もあった。

晒し掲示板ウェブ:どのゲームにも大抵用意されている恐ろしい場所。

ネカマ(人物):だからネカマじゃねーつってんだろ。(類語⇒ネナベ)

通報(行為):暴言を吐かれたら右クリック→運営へ通報。もしくはスクショ添付でメール送信。但し対処されないこともある。

BAN(行為):アカウントを凍結(または削除)されること。用例)「やべー何もしてないのに垢BANされた」

垢(略語):アカウント。

****(伏字):**! *****!! **** you!!

ソロ(その他):ぼっち。勿論、自らその道を選ぶ孤高の人もいる。

現実(逃避不可):恐ろしいもの。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ