襲来
エルドラゴ王国の地形は起伏に富んでいる。国土の中で広くなだらかな平野や平原は少ない。従って人々は馬を使って移動する習慣はなく、徒歩で目的地を目指す場合が多い。
アンジェリナとウルフは「プラチナランク」の冒険者なので馬を扱う技術も会得している。ただ、数ヶ月前まで町娘だったクローバーはまだ馬を乗りこなせない。三人は一頭の馬に三日分の食料と水、そして武具を積み、徒歩でバルドル村に向かった。エルドラゴ城から南に街道沿いに半日ほど進めばバルドルの村に到着するであろう。道中は定期的に魔物の掃討も行われ、舗装された石畳の街道を進むだけなので、危険は全くないと言える。戦争が終結した今日、このような事業もギルドや冒険者にとって大切な存在意義となっている。
バルドルは農業の村で、村民のほとんどが農家か木こりとして生計を立てている。先の大戦で名を馳せたリチャード卿が、英雄の力に目覚める前に働いていた酒蔵がバルドルの果樹園と取引している事が判明してから、この村の果物は一躍国の特産品になった。
取引が増えた村は以前よりも豊かになり、果物から醸造される酒類に掛けられる酒税は国庫を潤した。リチャード卿の恩恵は、このような所にも及んでいるのだ。
昼前にバルドルに着いた一行は、村民から話を聞くことにした。三人の中で村民と面識のあるのは唯一アンジェリナだけだ。ウルフもバルドル村を何度か訪問した事があるが、血の気の多いウルフはバルドル村のようなゆったりとした村には長く滞在することはなく、村民との接触は皆無だ。
ただ、大戦での事を公にしていないアンジェリナはウルフとクローバーに宿で休んでいるように告げると単身情報収集に向かった。大きな貸しがある人物がこの村には一名いる。
「あ、ダンナ。お久しぶりです」
ワインの樽を荷車に積んでいる最中だった一羽のラビニーがアンジェリナの姿を見つけ、嬉しそうに二度、三度と飛び上がる。
「やあ、キースさん。景気はいかがですか」
アイリスと話す時と同じように、アンジェリナはしゃがんで目線の高さをキースと呼ばれたラビニーに合わせて挨拶した。キースはリチャード卿の働いていた酒蔵と取引している果樹園の支配人で、アンジェリナも果樹園の仕事を手伝った事もある。
「今年は気候が穏やかでしたからね。秋に収穫する果物の出来が楽しみです。ダンナのギルドにも送らせてもらいやすよ」
キースは長い耳をはためかせて話している。エルドラゴの気候は温暖で作物にとっては好条件である。軍事国家として名を上げた国ではあるが、兵を養う農作物は不可欠なものである。
「ありがとう。それは楽しみです」
アンジェリナは微笑んで礼を述べた。
「で、件のアンノウンについてですが、何か情報はありますか」
表情を変え、アンジェリナは本題に移った。プラチナランクの冒険者が二人揃って物見遊山に来ることなど無いのは誰の眼にも明らかだった。
「へえ、それが少し深刻な事になってやす」
事態を察したキースの声は先程と異なり、全く元気がなくなっている。戦闘要員でない農民には魔物の襲来は命の危険に直結する大問題だ。
「深刻。まさか人死も」
声を低くして、アンジェリナは尋ねた。
「はい。出ました。放牧してた牛が見つからないってんで、昨日の夕方から探しに行った農家の息子が今朝、村の西の丘の上で牛と一緒に……」
キースは肩を落としてそこまでしか答える事ができなかった。普段魔物や死体と接する事が少ない非戦闘員には衝撃が大きかったのだろうことをアンジェリナは思い、気遣いに欠ける己の言動を反省した。
「魔物や家畜だけでなく、人にも危害を加えるか。やはり放ってはおけんな。遺体を見せてもらえるよう取り計らって頂けませんか。キースさん」
俯いているキースの顔を覗き込んでアンジェリナは頼んだ。残酷な事であるのは承知しているが、死体の検分は重要な仕事だ。まだ見ぬ相手の特徴を掴み対策を練る事が出来る。犠牲となった者には申し訳ないが、これ以上の被害を出さないために必要事項であった。
「いや。それが余りにも酷い有様だったんで、すぐに火葬してしまいやした。内臓と脳を喰い荒らされている状態で身体には大きな爪で抉ったような痕がありやした。傷は骨まで届いていたんで相当な怪力かと思いやす。あと、傷口の肉が変色していたんで、毒を持っているかも知れやせん。それぐらいの事しか、あっしには判りやせん。お役に立てずに申し訳ございやせん」
「いや。それだけ判れば充分ですよ。ありがとう。キースさん」
しょぼくれているキースの肩にそっと手を置いて礼を言うと、アンジェリナは立ち上がった。冒険者でないキースがそこまで検分してくれた
事に素直に感謝し、アンジェリナはキースと別れた。
宿に戻ったアンジェリナはキースから得た情報をウルフとクローバーに伝えた。その情報を、ウルフが携帯オベリスクを使ってギルドに転送する。
「どうやら、相手は夜行性のようだな。オベリスクストーンに提供された目撃情報も時間帯はほとんど夜間だ。今から夕方まで休んでそれから農家の息子が見つかった丘に行ってみよう」
転送を終えたウルフが二人に提案する。自分たち以外が書き込んだ情報をどこまで信じて良いかは時と場合による。無記名で行われた情報提供は偽情報である事が多々ある。それを判断するのは部隊の長と任命されたアンジェリナの仕事だ。
「向こうは人間の生活領域に入って来ることは、今のところ無さそうですし、それで良いと思います。但し相手は毒を持っているかも知れないので軽装での出撃は禁じます。必ず甲冑を身に着けて下さい」
リーダーのアンジェリナが確認する。キースや他の住民から得た情報とオベリスクストーンへの書き込みを照らし合わせて慎重に答えを出す。予想と異なっていたらやり直しと言う訳にはいかないのだ。毒を持つかも知れない相手に甲冑を身に着けて挑むのは定石である。
各自が各々の部屋に向かおうとしたその時、村の入り口にある見張り櫓の警鐘が激しく打ち鳴らされた。アンジェリナとウルフが同時に、クローバーが一歩遅れて宿の二階の窓から身を乗り出すと、バルドル村へ数百メートルという所に百体を超すであろう土色をした人形の影が見えた。
「何だありゃ。ゴーレムの子供か」
ウルフが冗談めかして声をあげる。その声には見たことのない魔物と対峙出来るかも知れないと言う高揚が込められている。
「少しずつ村に近づいて来ますね。高台にある教会に住民を避難させましょう。それとギルドに連絡を」
アンジェリナが指示を飛ばす。友好的な相手で無い事は明らかだった。まずは非戦闘員の被害を出さない事。どのような依頼であっても、それが五郎丸のギルドの最優先事項であった。
「おう。連絡のほうは任せろ。嬢ちゃんは装備を整えて村のみんなを避難させてから、櫓に登って俺たちを援護しろ。あの数の敵だ。乱戦になったら武器を振り回せない弓では不利だ。奴らがバルドル村に到達する前に片付けるぞ。アンジェリナ殿」
言うが速いか、ウルフは素早くオベリスクストーンに思念を書き込み甲冑を着込むと、部屋から飛び出していく。
「は、はい。畏まりましたです。お二人ともお気を付けてです」
クローバーは慌てて矢筒を荷物から取り出しながら答えた。
「了解」
アンジェリナは鎧を身に付けカラドボルグを背負うと二階の窓から飛び降りた。甲冑を纏っているとは思えない、重力から解き放たれた様な身ごなしで着地すると、背負っている愛剣を鞘走らせてバルドル村の入り口に向かって走り出した。