神殿
闇の中。自分の名を呼ぶ二種類の声が聞こえる。
一つは、どこか懐かしい、全てを赦すような慈愛に満ちた過去からの声。
もう一つは、聞き覚えのある、仲間たちが自分を必要とする現在の声。
どちらにも返事はしたいのだが、自分は二種類の名で呼ばれている。そして二つの声はお互い遠く離れて居り、どちらか一方にしか返事を返せそうにない。
過去からの声と現在からの声。どちらかしか返事を出来ないとしたら、いずれを選択すれば良いのか。アンジェリナは葛藤した。
闇の奥に光が見える。
出口だろうか。暗かった視界が白い光に包まれていく。
「私は、私は……」
そこまで口に出したところで、アンジェリナの意識は急速に失われていった。
気が付くと、アンジェリナは古い神殿のような建物の前に倒れていた。どの程度の時間気を失っていたかは定かではないが、辺りには雪が降り積もり、景色を白く染め上げ、無慈悲な水蒸気の結晶は容赦なく体温を奪っていく。
「どこだ。ここは」
起き上がって雪を払いながら呟いたが、声を発した瞬間、記憶の断片がアンジェリナの脳裏に去来した。
幼い兄妹。優しい父の笑顔。神殿の奥の祭壇。
「……帰ってきたのか」
無意識に口をついた言葉で我に返り、辺りを見回す。仲間たちもどうやら全員この空間に飛ばされたようだ。五人が各々立ち上がり、無事を確認し合う。
「何とか皆、無事のようだな」
長いローブに付着した雪を無造作に払いながら五郎丸が声をかけた。
「どうやら、この神殿に入れとの誘いだな。どうする。乗ってやるか」
体温を維持するため、懐から酒瓶を取り出して一口煽ってから、リキュールが腕を組んで考える。
「ふん。寒さで臆病風に吹かれたか。考える余地などあるまい。危険を冒さねば、得るものなど何もないわ」
エンプレスは不敵に笑い槍を構える。どうやら突入する気満々のようだ。
「臆病と慎重は全く異なるものだ。それが解らん奴が多いから、冒険者の数は減っていくのさ」
リキュールは両手を上げて呆れたが、どの道他の選択肢は無さそうだった。
「まあ、ここまで来て退く事もあるまい。神でも出てこない限り、このメンバーで倒せぬ物もないだろうよ。相手は術士。切り伏せれば良いだけの事だ」
ウルフが全員を見回す。誰からも異論は出なかった。
「神殿は地下に続いています。大きな広間を二つ抜けた先に祭壇がある筈です。そこに辿り着けば、きっと何か解ります」
仲間のやり取りを黙って見ていたアンジェリナが口を開き皆に告げる。
「アンジェリナ殿。ここに来た事があるのか」
突然の言葉に五郎丸を始め、全員の視線がアンジェリナに向けられる。
「確信がある訳ではありません。ただ、告げるのです。私の記憶が……」
都合の良すぎる己の言葉に疑いを持たれるのではないかと危惧し、視線を下げたまま、アンジェリナは自信なさそうに答える。
「決まりだな。二つの広間を抜けて祭壇を目指すぞ。他には眼をくれるな。その寒さだ。長引いてはこちらの不利だ。短期決戦でカタをつけるぞ」
その場にアンジェリナを疑う者はおらず、長の五郎丸が力強く宣言し、メンバーは無言を返事とした。
「アンジェリナ殿。先頭に立ってもらってよいな」
五郎丸の問いかけに、アンジェリナは黙って頷いた。アンジェリナが神殿への階段を駆け上がると、五人がそれに続いた。ウルフ、エンプレス、クローバー、五郎丸、リキュールの順で武器を構え神殿に突入した。クローバーを除いた五人はいずれも「プラチナランク」の冒険者だ。一万の兵も震え上がるであろう。
神殿の内部は洞窟のようになっていた。薄暗く湿気を含む空気の充満する剥き出しの岩で造られた洞窟は、入り口から幾つもの細い道に分かれており、招かれざる者の侵入を拒んでいたが、アンジェリナは記憶と直感を頼りに、迷うことなく奥へ進んでいく。
何度か目の分かれ道を進むと、大きな空間が現れた。空間の奥には先に進む為の大きな岩の扉が道を塞いでいた。
「一つ目の広間に到着だな。準備は良いか。敵の出方が解らん以上、単独での戦闘は避ける事。必ず二人一組で行動しろ。相手は恐らく魔術士だ。懐に飛び込めば、我らの勝利は堅い」
同行者を見回して五郎丸が全員に確認する。
各々が警戒する中、奥の扉の一番近くに居たウルフが目の前の石造りの扉に触れようとした時、突然地震が起こり、次の瞬間には扉は粉々に砕け散った。それに続き天井が崩れ、岩の固まりが降注ぐ。六人はその場から飛び去り、落下してくる岩の下敷きになるのを免れたが、広間への入り口のは落下してきた岩によって塞がれてしまった。
体勢を立て直したアンジェリナは五郎丸、エンプレス、リキュール、クローバーの姿を視界の中に確認した。
ウルフの姿を探して視線を巡らせていると、岩が落下してきた穴から五人の前に、体長三メートルはある二足歩行する魔物が現れた。エルドラゴに棲息するサイクロプスや、ギガースとは異なる、全身を鎧に包んだアダマだった。武器は持っておらず背中を丸めた姿勢でアンジェリナたちを見据えている。鎧の奥から肉食獣のような低い唸り声が響く。
「ウルフ、無事か」
五郎丸は叫んだが、返事は返ってこない。恐らく落石で塞がれた向こう側に逃れたのだろう。
「こいつを倒して、ウルフを助けにいくぞ」
意識を切り替えて五郎丸が斧を構えると、残りの四人も陣形を整える。アンジェリナとエンプレスが、リキュールと五郎丸が組み、二人一組でアダマに攻撃を仕掛ける。後方からクローバーが援護し、四人の補助をする。広間でのアダマとの戦いが始まった。
ウルフはその時、一人術士と対峙していた。落下してくる岩を避けきれず、左腕を強か打ちつけて、鈍い痛みが走る。折れてはいないだろうが満足に動かせる状態ではなかった。
「くくく。左腕が使えないのか。それでは戦えんだろう。尤も、これから死ぬと言うお主の運命は変わらんのだがな」
ウルフの心を見透かしたように、しわがれた声の術士はほくそ笑む。
「生憎、俺は片手剣遣いなんでな。貴様のような術士を倒すのは右手一本で充分なんだよ」
ウルフは既に愛剣ワルキューレを抜き放っている。お互いの距離は五メートルを超えており、一歩で埋められる距離ではない。だがそれは、一般の冒険者にとっての間合いであり、エルドラゴでプラチナランクを取得している冒険者にとってはその限りではない。
ウルフは姿勢を低くしてワルキューレを構えると突進した。一陣の風のような速さで一気に間合いを詰めると、術士が剣の届く範囲に入る。
鋭く繰り出された突きが、一瞬前まで術士の頭があった空間を切り裂いた。
「かわされた。この距離で」
ウルフは驚愕の声を上げた。あの老人のような声の術士に自分の攻撃がかわされる思っていなかったのだ。瞬時に体勢を立て直そうとしたウルフの左腕に激痛が走る。攻撃の隙をついて、術士の氷の魔法がウルフの左腕を襲ったのだ。
「そのような緩慢な攻撃、居眠りしておっても避けられるわ。少しずつ切り刻んでやろうぞ」
目深に被ったフードの奥から、陰険な言葉と笑い声が漏れる。
「趣味の悪い野郎だ。大人しく斬られているか、一撃で俺を仕留めておけば良かったものを」
ウルフは再び術士に突進した。ワルキューレを横に払い、術士の腹を狙う。術士はこれも身を翻して髪の毛一本の隙間でかわす。ウルフが次の攻撃に入る前に術士が口を開く。
「中段の薙ぎ払いから、下段の切り上げの連撃か」
術士はウルフの攻撃を造作もなくかわすと、切り上げでがら空きになったウルフの脇腹に炎の魔法を放つ。肉が焼ける匂いと爆発音と共に鋭い衝撃が走り、吹き飛ばされたウルフの口から鮮血が飛び散る。
「おっと、すまん。力を入れすぎてしまったようだ。これぐらいで死んでしまっては面白くないからな。我らが神殿に土足で踏み入った代価として、もっと踊ってもらわねば」
術士の嘲笑混じりの声が空間に響く。
「何故、攻撃が読まれる」
ウルフは口を拭って立ち上がる。長い戦いの経験からウルフはたった二回の攻撃で自分の攻撃が相手に読まれている事を悟っていた。
「ふふ。攻撃が読まれていることが解るか。これで貴様が死に行く運命であることが解ったであろう。圧倒的な力の差を感じながら、死の恐怖に震えながら逝くが良い」
術士の声は怪しい熱を帯びていた。人を殺める事に悦びを感じる、歪んだ優越感に犯されている声だ。
「残念ながら、お前のような薄汚い男に恐怖を感じる心は持ち合わせていねぇよ」
ウルフの攻撃は熾烈を極めた。踏み込んで斬りつけ、そのままの勢いで突きを繰り出す。身体を一回転させて遠心力を使って薙ぎ払う。どれも魔物を一撃で仕留めることができる必殺の斬撃は悉く術士の身体を捉える事は出来なかった。
「諦めの悪い男だ」
攻撃をかわした術士は指先に炎を宿し、ウルフの眉間に向けて放った。顔面への攻撃を避けるための防御で、利き腕に直撃を受けたウルフの手からワルキューレが零れ落ち、手首に巻きつけていたオベリスクストーンが衝撃で砕け散った。
両手が使えなくなって蹲るウルフを見て、勝利を確信した術士は止めを刺す為、魔法の詠唱を始めた。術士が胸の前で印を結ぼうとした時、突然ウルフが体当たりをしてきた。詠唱中の虚を突かれて、よろめいた術士の腕をウルフは両足で挟み込み、護身用の短剣を左腕で腰から引き抜く。
「零距離ならかわせないだろ。詰めが甘いんだよ。相手が完全に動かなくなるまで油断は出来ないぜ」
ウルフは不適な笑みを浮かべると、右手で術士の頭を押さえつけ、左腕を振り下ろした。頭蓋を砕く確かな手応えがウルフに勝利を告げたと思われたが、頭に鍔まで深々と刺さった状態で術士はウルフの腕を掴んだ。
「我に仇なす者の血を捧げん。しばしこの世に現れ、その力で愚かなる者の運命を呑み込め」
術士は血まみれの口で詠唱を始めた。
「何っ。こいつまだ生きているのか」
ウルフは必死に逃れようとするが術士の腕は鉄のように硬く、ウルフの両手の自由を奪っている。
「主よ。お側に参ります。開け、暗黒の扉」
闇が溢れ、術士とウルフの周りの空間が歪んでいく。
その時、広間の入り口を塞いでいた岩が魔法で撃破された。土煙の中現れたのは、アンジェリナたちだった。五人の後ろには、アダマだった物の亡骸が転がっている。
「ウルフ」
五郎丸が叫ぶと同時に術士に突進し、アンジェリナとリキュールが一歩遅れて続く。だが三人が到着するより早く術は完成し、闇の中から巨大な鍵爪を持った腕が現れ、ウルフと術士を掴むと消滅した。
五人の目の前で、ウルフは闇の中に連れ去られてしまったのだ。




