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決意

 薄暗い密室には、ローブを着た一人の男の影があった。先程まで三つあった人影は一つだけになっていた。相変わらず陰鬱な雰囲気が部屋を支配している。

「何と言う事だ。我らが同志を失うとは」

 老人のような男の声は、口惜しさに滲んでいた。大事な同士をこのような所で失うとは思ってもいなかった。

「不測の増援があったにせよ、あやつらの力を過小評価していたのかも知れんな。ここは我らが聖域に引き込んだ方が有利だ。祭壇を踏みにじられるのは屈辱であるが、あの女の呪縛が消えれば、その場で盟主を呼び醒ます儀式も執り行えよう」

 姿は見えないが、冷静な男の声が部屋に響く。オベリスクストーンを介して、声のみ転送されているのであろうか。

「多少面倒な事になるかも知れんが、確かに盟主の復活さえ成れば、現世での国家など何の価値もないもの。空間を歪めて、我らが祭壇に招待してやろうぞ」

 老人の声の男の姿は消え、無人の部屋には円卓だけが残された。



 アンジェリナとクローバーはブリギッドのダウンタウンで店主と別れた後、すぐにバルドル村に戻ろうとした。しかし、再び店の奥から出てきた店主に五郎丸から緊急連絡が入った事を伝えられた。

 飛空艇はアンジェリナとクローバーが一日半かけてやってきた道のりを、僅か二十分で飛んできたのだ。

「花ちゃんのメンテナンス、じゃなかった、午睡の時間なんで、お先に失礼するぉ。今後の健闘をお祈りするぉ」

 そう言い残すと、店主は逃げるようにブリギッドに向かって飛び去ってしまった。

 小さくなっていく飛空艇を見ながら五郎丸は口を開いた。

「まさか、あいつが駆けつけてくれるとはな。飛空艇がなければ俺たちは今頃、魚の餌になっていたかも知れん」

 五郎丸はアダマとの戦闘が始まる直前にオベリスクストーンを通して不特定の仲間に救援要請を出したが、一番可能性が低いと思っていた人物の登場に意外そうな顔を見せた。

 救援要請を知ったアンジェリナが「ホムンクルスを創った者は極刑」とブリギッドの条例を店主に聞こえるように呟いた事を五郎丸は知らない。

 かくして六人は再び合流し、無事を確かめ合った。


「アグディクティス姫。宮廷魔術師は三人と言っていたが、その三人ともこのエルドラゴに来ているのだろうか」

 船を降りて海岸で一息ついた所で、五郎丸が訊ねる。祈祷魔法と言い、先程の術士が詠唱していた魔法と言い、エルドラゴの冒険者では解らない事が多い。情報は些細なことでも必要であった。

「彼らは三身一体の分身のような存在。恐らく残り二人もこの地に来ていると思って間違いないと思いますわ」

 アグディクティスは確信を持って答えた。根拠のない断定に五郎丸は曖昧に頷いたが、口に出しては何も言わなかった。

「あと二回もこんな大変な目に遭わないといかんのか。これは難儀な事だな」

 リキュールが天を仰いで、大袈裟に溜息と一緒に愚痴をこぼす。予想しない戦闘はプラチナランクの冒険者と言っても生死に関わる事は、先のアダマたちとの戦闘でも証明済みだ。エルドラゴの冒険者が大陸一の強さを誇るのは、その情報収集能力の高さと、戦術の柔軟性にある。人間単体では太刀打ち出来ない魔物に対して、冒険者は抵抗する武器と戦術を備える。突発的な戦闘は、単に力が強いものが生き残ると言う結果に至る場合が多い。

「酒癖の悪い元エリート軍人さんには、流石に厳しいかも知れんの」

 その姿を見て、すかさずエンプレスが皮肉を放つ。

「さっき息を切らして半べそをかいている奴が居たからな。そいつを気遣ってのことさ」

 二人が憎まれ口を叩き合っていると、バルドル村のキースが血相を変えて一行の所に走りよってきた。

「ダンナ、大変です。バルドルの村がなくなっちまいました」

 その場にいたギルドメンバー全員が息を呑んだ。



 急ぎバルドルに戻ってきた一行の眼に入った光景は常軌を逸脱していた。キースの言う通りバルドルの村があった空間が歪み、瘴気を放つ暗い闇が広がっていた。奥から冷たい空気を運んでくる歪んだ空間は、その範囲を少しずつ広げているように見える。


「あっしがワインの搬送から戻ってくると、こんな事になってやした」

 キースは事態が飲み込めておらず、困惑している。村がまるごと消滅したと言う事態はそこにいる誰も経験した事がないものであった。

「これはもう、ギルドの依頼の範囲を超えているぞ」

 全てを飲み込むような闇を眼にして、リキュールが呻いて、闇から溢れる邪気を感じ一歩退いた。

「なんじゃ、酒を呑んでおらんとやけに弱気なのじゃな。面白そうではないか」

 エンプレスが不敵な笑みを浮かべて、先程の仕返しと言わんばかりに毒を吐く。

「正規軍を待ってはおれんぞ。議会の承認を取り付けて、軍を編成している間にエルドラゴ城が闇に呑み込まれてしまう」

 ウルフが唇を噛みしめながら言う。闇の範囲は明らかに大きくなっているようで、時間的余裕があるとは確かに言えない状態であった。


「……カラドボルグが喚んでいる」

 それまで広がっていく闇を見つめて黙っていたアンジェリナは一歩踏み出すと、自らその中に飛び込もうとする。

「アンジェリナ殿。危険だ」

 咄嗟に五郎丸がアンジェリナの腕を掴んで止める。

「二十年前、天使祭の夜に教会の入り口で拾われ「アンジェリナ」と名付けられた私が本当は何処から来たのか、私は自分の眼で確かめたいのです。今回の件はきっと偶然ではない。今行かなければ私はきっと後悔する。止めても、私は行きます」

 アンジェリナの意思は堅く、五郎丸の腕を振り解こうとする。自分を肉親と繋ぐかも知れない、たったひとつの手がかり、幼い時から肌身離さず身につけていた愛剣カラドボルグの柄をアンジェリナは硬く握り締め、瞳を閉じた。

「いや。行くなとは言ってないぜ。危険だから俺も一緒に行こうと言おうとしたのさ」

 五郎丸は掴んだ腕の力を抜いて、笑ってみせた。

「わたしは一度師匠に命を救われています。そのご恩を返す為、わたしもついて行きます」

 クローバーは敬礼してアンジェリナを見つめた。

「こんな面白そうな事、俺が見逃すわけないだろ」

 ウルフが楽しそうに眼を輝かせる。

「この件は良い酒の肴になりそうだな。俺も是非ご一緒したい」

 リキュールが持っていた酒瓶に口を付けながら言う。

「皆を置いてわらわのみ帰る訳無いじゃろ。パーティーは一蓮托生じゃ」

 エンプレスが槍を構えて胸を張った。


 仲間の言葉にアンジェリナは足を止めて振り返った。誰もアンジェリナのために戦うとは口に出していない。だが、彼らの自分を想ってくれる気持ちはアンジェリナの心に確かに伝わった。帰れる保障の無い戦いに身を投じてくれる仲間が自分の目の前には居る。

「皆さん。……ありがとう」

 アンジェリナは物好きな冒険者たちに微笑むと礼儀正しくお辞儀した。

「アグディクティス姫とエルクワールはここで待機していて下さい。きっと残り二人の術士もこの中に居ます。決着を付けてくるので、少しの間我々の帰りを待っていて下さい」

 アンジェリナはそう言うと、広がっていく闇の中に飛び込んだ。

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