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6th.DIVE 戦う日々

「そっち行ったぞ!」

「うおぉ、逃がすか!」


 俺が叫び、慎也が応え、純白の騎士が白銀の長剣を構えて走る。

 真正面から向かい合う慎也と円環のついた敵エインはあっという間に距離を詰め、敵エインは跳躍。バーニアスラスタを吹かして慎也が振った長剣をかわし純白のエインの肩を足掛かりに再度跳んだ。


「ああくそっ、また逃げられた!」

「落ち込んでる暇はない! 走れ!」


 俺たちは素早く逃げ回る標的エインを仕留めるのに四苦八苦していた。

 地下かトンネルのような、細長く薄暗い空間を駆け抜ける。足音が何重にも反響する。トンネルだとするとちょっと広すぎるかもしれない。

 このステージときたら、閉ざされた空間のくせにエインの脚力で飛び跳ねても余程うかつでない限り天井に頭をぶつけたりしないほど広いのだ。

 俺は慎也を置き去りにして全力で駆ける。挟み撃ちにしようという作戦なのだが、どうも上手く行かない。

 と、前方にやたらめったらに飛び回る円環を発見する。


「見つけた。今度こそ!」


 俺は地面を蹴った。敵エインは俺に気付くなり身をひるがえし、すれ違ってやり過ごそうとする。

 俺は新たにワイヤーが付いたクナイを横の壁に打ち込み、跳躍する。ワイヤーは右の小手からクナイの刺さった壁に向かって伸びている。

 敵エインが迫ってきた。俺は左手で大刀を構える。


「これで倒せたら、いいねっ?」


 言いつつ、薙ぐ。敵は当然短刀でそれを防いだ。ぶつかった刀同士が火花を散らすが相手は頓着せず走り抜ける。

 俺は今や背後を走る敵とは反対方向に跳躍した。ロックしたワイヤーに引っ張られて四分の一円を描くように壁に着地する。

 跳躍中に身をひねって振り返っていた俺は即座に壁を蹴り、反対の壁へ跳躍。すぐに蹴るが、パイプのように湾曲した壁は何度も飛び跳ねられない。三角跳びに地面に下りて敵エインの背中を追う。


「うおぉぉ! 食らえ!」


 慎也が袈裟に剣を振ろうと振りかぶるのが見えた。敵エインはかわそうとサイドステップを踏む。

 慎也は振りかぶった長剣を振らずに腰だめに下ろし、横薙ぎに振るった。フェイントか、やるな。

 敵はかわし切れず短刀でそれを弾く。

 俺は右腕を突き出し、クナイを射出した。しかし敵エインには当たらず、暗やみの先で壁に突き刺さる音がする。

 俺のクナイを打ち出した動作とほぼ同時に、慎也も動いていた。彼は補助武器の拳銃を抜き、敵エインに連射する。跳躍を警戒して射線が頭部に集中してるのはさすがというべきか。

 半歩ずつ後退りながら短刀で弾丸を弾く敵エインだが、ふと足を取られて背中から転んだ! 慎也が素早く拳銃を放り出して長剣を構え、串刺しにする。

 その迅速な対応に俺は称賛を送った。


「いい反応してるな、慎也」


 純白のエインがこちらを振り向いた瞬間、意識が反転する。





 カバーがゆっくりと開き視界に光が戻っていく。闇に慣れた目にこの配慮は地味にありがたい。

 俺はスロットからデータカードを抜き取り、座席から下りて隣の機体を見た。

 慎也が苦笑して座席から立っていた。俺を見て軽く手を挙げる。


「ふぅ、言う前にアウトしちまった。笹田もやるじゃないか。ワイヤーで敵の足を掛けるなんて」


 寄ってきた慎也に俺はヴァルハラ窓口を示しながら笑って言った。


「ふ、ワイヤー武器の活用法その二『掛ける』を実行したまでさ」

「うっわ出たー。つかお前ヴァルハラガイドブック持ってたんだ?」


 慎也が意外そうな顔で聞いてくるが、聞き慣れない単語だったので俺は素で聞き返した。


「ヴァルハラガイドブック? なんだそりゃ、そんなモンが出回ってるのか?」

「あれ? 知らないのか? まあ笹田らしいっちゃらしいか……。ならなんで活用法知ってるんだよ」


 伊織に教えてもらったから、と言おうとして、伊織に『人前で名前を呼ぶな』と言われていたのを思い出す。よく分からないが、きっとなにか人に名前を知られたくない事情でもあるのだろう。

 不自然な間を訝しんだ慎也に、わざとらしい咳払いをして追求するなと暗に告げてから言い直す。


「知り合いのヴァルハラーに教えてもらったから」

「うわー……。ヴァルハラーって、お前……センスねぇよ」

「うるせぇよ」


 慎也はこちらの意図を悟って話をすり替えた……が、腹立つ。窓口のスロットにデータカードを差し込み、イヤホンを手に取る。

 液晶画面にロゴが映り、画面が切り替わる。イヤホンを耳に引っ掛けた。


『ヴァルハラ窓口へようこそ。こちらではエインヘルヤルの設定変更、武器作成、データ閲覧ができます』


 お決まりのセリフとともにワルキューレが画面に現われた。ワルキューレ馬鹿の慎也が一撃で興奮する。


「ワルキューレちゃん、こんにちは!」

『こんにちは、慎也さん』


 慎也のテンションに引くこともせずニッコリ笑顔で対応する。彼女は会社の受付嬢に打ってつけの人材だと思う。

 俺のほうを向いて嫌味のない笑顔で尋ねてきた。


『春樹さん、新しくワイヤーがついたクナイの使い心地は如何ですか?』

「ああ、悪くない」


 実感を込めて言うと、ワルキューレは柔らかく微笑んだ。

 慎也ともどもベターステイタスに武器を調整してもらう。処理を終えたワルキューレが俺たちに言う。


『慎也さん。プレイ回数が重なってきたので、ステイタスが安定してきました。毎回来ていただかなくても影響はありませんよ』


 戦闘データのアベレージが出れば変えるところもなくなってくる、ということだろう。慎也はもっともらしく頷いて即答した。


「俺が来たいから大丈夫。春樹は違うのか?」

「俺は補助武器を改良したばかりだからな」

『そういうことです』


 なんかこの三人での掛け合いが板についてきた気がする。……ワルキューレが俺たちに慣れるなんてことはないのだが。

 ふと思い出して、俺はワルキューレに尋ねてみた。


「そういえば、さっきのプレイの評価って、できるのか?」

『承りました。しばらくお待ちください』


 ワルキューレは恭しく一礼し、処理中の文字に消える。

 ワルキューレが居なくなって寂しそうな慎也が俺に訊ねてきた。


「プレイ評価って何だ?」

「それはガイドブックに載ってないんだな。これもさっき言ったヴァルハラーに教えてもらったんだ」


 話してからふと考える。プレイ評価のこと話しちゃったけど、いいよな。口止めされてないし。

 慎也は首を傾げ、ふーんと頷いた。

 俺は自分のことを棚に上げて慎也に口止めする。


「これのことはあんまり広げないほうがよかったかも。黙っといてくんね?」

「おう、よー分からんが分かった」


 ワルキューレが画面の端に現われた。空いたスペースに表が現われる。


『お待たせしました』

「ううん、今来たとこ」


 慎也の軽口に笑みをくれるとワルキューレは報告を始めた。


『3レベルミッション、標的エイン一体の破壊。お二人のミッションランクはCでした。撃墜数は慎也さんが一体。遂行割合は慎也さんが46%、春樹さんが54%です』


 報告を聞いてもいまいちピンと来ない。慎也はそれほどでもないようだが。

 俺はできるかどうか考えもせずワルキューレに頼んだ。


「なんか、解説みたいなことできないか?」

『では、分析と私見を。スクリーンに出ていた映像を出しましょう』


 一も二もなく頷いて、ワルキューレが話し始める。

 表が消え、代わりに映像が流れる。どうやら先程のリプレイのようだ。純白のエインが画面に現われる。

 敵エインが現われ、慎也が遮二無二剣を振るが全てかわされた。


『まず、慎也さんですが動きに無駄が多いです。貴方のエインならばここまで大振りでなくても十分なダメージを与えられるでしょう』


 画面が変わり、慎也が剣を振るがかわされ、肩を踏まれて逃げられたシーンが映る。


『斬撃を放つ際は慎重に。やみくもに斬り掛かっては相手に翻弄されてしまいます。細かな隙の少ない攻撃を加え、相手の隙を突くのが基本戦法です。ですが、ナイトスタイルは汎用型なので必ずしもこの限りではありません』

「は、はい。精進します」


 慎也が畏まって頷いた。

 なんだか伊織みたいなことを言う。ヴァルハラに詳しくなるとあんなふうになるのだろうか。

 映像が切り替わり、今度は俺の漆黒のエインが画面に現われる。こうやって端から見ると、仮面をつけているかのようにのっぺりとした顔に紅い相貌が輝いている姿は少し怖い。


『春樹さんはワイヤーを使いこなしてるとは言えませんが、積極的に使う姿勢はいいと思います。慣れてくればまた有効に使えるようになるでしょう。身のこなしも慣れてきたようで、以前に比べ行動時の隙が減っています』


 ワルキューレが称賛してくる。褒められて悪い気はしない。……慎也が恨めしそうな目を向けてくるのを無視すればだが。


『以上で分析と私見を終わります。お二人の上達を陰ながら応援しています』

「おう、ありがとうワルキューレちゃん! おいこら笹田、もう一度やるぞ。負けねぇからな!」


 躍起になって慎也が喚く。ワルキューレがクスクスと笑いながらデータカードを返却した。


『どちらも頑張ってくださいね』


 しかし慎也はせっかちにも既にイヤホンを外していて、その声援を受けることができなかった。

 それに気付いたワルキューレは口元を押さえて苦笑する。

 俺はデータカードを受け取り、彼女に詫びた。


「ありがとう。悪いな、騒がしくて」

『いえ。またのご利用をお待ちしています』


 ワルキューレがお辞儀する。俺は目礼を返すとイヤホンを外してラックに掛けた。

 そして意気揚々とヴァルハラにコインを投入する慎也を見て苦笑し、彼の後に続いた。

 データカードをスロットに入れ座席に身を預け、肘掛けのカバー閉鎖スイッチを押す。ゆっくりとカバーが下りてきて、視界が闇に包まれた。





 俺は住宅街のような場所に立っていた。しかもアメリカ風だ。道路と並木があり、柵もない家々が遥か向こうまで続いている。

 あからさまな住宅の配置からして、このステージは一本道ということだろう。

 気付けば傍らに純白の騎士が立っていた。

 向こうも今気付いたらしい、大仰に驚いた慎也は即座に犯人を告発する探偵のように指を差してくる。


「おう? おいこら真っ黒影男! 今回ばかりはお前には負けないからな!」

「……ま、せいぜいお互いに健闘しようぜ」


 いつもおちゃらけているようで斜に構えてる慎也が熱血など似合わない。俺は彼に比例して冷めていた。

 手元に厚みのないウインドウが現われる。ミッション内容が流れるが、やはり標的の破壊だった。


「おーし、行くぞ。『よーいどん』で行くぞ。よーいどん!」

「ノリおかしいよ慎也……」


 純白のエインは勢い良く、漆黒のエインは一拍遅れて住宅街風ストレートストリートを駆け出した。

 すぐに左右からワラワラと敵エインが現われる。その全てに標的の円環がついていた。


「うわ」


 そのあまりの数に思わずうめいた俺の横で慎也は拳銃を取り出し早々に掃射を始める。

 そうしながら、いまさらなことを言ってきた。


「あー、撃墜数で勝ったほうの勝ちな」


 文句を言う気も失せ、しかし慎也の異様な張り切り振りに触発された俺は、大刀を抜き敵陣のなかに飛び込んだ。

 一閃、二閃、三閃。七体を早々に切り捨てたが、如何せん敵が多すぎた。

 対処しきれない敵の数に囲まれ、たまらず俺は慎也のそばまで退避する。


「はは、愚かな。蛮勇を奮ったか。戦うってのは突っ込むことだけを言うんじゃないぜ」


 言うなり長剣を抜いた慎也は敵陣の前に立ち、近寄ってくるものを片端から斬っていった。

 だが、彼も仲間の体を押し退けるように後から後から沸いて出る敵の数に攻めあぐねたようだ。後退して剣を構え直す。


「数が多過ぎだぜ」


 先程の強気はどうしたのか、慎也は弱音を吐く。

 だが俺は彼の戦いを見ていて気付いたことがある。人のふり見て我がふり直せとはよく言ったものだ。

 大刀を腰に納めた俺はクナイを射出し、ワイヤーを引いて手元に引き寄せた。切り落としたワイヤーが小手の隙間からこぼれ落ち、つかんだクナイの柄から垂れ下がる。


「小回りの利く武器で急所一撃。数相手にはこれがよさそうだ」


 俺は敵陣の正面に踊り込み、敵エインの首筋を切り裂き肘を切り上げ脇下をえぐる。いずれも太い動脈がある、人体の急所だ。

 エインに血など流れていないが、変なところがリアルに作ってあるヴァルハラの事だ。対人戦法は有効に違いない。

 予想通り、敵エインは容易く倒れていった。軽い武器なので力が要るが、それ以上の身軽さと手の速さが得られる。

 クナイを使うのは正解だったようだ。数ばかりの敵を倒すのは容易い。

 相手の顔面にワイヤーを切っておいたクナイを打ち込み、左手で引き抜く。これで二刀流。

 逆手に持ったクナイの切っ先が密集する敵を次々と屠っていく。


「あー、ズリィ! 笹田だけ便利なの使いやがって」


 左に剣を提げ敵を拳で殴っている慎也がなにか叫んでいる。


「悪いが負け犬の遠吠えは聞き取れないんだ」


 言い返し、相手の亡骸の山を踏み越えた。跳躍し、亡骸が多すぎるために近寄れなかった敵の群れへ再び斬り込む。

 緩慢な動作の敵など木偶(でく)同然。相手の攻撃など恐るに足らず。

 俺はいい気分になって相手を切り払い続けた。


「チクショー、負けたくねー!」


 負け犬がなにか吠えている。銃声がするからにはきっと拳から拳銃に代えたようだ。

 相当な狼藉を続け、アメリカ風住宅街ストレートストリートが死屍累々といったありさまになったころ、減ってきた敵を倒そうと俺たちは剣や刀を振るっていた。敵が少なくなった時点で俺はクナイを投擲して、大刀に乗り換えている。

 俺が敵エイン一体を一刀のもとに切り捨てたとき、フと目の端によぎった人影に顔を向ける。エインかと思ったのだ。

 しかし俺は、驚愕に目を剥く羽目になった。


「……な、な!?」

「莫迦か笹田! 避けろ!」


 慎也の怒号が聞こえ、俺は振り返ろうとしたが、後頭部に強烈な衝撃を受け、つんのめって倒れてしまった。

 庭の芝生のうえを転がるように振り返れば、敵エインが立っていた。俺はクナイを射出し、相手の胸、心臓の部位を貫く。ワイヤーを切る余裕もなかったため、相手の胸からワイヤーが伸びている。

 俺はその程度の些末事など放り出して、慌てて先程の人影を探した。だが、どこにも見当たらなかった。

 まるで煙のように跡形もなく消えたかのようだ。


「莫迦、なにやってんだよ。……どうかしたのか?」


 呆然とする俺に近づく敵エインを薙ぎ払いつつ慎也が尋ねてきた。俺は自失したまま慎也に答える。


「今、そこにワルキューレが居た」


 慎也はしばし間を空けてから呆れたように俺の頭を叩く。


「莫迦かお前。いくらワルキューレちゃんが可愛いからって幻覚見てんじゃねえよ。ゲーム中にワルキューレちゃんが出るわけないだろ?」


 慎也の頭頂部への平手が利いたのか、我に返った俺は全面否定に少しムッとして言い返す。


「何でそう言い切れるんだよ」

「決まってるだろ。そう『作られてるから』だ。考えてもみろ。もしワルキューレちゃんがゲーム中に出るとしたら、俺が探さないわけないだろ?」


 確かに、彼の言葉に嘘はない。ワルキューレ馬鹿の慎也だ、ミッションなど完全無視してワルキューレに会うためだけにヴァルハラで東奔西走するだろう。

 では、俺が見た人影はなんだったのか……?

 俺がそう問うと、慎也は事もなげに言った。


「決まってるだろ。ワルキューレに焦がれすぎるがゆえの、お前の白昼夢だ」


 言うまでもないことだが、そんなはずはない。

 ヴァルハラというゲーム自体、人工的な白昼夢のようなものだ。白昼夢のなかで白昼夢を見るだろうか。そもそも慎也じゃあるまいし、夢に見るほどワルキューレに焦がれていない。

 しかし、断言できる。俺が見た人影は、鎧と羽根のついた兜で身を固めた美しい容貌のあの人物は、間違いなくワルキューレその人であった。

 俺は胸を占める嫌な予感に、ぶるりと肩を震わせた。





 あれから残敵を処理し、念のため窓口で撃墜数を確認したところ100体中68体を倒した俺が勝利し、慎也はその場に崩折れた。

 その際に俺はワルキューレに尋ねる。


「ワルキューレ。さっきのプレイ中、ステージ内に居なかったか?」


 彼女は不思議そうな表情を浮かべ、しかし間を置かずに首を振った。


『いえ。ヴァルハラは大まかに言って、ゲーム部分のプログラムと接客用の私というプログラムの二つに分かれています。そして、それがお互いに干渉することはありません。私という存在がゲーム中に出ることはありません』


 ワルキューレはそう言い切った。言い回しはまるで違うが慎也と同じことを言ったことになる。

 俺は頷き、礼を告げた。


「……そうか。なら、いいんだ。ありがとう」

『いえ。ありがとうございました、またのご利用をお待ちしています』


 ワルキューレはそう言って微笑み、スロットからデータカードを吐き出す。俺はそれを受け取って一礼すると、轟沈し続けている慎也を蹴って起こした。

 イヤホンをラックに引っ掛けるついでに彼のデータカードを取り、押しつけるように手渡す。


「うう、無念だ。なにかの間違いだぁ……」


 ぶつぶつ言いながら慎也はヴァルハラに向かう。俺も行くべきかと思ったが、今は一人で修業させたほうがやつの精神的にいいだろう、と判断する。なにかに打ち込むことがあいつなりの立ち直り方だからな。

 俺は外の空気を吸おうとその場を離れた。

 五段ほどの階段を上って仮想現実ゲームブースを後にし、体感ゲームやら何やらいろんな筐体が方々に、しかしある種の秩序を持って雑然と置かれているスペースも通り抜ける。

 非常口の表示が弱々しく光る出入口を出て、脇にあった喫煙スペースに誰も居ないことを確認するとそこのベンチに座った。すぐ横の古いタバコの自販機が低くうなっている。

 駐車場を見ながらタバコ吸ったって面白くもないだろうに、と思ったが、だから今誰も居ないのだと気付いた頃誰か客が来た。制服を着た少女だ。

 自身もその一員でありながら、現代の若者がゲーセンに入り浸る事実に胸を痛めてみる。


「なにやってるの?」


 来客の少女が声を掛けてきた。驚いて彼女の顔を見てみれば、伊織だ。

 彼女は怪訝そうに俺を見ている。喫煙スペースに座っているからタバコを吸うとでも思ったのだろうか。


「外の空気を吸うついでにアンニュイに黄昏てみただけだよ。伊織はヴァルハラやりにきたのか?」

「うん。君も?」


 伊織は俺の座るベンチの横まで寄ってきた。彼女が座るスペースは十分にあるが、喫煙スペースに腰掛けることに抵抗があるのか座ろうとしない。

 あるいはヴァルハラやりたいから長話するつもりはないという意思表示か。


「俺の場合は毎日来てるからな。その質問は無用というものだ」

「毎日? ……お金は?」

「今までの人生で貯めてたやつを使ってる」


 答えつつ、最近の預金残高がちょっと盗られたのかと思うほどのスピードで減っていることを思い出す。多少は自重するべきか。

 伊織がふと手を出してきた。彼女の手を見て、顔を見上げる。


「データカード見せて」


 言われ、俺はポケットからカードを取り出し、手渡した。

 彼女はそれに書かれた情報を見て、呆れたような困ったような感じに眉を下げる。


「やりすぎ」


 一刀両断。


「ダイブ回数が私に追いついてるし。君には経済感覚というものがないの?」


 データカードを受け取りつつ俺は苦笑を浮かべた。


「残念ながら持ち合わせていないな」

「成金趣味」


 冗談だと思ったのだろう、伊織はクスリと笑って皮肉を放った。

 俺は大袈裟に傷ついたふりをする。だが彼女はそれを涼しげにスルーして、俺をゲーセンに促した。俺は素直にそれに従う。

 仮想現実ゲームブースに戻ってみれば、ヴァルハラ筐体はどちらも使用中だった。俺はそれを見て少し考えたのちに伊織に言う。


「俺はなにか飲み物でも飲んで一服してくる。伊織はなにか要るか?」


 一服という言葉に先ほど俺が喫煙スペースに座っていたから喫煙を連想したらしい、眉をしかめた。だがゲームセンターは全館禁煙なうえ、一休みという意味で使ったことにすぐ気付き、俺に顔を向ける。


「別に要らない。しばらく掛かるみたいだからのんびりすれば?」

「そうするよ」


 俺は笑ってその場を後にした。このブースの近くにはごみ箱もないので、「のんびりすれば?」という言葉はゴミを向こうで処理してこいという意味だ。

 俺はゲーセンのすみにある自販機前で財布を覗くが、運の悪いことに五百円玉が一枚と数十円しかなかった。五百円はヴァルハラに使うので崩すことはできない。

 俺は虚しい気分できびすを返した。

 そもそも、仮想現実ゲームが五百円もの高額なのが悪いんだ、と思う。確かに性能や面白さ、サービスの充実にさらには必要器材の経費等々の観点から見ればその金額は妥当な気はしないでもないが。

 ……俺はどうやら愚痴も口にできないタチらしい。憤るつもりが納得してしまった。

 奇妙な物寂しさを抱えて仮想現実ゲームブースまで戻ってみれば、伊織が窓口でなにか話していた。

 声を掛けようとして、ふと躊躇う。ワルキューレとイヤホンを使って密談する伊織の横顔がどこか楽しそうだったからだ。彼女のあんな表情は、見たことがない。

 そのせいで伊織の声が耳に入ってしまい、なおさら話し掛けるのが困難になってしまう。


「笹田くん、わたし以上にヴァルハラにのめり込んでる。……ふふ、毎日来てくれるから嬉しい?」


 俺の噂話のようだ。居たたまれなくなった俺は、立ち去ることも出来ず、立ち尽くす。

 知らぬが仏、この場を離れるか何食わぬ顔で出るか。その二つが最良であることは間違いないのに。

 伊織の声が耳に滑り込んでくる。


「笹田くんが? ワルキューレをヴァルハラで見たって? ……否定してないからってそれはないでしょ、慎也くんじゃあるまいし」


 何の話をしているのだろうか。どうでもいいが最後の一節、どこかで聞いたようなセリフだな。

 呆れたような彼女の声が打って変わって真剣なものになる。


「見たっていうなら、重大な問題。あらゆる面から走査して出来るだけ早くその原因を見つけないと」


 俺は居たたまれなさが限界に達し、捨て鉢な気分で伊織へと一歩近づいた。

 その一歩の間に彼女が重々しい声で呟いた一言が、俺のなかに重く残った。


「……バグ持ちなんて言わせない、絶対に」



 伊織が俺に気付いた。こちらを振り返り、イヤホンを付けたまま口を開く。イヤホンは片耳だけなので会話に支障はない。


「早かったね、どうしたの?」

「いや、小銭がなくてな」


 なんでもないふうを取り繕い、俺は言った。

 幸いにも伊織はあまり気にならなかったようで、イヤホンを外しラックに掛ける。スロットから出てくるデータカードを取った。

 その時ちょうどヴァルハラ筐体のカバーがゆっくりと開く。片方は慎也だったが、もう片方は知らない女性だった。

 俺は気にも留めなかったのだが、傍らの伊織はそうではなかった。


「大沢広巳……? 何でこんなさびれた町に」


 呆然としたなかにわずかな緊迫がこもったその声に、俺は思わず尋ねていた。


「誰? 芸能人?」


 伊織は俺を見上げ、しばしの後に呆れ切った表情を浮かべる。先程の緊迫などどこ吹く風、莫迦を諭す教師のような調子で言った。


「全然違う。そもそもゲーセンに居るような芸能人いる?」

「いるんじゃないか、同じ人間なんだし」


 それに伊織がフルネームで呼ぶから近しい人ではないだろうと思い、その結論に達したのだ。馬鹿にされるいわれはない……と思う。

 実際大沢広巳なる女性は背が高くスラリとした綺麗な姿勢で、顔つきはシャープな美人だった。モデルか何かと勘違いしてもおかしいことではない。

 彼女は俺たちに気を払うこともなく、颯爽とこのブースを後にした。

 伊織がその背中をちらりと見送ったのを俺は見逃さなかった。


「……なにやってんだおまえら?」


 ヴァルハラから出てきた慎也が怪訝そうに眉をひそめ、俺たちを見てそういった。

 伊織が何も言わないので俺が彼に対応する。


「別に何も。立っているだけだ」

「はーあ? 意味分かんねーな……。まあいいや。笹田、俺これからバイトだから帰るわ。じゃな」

「ああ、じゃあな。頑張って稼いでこい」


 慎也は軽く手を挙げて、去っていった。伊織の目礼に対する応答だったのだろう。

 その伊織は俺をヴァルハラに促した。


「じゃあ、早くやろう」

「ああ、分かった。ご指導頼むよ、伊織センセイ」


 思い出した軽口を言い、俺たちはコインを投入してヴァルハラ筐体にその身を預けた。


 な、長かった……。

 前回の反動にしたって跳ね返りすぎでした。

 ともかく、慎也と伊織と笹田とで、生活が着々とヴァルハラに染まっております。染まりすぎですが。

 次回、ストーリーの転換期なので長大になります。

 また長いのか……(汗

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