EX-DIVE 4th. 人工知能は赤頭巾の夢を見るか
この作品はフィクションです。実在する人物・地域・団体・出来事・キャラクターなどとは一切合財関係ありません。いやマジで。
遠い遠いところ、でもとっても近くにあるところ、そんな世界のお話です。
そこに暮らすみんなは平和に今日を過ごしています。
麗らかな日差しが降り注ぐ穏やかな森のそばにある、不思議なことがありふれているすてきな村。
その村の片隅に可愛らしい女の子がいました。お母さんのお手伝いもしますし、お父さんもよく労います。銃身に剣を取り付けた長銃で鳥や猪も狩ってきます。とても優しくお利口な女の子です。
ただ、そんな彼女には、ひとつだけ困ったちゃんな点がありました。
彼女はお気に入りの、血を浴びたかのような毒々しいほど鮮やかに赤色を輝かせるきれいな頭巾をかぶって離そうとしないのです。
可愛らしい容姿ととてもお利口なおつむを持つ彼女はその特徴からこう呼ばれていました。
――鮮血の狩人、と。
「赤頭巾はドコ行ったの?」
赤頭巾ちゃんである伊織が窓の外を油断なくにらみあげながら呟きました。彼女は、赤と黒のゴスロリ衣裳を着ています。赤と黒なのにゴスロリ? という気はしますが、まあそんなひらひらした服をしています。
長銃を肩から掛けて、炎のように鮮烈な紅蓮の頭巾をスッポリとかぶる伊織ちゃんですが、その姿に怯えている母親がビクビクと首をすくめながら声をかけました。
「あ、あの、伊織。お婆ちゃんのお見舞いに行ってくれないかしら……」
伊織ちゃんが顔を向けるとお母さんは小動物のような悲鳴を上げて大げさに後退りします。
伊織ちゃんはちょっと傷ついたような顔をしました。
「……なんでそんなに逃げるの?」
当たり前です。親にすら頭の半分を見せず、あまつさえ長銃を持っている人間に好意的な印象を持てる人は滅多にいません。
しかしその事実に気付かない伊織ちゃんはベッドのしたに隠してあった、歪んだ形をした投げナイフを腰に巻き付けて装備を固めました。
殺されると確信したお母さんの鼻先に伊織ちゃんは手のひらを突き出します。思わず固く目を瞑ったお母さんに伊織ちゃんの声がかけられました。
「お見舞いに行ってくるから、お見舞いの品」
果物の詰め合せを受け取った伊織ちゃんは、体よく家から追い払われたということにも気付かずお婆ちゃんのお見舞いに向かいました。
お母さんの名誉のために特記しておきますが、別に伊織ちゃんを愛していないわけではないのです。むしろ、いつも手伝いをしてくれる伊織ちゃんを誰よりも愛していると断言できます、自慢の娘です。しかし、黙々と長銃を肩から下げたままで、頭巾を深々と被り続けて自分に顔すらもろくに見せてくれない娘にプレッシャーを感じてしまうのです。心労のあまりたまに羽を伸ばしたくもなります。伊織ちゃんのお母さんはいい人なんです。
閑話休題、お婆ちゃんのお見舞いに向かった伊織ちゃんは陽光に鮮血色の頭巾を映えさせて村道を歩いていきます。
伊織ちゃん一家はなんでもない村の片隅に住んでいましたが、お婆ちゃんは森の奥に家を建てて暮らしていました。かなりひねくれています。
さて、伊織ちゃんはお婆ちゃんの家に向かうために鬱蒼とした森に分け入ります。持ってきた投げナイフで邪魔な枝葉を切り払い、藪こぎをしながら進んでいきます。
そうして森のなかを突き進んでいると、ガサガサ! と、茂みが激しく揺れます。
「誰!?」
反射的に肩の長銃を構えた伊織ちゃんは、そのまま条件反射で撃鉄を上げて安全装置を外し引き金を引いていました。
銃声が森の木々に反射して伸び、消えていきます。
伊織ちゃんが銃を放った茂みから慎也熊が現われました。黒毛で背の大きな彼は血を吐いて倒れます。
「カハ……ッ! 俺の出番、これだけかよ……?!」
ドンマイです。
障害そのいちを排除した伊織ちゃんは熊のキモを採取しようか迷いましたが、結局そのままにして進むことにしました。
さて、森のなかを突き進む伊織ちゃんのもとに、新たな影が現われます。
「やぁイオ。あたしは陽子だよ〜」
ひょひょひょ、と怪しげな笑いを漏らしながら現われたのは、萩原狼でした。
油断なく銃を腰だめに構える伊織ちゃんは、じりじりと間合いを計りながら萩原狼の挙動をうかがいます。
「奇遇だねぇ、私は美味しい子牛を取りに行くところだけれど、イオは何しにきているの?」
萩原狼は大げさな身振りを交えながら芝居がかった声色で伊織ちゃんに尋ねました。銃を向けられているのに歯牙にもかけない彼女は、たいした玉です。
「……熊狩り」
伊織ちゃんは嘘を吐きました。
「お婆ちゃんのお見舞いに行くなら、そこの獣道を曲がるといい花が摘めるよ」
萩原狼は無視して第六感を働かせました。
しかし萩原狼はそれ以上妙な真似をする事無く、気のいい人柄を感じさせる仕草で手を振って立ち去っていきました。
伊織ちゃんが来たほうへ向かって鼻歌を歌いながら歩いていく萩原狼の姿を見送った伊織ちゃんでしたが、やがてじりじりと先へ進んでいきます。
伊織ちゃんは村のご近所さん、相場さんのお宅が子牛を飼っているということにとうとう気付きませんでした。
――……と、
「誰!?」
伊織ちゃんの鋭敏な感覚が茂みの揺らぎを捉えました。即座に発砲しますが、茂みが激しく揺れて何者かは駆け去っていきます。
伊織ちゃんは茂みを飛び越えて何者かの影を探し、かすかな茂みの揺らぎから居場所を予測して素早く三点立ちになり、肩に付けるように構えた銃を三発ほど連射しました。
……突然の激しい応酬の余韻が、木々に響いていく銃声とともに薄れていきます。
手応えがないと悟った伊織ちゃんは険しい表情で銃に弾を装填します。その姿はまさに鮮血の狩人そのもの。
ところが、それっきりその何者かの気配は感じられません。逃がしてしまったようでした。
伊織ちゃんは長銃を肩に掛けると、投げナイフを両手に構えて藪こぎを続けながら道無き道を突き進みます。
さて、そのようにして森を往く伊織ちゃんでしたが、あるとき獣道に差し掛かりました。ここを曲がると萩原狼の言っていたお花畑に行けるのでしょう。
「……わざわざ回り道して行かなくていいや。花には興味ないし」
伊織ちゃんは可愛げがありませんでした。
しかしお見舞いに行くのに、果物の詰め合せだけを渡すというのはなんだかバランスが悪いと思った伊織ちゃんは、興味はないけれどお婆ちゃんのためだからとお花畑に向かうことにしました。
果たして、道を進むと木々の開けた先にお花畑が広がっています。萩原狼は意外にも少女趣味でロマンチストだったようです。
ですが、伊織ちゃんはあまりにも少女として落第だったので黙々と作業に取り掛かりました。ブチブチと一片の躊躇いもなく茎から手折って花を摘み取っていきます。
さまざまな種類のお花を採取した伊織ちゃんは、果物の詰め合せが入った籠がお花でいっぱいになったので、そろそろお婆ちゃんのお家へ向かうことにします。
その花の中にはなぜか森の中で生えていた菊の花が混じっていることに、伊織ちゃんはとうとう気づきませんでした。
さて、お花畑を後にした伊織ちゃんですが、歩き始めていくらもしないうちに新たな影が伊織ちゃんの前に立ちはだかりました。
笹田狼です。
「……俺のテリトリーに入らないでくれないか」
木陰に潜みながら笹田狼は渋い感じの声を出して警告しました。
伊織ちゃんは銃に手を伸ばしつつ笹田狼をうかがいます。
「ここを通らないとお婆ちゃんの家へ行けない。通してくれない?」
お互いの視線が交錯します。瞳の中に映る真意を探りあい、お互いの得物を姿勢も崩さないまま探り、それをお互いに知って警戒心と好奇心が膨れ上がりました。
すなわち――相手は『出来る』やつだ、と。
すなわち――自分と相手、どちらが上か。知りたい、感じたい、試したい……と。
笹田狼は立ち上がって大刀を取り出しました。ニヤリ、と口の端を釣り上げます。
「俺を倒せたら、許すとしようか」
伊織ちゃんはフリルのスカートをひるがえし、両足を肩幅に開いて両手に長銃を構えます。
「……行くわ」
「どんとこい」
両者は同時に地面を蹴りました。
笹田狼は超人的な脚力で飛び上がり、木の幹を足場に蹴っては蹴って縦横無尽に飛び回ります。対する伊織ちゃんは、銃とナイフが卓越しているといえども、あくまで少女に過ぎません。圧倒的な身体能力の差がありました。
幹を蹴った笹田狼が伊織ちゃんに向かって大刀を振りかぶって袈裟に切り下ろします。伊織ちゃんは瞬時の判断で横っ飛びに身を投げ、身を転がせるように斬撃をかわしました。転がった勢いのまま片膝をついた立ち姿勢になった伊織ちゃんは長銃を構えて発砲します。
ですが、笹田狼は脚の爪を木に食い込ませて慣性を利用し、身体をきりもみ回転させながら墜落させます。その軌道に弾道が絡むことはかなわず、弾は木の幹を砕いて消えました。
伊織ちゃんは舌打ちを漏らします。膝をついた姿勢のまま銃口を走らせて笹田狼を狙いますが、笹田狼は地面を蹴って跳躍し、腕を伸ばして木を叩くと身体がコマのように回り、向けた足が幹を捕らえて姿勢を整え、跳躍し、また飛び回ります。アクロバティックで恐ろしい運動センスです。野性の力はスゴい。
そのように飛び回っていた笹田狼は、やはり地上の獣でした。地面に足を着けた途端、木々を盾にしつつジグザグな走法で伊織ちゃんとの間合いを猛烈な勢いで詰めてきます。伊織ちゃんは後退りしながら腰のナイフを取ると、放り投げました。
駆け寄ってきた笹田狼は袈裟斬りに大刀を振るってナイフを叩き落とし、返す刀で伊織ちゃんの首を刎ねようと走ります。
伊織ちゃんはしゃがんで斬撃をかわしました。頭巾のてっぺんをかすめるようなギリギリの回避です。赤頭巾が無ければ髪が斬られていたかもしれません、危ないところでした。
刀身の輝きが斬撃の軌道を描いているのが目に焼き付いており、頭が眩むような思いでしたが、伊織ちゃんは銃口を笹田狼に向けて構え、引き金を引いていました。死の恐怖に視界か眩むほどでしたから、ほとんど経験と才能の為せる業です。
笹田狼の首筋を危うくかすめた弾丸でしたが、皮一枚切ると彼方へと消えてしまいます。笹田狼は驚いて大きく仰け反りました。
伊織ちゃんはその隙を逃さず、銃口を再び笹田狼に向けます。笹田狼はあわてて身体を伊織ちゃんから離さなければなりませんでした。伊織ちゃんも発砲せず、間合いを取るにとどめます。
「やるな」
「きみもね」
二人は微笑をかわしました。
伊織ちゃんは態勢を整えて銃口を笹田狼に向けます。笹田狼も地面を蹴って走りだしました。同時に銃口から逃れます。
笹田狼は地の利を生かして戦いますが、伊織ちゃんも慣れない地形ながらも地の利を生かした動きに切り換えます。しかし、どうしても森に慣れた笹田狼にアドバンテージがありました。
伊織ちゃんは鋭い目つきで笹田狼の動きを捉えます。狩人の目です。
笹田狼も伊織ちゃんの挙動をにらむように観察し、油断はありません。
笹田狼は一瞬の間を狙い、地を這うような低い姿勢で伊織ちゃんへ駆けます。
伊織ちゃんは、しかし退避せずに笹田狼へと駆け出しました。笹田狼は間合いが狭まる早さが目測より早いので感覚がかすかに狂います。その一瞬の隙を突いて伊織ちゃんは銃を撃ちます。
笹田狼の肩をかすめただけですが、笹田狼の混乱を助長するのには十分な一撃でした。
伊織ちゃんは間合いを詰めて、跳躍します。笹田狼を踏み付けてさらに跳びました。笹田狼を飛び越えてひらりくるりとスカートを閃かせながら身体を翻します。
笹田狼は混乱したなかで伊織ちゃんの動きを見て、踏み付けられつつも大刀を振り上げ振り回し身体をひねって縦に円を描きます。その斬撃は背後にある伊織ちゃんを、まるで全て見ていたかのように狙います。
スカートが裂けましたが伊織ちゃんは銃口を笹田狼に突き付けていました。しかし、笹田狼の大刀は返されており、伊織ちゃんの細い顎に添えられていました。
時が止まったように、風が凪ぎます。
睨み合う二人は微動だにせず、思い出したように吹き抜けた風が木々を、そして伊織ちゃんの髪を泳がせました。
笹田狼が裂けたような口を開き、肉食動物の牙を覗かせます。
「やるな」
伊織ちゃんは口の端を持ち上げて、お花畑を見るよりもはるかに華やいだ声で応えました。
「きみもね」
二人は、微笑をかわしました。
さて、激闘を介して漢の友情を育んだ伊織ちゃんは、笹田狼と一緒にお婆ちゃんのお家へお見舞いに行くことにしました。なんだか超展開のような気もしますが、昨日の敵は今日の友、気が合うことがわかって笹田狼と意気投合した伊織ちゃんは、お婆ちゃんに新しい友達を紹介するのもいいと思ったのです。
あの死闘のさなかでも花弁の一つも落とさなかった伊織ちゃんは籠を提げて森を往きます。
その最中に、伊織ちゃんの隣をのしのしと歩く笹田狼が尋ねました。
「お婆さんは病気か何かなのか?」
お見舞いというからには体調が悪かったり怪我をしていたりするのですから、笹田狼が尋ねるのも当然です。病気によっては笹田狼はあまりお婆ちゃんの近くによるべきではないのでしょう。
伊織ちゃんは笹田狼を見上げ、ふと森の空を見回し、そしてそのまま道の先を見ました。
「……おい」
声をかけられた伊織ちゃんは笹田狼を見返します。
笹田狼は若干汗をかいてきましたが、狼なので目立ちませんでした。
「まさか、知らないってことはないよな? 伊織の祖母なんだろ?」
「……も、もちろん、知らないわけないでしょ」
伊織ちゃんは大きくうなずいて答えます。笹田狼を見ずに答えました。
「目が泳いでるぞ。……まさか、マジか。おいおい、親戚だろう?」
勘違いされてしまったと伊織ちゃんは思いましたが、うまく否定の言葉が思いつかなかったので黙り込んだまま道の先をむすりと見やりました。
ふと森のさなかに突然人工物が見えました。瓦葺きの風流な日本家屋です。
「あれがお婆ちゃんの家かな」
伊織ちゃんは言いました。「かな」が語尾についた時点で語るに落ちると言うものですが、伊織ちゃんはとうとう気付きませんでした。
さて、お婆ちゃんの家に辿り着いた伊織ちゃんは玄関を見回しました。
「どうした? 入らないのか?」
「インターフォンがない」
笹田狼は呆れました。
「電気が通ってないだろう? 普通に声をかけるなりノックするなりすればいい」
伊織ちゃんははじめから分かってましたみたいな顔で玄関をノックし、がらがらと扉を開けて上がり込みます。
「お邪魔します。お婆ちゃん、お見舞いにきたよ」
「おぉ、よく来たねぇイオちゃん」
奥の寝室にいるお婆ちゃんが今にも死にそうなかすれ声で言いました。
伊織ちゃんは脱いだ靴をそろえつつ首を傾げます。
「? いつも伊織ちゃん、って呼んでなかったっけ」
「俺はお邪魔していいのか?」
笹田狼が居心地悪そうに尋ねました。伊織ちゃんは「聞いてみる」とうなずいて奥のお婆ちゃんに声をかけます。
「友達も入れていいかな?」
「ぉお、いいよぉ。ずずいとおあがり〜」
お婆ちゃんはうわずった声で答えました。伊織ちゃんと笹田狼は顔を見合わせて首を傾げてから、遠慮なくあがって寝室に向かいます。
ぎしぎしと一歩ごとに軋むものの抜けそうな危うさはなく、一挙手一投足に家が応えてくれるような包容力を感じる、なんかすごい家です。奥の寝室も畳み敷きで落ち着いた間取りになっており、真ん中で布団のなかに丸まっているお婆ちゃんだけが異質でした。
「お婆ちゃん、大丈夫?」
「ええ、平気よ。わざわざありがとうね」
「どういたしまして。これお見舞いの品」
「まあ、とても嬉しいわ。ありがとう」
お婆ちゃんはとても嬉しそうに笑いました。伊織ちゃんは少し気恥ずかしそうにはにかみます。
籠の中身いっぱいの花が果物に付いていて洗わないと食べられなかったり、たくさんの花のなかにさり気なく菊の花が混ぜられたりしているので、お婆ちゃんの笑顔はちょっと引きつりました。さり気ない動作で籠を押し退けます。
と、笹田狼は伊織ちゃんをチョイチョイと引っ張って部屋の隅に引っ込みました。伊織ちゃんは不思議そうに笹田狼を見ます。
「どうかした?」
笹田狼はとてもシリアスな顔をしてとてもシリアスな声で伊織ちゃんに言いました。
「伊織よ。俺はあのお婆さんについて少々気になることがある。いくつか質問をするぞ」
伊織ちゃんと笹田狼は揃ってお婆ちゃんを見ます。そうしながら、笹田狼はお婆ちゃんを指し示しました。
「お前のお婆さんは、なぜあんなに毛深いんだ?」
「知らない、あんまり頻繁に来ないから」
「げふげふ」
お婆ちゃんは咳き込みました。
「お前のお婆さんは、なぜあんなに尖った耳をしているんだ?」
「知らない、あんまり頻繁に来ないから」
「げふげふ」
お婆ちゃんは咳き込みました。
「お前のお婆さんは、なぜあんなに大きい口をしているんだ?」
「知らない、あんまり頻繁に来ないから」
「げふげふ」
お婆ちゃんは咳き込みました。
「……お前のお婆さん、狼か?」
「そんなわけないじゃない」
「げふ、げふっげふっ! ……コホン」
お婆ちゃんは盛大に咳き込み、小さく咳払いしました。
お婆ちゃんは突然立ち上がりました。布団を背中にまとったまま憤懣やるかたないと言った顔でむすりと二人をにらみます。
「まったく、笹田狼さんさえいなければ伊織さんを食べることもできたのに」
「誰!?」
伊織ちゃんは鋭い声で尋ねます。対して偽お婆ちゃんは不敵に笑って、布団をばさり! と放り捨てました。
「私はワルキューレ狼! 伊織さんがお婆ちゃんの家に向かうと聞いて、先回りしていたんですよ……あなたを一口に食べるためにね!」
「な、なんだってー!」
伊織ちゃんと笹田狼は驚きました。驚きすぎて全然驚いてないのに驚いてみせてるように見えるくらい驚きました。
伊織ちゃんはハッとあることに気付いた顔をして、シリアスな声で叫びます。
「お婆ちゃんは? 本物のお婆ちゃんはどこ!?」
ワルキューレ狼は含み笑いを漏らすと、勿体ぶって尊大に言い放ちました。
「ひと呑みにしてしまいましたよ、とっくにね。お婆ちゃんは美味しくありませんから、伊織さんが来るのを今か今かと待っていたんですよ? こんなに焦らすなんて、イケズですねフフフ」
出番がなかったからか、ワルキューレ狼はここぞとばかりに喋くりまくっています。
笹田狼が顔をしかめてワルキューレ狼を見ます。食べたというのは本当のようで、彼女のお腹はボッコリと膨らんでいました。
笹田狼がワルキューレ狼に言います。
「ヒト一人を丸呑みしたのか? 胃腸に悪いぞ」
論点が違いました。
伊織ちゃんが肩に掛けた長銃を構えて足を肩幅に開き、険しい目でワルキューレ狼をにらみます。
「……あなたが、陽子と話していたときに逃げた影だったのね」
「そうですよ。お陰で尻尾の毛が少し削げちゃいました」
笹田狼は知りませんが、萩原狼と伊織ちゃんが談笑し萩原狼が去ったあとに、伊織ちゃんは何者かの影に気が付いた、というシーンがありました。その何者かはワルキューレ狼だったようです。
伊織ちゃんは悔しそうに歯を噛み締めて言います。
「お母さんに『お婆ちゃんのお見舞いに行って』って言われたのに……果たせないなんて!」
「そこは『よくもお婆ちゃんを』とかじゃないんですか?」
ワルキューレ狼が思わず突っ込みました。
伊織ちゃんは表情を揺るぎもさせずに即答します。
「そう言ったじゃない」
「言いましたっけ?」
「お婆ちゃんを食らい殺したこと……あがなってもらうわ」
「文脈的になんとなく腑に落ちないところもありますが、まあ、いいでしょう。私に挑むつもりなのですね?」
伊織ちゃんは静かに、据わった目でワルキューレ狼をにらみます。足を開き姿勢を下げて銃を構えて、戦闘態勢に移行しました。
ワルキューレ狼も戦う準備をしようと動きましたが、その一瞬にそれはやってきます。
「うっ……!?」
ワルキューレ狼の目が見開き、顔は引きつって腕はお腹を押さえます。膝を折って丸まり、苦痛を堪えようとしますが、弱まるどころか激しくなります。
ワルキューレ狼は叫びます。
「う、産まれる!!」
えぇ!?
「えぇ!?」
そして、確かに産まれました。しかもセルフ帝王切開でした。
めりっ、と言う音に濁音が付いたぐらいの低い音とともに、ワルキューレ狼の腹を引き裂いてグバァと体液塗れの人間の女性が現われました。
「……っくはぁ! やっと出れたわこんちきしょう」
下品な言葉がこぼれました。
銃を持ったまま茫然と見ている伊織ちゃんに気付いた女性は、酸っぱい匂いを振りまく髪をうっとうしそうに掻き上げて笑います。
「久しぶりね、伊織ちゃん」
伊織ちゃんは唖然としたままつぶやきます。
「……大沢広巳お婆ちゃん?」
大沢お婆ちゃんはにっこりと微笑んで、
「さっきから聞いてれば『お婆ちゃん』『お婆ちゃん』って……。私はまだそんなに老けてないわよ?」
配役的にそんな歳なのですが、大沢お婆ちゃんは苛立たしげでした。
笹田狼は困惑頻りでしたが、彼なりに現状を呑み込んで伊織ちゃんに尋ねます。
「とりあえず、彼女が伊織のお見舞いに来た相手、で間違いないのか?」
「う、うん。そう」
伊織ちゃんは困り切りながらもなんとか答えました。
大沢お婆ちゃんは体にまとわりつく服を引き剥がしながらうっとうしそうに眉をしかめます。
「お風呂にでも入ってくるわ」
大沢お婆ちゃんはスタスタと歩き去ってしまいました。声をかける手段もなく、二人はその背中を見送ります。
さて、伊織ちゃんと笹田狼は白目を剥いて泡を吹いているワルキューレ狼を見ます。そして、顔を見合わせました。
「えー……っと。どうしようか」
伊織ちゃんが困惑しながら尋ね、笹田狼は腕組みをして首を傾げながら答えます。
「あー、確か、こういうときは石を詰めて腹を縫うんじゃなかったか」
「それは三匹の仔豚」
それは七匹の仔山羊です。
伊織ちゃんは手を打って笹田狼に指を立てて言いました。
「あ、鍋に入れて煮殺したんじゃなかったっけ」
それこそ三匹の仔豚です。
しばらく迷っていると、通りすがりの猟師達がひょっこり顔を見せました。枝毛がたくさん飛び跳ねている長い髪と男勝りの気が強そうな目を持った女性でした。
「あら、なんか困ってるみたいだね。どうかしたのかい?」
笹田狼は顔を上げて母猟師に返します。
「ああ、このワルキューレ狼をどうしようか困っているんだ」
「ふうん。まあ、普通に考えたら殺して毛皮をとるか、あるいは慈悲をかけて腹を縫うかかねぇ」
笹田狼と母猟師が会話をしていると、母猟師の背後から桜猟師が口を挟みます。
「てゆうかお母さん。窓から人様の家に顔を突っ込むって常識的にどうなの?」
「桜は細かいことを気にするねぇ。いいんだよ、こんな森の真っ只中に家をぶっ建てるほうもアレなんだからさ」
開けられた窓に肘を突いたまま母猟師はあっさり反論しました。桜猟師はその意見もあながち的外れでもないと感じたので黙り込みます。
笹田狼は構わず話を続行させました。
「とりあえず、ワルキューレ狼を死なせるのは同じ狼として忍びない。悪さをしないようよく言い聞かせるから、助けてやってくれないか? ……伊織は、どうだ?」
伊織ちゃんは笹田狼を見返して肩をすくめます。
「別に、私は気にしないから」
母猟師はにやりと微笑んで、窓をひらりと飛び越えて入り込みました。桜猟師が家宅侵入に慌てますが、母猟師は気にする様子もありません。
「じゃ、ハルの頼みだ。一針やってやろうかね」
そう言ってソーイングセットを取り出します。
伊織ちゃんは眉を曇らせて、糸通しをすべく両手に針と糸を掲げて片目を閉じている母猟師を眺めました。
「……猟師がソーイングセット?」
大人になれば分かりますが、世の中、触れちゃいけないこともあるんです。
さて、しばらくもすると猟師はワルキューレ狼を縫い終わり、玉止めをして仕上げました。
お風呂からあがって艶っぽく濡れた髪を拭きながら戻ってきた大沢お婆ちゃんは、ワルキューレ狼を助けている母猟師や笹田狼に仰天しましたが、伊織ちゃんから説得されると、苦笑混じりに許してくれます。
かくして、いろんなヒトに助けられてワルキューレ狼は目を覚ましました。
彼女は自分の周りに総勢五名おり、加えて全員が自分を見下ろしている状態に度胆を抜かれました。次いで自身の状態に気が付き、ひどくばつの悪い顔をします。
「こら」
「痛。って、いきなり何するんですか伊織さん」
伊織ちゃんがワルキューレ狼を殴り、ワルキューレ狼は困ったように伊織ちゃんを見上げます。
伊織ちゃんは眉を釣り上げて、怒っているふうでした。ワルキューレ狼の鼻先に指を突き立てて、一言言い放ちます。
「言わなきゃいけないことがあるでしょう?」
「う、あう……」
ワルキューレ狼は泣きそうな顔になりました。ですが、その顔に力を入れてなんとか見れるくらいの顔に戻します。
そして、まず大沢お婆ちゃんに顔を向けました。
「本当に申し訳ありませんでした」
「ま、助かったからいいわ。今回だけだけれど、ね」
大沢お婆ちゃんは大げさに肩をすくめてみせます。
次にワルキューレ狼はみんなを見回して、
「皆さんも、申し訳ありませんでした……」
頭を下げます。
みんなの表情が和らぎます。そのなかで笹田狼はワルキューレ狼の前にしゃがみ込み、笑いかけました。
「もう一つ、言うことがあるはずだ。お前は腹かっさばかれて死にかけたわけだが、今ここにいられるのはみんなのお陰だから、さ」
ワルキューレ狼はうなずき、再び、深く頭を下げました。
「皆さん、本当に、ありがとうございます」
……かくして、今回の伊織ちゃんのお使いを発端とした騒動は終わりを告げるようでした。ワルキューレ狼はもう悪さをすることはないでしょう。
猟師親子は退散し、大沢お婆ちゃんは二世帯で暮らせない病とかいう意味不明な奇病であることが明かされ、ワルキューレ狼はときどき大沢お婆ちゃんの家事を手伝いに来ると約束し、笹田狼はさわやかな笑顔で解散します。
伊織ちゃんは大沢お婆ちゃんと談笑したのちに帰路につき、家に着いてからはまた母親に怯えてられて穏やかな日々を過ごします。
今日の事件は、これでおしまい。
でも、明日も明後日も伊織ちゃん達の暮らしは続いているのです。その日々のなかで不思議な事件に出会ったりもしますが、それはまた別のお話……。
後日のことです。
「やあ、イオ。今日もいい陽気だねぇ」
森の中、花畑からほど近い場所の木立に麗らかな日差しが木陰の合間から差し込みます。
萩原狼が朗らかな笑顔で赤い頭巾をかぶった伊織ちゃんに挨拶をしました。伊織ちゃんは笑みをこぼして、肩に掛けた長銃を軽くかかげてみせます。
「慎也は? 一緒じゃないのか?」
笹田狼が萩原狼に尋ねますが、萩原狼は首を振ります。
「見てないねぇ。また慎也くんが遅刻かな?」
やれやれだね、と萩原狼は苦笑します。伊織ちゃんも微笑してナイフの手入れを続けます。
と、そのような話をしていると草かげから慎也熊が現われました。
萩原狼はにこりと彼に笑いかけて声をかけます。
「あ、ようやく来たね。お早よう慎也くん」
慎也熊は答えます。「クマー!」
「また寝坊したの?」
「クマクマー!」
「あはは、慎也くんったらしょうがないなー」
萩原狼は慎也熊と談笑を始めました。それを見て伊織ちゃんはばつの悪い気持ちになります。なぜって、おつかいのときに誤って慎也熊の胸の中心、心臓の辺りを長銃で撃ち抜いて風穴をブチ空けてしまっていたからです。でもなぜ無事に生きているのか、伊織ちゃんは内心首を傾げていました。
そういえば見かけた慎也熊の体毛は黒だったのに、目の前の彼は赤茶色になっていました。体格もころころした小熊のようです。いつの間にイメチェンしたのでしょうね。
さておき、面子はそろい踏み。
ぼこりと起き上がっていた木の根に腰を下ろしていたワルキューレ狼が、満を持して立ち上がりました。
「みなさん、集まりましたね」
にこ、と胸をすくような微笑みを満面に浮かべて、ワルキューレ狼は両手を広げてみんなに言います。
「さて、今日はなにをしましょうか……」
麗らかな日差しが降り注ぐ穏やかな森、ありふれた不思議が安息の日々を過ごしているすてきな森。
そこに暮らすみんなは平和に今日を過ごしています。
遠い遠いところ、でもとっても近くにあるところ、そんな世界のお話です。
――……はっ、と意識が浮上する。
処理を回してみれば、先頃扉が開いた音の余韻が響いていた。伊織たちが家に帰ってきたみたいね。
果たして、伊織が広間兼倉庫のようになっているこの部屋に入ってくる。彼女の部屋がある二階に上がるためにはここの階段を通らなきゃいけないからね。
伊織はにこりと私に微笑んでくれる。
「ただいま、スクルド」
私は彼女に笑い返しながら返事をする。
「おかえり、伊織」
そして、彼女に続くように笹田と萩原に慎也といういつもの面子がぞろぞろと談笑しながら入ってくる。
「またお邪魔するぞ」「やぁ、スクルド」「こんにちわ、スクルド」
彼らに対して私は笑みを返す。やれやれまったく、毎日飽きもせずよく来るわねー、と言葉を返しながら。
こうするのが今の私の心情を表するのに最も適しているから。
連なりながらぞろぞろと階段を上っていく彼らを見送ると、一抹の淋しさを覚える。私はワルキューレほどうまく彼らに交じれないから。
ふと、笹田が私のそばにやってきていた。こいつはときどき私の予測から一足逸れた行動を取って私を驚かせる。
ちょうど、今のように。
「どうしたのよ?」
私はコミュニケーションとしてこうすべきという打算を交えて、しかし思考によぎる疑問のまま尋ねた。
「いやなに、今日は暇そうだったからな。またみんなを誘ってゲームでもするか?」
私はディスプレイの出力に苦笑の表情を選択。いや全く、本当にこいつは憎めない。
「ま、午後から何にもなくて、思考がお留守になってたしね。そうしてもらおうかな」
「今、スクルドのなかで旬のゲームは?」
「格ゲー」
笹田は笑った。
理由もなく笑われた気がして少しむっとする。
「なによ、文句あるの」
別に何も、とお茶を濁す笹田にますますむっとする。皮肉でも何でも、ちゃんと言ってくれれば会話が膨らむのに。
笹田は体重を後ろにかけて立ち去る予備動作を見せながら私に軽く手を振った。
「じゃあ、みんなをそれとなく誘ってくるよ。それまで待っててくれ」
「頼んだわよ」
答えて、私は笑顔を出力する。みんなで集まってプレイをするさまを想像して嬉しくなる。あの面子が揃えば楽しくなるに決まっていた。
笹田はもう一度笑って、階段を上がっていく。階段のうえから伊織が顔を出して様子をうかがっていた。笹田は軽く彼女に手を振る。
その二人を見ていて、唐突に赤頭巾や狼が思考のなかを飛び回った。
ディスプレイのなかの頭をひねる。
なんだろ。記憶領域にはほとんど残ってないけど、端々に赤頭巾とか狼とか森の中の家とかがあったようななかったような……?
昼からの暇な時間、持て余した処理能力がふわふわと記憶情報の中をたゆたったのかもしれない。ときどきあるのよね、半ば意識を失ったまま奇怪な情報処理が行われていることが。
不思議不思議。
ま、そんなことはいいから、格ゲーの用意しておかないとね。今度こそ萩山の凶悪な空中コンボを打ち破って鼻を明かしてやらなきゃならないわ。
さてさて全五回の番外編もいよいよ大詰め、第四回をご覧いただきました。今回の話はいつにもまして意味不明でしたね。我ながら何がしたいのか分かりません。
とりあえず本編でスクルドが夢の話をしていたので出してみようという気になっただけです。
さて、いよいよ次回が第五話となります。
が。
私個人の都合により当分執筆する暇が取れそうにありません。というか年が変わるまで時間が取れなさそうです。なんか書く頃には文章の腕が鈍ってそうで今から不安です。都合をやっつけるほうを心配しろよ自分。
というわけでトンでもなく間が空くことは確定です。申し訳ありません。
それでも私はこう言わせていただきます。
次回を、どうぞお楽しみに!




