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EX-DIVE 2nd. 奇天烈! 戦う鬼ごっこ!

『鬼ごっこする人この指とまれ』

「いや無理」


 突っ込んだのは萩山だ。

 ディスプレイに映るだけの存在であるワルキューレの指にどうやってとまれというのか。

 現在、今日も今日とてヴァルハラカフェ……もとい、ごく普通の喫茶店の二階にある一室にいつもの面子で集まってだらけているところだった。寝転がりお菓子をつまみながら漫画を読んでいた伊織が興味を持ったのかクッキーをくわえたまま身体を起こしてワルキューレを見た。

 ワルキューレは笑顔でみんなを見回す。


『ここのスクルドが管理する多人数同時処理型ヴァルハラ、結局あんまり使ってないのでたまにはどうですか?』

「それで鬼ごっこするの?」

『ええ。もちろん普通の鬼ごっこではありませんよ。ヴァルハラ仕様の攻撃的な鬼ごっこです』


 どうです? と尋ねるワルキューレ。

 最初に乗ったのはやはりと言うか、萩山だった。


「面白そうじゃん。最近ヴァルハラのエイン破壊ミッションにも飽きてきたし、ちょうどいいんじゃない」

「同感! 俺もやるぞ」


 次いで慎也が同意した。

 慎也と一緒に宿題をやっつけていたはずの俺は伊織と顔を見合わせる。


「そんな面白そうなことに、」

「参加しない理由はどこにもないね」


 当然仲間に入れさせてもらう。


『面白そーな話してんじゃなーい!』


 階下から声が響いてきた。

 廊下から顔を出すと、倉庫兼居間の部屋からスクルドが頑張って声をこっちまで届かせようとしているのだった。


『あたしも混ぜてよ……プレイヤーとして!』


 どう見てもゲームマスターであるべきスクルドが参戦とは。俺は振り返って一同を眺める。

 みんな笑っていた。


「面白いことになりそうね」


 伊織がクスクスと笑いながらそう言った。




 そして俺たちは今再びエインとなって結集していた。スクルドがプレイヤーとして参加してしまったため、二階と一階を超ロングコードでワルキューレとつなぎ、戦乙女の指示で処理するように設定するなど少々手間が掛かったが、なんとかワルキューレが今回のゲームマスターとなった。

 というわけで未来都市を舞台に鬼ごっこをする総勢五名である。萩山がスクルドを見下ろして尋ねる。


「スクルドってちゃんと動けるの?」

「舐めないでよ? 一対一だったらあんた達みたいな若人に引けを取らないくらいの実力はあるわよ」

「見ていたが、身軽でなかなか強かったぞ」

「よく言った春樹! ほれ見なさい!」


 雑談していたところにワルキューレが登場した。


「はいはい、皆さん。鬼ごっこのルールを説明しますよ。注目!」


 雑談をやめてワルキューレを見る。ワルキューレは大きいウインドウをひとつ表示し、それを黒板か何かに見立てて説明を始めた。


「今回、鬼ごっこと言っても皆さんは逃亡に終始してもらいます。また、鬼にタッチされるのではなくアウトさせられたらその人はゲームオーバーという形にしますね」


 なるほど、鬼役から逃亡し、時には反撃しても構わないということか。確かに攻撃的だ。


「鬼は時間経過とともに増加していきます。その増殖地点(コロニー)を見つけ出して破壊しても皆さんの勝ち。三十分逃げ切っても皆さんの勝ち。全員アウトしたら負けです。それから、皆さんの武器ですが、楽しみやすいように大改造させていただきました」


 武器を改造?

 お互いに顔を見合わせる。特にデフォルトで主要武器しか持たない萩山が不安そうにワルキューレを見た。


「ガシガシ鬼を倒されたらつまりませんからね、補助武器のみとさせていただきました。また逃亡に役立つ性能を付与しています」


 解説するワルキューレはまず俺を見た。俺の補助武器はワイヤつきのクナイだ。射出機構が備わっている。


「春樹さんは、新たに巻き上げ機能がつきました。一人分しかパワーはありませんが、上り下りが自在になります」


 なるほど、今までは伸ばすこととロックすることしか出来なかったが、自由度が増したというわけか。今までのままでも特に不自由することはなかったが、まあいざって時に役立つ機能だろう。

 ワルキューレは次に伊織を見た。伊織の補助武器は特殊な形状をした投げナイフだ。


「原理はさておき異常に壁に刺さりやすくなりました。これでどんな場所でもフリークライミング楽々です。代わりにリロード速度がとても遅くなりましたが」

「リロードが遅いって、それ迷惑なんだけど」

「でないと面白くありません。鬼の迎撃ではなく逃亡が目的ですから」


 少しがっかりした風の伊織だが、ここではワルキューレの言い分が正しい気がする。いつもの調子でバンバン投げられたら鬼もバッサバッサと倒されておしまいだろう。


「慎也さんは拳銃ですので、鬼に特効がある弾丸という設定にしました。どこに当てても一部を除く鬼を一撃で倒すことが出来ますが、代わりに12発しか弾がありません。大切に使ってください」

「おお、そうか。了解です」


 なるほど、慎也は迎撃担当というわけか。俺のクナイは軽くて決定力に欠け、伊織のナイフは滅多に投げられたものではなくなったため、効果的な反撃や突破などでは彼にかかっているだろう。

 最後に萩山を見た。ウィザードスタイルに補助武器はないので、どうするのだろうか。


「陽子さんはすいませんが、情報管制をしてください。ウインドウの通信は鬼にも聞こえますが、陽子さんから皆さんへは秘匿回線が使えます。また、鬼を表示することは出来ませんが皆さんの位置を表示できるマップを搭載させていただきます」


 なるほど、地味にありがたい装備を搭載するわけか。仕切り屋の気がある萩山が司令塔になることに異論はない。


「スクルドは別にいりませんね。適当にしてください」

「投げやりー!? ちょっとなんかそれすっごい寂しいんですけど!!」


 まあ、スクルドには特に補助武器もないしなあ。ただペガサスは禁止だろうが。あんなもんに乗ってたら鬼ごっこにならん。

 それぞれ自分の武器の新たな特性を頭に入れたのを見計らって、ワルキューレはウインドウの画面を切り替えた。


「皆さんを追いかける鬼は、これなんてどうですか?」

「……ぐろ」


 ええと、なんと表現すればいいのか。人型の直立二足歩行なのだが、顔は人と猿と犬を三分の一ずつ混ぜたような奇怪な形。全身毛むくじゃらでどう見ても化け物です本当にありがとうございました。だから帰れ。ていうか変えれ。


「こんなのに追われたら否応なしに緊張感が増しますよね。いつもエインを流用するのもつまらないのでたまにはこんな遊び心もいいんじゃないかと思って頑張ってデザインしました」


 しかしニッコニコと笑顔全開で言うワルキューレに俺の口からそれを言うことは出来なかった。

 非常に残念なことだが、誰一人として変更を進言してくれる人が出なかった。これで今回のゲームが童心に返る和やかなお遊びから、生死をかけて逃げ回るホラーゲームと化すことが確定した。


「そうだ、皆さんに注意が一つ。ボスがいますから気をつけてください」


 ウインドウが切り替わった。未来都市の一角で行動中の鬼を撮影したような画像だ。


「これが鬼の親玉です。これ自身コロニーのひとつでもあるので撃破したらクリアですが、コイツにだけは慎也さんの弾丸が効きませんしずば抜けて危険ですから、むしろこいつと接触しないことも重要になります。これだけは鬼でも陽子さんのマップに表示されます」


 いや……でも、さすがにこれはないだろう?

 十メートルを越すビッグサイズで、半分腐食したような体を引きずるように歩いている。姿は狼と猪と蜥蜴(とかげ)を混ぜたような、とりあえず非常にキモチワルイ怪物である。どんな特撮だ。


「さあ、説明ばかりだと退屈ですからね。早速始めましょう!」

「……え、ちょ」

「ゲームスタート!!」


 ワルキューレはコールするなり居なくなってしまった。ゲームマスターなのだから当たり前といえば当たり前だが……あんなグロテスクなゲテモノ相手に逃亡劇を繰り広げると思うと気が滅入ってしょうがない。

 何だかんだで一番冷遇されているスクルドが長槍に寄りかかるようにして立ったまま進言した。


「まあとりあえず、バラバラになるのは絶対にまずいわね。あんなキショいのに一人で囲まれたくないし」

「理由は違うが全く同意見だ。とにかく萩山がやられるのはまずいから、唯一迎撃ができる慎也が常についてやってくれ」

「分かった」


 その他簡単な方針を確認しあう。とりあえず逃げ回りながらコロニーを見つけたら改めて集まり頑張って潰す算段でもつけようか、という方針とも言えないようなことだが。


「とりあえず移動しよう」


 という伊織の提案に従い、俺たちはぞろぞろと動き始めた。

 時間経過とともに鬼が増える、ということは序盤では鬼が少ないということだ。余裕を持って行動が出来る。


「いやあ、未来都市はなんだか懐かしいねー」


 萩山が急に声を上げる。


「まあ、確かにな。ここで俺たちは殺し合ったわけだが」

「やだなあ。もう少し小粋に拳で語り合ったとか言おうよ」


 そんな甘っちょろい青春ドラマなど比べ物にならんハードな戦いだったと記憶しているが。俺と伊織に限って言えばワルキューレを共に守りながら塔を目指したところでもある。

 なんだかんだ言ってここはヴァルハラというゲームを象徴するような場所の気がしてくる。個人的に大きな転機に限ってここを舞台にしたというだけなのだが。

 ふと伊織が顔を上げて傍らのビルの上を眺めた。何かと思って視線を同じくしてみると、そこになにやら人影らしき物が在る。


「あれが鬼かな?」

「……みたいだね。一体だけだし特に気にすることもないんじゃない?」


 萩山が気軽に言った直後。

 その鬼が遠吠えをした。手元に通信用のウインドウが勝手に開き、遠吠えをしている鬼の姿を表示する。こちらの通信が向こうに聞こえるのと同様に向こうの通信もこちらに分かるのかもしれない。言葉を喋る様子はないが。


「な、なに。何がしたいのアイツ」

「というか、これってやばいんじゃないか? 通信をしているのは、ほぼ確実に俺たちを見つけたからだろう。そして次にすることといえば、おそらくは……仲間を呼ぶ」


 一同の視線が俺に集まった。

 次の瞬間には、最初の鬼に呼応するように各所で広がる遠吠え。断続的に無数の声が響き、それは確実に近づきつつある。


「――やばい。逃げるよ!」


 スクルドの鶴の一声で俺たちは一斉に跳躍した。それに反応するように、元凶の鬼がビルを飛び降りて俺たちを追ってくる。四足かよ。そいつが道路に下りるのと大体同じぐらいのタイミングで五、六匹横道からこの道路に飛び込んできた。


「もー、いきなりコレかよ!」


 ロードラインのチューブを足掛かりに跳躍する慎也が悲鳴を上げる。

 道路の上に架かる連絡通路に着地し、即座に跳ぶ伊織が嫌そうに呟いた。


「まだ増えてる」


 左右の横道から三匹鬼が合流してきた。鬼はまだ十匹前後なのかもしれないが、どうやら甘く見ていたらしい。早くも全力逃走を余儀なくされている。

 ビルの壁を蹴って跳ぶついでに振り返った。鬼どもはお互いに合図しているのか盛んに唸り声を上げながら駆けている。幸いにも俺たちより足は遅いようで、ほんの少しずつだが引き離してきた。

 いきなりの窮地はなんとかなりそうだ。そう思って身体を返し再び跳躍する。


「っきゃあ!?」


 伊織が悲鳴を上げた。見ればビルの影から鬼が飛び出してきて、伊織に身体ごとぶつかるようにして倒したところだった。ロードラインのチューブ上に押し倒され、鬼が牙を向いて伊織に襲い掛からんとしている。


「っ伊織!」


 俺の下、ちょうどいい足場として架けられている無数の鉄骨を踏み切ったスクルドが方向を切り替えて、伊織に向かって跳躍したところだった。

 長槍を構えたスクルドは猛スピードで鬼に迫り、勢いを利用して穂先を深々と鬼に突き刺しつつ鬼を伊織の上から突き飛ばす。横に切り裂くようにして穂先を鬼から抜き、石突きで顎下から突き上げてチューブから叩き落す。

 俺がそこに着地したのは全く無意味なことに終わった。スクルドが伊織の背中を叩き急かす。


「ほら伊織、早く逃げるよ! アンタも!」

「あ、ありがと」


 伊織は礼を言って跳躍する。俺も彼女に続いて跳んだ。

 そしてスクルドも跳ぼうと踏み切る……瞬間。


「ぶわっ!」


 いつの間にか迫っていた鬼に捕まってチューブの上から鬼もろとも落ちた。鈍い音の後、スクルドの手を離れた長槍が乾いた音を立ててはねる。

 鬼ごっこ向けだろうビルの間に張り巡らされた足場の鉄骨に立った伊織が振り返って叫ぶ。


「スクルド!」

「いやああああっ、きもいきもいマジきもい! おがあさーん!!」


 鬼を懸命に引き剥がそうとしながら泣き顔でスクルドが叫ぶ。さきほど叩き落とした鬼や、俺たちを追っていたはずの鬼が足を止めてスクルドに群がる。なんのホラー映画だ。

 スクルドを助けようと鉄骨を踏み切ろうとした伊織のわずか下、足場に着地した鬼が大口を開けて伊織を威嚇する。その鋭利な犬歯に糸を引く唾液。思わず身を固める伊織。


「伊織!」


 肘鉄でその狼だか猿だか人だか分からない化け物の顔面を殴り飛ばす。すぐに俺を向いて大口を開ける鬼だが、お得意ブレインブレイカーで顎を鷲掴みにする。牙を封じると同時に腹に膝を叩き込んで、ケンカキックで蹴り落としてやった。

 伊織が反射的な動作で俺を見るが、俺は伊織ではなくスクルドを窺った。

 群がっていた鬼どもが散らばりつつこちらを見て追跡を再開しようとしているところだった。そこにスクルドの姿は見えない。

 ……畜生。


「伊織、早く」


 俺は伊織を促して跳躍した。俺たちを待つように待機していた二人を顎で促し、急ぎ退避する。それを追い立てるようにスクルドのアウトが宣言された。

 伊織の拳が固く固く握られていることに俺は気付いていた。


「慎也!」

「なんだ」

「埒が明かない。あまりしたくないが、いったん二手に別れよう」


 鬼どもはすでに三匹、数を増やしていた。分散させつつ適宜あいつらをまいたほうがいいだろう。数が違うのだ、囲まれて一網打尽は避けたい。


「分かった。気をつけろよ」

「そっちこそな」


 慎也と萩山はY字の交差点を左に曲がっていった。そして俺たちは右に。

 鬼は距離の近い俺たちに多く向かってきた。俺は肩越しにそれを確認しつつ、伊織に告げる。


「伊織。このゲーム……俺は、全力で勝ちに行く」


 伊織は何も言わなかった。

 俺もそれ以上なにも言わずに鉄骨を蹴る。

 しばらくはひたすら跳び曲がり角を見つけては曲がって鬼どもを振り切ろうと走り続けた。すると、通信ウインドウが勝手に開き、鬼どもが追うのを諦めた様子が写される。完全に見失ったというサインだろう。

 足場に着地し、そこで足を止める。


「なんとか、まいたらしいな」

「うん。これからどうする?」

「さてな。屋外にいては見つかりやすいだろうが、屋内に入って見つかったら逃げられない。伊織はどう思う?」

「……まずは見つからないことが先決だと思う」


 どこかの屋内に行こう、ということか。

 伊織が傍らのビルに向かって跳び、非常階段の扉を開けて中に入った。俺も後を追う。

 薄暗く、差し込む光に照らされて舞い上がる埃が光っている。伊織は奥へと進んでいった。


「全く、とんだ鬼ごっこだ」


 彼女の横に並んで愚痴る。伊織も同意するように深く頷いた。

 どうやらここはアパートか何からしい。扉が等間隔で並んでいる廊下を抜けると壁紙が剥げたボロ臭い階段に出た。とりあえず腰を下ろし一休みする。


「あの鬼……ホントぐろい見た目してるな」


 やれやれ、と半ば独り言でいった言葉に伊織が同意を示した。見れば手すりに寄りかかった紅蓮のエインと目が合う。


「多分、ワルキューレもそう思ってる」

「ならなんでそんな形に……」

「きっと、自分で物凄く怖いと思う鬼の姿だから緊張感が出ると思ったんじゃないかな」


 なんとまあ。考え方としては間違っていないだろうが、こんな放課後の息抜きでするゲームにそこまでの趣向を凝らされるというのも。

 と、そこで思い出した。伊織とワルキューレは嗜好が大体同じらしい。ということは、


「伊織も、あの鬼が怖いと思うのか?」

「……………まあ、多少、ね」


 顔を逸らして呟くように言う。これは存外に急所なのかもしれない。俺は苦笑して励ますつもりで言った。


「そうか。俺もあれはさすがに怖いと思うぞ」

「……そう」


 伊織の視線が戻ってきた。


「怖がりばっかりで頼りに出来る人居ないね」


 しまった。強がりでも余裕だと言っておけばよかったか。

 しかしそう言っておいていざという時にビビッてしまったら間抜けでしかない。こうしてあらかじめ宣言しておくのはマイナスにはなるまい。そう思うことにしよう。


「そろそろ適当に動いておこうか」


 伊織が言った。

 別に動き回ると見つかる可能性が減るというものでもない気はするが、気休めにはなる。そして三十分の長丁場だから、精神負担を減らすというのは間違った選択では全くない。

 伊織が階段を下りる。俺も立ち上がって彼女の後に続いた。

 その瞬間、手元にウインドウが現れる。

 ギョッとした俺たちをよそに、ウインドウはそれが萩山からの通信であることを示す。胸を撫で下ろしつつ、回線を開いた。萩山の焦ったような声がする。


『二人とも、まずいところに居るよ! 早く、早く逃げて! ……わあっ!』


 回線の向こうから争うような音。鬼の唸り声がこちらにまで届く。

 伊織が慌ててウインドウに呼びかけた。


「陽子? どうしたの陽子!」


 どっ、という打撃音とともに甲高い鬼の悲鳴が聞こえて消えていく。萩山をかばっているのか、慎也の声が聞こえてきた。


『すまん、今鬼に見つかって逃げてるところなんだ! とにかく、今はそっちのほうがやばい、早く逃げろよ!』


 鬼の雄たけびが一瞬聞こえ、フェードアウトしていく。避けたのだろう。それ以上通信している余裕がなくなったのか、こちらに声が聞こえなくなり、遠くで鬼が吠えている音ばかりが聞こえるのみだ。


「……生き残ってよ。陽子、慎也くん」


 伊織はそれだけ言ってこちらから回線を切った。そして俺を振り向く。


「よく分からないけど、すぐにでもここを逃げたほうがよさそうね」

「そうだな。行こう」


 伊織が前を向き、跳んだ。階段を一気に飛び降りる。俺も彼女に続いて、踊り場の壁を蹴って降りていった。


「わあっ!」


 伊織が悲鳴を上げる。見れば、通路から階段に入ってきた鬼と鉢合わせていた。

 俺は右腕を突き出してクナイを撃つ。


「この、野郎!」


 壁を伝って鬼に肉薄する。鬼の延髄に突き刺さったクナイを奪うように抜き去り、顎下から根元まで刺さるほど深く突き上げる。ショックで棒立ちのまま絶命した鬼を一発殴って倒す。


「伊織、早く!」

「う、うん」


 鬼をまたいで通路に入り、手近な窓を割って飛び出した。鉄骨に足を乗せて、気付く。

 目の前に広がる悪夢のような光景に。


「……これは」


 これか、萩山の逃げろといったわけは。

 俺の下に通る道路は、蠢く絨毯が敷かれているように見える。だがそれの全ては鬼であり、しきりに吠え声を上げていて阿鼻叫喚の相を連想させる。だが恐怖に身をよじり救いを求めるのは俺のほうであり、向こうは獲物を見つけた歓喜に打ち震えているだけだ。

 そして、その先。鬼どもの中心をゆっくりと歩いているのは、小山ほどもある毛むくじゃらだった。

 鬼のボスだ、とワルキューレは言った。

 狼と猪を混ぜたような不気味な見た目、口を大きくはみ出した巨大な二本の牙。全身をほとんど隠すように垂れ下がる薄汚れた体毛の、その隙間から見える黄色く濁った眼球。その瞳が俺と合い、そいつの口元から蒸気のように息が吐き出された。


「早く、逃げなきゃ」


 見れば伊織が近くの鉄骨に着地した鬼をナイフで殴り飛ばしたところだった。俺は頷き、もう一度化け物のほうを見て、血の気が引いた。


「跳べ、伊織!」


 伊織はすぐさま従って、とりあえず今出てきたビルの屋上へと跳躍した。後を追って同じく跳んだ俺の、さっきまでいたところに着地する鬼がこちらを見上げて大口を開ける。

 その鬼が潰れた。

 鬼のボスらしい化け物が俺たちに襲い掛かってきていたのだ。足元にゴロゴロと居た鬼どもはそいつの足に巨体に、面白いくらいの勢いで跳ね飛ばされ踏み潰される。巻き起こる悲鳴、絶叫。なおも止まない歓喜の咆哮。

 俺たちが立っていた鉄骨に噛み付いた化け物は腐った目でこちらを見上げた。鉄骨は衝撃に耐え切れず崩落し、そこに立っていた鬼は化け物に身体の半分食いちぎられて牙に引っかかっていたが、化け物が動いた拍子にこぼれ落ちる。


 俺と伊織はすぐさま身を翻して走った。跳躍する。そのすぐあとに屋上を侵食するようにわらわらと登ってきた鬼どもも、各々勢いよく俺たちを追って鉄骨に跳んだ。

 その勢い、自分の前に立っている者を突き落とし、足場に立っている鬼のうえに着地し踏み潰してバランスを崩しもろとも落ち、落ちた者に目もくれず場所が開いたとばかりに平然とそこへ着地してさらに跳ぶほどのもの。全員が俺たちを襲うことのみ考えて行動しておりそれはまさしく身の毛もよだつ光景だった。

 喉が干上がって声も出ない。恐怖のあまり怖いと口に出すことすらできない。

 跳ぶ。ひたすら跳ぶ。

 どこに潜んでいたのか、どの方位からも鬼が現れるようになった。道路に出てきては頭上を飛び越えていく俺たちを見送り、雄たけびを上げて追ってくる。着地場所に鬼が待ち構えて、伊織がフルスイングで裏拳気味にナイフを叩きつける。鉄骨によじ登って顔を出した鬼を跳躍ついでにサッカーボールよろしく蹴り飛ばした。

 前へと跳躍する。

 懸命な逃亡の甲斐あって、ボスを中心とする鬼の一団からは逃げられたようだが、未だに鬼どもが無数後方を付きまとう。

 振り返って後方を確認し、まだついて来ていることに舌打ちをこらえつつ前に向き直った。鉄骨に着地しようとしたその瞬間、鬼が鉄骨の上に登り大口を開けて威嚇した。


「うわっ!」


 跳躍中に止まれるわけもなく、鬼に衝突。衝撃で鬼を跳ね飛ばしたものの、もろとも落ちてしまった。張り巡らされた鉄骨に肩、足をぶつけ、背中の肩甲骨辺りにも直撃し息が詰まる。半回転してどしゃ、とうつ伏せに墜落した。

 頭から落ちなかっただけ幸いだ、と明滅する視界の中思う。

 とにかく足を止めるわけには行かない。振り返った眼前に大口を開けて威嚇する鬼。


「……お前かこのタコ」


 コイツが何も考えずに俺の着地を邪魔したせいで落ちた。喉にジャブを打ち込むと同時にクナイで咽喉を貫く。


「大丈夫?」


 伊織が下りてきた。見上げれば一番近い鉄骨から飛び降りてくるところである。


「なんとか。早く行かないと鬼どもが来る」


 俺は伊織を急かしたが、伊織は軽く首を振った。ナイフを両手に構えつつゆっくりと周囲を見渡す。


「もう遅いみたい」


 鬼の唸り声がそこらじゅうから響いていた。


 全く、スリリングなゲームだ。気の休まる暇もない。

 鬼が飛び掛ってくる。それを伊織がナイフで薙ぎ払って迎撃する。そいつと同時に襲ってきた鬼の額を俺はクナイで撃ち貫いた。正月の凧揚げみたいな持ち方でワイヤを操り鬼の勢いを殺さず利用する。振り回すようにして他方から来た鬼とごっつんこしてもらった。

 伊織がナイフを振り下ろし鬼の頭をかち割る。振り返りざまに後ろ回し踵落としを決めた。鬼は体勢が低いお陰で頭頂部にクリーンヒットしている。その彼女の後ろから鬼が飛び掛かった。伊織は垂直飛びでジャンプしナイフを鉄骨に刺す。

 どう見ても当てた程度の力だが今回の補正によってナイフは鉄骨に固定された。それを手掛かりにして身体を持ち上げ、クルリと回って鉄骨の上に足を乗せる。後を追って鉄骨に手をかけて登ろうとした鬼の顔面を薙ぎ払うように殴打。撃墜する。


「逃げよう!」

「ああ、分かった」


 噛み付いてくる鬼をスウェーバックでかわしつつ足を振り上げて顎を蹴っていた俺は伊織の提案に従い鉄骨へとジャンプした。その足元を通り過ぎていく鬼。危ない、背後から来ていたのか。

 伊織がすぐさま跳躍した。俺も跳ぶ。その跡の鉄骨に鬼が二匹同時に飛び乗った。いちいちギリギリが多いが、鬼が多すぎるから自然にこうなるのだ。危なっかしい。

 とにかく逃げるが、こうして跳んでいるとまた見つかるかもしれないので屋内に逃げることにした。前回の反省を生かし、屋内でも逃げ場が多くある広い場所……デパートと連結しており地上建物の広さもさることながら地下にも広い空間がある駅舎へと。


「萩山たちは無事かな」

「何のコールもされてないから、大丈夫だと思う」


 伊織が言う。それはその通りなのだが、やはり不安は拭えない。

 と、伊織が急に立ち止まった。俺も気づく。


「……何か居る」


 物陰でかすかな音がしたのだ。向こうも気付いているのか、気配を殺しているようである。

 俺が出る。伊織にそう目配せして、俺は慎重に足を進めた。クナイの準備も怠らない。

 物陰に何か見えた、その瞬間に俺は身を翻しクナイを突きつける。同時に向こうも拳を構え、そして硬直した。

 ナイトヘルムからたてがみを吹き上げる気障な純白のエイン。


「慎也か」


 慎也だった。


「なんだ、お前か。……無事でよかった」

「あー、ビックリさせないでよもう。イオもちゃんと居る?」

「うん」


 奥から萩山も出てきた。慎也はちゃんと彼女を守りきったらしい。なんとか一同が無事に合流できたようでよかった。

 とりあえず俺たちはこれからのことを話し合うことにする。


「舐めてたねー。こんなハードなゲームになるとは思わなかったよ」


 萩山が苦々しげに呟く。全く同感だ。


「だけど、あと十五分弱生き残れば俺たちの勝ちだろ? 何とかなんじゃねえかな」

「いや、時間経過で鬼が増えると言った。いまでさえかなりの数だというのに、これから更に増えるとなると難しいかもしれん」

「……けど、特にコロニー周りの鬼は数が桁で違う。多分、コロニーの破壊なんて無理」


 鬼のボスはコロニーでもあると言った。ということはどこか別の場所にもコロニーがあるはずだが、同じコロニーであるボス周りの鬼の密度は半端じゃない。あのなかに突っ込んで悠長にコロニーとやらを破壊するだけの余裕があるとは思えない。


「鬼から逃げ回らなきゃいけないのに、近道クリアのためには鬼の真っ只中に突っ込まなくちゃいけないわけね。大したジレンマだわこりゃ」


 萩山が呆れたように言う。全くその通りだ。

 慎也が腕を組んでみんなを見回した。


「それで、結局どうするんだ? 逃げ回るか、攻めるか」


 それは……、

 自然に、視線が伊織に集まった。一番実力があり頼りになるのは、結局彼女なのだ。


「わたしは、」


 伊織は皆の顔を見返し、ゆっくりと言った。


「わたしは、両方やりたいと思う」

「両方?」

「つまり二手に分かれてコロニーを捜索するチームと逃亡に専念するチームで動くってことだ。鬼さんは知能がないのかそうでもないのか分からんが、おそらく捕らえやすいコロニーのチームに戦力を割くだろう。つまりたとい見つからないとしても陽動になるってわけだ」


 俺が横から口を出した。俺が本当は取りたかった作戦と全く同じことを伊織が言ってくれたからだ。

 伊織はその通り、と言うように頷き、俺をちょっと睨んだ。


「考えがあったなら言えばいいのに」


 俺は肩をすくめる。反論できない。

 萩山が座る足を組み替えながら問いかけた。


「でもさあ、それって大丈夫なの? 先に逃げるほうがやられたら全方位からバンでしょ」

「うん。だから逃げるほうは何があっても生き延びてもらわなくちゃ困る」


 伊織は事も無げに言う。

 慎也は参ったように後頭部をなでた。しかしその手でパンと膝を打った。


「やれやれ、仕方ない。それで行くか」

「まあ元より大して選択肢もないしね。チーム分けは……前と同じでしょ、どうせ」

「うん。陽子は逃げるのに適したマップ持ってるし、慎也くんはいざって時の突破口を切り開けるから、ね」


 そういうことにしておいてあげるよ、と萩山は笑う。早速移動しようと腰を上げた。

 矢先に、ウインドウが勝手に現れ、遠吠えが響いた。


「なっ」

「うそ!」


 俺は柱の影から飛び出し、低い体勢で駆けながらクナイを構えた。吠えている鬼を迅速に撃破する。振り返って皆を急かした。


「早くここを離れるぞ!」


 みんなも慌てて出てくる。俺たちはとにかく鬼どもに見つからないよう進もうとしたが、すぐにそれは無理だと悟った。

 フロアを埋め尽くすように鬼どもが湧いている。広い駅舎でまさかこんな人海戦術に出られるとは思わなかった。不覚である。


「くそ、俺と伊織で先行する。慎也は弾をケチっていいが、使うべきときにはちゃんと使ってくれよ!」

「分かってる!」


 伊織が両手のナイフを構えて走る。俺も手にクナイを持って走った。

 わらわらと立ちはだかる鬼の壁。そこに伊織は怖気づくようすもなく飛び込んだ。鬼を踏み足蹴にしつつナイフで切り払う。

 俺はそこまで豪気ではないので、伊織に気を取られている鬼どもを次々と屠り、慎也たちが上手く逃げるためのルートを開拓していく。

 慎也たちがそこを通り、邪魔な鬼をぶん殴りながら俺を一瞬だけ振り返って早口に言った。


「すまん、生き延びろよ!」


 お前こそな、と言いたかったが、脇から鬼が襲い掛かってきたため言うことは出来なかった。犬耳を鷲掴み、後ろにぶん投げる。同じく襲い掛かっていた鬼と牙が折れ飛ぶほど激しい口づけをして倒れた。


「伊織、離脱しよう!」


 伊織のほうを見ながら言うことも出来なかった。かわした鬼の背中を突き飛ばしてショーウインドウにダイビングさせる。振り返ると鬼が牙をむいて襲い掛かってきていた。ビックリして一瞬動きを止める俺に向かって踏み込む鬼。

 その鬼の腕を引いて強引に振り向かせ、腕をまたぐように足を振り、戻す動作で鬼の横っ面を踵で蹴り飛ばした。無論伊織が。

 彼女は俺を見て頷き、振り向きざまに鬼の鳩尾辺りにナイフの柄を叩き込む。直後に走り出した。

 慎也たちが離脱に使った窓から飛び出す。

 外も鬼でいっぱいだ。今鉄骨から墜ちたらいい餌になるだろう。早速飛び掛ってきた鬼をナイフで殴って迎撃した伊織がチラッと俺を見て跳躍した。ついて来いということだろう。


「伊織、コロニーの目星はつかないか?」

「さすがに無理。単純に考えれば鬼が来るほうなのかもしれないけど、ボスのほうから流れてきたかもしれないし、コロニーからわたし達のほうへ真っ直ぐ来るとは考えにくい」


 なるほど、確かにな。しかしそれではコロニー探索班の名折れだ。

 そんな考えを見越したのか、伊織が俺を見て言う。


「……ずっと見つかってて鬼に仲間を呼び続けてもらえば、コロニーから真っ直ぐ来ると思うけど? やってみたい?」


 どう考えても無謀だ。だが、このまま運任せに飛び回ることと天秤に掛けて……俺は挑戦するほうに傾いた。割りと投げやりな気分になってきたのかもしれないし、鬼の群れを見続けていたために危機感が麻痺して来たかもしれない。


「やってみようか、それ」

「うん、わたしもそう思ってたところ」


 思いがけない返答をされて、俺は伊織を見た。伊織も自分で呆れているように肩をすくめた。鉄骨を蹴る方向をちょっと変えて、鬼どもの真上を飛び超えるように跳躍する。足場に立ち、鬼どもが見上げる中心に伊織は屹立した。

 咆哮が伊織の下から巻き起こる。湧き上がるように次々と登ってくる鬼。そのうちの一体を踏み潰して、跳躍する。

 俺は彼女を追った。横に並んで言う。


「向こうで大きな群れの動きがあったが……」

「コロニーだったらいいね。行ってみようか?」


 伊織は俺に向かって不敵に笑っているようだった。俺も苦笑し、頷く。

 鬼が登ろうと手を掛けた鉄骨に着地し、跳躍した。

 当たり前だが、鬼が来るほうに進んでいくわけだから鬼の密度は増す一方だ。飛び掛ってくる鬼を肘鉄で迎撃していると別の鬼がまた襲い掛かってくる。掻い潜るようにしてかわし、ひたすら進むしかない。


「迎撃でも回避でも、足を止めたらダメ。鬼は仲間にも頓着せず襲ってくる」

「全く、なんて連中だ」


 見れば伊織は跳躍中に飛び掛ってきた鬼を踏みつけて進んでいる。なるほど、見事な迎撃と前進を両立させた行動だ。俺も早速真似をする。

 鬼の額を踏みつけて、蹴って、跳ぶ。はずが、足を捕まえられた。重みで急に落下する。


「おぐ、っくそ!」


 目の前の着地するはずだった鉄骨に手を掛け、振り子運動で鬼を振り回すが放してくれない。それどころか重さが増した状態で思い切り身体を振ったものだから、振り子運動の原理で大きく回ってしまい鉄骨から手を滑らせてしまった。

 なんとかバーニアをふかして持ち直し、空中で回転。少し下の鉄骨に鬼もろとも着地する。勢いをつけて踏み潰すように着地したために鬼が鈍い悲鳴を上げて手を離した。その隙を突いて蹴り、跳躍する。

 飛び掛ってきた鬼を回し蹴りで迎撃し、反動で方向転換。さらに足場を蹴り前進する。ペースを落としていたらしくすぐに伊織に追いついた。


「大丈夫?」

「なんとか持ち直したさ。それにしても、多すぎて参るな」


 伊織は同意するようにうなずく。


「コロニー周りはもっとひどいと思う。そういえば、コロニーってどんな形してるんだろう」

「壊せ、って言ってるからには見て分かる形だと思うが」


 ワルキューレが作成したミッションだ、その点は信頼していい。

 絶えず襲ってくる鬼をかわして跳躍する。もはや上空以外のどこを見ても鬼が視界を埋め尽くす。コロニーなんて見る影もない。


「これだけ多いと、ここいらにコロニーがあったとしても見落としそうだな」

「そんな駄ゲーをワルキューレが作るかな」


 伊織が鬼を蹴り上げつつ言う。こいつら数ばかりで動きは雑魚敵エインよりも悪いから対処自体は楽だ。それを補って余りある数が問題なのだが。


「もしかしたらここじゃないのかもしれない」

「全く、このマップから見つけ出すのは骨が折れるな。……どうやって離脱するんだ」

「地道に行くしかないでしょ」


 言うなり伊織は方向を六十度転換して跳躍した。置いていかれそうになった俺は鬼を蹴って勢いを殺し方向転換して跳躍する。数ばかりというのはこんなとき役に立つ。

 向かう方向にも大きな鬼の流れが見えた。無論俺たちのほうへ向かってくる鬼どもだ。


「タワーぐらい高いところから見たら何か分かるんじゃないか?」

「かもしれない。でも、さすがに無理がある」


 言われて、辺りを見回して気付いた。ここは未来都市内で言えばわりと辺境にあたり、天を貫くバベルの塔は遠すぎてかすんでいた。


「今回のマップとして想定していない、ってことだと思う」


 伊織が解説してくれた。未来都市というマップでもプレイ区域を変えることがあるらしい。

 さて参った。高低差の激しいこの街で物見やぐらとしてうってつけな物はあるだろうか。


「さすがに高所から探るのは諦めたほうがいいと思う。高層ビルばかりで、ビルの間にあったら見つけられないし」

「全く、じゃあどうしろと言うんだ」

「多分、なにか他にヒントがある。わたし達が見落としてること」


 伊織が鬼の顎にナイフを突っ込んでおきながらナイフを振り回して鬼を振り落とし、言う。

 非常にカッコイイ台詞だ。言いたかったのかもしれない。さておき、確かにそれはありえることだ。だが、なにかあるだろうか。

 見回すが、ヒントより先に焦燥のほうが感じられる。


「とうとう視界の果てまで鬼がうごめいているようになったぞ」


 街が鬼で満たされた。どうやって逃げろと。

 伊織もさすがに焦ったのか、動きに固さが見られるようになった。しかし鬼を跳躍ついでに殴り飛ばしているあたり、あまり支障はなさそうだ。

 背の高いビルの谷をを通り過ぎて目抜き通りに入る。ここも車道があるはずだが歩行者天国を上回るほどの驚異的な鬼密度だ。重機をかっ飛ばしてここを通過したら一種の凶悪なカタルシスが得られそうな気がする。

 通りを見通して、背筋が凍った。


「また、ボス……!」


 周りより頭一つ飛び出した鬼密度はこいつが原因か。

 周囲に大量の、それこそ隙間がないどころか小山になるほどの鬼を従えてゆっくりと歩いている。鬼に全く気を払っていないため、一歩ごとに鬼の山を蹴散らすのでいつも鬼の雪崩が起きている。その雪崩が次の瞬間山の下地になり鬼の山が作られてはまた蹴り崩される、を繰り返していた。

 幸いにもこちらに背を向けているが、この遠吠えが止まぬ限り気付くまでは猶予がない。

 跳びかかってきた鬼を殴り飛ばしてから、伊織と目配せして、全力で逃走する。

 襲いたかったのかウルトラマン跳びをしている鬼の下をくぐりながら愚痴った。


「全く、二度もあれと遭遇するなんてついてないな」

「陽子が教えてくれてもいいものだけど……向こうも結構危ないのかもしれない」


 最悪だ。これはいよいよ急いでコロニーを潰してしまいたい。

 俺たちだっていつ一撃くらってこの群れの只中に落ちるのか分からないのだ。落ちたらそれこそものの数秒でアウトさせられるだろう。そんなギリギリの状況で終わるまで逃げ続けるのはできれば避けたい。


「あのボスがあんなに鬼をはべらせてなければ、潰してやれたかもしれないのに」

「落ち着いて……。さすがにそれは無謀だから」


 伊織になだめられた。仕方がないので鬼を蹴る。悲鳴を上げて落ちていった。

 冷静な伊織が跳躍しつつ周囲を見渡す。ふとその目がある方向で止められた。


「……もしかして、ホントに動いてない?」

「この! ……なにがだ?」


 余所見をしている伊織に襲い掛かっていた鬼を蹴り落としてから聞き返す。伊織はそちらを見たままナイフを振り下ろした。額を割られた鬼が悲鳴を上げて落ちていく。


「あそこ」


 伊織は特に何を示すでもなく、進行方向をさっき見ていたほうへと変える。


「あそこの群れだけさっきからずっと動いてない。気のせいかとも思ったけど、多分、そう」

「……それは妙だな」


 なにせ仲間を呼ぶ遠吠えがひっきりなしに響いているのだ。今や萩山たちを追う鬼と俺たちを追う鬼しか居ないといっていいはずである。現にどこを見ても鬼たちの群れは川のごとき流れが見える。

 と、俺もそこを見つけた。たしかに、そこだけ孤立して淀んでいるように見える。蠢いてはいるためチラッと見ただけでは違いに気づけないだろう。


「十中八九、コロニーだろうな」

「護衛のためだとしても、なんで溜まってるんだろう」

「さあな。分かるのは、あそこを攻略するのは厄介ってことぐらいだ」


 少しずつ近づいてきて分かった。あそこの鬼密度はボス周り並に高い。あれを通るのは至難の業だろう。


「……もう全く関係ないけど、ちょっと気付いた。鬼の一部はコロニーに張り付いてはなれない性質があるのかもしれない。いくら蹴られても踏み潰されても、わたし達がどんな動きをしても、コロニーであるボスの周りにやたら鬼が多かったのはそのせいかも」

「……なるほど。そんな性質が」


 しかしまさしく全く関係ない。強いて言えばあそこがコロニーであることの傍証になるか。

 空中で鬼を踏みつけていると、伊織が言ってきた。


「あそこ、周りの建物より少し低いから手前のビルを通過して行こう」

「中にギッチリって落ちはないよな?」

「ないと願ってる」


 簡単に言いうなり窓をぶち抜いて飛び込んだ。俺も慌てて後を追う。

 散乱したガラスを踏み砕いて駆ける。予想とは裏腹になかはがらんどうとしていて鬼は居なかった。どういうことかと思っていると、一応居たらしい鬼を斬り殺している伊織に追いつく。


「なんでなかに居ないって分かったんだ?」


 伊織は俺を振り向き、しかしすぐに前を向いて先を急ぎつつ答えた。


「これまでの建物を見てきた限りでなかに鬼が見えたところはほとんどなかった。あと、居場所が外だって分かっているわたし達を追っているのに建物を通る必要はないんじゃないかな」


 だから、屋内に鬼がビッチリというのはないと思ったというわけか。あくまでよそを見た結果からの推測だからぼやかしたのだろうが、言ってくれてもいいのでは。

 ビルを真っ直ぐに突き抜けて対辺まで駆け抜ける。このまま飛び出したら目の前はコロニーだ。だが、その前に鬼の群れが立ちはだかる。さすがにコロニーに張り付いた鬼でもすぐ近くまで接近したら襲ってくるというのはボスの時点で経験済みだ。


「どうやってかわそうか」

「今はコロニーの鬼が邪魔だからあまり入ってきてないけど、後ろから鬼が来てるよ。思い切って飛び出そう」


 確かに背後から鬼の唸り声がしきりに聞こえてきており、今にもこちらに到着しそうだ。だが、だからといって無策に飛び出したら鬼に囲まれてあぼーん、じゃなかろうか。


「よし伊織、ここは古典的に攻めよう」

「え?」

「俺が囮になる。そうすれば後ろの連中は外での遠吠えに引かれて伊織を気にせずまた外に飛び出すだろう。鬼どもが減ったのを見計らって突入すればいい。囮なんかしたら俺が死ぬのは時間の問題だから、なんとか慎也たちがやられないうちに片をつけて欲しい」


 長台詞を早口に言った。伊織が反論する前に窓から飛び出そうと助走をつける。その瞬間に廊下から俺が見えたのだろう、鬼の遠吠えがいくつも重なり合って響いた。

 飛び出す。

 窓を超え、外に出た瞬間、足元の鬼どもが一斉に俺を見上げた。

 次の瞬間動き出す。

 鉄骨を蹴って跳ぶ。振り返れば、鉄砲水でも噴き出しているような勢いで鬼どもが俺たちのいたビルから出てきているのが見えた。伊織はちゃんと身を隠しただろうか。


「ッ!」


 鬼が飛び掛ってきて、身をよじってなんとか避ける。鉄骨を踏み、蹴る。鬼を蹴散らしながら退避。

 余計なことを考えているほど余裕ではない。一体何匹いるんだこの鬼どもは。

 後方でさらに遠吠えが響いた。伊織が行動を開始したのかもしれない。いよいよもって囮としてちゃんと働かねば。

 方向転換して、そのとき襲い掛かってきた鬼を蹴り落として、跳躍。伊織を追う連中の後背を突っつく。俺に気を引かれて少しずつ鬼は伊織ではなく俺を追うようになる。これでこそ囮。鬼が思い通りに動いてくれて、ちょっといい気分だ。

 などと考えていたのが間違いで、俺は鬼を迎撃しているところにタックルを食らって鉄骨の上から叩き落された。足に鬼がまとわりついている。


「クソッ!」


 膝蹴りを鬼の顔面に連打。仰け反った顎を蹴り込んで引き離す。すぐに体勢を整えてクナイを上方に飛ばした。幸運にもクナイがうまく鉄骨に刺さった。一気に巻き上げる。

 振り子運動をしながら体が上に引き上げられる。加速しつつ鬼をかわした。十分勢いがついた時点で切り離す。勢いを利用して鬼を蹴り上げた。そうして空いた足場に着地する。

 横合いから突っ込んできた鬼に、逆にこちらも踏み込む。腕を取り、掻い潜るように懐に入って、肘を喉に叩き込む。突っ込んできた自分の勢いで喉に食い込み、ガチッと硬い音を立てて鬼が一瞬固まった。

 取った腕を握りなおし、振り回す。バットを振るような要領で襲い掛かってくる鬼を打ち返した。が、重いので俺も振り回されて足を踏み外す。

 鬼を回し、そいつの重量を支点にして背中に乗る。サーフィンでもするような格好で鬼の群れに墜落した。何匹か鬼が鬼の下敷きになる、その隙に離脱。


 クナイを打ち体勢を整えようとするが今度は鬼が射線に飛び込んできて失敗。取りあえず巻き上げる。俺の身体も向こうに引っ張られたので、加速をつけて顔面パンチ。ワイヤを切ってそいつの腹を足場代わりに蹴り離脱を試みる。

 が、他の鬼がタックルを敢行してきて吹き飛ばされた。ガッチリとホールド……というかもはやハグされている。蹴って蹴って引き離した、と思った瞬間に墜落。背中を打って息が詰まる。

 とにかく鬼の額を張り手でどつき、離れた隙間に足をねじ込み胸に足の裏を当てるようにして蹴り上げた。

 立ち上がる途中で鬼が来て肘鉄で迎撃。いい加減いっぱい一杯になってきた。

 伊織なら上手く立ち回れるのだろうが生憎と俺はあんな器用じゃない。


「もう少し生き延びるべきかな……」


 今伊織がコロニーを捜索しているか攻撃しているかのはずだ。もう少し引きつけていなければならない。そうすれば伊織が終わらせてくれるはずだ。

 クナイを右手に持ち、構える。


「……来いよ。せいぜいあがき続けてやる」


 だからってホントに来なくていいんだが!

 鬼を蹴りあげて、その足を下ろさず後ろ回し蹴り。足を下ろすと同時に横合いから来た鬼をかわしつつ他の鬼に肘鉄を当て、逆手に持ったクナイで真横に引き裂くように振り抜く。その胸倉を掴み、左から来たやつの盾にする。身体の影からクナイを撃って撃破。

 跳び、鬼の肩を踏み台にして跳躍。真上にクナイを撃って一気に巻き上げた。

 飛び掛ってくる鬼を蹴り飛ばしたため、反動でくるくる回ってキモチワルイ。バーニアで体勢を整える。鉄骨に手をかけ、よじ登った。

 同じ鉄骨に飛び乗ろうとした鬼の足を払う。腰を強打してクルクル回りながら悲鳴を上げて落ちていった。振り向きざま牙を向いている鬼をクナイで貫く。口の頬から頬へ刺したらしく大口を開けているなかにクナイが見える。ぐろいので蹴り落とした。

 バック宙で背後から突っ込んできた鬼をかわし、その後頭部にクナイを撃ち込む。


「がッ」


 背後から再びタックル兼ホールド。押し倒されてうつ伏せになる。

 牙をむいて噛み付こうとする鬼に肘鉄を叩き込んだ。俺の身体を挟まず口が閉まる。その隙に脳天へとクナイを突き刺して、振り払う。

 まだ鉄骨に尻をつけたままだというのに鉄骨によじ登ろうとする鬼がいた。クナイで一閃切り裂く。悲鳴を上げ、ビックリしたのか手を離して落下する。

 立ち上がらず俺は後ろへ転がった。片足を振り上げて鬼を迎撃。鬼がわらわらと鉄骨によじ登るのを見てたまらず跳躍。が、また背後からタックルされた。低能の鬼め、それしか出来んのか。


 身をよじり鬼へとクナイを打ち込んだが、引き離す前に他の鬼が飛びついてきた。必死にジャブを連打して振り放そうとする。衝撃。

 鉄骨に落下したらしい。後から来た鬼が下敷きになったためダメージは少ない。額にクナイがつき立っている鬼を蹴り飛ばして引き離し、足元でもがく鬼の顎を踏み砕いて黙らせた。

 右に顔を振った瞬間、牙をむいて飛び掛ってくる鬼が眼前に迫ってきた。

 身をかがめ、俺の身体を飛び越えた鬼の顎を左手のクナイで下から突き刺した。俺の背中でワンバウンドして落ちる。

 が、鬼のボディープレスを受けた俺は膝をついており、後続の鬼の攻撃を避けられなかった。




 はずなのだが、どうしたことか、なんの衝撃もなかった。

 思わず頭をかばうようにあげた腕を下ろす。


「……な!?」


 衝撃に腰砕けになった。後退りして足を踏み外し、鉄骨から落下してしまった。なんとか体勢を立て直して地面に着地する。

 着地できる。

 鬼が消えていた。あれだけひしめき溢れかえっていた鬼が、跡形もなく。

 突然視界が驚くほど開けたため、感じるうそ寒さに寒気が止まらない。


「ゲーム終了――! 伊織さんがコロニーを破壊! YOU WIN!!」


 ワルキューレがコールした。

 なんとか終わったらしい。胸のつかえがおりる、どころか何か重要な物まで取り落としたかのような空虚な感覚に襲われた。呆然と立ち尽くす。

 視界が反転する――……。


「ワルキューレ、あの理不尽な鬼の量はなんなのさ! 囲まれたときはもう圧死するかと思ったよ!」


 起きて早々、萩山の抗議する声が聞こえた。明るいところに慣れない目が痛む。目頭を押さえてマッサージしながら起き上がる。

 ワルキューレがキョトンとした声でピントのずれた回答をした。


『そう言われましても、スリルがないと鬼ごっこにならないでしょう』


 スクリーンの映像が二分割されており、ワルキューレと頭を抱えているスクルドがいた。


『……っスリルありすぎだわよ! お陰でもうあたし未来都市行けない! ああ夢に出たらどうしよう』

「夢見るのかよ」

『や、見ないけど。ていうか夢って実際問題どんな感じのモノよ』


 そもそも分かっとらんではないか。

 スクルドが腕を組んで眉をしかめる。分かったような口ぶりで語った。


『なんかもやもやしてるのを見てて、変に思わないわけなくない? しかもなんで見てんのに忘れんのよ。そんなワケワカンナイもの見たんなら普通忘れないでしょ』

「知るか、脳医学書でも読め」


 と、伊織がスクリーンに映るワルキューレの前に立った。見れば、その顔は心なしか強張っている。


「……ワルキューレ。あのコロニーは」

『ええ。飛び切り不気味なものを設定しました。なんせ鬼の繁殖地ですからね』

「あれは、ない。ありえない。どう考えても、ない」

「……伊織。なにがあった」


 ブツブツと呟く伊織に向けて問いかけたら、彼女は身を強張らせたあと何かを振り払うように首を振り、疲れた顔でこっちを見た。


「思い出させないで」


 よっぽど怖い思いをしたようだ。

 ノーテンキな笑顔でワルキューレがヌケヌケと言う。


『でも、結構楽しかったですね! またこういうのやりましょうね』


 否定もしないし、それは全く構わないが、次にやる物はくれぐれもよく考えて決めてくれよ?

 第二回番外編、鬼ごっこをお送りいたしました。

 鬼の密度が増えれば増えるほど会話をする余裕がなくなって地の文も増える増える。読みにくくて大変失礼いたしました。もっとサクサク読めるアクションを練習したいと思います……次回作から(ぇ

 この読みにくい描写も今作の特徴かな、と思い始めたので、通そうと思います。この作品をじっくり読める人は活字離れとは縁がない方でしょう(ぉ


 フリーダムに脈絡もなく始まっては終わる番外編。

 次回をお楽しみに!

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