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第12章 白灯の告白(前)

白灯宮の大広間に、人々が集められた。


 夕方の光は雪雲に遮られ、壁の灯だけが床を照らしている。使用人、護衛、村人、負傷者を支える者、春灯使者、銀雪文官。誰も声を高くしない。声を高くすれば、この部屋に積もった不安が崩れると知っているようだった。


 ノアは広間の中央に立ち、並べられた机を見た。


 一つ目の机には、公開用記録。二つ目には、封印箱。三つ目には、霜谷の台帳。どれもヴェルカの手で配置され、白灯宮の記録係が控えている。


 出入口にはカイルの部下が立っていた。閉じ込めるためではない。誰かが連れ去られないためだ。


 リゼはノアの隣にいる。


 昨日まで、その事実だけで胸が痛んだ。今も痛みは残っている。けれど、痛みがあることと、隣に立てないことは同じではない。


 ヴェルカが一歩前に出た。


「これより、白灯宮臨時記録を開きます」


 老女官の声は広間の端まで届いた。


「この場での発言は、白灯宮の管轄において記録されます。発言者への私的拘束、証拠の持ち出し、儀式前の個別尋問を認めません。妨害した者は、所属を問わず退去させます」


 春灯使者が眉を動かした。銀雪文官も、口を開きかけて閉じる。


 ヴェルカは彼らを見なかった。


「ノア・ベルン殿下。リゼ・アルシア殿下。始めてください」


 ノアは一度、息を吸った。


 演説をするな、と自分に言い聞かせる。煽るためではない。赦しを乞うためでもない。隠していた事実を、一つずつ机に置くために立っている。


「俺は、春灯王国から密命を受けて白灯宮へ来た」


 広間がざわめいた。


 ノアは止まらなかった。


「双灯の儀を成立させること。銀雪側の動きを探ること。必要なら白灯宮の維持より、自国の利益を優先すること」


 誰かが息を呑む音がした。


「俺は、それを隠していた」


 声が少しだけ低くなる。


「最初から話さなかった。白灯宮の人たちに、霜谷の人たちに、自分たちが何の計画の中に置かれているか、判断材料を渡さなかった。それは俺の責任だ」


 春灯使者が立ち上がった。


「殿下、その発言は本国の意図を」


「座れ」


 ノアは振り向いた。


 怒鳴らなかった。けれど、声は広間の空気を切った。


「俺の名で話している」


 使者の顔が強張り、ゆっくりと腰を下ろす。


 ノアは続けた。


「もう一つある。白灯宮と霜谷からの撤収計画だ。街道を制限し、支援を絞り、結界が不安定になった場合は、両国の主要人員だけを先に退避させる。村人、使用人、下級文官、記録係、負傷者の退避は、計画の後ろに置かれていた」


 今度のざわめきは、悲鳴に近かった。


 広間の後方で、ミナの母が口元を押さえた。白灯宮の下働きが、隣の者の袖を掴む。トルは壁の灯を見上げ、薪を担いだ肩を強張らせている。


 撤収計画。


 王都の紙の上では、それは配置転換の一種かもしれない。けれど、ここでは火のない小屋で一晩を越すこと、荷車に乗れない子どもを抱えること、誰が最後まで残されるかという意味を持つ。


「証拠を出します」


 リゼが言った。


 ノアは一歩引かず、ただ彼女の隣を空けた。リゼは公開用記録を手に取り、広間へ向ける。


「銀雪王国側にも、密命がありました。春灯側の意図を探ること。双灯の不安定を利用し、国境交渉で優位を取ること。必要なら、白灯宮の責任として処理すること」


 銀雪文官が青ざめた。


「リゼ殿下」


「わたしは知りました。そして、ためらいました」


 その一語で、ノアは彼女の横顔を見た。


 逃げない顔だった。


「公開すれば、命令を出した者だけでなく、書簡を運んだ者、記録を保管した者、封蝋に触れた者、侍女、下級文官まで問われる恐れがあったからです。わたしはその名を数えました。数えた結果、止まりました」


 広間は静まり返っている。


「ですが、沈黙もまた、人を守りませんでした。沈黙の間に、白灯宮と霜谷の人々は切り捨てられようとし、銀雪側の下位者もまた、知らなかったことにされかけました」


 リゼの手は震えていない。公開用記録の下に、封印箱の影が落ちている。


「証拠開示は、わたしの判断です。個人名は必要最小限まで伏せます。命令を出した者の代わりに、下位者の名で空欄を埋めることは認めません」


 セリナがリゼの後ろに控えていた。顔色は白い。弟のことを考えているのだろうと、ノアは思った。それでも彼女は視線を逸らさない。


 ユルダが三つ目の机へ進んだ。


「霜谷の記録を出します」


 彼女の声は、王族の発言よりも低く、しかしよく通った。


「消された死亡記録。足りない薪。止まった灯油。街道制限後に届かなかった薬。撤収計画に載っていない小屋の数。ここにあります」


 台帳が開かれる。


 きれいな告発ではなかった。紙の端は擦り切れ、古い血のような染みもある。だが、その汚れが、王都の整った書簡よりも真実に近かった。


「名前を出せない者もいます」


 ユルダは言った。


「出せば処分されるからです。けれど、いなかったことにはしません」


 療養室から来た若い侍女が、壁際で小さく泣いていた。誰もその名を呼ばない。呼ばないことが、今は守ることだった。


 ノアは広間を見渡した。


「俺たちは、最初から正しかったわけじゃない」


 自分の声が、胸の奥に響く。


「俺は隠した。リゼもためらった。俺たちは互いを疑った。その間に、ここにいる人たちが危険に置かれた」


 リゼがわずかに息を吸うのが分かった。


「それでも、今ここで言う。白灯宮と霜谷を、撤収計画の欄外には戻さない。使用人、村人、護衛、侍女、記録係の名で、この計画の穴を埋めさせない」


 春灯使者が震える声で言った。


「その発言は、殿下ご自身の立場を損ないます」


「そうだろうね」


 ノアは答えた。


 軽く言いそうになって、やめた。これは軽くしてはいけない。


「損なう。俺はそれを承知で話している」


 リゼも続いた。


「わたしも同じです」


 その時、広間の後方で、トルが一歩前に出た。


 薪を運ぶ若者だった。第七章の荷路で、湯を取りに走ろうとしてカイルに止められた顔を、ノアは覚えていた。


「殿下」


 男は膝をつこうとして、ヴェルカに目で止められた。


「俺たちは、何をすればいいんです」


 問いは素朴だった。


 怒りでも、崇拝でもない。ただ、自分の足で立つための問いだった。


 ノアは答える前に、カイルを見た。


 カイルは壁際で短くうなずいた。今言うべきことを、現場はもう組んでいるという顔だった。


「選んでほしい」


 ノアは言った。


「この場に残って証言するか、名を伏せて退避するか。どちらを選んでも、裏切りにはしない。退避する者の道はカイルが組む。証言する者の名は、ヴェルカ殿が白灯宮の記録で守る。谷の名簿はユルダが分ける。銀雪側の侍女と文官は、セリナが連絡線を持つ」


 人々が互いを見る。


 今まで、命令は上から降ってきた。密命も、撤収計画も、街道制限も。けれど、今この場で初めて、彼らに選ぶという言葉が渡された。


「俺たちは、命令を出すためだけに立っているんじゃない」


 ノアはリゼを見た。


「判断材料を隠さないために立っている」


 リゼがうなずく。


「選んだ結果は、わたしたちも負います」


 広間の端で、若い護衛が一歩前に出た。


「私は、証言者の退避列に付きます」


 別の使用人が言った。


「療養室に残ります。名は、今は伏せてください」


 ミナの母が、子どもを抱えたままユルダの机へ向かう。


「うちの小屋の人数、もう一度書きます」


 小さな動きが、広間のあちこちで起き始めた。


 熱狂ではない。拍手もない。誰も勝利を叫ばない。


 それでも、王都の紙に置き去りにされていた人々が、自分の足元を確かめるように動き出した。


 ヴェルカが記録係へ合図を出す。セリナは侍女たちを静かに集め、聞かれたこと以上を答えないよう再び指示している。カイルはすでに出入口へ向かい、街道の様子を確認させていた。


 ノアは、少しだけ肩の力を抜いた。


 次の瞬間、外で鐘が鳴った。


 一つ、二つ、三つ。


 警鐘だった。


 広間の空気が凍る。


 カイルが扉を開け、雪を背負って戻ってきた。


「街道が閉じられました。避難民が外庭へ流れています。霜獣の影も出ています」


 白灯宮の灯が、一斉に細くなった。


 リゼがノアを見る。


 公表は終わりではない。


 始まりだった。


「灯の間へ」


 ヴェルカが言った。


 ノアはうなずいた。


 今度は、隣にリゼがいる。


 二人は同時に走り出した。


ここまでお読みいただきありがとうございます。次話も毎日19時に更新予定です。


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