第4話「道を繋ぐ」
二倍。
迂回路を歩き終えたミリアの頭に、その数字が刻まれていた。
崖崩れで塞がれた東の街道。その代わりに三年間使われてきた北回りの迂回路は、本来必要な距離のおよそ二倍の遠回りだった。歩測で数え、紐で確認し、地図の上に線を引いて比較した結果は明白だった。
そして崖崩れの現場を、ミリアは護衛兵とともに手前から確認した。
崩落は小規模だった。
斜面の土砂が道を覆っているが、幅はさほど広くない。岩盤が露出している箇所もあり、土砂を取り除いて路肩を補強すれば、馬車が通れる幅を確保できる。前の世界で見た現場の写真と、事務所で整理した工事記録の記憶が、ミリアの判断を裏づけていた。
三年間、誰もこれを確かめなかった。
崩れたから通れない。通れないから迂回する。迂回路があるから困らない。そういう前提が、三年間そのまま放置されていた。地図がないから、遠回りの正確な距離を誰も把握していなかった。
ミリアは城に戻り、二つの書類を作成した。
一つは、迂回路と本来の街道の距離比較を示す地図。もう一つは、崖崩れ箇所の補修計画書。必要な作業の内容、概算の人員、資材、工期。測量の数値と、現場で確認した崩落の規模から割り出した見積もりだった。
翌朝、ミリアはハイドの執務室を訪ねた。
ハイドは机に向かい、前日の軍務報告に目を通していた。ミリアが入ると顔を上げ、短く顎で椅子を示した。
ミリアは座り、二枚の書類を机の上に広げた。
「迂回路の測量結果です。現在の北回りは、崖崩れ以前の街道と比較して、距離がおよそ二倍です。東の集落への物資輸送に余計にかかっている日数は二日。この道を補修すれば、その二日が短縮されます」
ハイドは地図に目を落とした。迂回路の線と、本来の街道の線。その差は一目で明らかだった。
「崖崩れの規模は」
「小規模です。土砂の除去と路肩の補強で、馬車が通れる幅を確保できます。現場を確認しました」
ハイドの視線が補修計画書に移った。工期、人員、資材の欄を順に追う。
「兵を二十、三日」
「はい。それが最低限の見積もりです」
ハイドは計画書から顔を上げず、背後に声を投げた。
「グレン」
執務室の入口近くに控えていたグレンが、一歩前に出た。
「はっ」
「兵を二十、三日出せるか」
グレンは腕を組んだ。即答はしなかった。
「出せます。ただ、将軍」
「何だ」
「兵の間で声が出るかもしれません。将軍の奥方が兵の運用に口を出した、と」
ハイドは黙った。グレンの懸念は的外れではなかった。辺境軍は実力主義の気風があるが、それでも指揮系統の秩序は軍の根幹だった。将軍の妻という立場だけで兵を動かせば、軍の中に余計な摩擦が生まれる。
グレンはさらに一歩進み、声を落とした。
「もう一つ、将軍にお伝えすべきことがあります」
ハイドが顔を上げた。
「奥方様の測量の知識は、公爵令嬢の教養の範囲を超えています。自分はその出所が気になっております」
ミリアの背筋が、わずかに強張った。
ハイドはグレンを見た。それからミリアを見た。ミリアの表情は変わっていなかった。変えないようにしていた。
「結果が出ている」
ハイドの声は平坦だった。
「出所を詮索する理由がない」
グレンは一瞬だけ口を開きかけ、それから姿勢を正した。
「了解しました」
ハイドは計画書に視線を戻した。
「兵には、迂回路の距離と補修後の短縮効果を説明する。その上で志願制にしろ。強制はしない」
「はっ」
グレンが退出した。ハイドはミリアに向き直った。
「補修の現場監督は誰がやる」
「私が立ち会います。作業の手順と優先順位は計画書に記載しましたが、現場で判断が必要な場面があるはずです」
ハイドは少しの間、ミリアを見ていた。それから短く頷いた。
「護衛はつける」
「ありがとうございます、ハイド様」
ミリアは一礼して立ち上がった。
執務室を出る廊下で、息を吐いた。
出所を詮索する理由がない。
その一言が、予想外に重かった。ミリアは前世の記憶を誰にも明かせない。「独学で学んだ」という説明には限界がある。グレンの疑念は当然のものだった。いつか問い詰められる日が来ると、覚悟していた。
けれどハイドは、問わなかった。
結果で判断する。それは軍人的な合理性なのだろう。ミリアにとっては、それで十分だった。
志願は、翌日には二十名を超えた。
グレンが兵たちに迂回路の距離と補修効果を説明した際、東の集落出身の兵が三名いた。彼らが真っ先に手を挙げ、それに引っ張られるように他の兵も続いた。
補修工事は三日間で行われた。
ミリアは毎日現場に立った。護衛兵二名とエルマを伴い、作業の進捗を確認し、地形に応じた判断を下した。土砂の除去は兵たちの力仕事だったが、どこを掘り、どこを残し、路肩をどう固めるかはミリアの指示に従った。
兵たちは最初、ミリアの指示に戸惑いを見せた。
将軍の妻が土埃にまみれた現場に立ち、具体的な作業を指示する。その光景は、彼らの常識にはなかった。
しかし作業が進むにつれ、指示の的確さが疑念を上回った。ミリアが「ここを掘れ」と言った場所を掘ると、確かに岩盤が出てくる。「この角度で土を盛れ」と言った通りにすると、路肩が崩れない。
三日目の夕方、最後の土砂が除かれ、道が開いた。
馬車一台が通れる幅。広くはないが、十分だった。三年間塞がれていた東の街道が、再び繋がった。
最初の荷馬車が通ったのは、補修完了の翌日だった。
東の集落への食糧輸送。これまで北回りで五日かかっていた行程が、三日で済んだ。二日の短縮。ミリアの地図が示した通りの結果だった。
城に戻ったミリアを、エルマが迎えた。
「ミリア様。東の集落から伝言が届きました。『荷物が早く届いた。ありがたい』と」
ミリアは小さく頷いた。
それだけのことだった。道を直し、距離を縮め、荷物が早く届くようになった。声を上げたわけではない。制度を批判したわけでもない。ただ、地図を描き、道を測り、計画を立て、実行した。
結果が、現実を変えた。
これが始まりだった。道は一本直っただけだ。辺境にはまだ測量されていない道が無数にあり、崩れたまま放置された場所がいくつもあるはずだった。
「エルマ」
「はい、ミリア様」
「明日から、街道沿いの測量を再開するわ」
エルマは深く頷いた。その顔に、もう不安の色はなかった。
その夜、グレンがハイドの執務室を訪ねた。
「将軍。東の輸送が二日短縮されました。奥方様の計画通りです」
ハイドは報告書に目を落としたまま、短く応じた。
「聞いている」
グレンは少し間を置いた。
「それと、一つ報告を」
「何だ」
「奥方様が描かれた地図ですが、補修前と補修後の経路比較図を、兵の詰所に貼り出しました。東の集落出身の連中が、自分たちの村が載っていると言って見ています」
ハイドは顔を上げなかった。
「好きにさせろ」
グレンは一礼して退出した。
執務室に一人になったハイドは、机の端に置かれた地図に手を伸ばした。ミリアが最初に描いた、城周辺の概略図。既に何度も広げた跡がある。
ハイドはそれを手に取り、しばらく見つめてから、自室へ向かった。




