第8話 突然の旅立ち
午後6時前、家の中はもう暗い。 夕食を済ませたイナギリ一家がそろそろ就寝しようかというとき、外から馬の蹄の音が聞こえてきた。 カッ、カッ、カッ。 音はイナギリ家の敷地に入り、止まった。 馬のいななきが小さく聞こえる。 ヒィン。
「誰か来たようだ」
父親シンジが立ち上がり、玄関へ向かった。
玄関ではドアがノックされていた。 コンコン、コンコン。 ドアを開けると、満月の月光に照らされる2人の見慣れぬ男。 どちらも良い身なりで、腰に剣を帯びている。 1人はシンジより随分と背が高い。
背が高くない方の男がシンジに名乗る。
「私はノシメハナ王国の第二王子ノシメハナ・イロハ。 お宅のお嬢さんを助けに来ました」
シンジは怪訝な顔になる。
「娘を? どういうことでしょう?」
「事は一刻を争います。 ノシメハナの篭手の所有者であるクルチアさんを捕縛しようと、国の部隊が今こちらに向かっています。 国は冤罪でクルチアさんを殺すつもりなのです」
「なんですと...」
絶句するシンジに、イロハは尋ねる。
「クルチアさんは今どちらに?」
「とにかく、お上がりください」
目の前の人物が王子であるとシンジは信じた。 身なりが良く、物腰に気品があり、立派なお供を連れている。
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シンジは居間のランプに火を灯し、クルチアと妻のルザを居間に呼び集めた。 熊との戦いから一週間を経て、クルチアは家の中をウロウロできるまでに回復している。
「それで、なぜ娘が国に命を狙われるのでしょう?」
「えっ! わたし命を狙われてるの?」
クルチアの驚きに構わず、イロハは説明を始めた。
「ノシメハナの篭手が元は全身鎧だったと明らかになったためです。 ブーツが復元されたからには、他のパーツも復元が進み、ゆくゆくは全身鎧になると推定されます。 天空竜の鱗で出来た全身鎧ともなれば、数あるアーティファクトの中でも一級品。 一介の村娘に持たせておくには惜しい。 国はそう考えたのです」
シンジがイロハに尋ねる。
「殿下のお考えは国と違うと?」
イロハはクルチアに目を向けた。
「私はクルチア殿を戦士として育てるべきという考えです」
クルチアは堪りかねて口を挟む。
「待ってください。 そんなに大切な物なら、私はノシメハナの篭手を国にお返しします」
しかしイロハは首を横に振る。
「そうはいかないんだ。 生物ベースのアーティファクトは、いっときに1人の所有者しか認めない。 君が死ぬまで、ノシメハナの篭手は君にしか使えない。 君は国に罪を着せられ殺されるか、私と共に来て戦士としての名声を確立するしかない」
「戦士としての名声...?」
「そうだ。 君がノシメハナの篭手の所有者として十分な働きを示せば、国も考えを変えるはずだ」
「でも、そんな。 国に追われながらどうやって―」
「その辺は私に考えがある。 時間が惜しい、早く支度をしたまえ。 ああ、ノシメハナの篭手とブーツだけでいい。 着替えなどは後で私が用意する」
こうしてクルチアは決心もあやふやなまま、半ばイロハに引きずられるようにして実家を出ることになった。
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イロハと副官ヒョウゴノスケ、それにクルチアは馬上の人となった。 イロハはクルチア用の馬を連れてきていたのだ。 ヒョウゴノスケに馬を余分に引かせていた。 クルチアは馬に乗るのが初めてだったが、イロハは容赦なくクルチアを急かした。
去り際に、イロハはクルチアの両親にアドバイスをした。
「数時間後に捕縛部隊がここに来るはずです。 彼らはクルチア殿の行く末を知ろうと、あなた方を尋問するでしょう。 その時には構わないから、私がクルチア殿を連れ去ったと答えてください。 そうすれば貴方がたに危害を加えないはず。 さて、それでは出発だ」
両親と娘は慌ただしく別れの言葉を交換した。
「クルチア、お前の無事を祈っているぞ」「手紙を書いてね」「パパ、ママ、元気でいてね」
こうしてクルチアは呆気なく旅立った。 去りゆく3つの背中を眺めながら、シンジとルザは呆然とする。 娘が家を出るまであと2年はあると思っていた。 こんな形で出ていくとは思わなかった。 あまりに突然のこと過ぎて、別れの悲しさすら湧かなかった。 きっと明日になって悲しみと寂しさが湧くのだろう。




