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慶喜の弟  作者: ガリ
8/11

慶喜の弟8

3️⃣慟哭

慶応元年(1868年) 江戸城


「…とのー若殿っ!!」

鋭い呼びかけに喜徳は薄っすらと目を開いた。

「……!?」

とっさのことに自分が今どこで何をしているのか記憶が錯綜する。

「…ああ…」

額を押さえながら2,3度ゆっくりと頭を振る。喜徳は背にした柱の硬さにようやく自分の置かれた状況を思い出した。

徳川余九麿は松平家に養子に入った後、その名を喜徳(のぶのり)と改めていた。

どうやらうたた寝をしていたらしい。4年前、慶喜に連れられて京へ旅立って以来、1度も帰ってはいない故郷、水戸の夢を見ていた。相変わらずつぶらな瞳で年よりは幼く見えるものの、最近ではその口元に愛らしい笑窪が見られることは滅多になくなっていた。

この所ゆっくり鎧を解いて眠る暇もない喜徳の体力にも限界が来ていた。最も喜徳はまだ15才という年若である。本来なら多少の強行軍でも、ものともしない体力があるはずだったが…疲れの原因はもっと別のことー彼の精神に深く根ざしていた。

江戸城大広間ー数日前、喜徳は義父松平容保と共に慶喜の供をして大阪より海路を経てこの地へ帰ってきたのだった。

この4年間で幕府を取り巻く世情は大きく変化していた。

14代将軍徳川家茂は、幕府に逆らい禁門の変や蛤御門の変などを起こし京の都を混乱に陥れた長州藩を征伐するため上洛し当時の帝であられた孝明天皇の信頼を得、朝廷と幕府の関係もうまくいっているように思えたが、慶応3年(1867)夏に家茂が、冬に孝明帝が相次いでこの世を去ると、既にその頃薩摩藩と同盟を結んでいた長州は、三条実美や岩倉具視といった倒幕派の公家達と密かに謀って幼い新帝(後の明治天皇)を抱き込み"倒幕の密勅"を勝ち取った。

だが家茂の後を継ぎ15代将軍に就任していた慶喜は、その優れた情報網によって倒幕派の動きを事前に察知し先手を打って政権を朝廷に返上する"大政奉還"を行なったのだった。

これで一時は将軍が朝敵になるという最悪の事態は避けられたかと思われたが、既に胎動し始めた時代は旧勢力の逆流を許さなかった。

御所に呼びつけられた慶喜は一方的な形で官位・所領地も剥奪。倒幕派の公家や大名達に固められての席では、如何な才子の慶喜でも手の打ちようもなかった。

政権は返上したが官位・所領地剥奪となってはどうにも立ち行かぬーこうして無理矢理始めさせられた形となった鳥羽・伏見の戦いで幕府軍は惨敗。体制を立て直すべく、慶喜は容保やその弟定敬、喜徳らを引き連れて本拠地の江戸へ舞い戻ってきたというわけだったのだが……。


「すまぬ…義父上はどうなされた?上様内々のお話とやらは済んだのであろうか?」

「それがー大変でございまする!上様は…上様は我が会津をお見捨てになった!」

「……!?」

喜徳は大きく目を見開き、目の前で鬼のような形相をしている会津藩江戸家老、神保内蔵助を見つめた。

『慶喜兄がー!』

「上様はー賊になるには及ばず。余はこれより上野寛永寺にて恭順蟄居に入るゆえ、肥後守(容保の役職)も登城するに及ばず、早々に国元に帰参すべしとのお言葉を賜られたとの由ー」

「ー」

「なんと!!」

「それはまこと上様の御言葉かっ、神保殿」

広間で容保の供をしてきて控えていた会津藩士達の間に異様なざわめきが走る。

「上様の御思召しなればこそ我が殿は、血を吐く思いで藩士達を大阪に残され上様に従われたというに…」

「あの一件さえなければ神保殿!其許の倅殿とてあたら若い命を散らせずとも済んだものを…」

神保は喜徳を憚ってか、答えない。しかし喜徳には彼の無言こそが何よりもの非難であった。

密かに江戸に帰ると言い出したのは慶喜だったが、後日容保の側近であった内蔵助の嫡男、修理が江戸に帰るのを主君に勧めたという話を聞きつけて大阪城内に取り残された会津藩士達の怒りは修理に集中した。彼らが本当に怒りをぶつけたかったのは将軍である慶喜や主君容保にであったが、まさか直接抗議するわけにもいかない。

行き場を失った藩士達の怒りは、東帰を進言したという修理にのみぶつけられた。藩の中でもどこかでこの溜まりに溜まった彼らの鬱憤を抜いてやる必要があったのである。

そして修理はその責めを負って切腹。いわば容保の身代わりとして詰め腹を切らされたのであった。しかし、容保とて"将軍には必ず従わなくてはならない"という会津松平家の家訓に従ったのだ。1番の責めを負わなければならなかったのは敵を目の前に逃げ出した将軍慶喜である、というのが会津藩士達の意見の帰結する所だった。

「上様とはいえ、あまりにも人もなげな御振る舞いじゃ…」

「これ…それ以上は言うまいー若殿の御前じゃ…」

『皆の視線が突き刺さるようだ』

会津に養子に来て以来、あまり好意的でない視線にはいい加減慣れっこになっていたが、それは慶喜の弟であるという誇りと水戸と会津の懸け橋になるという使命が喜徳を支えていたからである。

『だが最近の兄上はー』

鳥羽・伏見の戦以降、喜徳を憔悴させている原因ーそれは以前とは打って変わったような態度を取り続ける慶喜と、慶喜の弟である自分自身の存在だった。神保から顔を背け藩士達の視線を避けるように畳の縁に視線を落とした、その時ー。

「殿っ!!」

弾かれるように顔を上げた喜徳は、再びざわめいた人の波の中心に義父容保の青ざめた弱々しい姿を見出した。

「義父上……」

「おお喜徳…」

家臣の中から喜徳の顔を見つけ出した容保は、顔色を失いながらも喜徳の心を気遣ってなおも精一杯の笑みを浮かべた。

義父の優しさを感じ取った喜徳は家臣達の針の筵の中にいる時よりも一層胸が詰まった。

兄が言った通り、義父となった容保は優しい、優しすぎるほどの性格の持ち主で敵地同然の会津に幼くして養子に入った余九麿を細やかな愛情で包み育ててくれた。

自らも会津藩8代藩主の養子であった容保は自分にも養子の気兼ねがわかるからと、小姓でさえ気づかないようなことや細やかな心配りで余九麿に接してくれた。

重臣達にはなかなか打ち解けられなかった余九麿もこの新しい義父にはよくなつき、やがて2人の間には真の親子に勝るとも劣らない情愛が育っていったのだが…。

それにつけても容保の優しさに触れるたびに喜徳はたまらなくなった。

あれほど自分に辛いことがあればすぐにでも駆けつけると誓った慶喜兄は、喜徳を会津に送り込んだ後、ただの1度として便りを寄越したことさえなかった。

むろん将軍になった慶喜が忙しいのは充分に承知している喜徳だったから、1度として泣き言を兄に訴えたことなどはない。ただ、二条城や御所で顔を合わせた時くらい、達者でやっているか、何か不満はないかと聞いてくれないものかと心待ちにしていたのだが。慶喜は今や誰よりも遠い存在に感じられていた矢先のこの言葉ー。

『まさか……』

信じたくはなかった。が…。

容保の顔を見た瞬間、喜徳は神保の告げた言葉が真実だということを悟った。

『兄…上…!』

目の前が真っ暗になった。先ほどまで見ていた夢の中の兄と自分の笑顔が頭の中で点滅してー。

「喜徳っ!」

「若様っ!」

危うく倒れそうになった喜徳を、後に控えていた藩士がとっさに抱きかかえた。「……」

我に返った喜徳は自分を見つめる容保と会津藩士達を怯えたような瞳で見渡しーそしていきなり駆け出したのであった。

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