慶喜の弟5
2️⃣身代わり
元治元年(1864年) 水戸
千波湖を吹き抜ける冷たい風が、火照った余九麿の頬を心地よく撫でて通り過ぎた。
眼前にいきなり開けた巨大な湖は朝日を反射して目を開けていられないほどである。あまりの眩しさに少年は思わず愛馬の手綱を引いて立ち止まった。
「どうどうー」
少年の名は徳川余九麿。今年、数えで11才になる。4年前に亡くなった前水戸藩主徳川斉昭公の側室腹の若君であった。
斉昭の子供達は正室登美宮が生んだ7男で現在一ツ橋家の養子となっている慶喜を始めとしほとんどの母親が公家の娘であるため、皆面長で切れ長の瞳を持った貴族的な顔立ちの者が多い。
その中でひとり、武家出身の母の血ゆえかこの余九麿の風貌のみが著しく他の兄弟姉妹達とはかけ離れていた。
「どうなされた、若?」
余九麿の後を1人の老人が馬に乗って追いついた。余九麿の守役の手代木弥兵衛である。
水戸藩譜代の藩士である手代木だが、若君守役であるにも関わらず、その石高はわずか300石という質素な家柄であった。
「ー」
声をかけられた余九麿は、ゆっくりと振り返る。まるで柴犬の子犬を彷彿とさせるような少年だった。
人懐こそうな、黒目がちのつぶらな瞳と小柄な為か、かなり幼く見える丸い顔ー前髪立ちを揺らしながら少年ははにかんだような笑みを浮かべた。口元をほころばせるとふっくらとした頬に笑窪ができるのがいかにも子供らしく愛らしい。
「爺、慶喜兄上はあそこにおわすのであろう?」
うっとりとした表情で余九麿は、千波湖の対岸にかすかに見える天下の名園と謳われる偕楽園と、それに隣接する好文亭(斉昭の隠居所)を指差した。
余九麿は斉昭公晩年の子供である。斉昭はその生涯で正室を始めとし、そのほとんどを公家の娘から迎えている。唯一例外であったのは水戸藩士の娘であった余九麿の生母お松の方であった。
だが親子ほど離れた年齢の差のせいか、それとも京女のたおやかさに慣れ切っていた斉昭の好みのせいなのか、お松の方はさほど深い寵愛を受けることなく、余九麿1人を生んだ後、離縁されたのだった。
それ以来、余九麿は生母に会ったことはない。それどころか守役である手代木弥兵衛とその妻お関夫妻のもとに預けられて育ったために父である斉昭はもとより、他の異母兄弟達にも数えるほどしか会ったことがなかったのである。
藩主の若君とは名ばかりの、寂しい暮らし向きであった。
「慶喜兄上が私に直々のお話とはいったい何なのだろう?のう、爺?」
「さて…爺もよくは存じ上げませぬ。何せ昨夜急にお使者が参じられましたのでな。ともかくもこうして余九麿様の御供をして参った次第でござる…しかしようござりましたな、若。慶喜様とお会いなされるのは初めてでござりましょう?」
「うん」
嬉しさを押さえ切れずに余九麿は無邪気な笑顔でうなづいた。
父を同じくするとはいっても慶喜と余九麿はその年齢差が17才もある。しかも慶喜は一ツ橋家に養子に出たため、余九麿が生まれた頃はすでに生家の水戸家にはいなかった。
しかし幼い頃より才子の名を欲しいままにしていた慶喜は長じてから後、父斉昭自らが14代将軍に推薦する等の経緯もあって、実家である水戸家とは何かと深い関係を保っていたのではあるが。
惜しむらく、先のような事情のために城の外で育った余九麿は今まで何度か水戸に帰ってきていた慶喜と顔を合わせる機会に恵まれずにいた。
話にのみ聞かされていた慶喜は、幼い余九麿の心の中でいつしか神君家康公や中興の祖8代将軍吉宗公と同等の英雄に育っていた。若干20才そこそこで血筋に頼らず能力で将軍に推され、敗れたとはいえども天下の大老井伊直弼を向こうに回し、堂々と開国を説いた先見の明の持ち主である。
井伊の行なった"安政の大獄"の影響を受け一時は蟄居に甘んじていたものの、"桜田門外の変"で井伊が暗殺されてからは再び政界に復帰し、ここ数年ははるか京に上がって禁裏御守衛総督という役職についていた。
有能できらびやかな経歴を持つ兄はひっそりと生きてきた余九麿の憧れであった。そんな兄が忙しい中をわざわざ余九麿に会うために、この水戸に帰って来たのだという。
使者からその旨を伝えられた余九麿は昨夜あまりの気持ちの昂りに満足に眠ることもできず、今朝は夜明けと共に寝床から飛び出してきたのだった。
「さ、そろそろ参りましょう、余九麿様。兄上をお待たせしてはなりませぬゆえ…」
「うん、そうだね。初めてお会いするのだもの」
促した弥兵衛に素直にうなづいた余九麿は目的地に向かって再び馬の轡を取った。
湖畔はもう秋。綿毛のようになった薄だけが風に吹かれて余九麿主従を見送っていた。




