36話 貴族家当主ふたり
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話を終えると、ダニエラの手を握ってベックスは寝息を立て始めた。
その様子に部屋にいた3人は自然と顔がほころぶ。
ベッドから立ち上がったレイシャールはダニエラに視線を向ける。
「ダニエラ、具体的に何があったのか話してくれ」
「はい」
レイシャールは立ち上がろうとするダニエラを止め、ベックスに手を握らせたままにした。
椅子に腰を下ろして、レイシャールは話を聞き始めた。
「私は食事を終えたベックス様と一緒に客室に戻っているところでした」
話しを始めたダニエラだったが、レイシャールは手を前に出して話を止めさせた。
「あの廊下は通常使わない。分かっているか?」
「いえ。ど、どういうことでしょうか?」
想像していなかったレイシャールの言葉に、ダニエラは動きを止めた。
目を見開き、呼吸は次第に荒くなっていく。
「あの廊下は使用人の移動に使われる。貴族は屋敷の中心に近い廊下を使う」
「それは、知らなかった、わた、私の責任です」
ダニエラはベックスを起こさないように静かに頭を下げた。
レイシャールは手を振って、頭を上げさせる。
「この屋敷の広さだからこその決まり事だ。そこを狙われたのかもしれない」
「この道を教えた公爵様のメイドがいるはずです」
「そういう者は何をしたか分かっていない、聞いても無駄だ。それより、続きを話してくれ」
レイシャールは公爵家のメイドを気にすることなく促した。
続きを促されたダニエラは、ベックスの手に両手を添えて話し出す。
「長い廊下に黒いローブを着た3人の襲撃者がいました。ベックス様に逃げるようにと言い、私は腰を抜かして動けませんでした」
「ベックスはどうして逃げなかった?」
「分かりません」
「逃げられないと判断する何かがあったのか」
考えるレイシャールを見ながら、ダニエラは続きを話し出す。
「そのあとに襲撃者と話し、怖がりながら私のところに来ました」
「それで?」
「襲撃者が剣を振り上げた時、ベストに入れていた杖を持たせられました。でも、私は気が動転して魔術を使えませんでした」
今までは先を促していたレイシャールも、魔術を使えなかったと聞いて動きを止めた。
少しの静寂の後、レイシャールはダニエラに先を促した。
「どうなった?」
「ベックス様に渡して守っていただきました。そのあとは腕輪の刻印魔術で助けを呼んでいました」
「そうか。ありがとう、ダニエラ。早めに休んでくれ」
「はい」
座ったままの状態でダニエラは頭を下げた。
ダニエラの顔には話を終えたという安堵がある。
彼女の視線は自然と眠るベックスに移っていった。
「アルバロ、いいか?」
「はい」
椅子に座ったレイシャールのもとにアルバロは近づく。
レイシャールは周囲を確認すると、アルバロの方に向き直る。
「あの毒、メイドを使ったこと、公爵屋敷の侵入。相手は貴族だと思う、どうだ?」
「間違いないと思われます。しかし……」
「なんだ?」
「相手が分かりません。ムリーヨ家を相手にし、ベックス様を狙うなど、常人は考えませんから」
レイシャールはアルバロの言葉に頷き、机に肘をついた。
しかめられた顔には、苛立ちがにじみ出ている。
視線は虚空を見つめて、思索を続けるレイシャール。
「可能性が高いのは、西の辺境伯、一部の王族、聖教会……」
「レイシャール様」
「なんだ?」
「公爵様にはどう説明されますか?」
「それもあったか。今から説明に向かうぞ」
立ち上がり、身形を確認したレイシャールはアルバロに扉を開かせて部屋を出た。
外にはペドロが立っており、周囲には公爵家のメイドや執事がいる。
「ペドロ、中で護衛を頼む。誰も通すな」
「はい」
「誰か、公爵様のところまで案内してもらえるか。話がある」
レイシャールの怒気のこもった言葉に、集まっていた者たちは背筋が伸びる。
1人の執事だけを残し、他の者は去っていった。
数人はヘルバシオにレイシャールが来ると先触れに向かう。
執事に案内されて、執務室まで向かったレイシャールとアルバロ。
大股で執務室に入ったレイシャールを、ヘルバシオ・アルタミラーノ公爵と執事のゴンザロ・デルカディージョが迎えた。
ヘルバシオはレイシャールの様子を見て、額に流れる汗を指で拭う。
「すまなかった、レイシャール」
頭を下げたヘルバシオだが、対面からの変わらない威圧感で静かに頭を上げた。
爵位というものが通じない暴力的な殺気にヘルバシオは体をよろめかせる。
再度、額を拭うと、ヘルバシオは大きく息を吐いて覚悟を決めた。
「まずは、こちらの調べた情報を共有する」
「はい」
「メイドが1人、死んでいるのが発見された。自殺だ」
「ベックスの案内についていたメイドですか?」
「そのようだ。襲撃者は見失って捜索中だ。先ほど村や町に早馬を出した」
「私が見たのは体格的に男3人でした。でも、顔までは分かりません」
「ああ。確実に、逃げられるだろう」
覚悟を決めて伝えたヘルバシオ。
対面には怒気のこもった瞳で彼を見つめるレイシャール。
「こちらからは悪い報告があります」
「……聞かせてくれ」
指で汗をぬぐったヘルバシオは、覚悟をするように息を短く吐く。
レイシャールは手で目を押さえると、大きなため息を吐き出して話し出す。
「ベックスが、足に怪我を負いました。毒によるもののようです」
「毒⁉」
「はい。恐らくは西大陸の寄生虫だと思います」
「あれは回復薬に反応する毒だと聞いたぞ」
「はい。もしもの時に備えて渡していた回復薬を使用してしまい、ベックスは、足が……動かなくなってしまい、ました」
ヘルバシオの顔から血の気が引いていく。
レイシャールの報告の悪さは彼の想像以上だった。
「レイシャール。すまないッ‼」
「公爵様、少し2人で話せますか?」
「い、いいだろう。出てくれ」
「はい」
2人の執事が執務室を出て、幾分か怒気の薄れたレイシャールが懐に手を伸ばした。
取り出したのは小さな杖。
警戒をしていたヘルバシオも見たことがある、特殊な魔術が刻印されているものだ。
魔術が発動すると、2人を囲う薄赤い立方体が現れた。
「遮音魔術か? 何があったんだレイシャール」
緊張を保ったままのヘルバシオ。
対照的にレイシャールは少なくない安堵を見せた。
「良い報告があります。ベックスは怪我しておりません」
「それなら良かった! 血の気が引いたぞ?」
「しかし、話し合いまして怪我を負ったことにします」
「おい!」
執務机に体を預けて安心していたヘルバシオは、レイシャールの言葉に勢いよく立ち上がった。
真剣な眼差しでヘルバシオを見つめるレイシャール。
「公爵様には迷惑を掛けます。ただ、家族の安全を優先させる為にお願いします」
「我が家は他貴族家からいい笑いものだ。派閥だって揺らぐかもしれん」
「私は今回の件、西の辺境伯が起こしたものだと思っています」
ヘルバシオは執務机に腰掛け、これ見よがしなため息を吐いた。
レイシャールは訝し気な顔でヘルバシオを窺う。
「父も言っていた。西の辺境伯が何かを起こすだろうってな。一昨日のことだぞ?」
「可能性が高いという話です。しかし、他は王族か聖教会です」
「その毒から西の辺境伯だと思ったわけではないよな?」
レイシャールが短絡的に考えたのではない、と分かっているヘルバシオの問いだった。
「はい。港があるから手に入れやすいというものではありません」
「では?」
「王族や聖教会であれば、もう少し戦力が潤沢だからです」
「どういうことだ?」
「ベックスは刻印魔術で剣による攻撃から身を守っていました。そこに魔術攻撃をしない理由は使えない以外ありません」
「確かに。王族や聖教会なら魔術を使える者の方が用意できる」
レイシャールの言葉から思案を始めたヘルバシオ。
その様子を見て、レイシャールは追加の情報を話し始める。
「加えて、ベックスが3人の武器はイニゴの店で見たものより質が低いと言っていました」
「どの程度の低さだろうな」
「たまに出来る上物を見たと言っていたので、イニゴの店ではなく、一般的な店で質が高いもの程度という意味だと思います」
「あそこならそうか」
弛緩した空気が流れ、互いに視線が交差した。
レイシャールに怒気はなく、ヘルバシオに恐れはない。
「公爵様、ベックスはここで怪我を負ったということにしていただけますか?」
ヘルバシオは浅く腰かけていた執務机から立ち上がる。
レイシャールに向ける顔には、貴族家当主らしい覚悟があった。
「いいだろう。私だけに言ったのだから他言をさせたくないんだろ?」
「はい。我が家でも知る者は一部です」
肩の荷が下りたようなレイシャールは淡々と話す。
ヘルバシオは額の汗を指で拭った。
「そうか。公爵家は逃げた襲撃者を捜索。辺境伯家に賠償はできないから、商人を使って必要なものを安く買えるようにしたり、金を無期限無利子無利息で貸し出したり、が今後の動きになるか」
「それについては書簡でやり取りしましょう。受け入れてくださり、ありがとうございます」
頭を下げたレイシャールに見られていない所で、汗を手のひらで拭う。
止まらない汗に慌てながらも、ヘルバシオは平静を装って答える。
「問題ないよ。ベックスはしばらく隠すのか?」
「はい。ですから、明日は早朝に帰ります」
「分かった。家はいつも通りの調査しかしないけど、何か分かったら知らせるよ」
「ありがとうございます。では、失礼します」
互いにやることを確認したレイシャールとヘルバシオ。
薄赤い魔術の立方体が消えると、扉を開いてレイシャールは去っていった。
外にいたゴンザロが急いで執務室に入ってくる。
「坊ちゃま、何をお話されたのですか?」
「ん? ああ、ベックスが怪我したから、今後のことを話してた」
「そうですか? その割には、落ち着いていますね」
「色々あったんだよ。重い話が、いろいろ」




