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恋愛短編集  作者: 長野智
3/5

ある日、恋をしていた。

自分がモテることは知っていた。異性は求めなくても寄ってきたし、困ったこともない。

恋愛なんか興味もなくて、そのときが楽しけりゃいいって考えでしか生きていなかった。

そんなある日、気になる女の子ができた。

その子は目立つ子でもなければ、俺の友人のような明るいタイプでもない。

大学時代、とあることから、大人しくて静かなその子がずっと気になっていた。

しかしそのまま卒業。会うこともなくなったと思っていたら……その子が同じ会社に就職した。

こんなの、運命だと思うだろ。

※「ある日、愛になった」の男視点の蛇足的なお話


「えー、翔悟うちと付き合ってくれないの!?」


 面倒くさいのに捕まった。

 最初に思ったのはそんなことだった。

 今日は朝から講義を受けた。だから空きコマが退屈で、カフェテリアに足を運んだのが運の尽きか。

 確か何回か寝たことがある女だったと思う。華奢な体に胸は大きく、服装もスタイルの目立つ布が少ないものばかりを着ているから、簡単に情欲を煽られた記憶がある。まあつまり、誘われたからついて行っただけである。

 セックスをしたら情が湧くと、俺と同じようなことばかりをする友人が言っていた気がするが、残念ながら俺には当てはまらないから、今も鬱陶しいとしか思えなかった。


「付き合わないな」

「なんでよ〜、うちら体の相性いいじゃん」

「あーはいはい。じゃあ俺もう行くから」

「待ってよ翔悟〜」


 やけに甘ったるい声に振り返ることもせず、俺はとにかく早く解放されたくて、そのカフェテリアから立ち去った。


 正直、恋愛のことはまったく分からない。

 むしろ「付き合う」という関係に関してはデメリットしか浮かばず、自ら望んで誰かとそんな関係になる未来すら考えられなかった。


 大学四年。就職も決まり、卒論も順調。ちょうど退屈な時期だった。だからこそ誰かと「付き合う」ことをして自由を制限されたくはない。

 どうして人は、好きだの愛だの言って相手の自由を制限したがるのか。そんなことにため息が出た。


「ごめん。オレ、好きな子が居るんだよね」


 一人で過ごしたいからと、自分には縁のない工学部棟側の裏庭にやってきた。この大学はそこかしこに門があるが、工学部の校舎がある場所にはなぜか唯一門がない。だからこそよく訪れるのだが、どうやら先客が居たらしい。

 ちらりと覗くと、工学部の男なのか、やや地味な見た目の男が申し訳なさそうな顔をしていた。その正面には、大人しそうな女が立っている。


「あ、うん。知ってるの。あの……ごめん、困らせて。知ってたんだけど、どうしても伝えたくて」

「そ、そっか。ありがとう。嬉しかった」

「うん。こっちこそ、ありがとう」


 何を見せられているんだと思いながら、二人が立ち去るのを待つ。男のほうは照れながらもすぐにその場から離れた。気まずかったのもあるのだろう。この場合俺が一番気まずいが、後から来たのだからまあ我慢しよう。


 女は男が見えなくなるまで見送ると、見えなくなった途端に表情を消した。


「……フられちゃった」


 ぽろりと、女の目から涙が流れる。

 女はふらふらと少し歩き、校舎にもたれかかるようにしてしゃがみ込んだ。

 これは当分離れないかもしれない。


「いや、でも良かったよね。うん。伝えられないより全然良かった。増田くん、誠実だった」


 泣き叫ぶこともなく、ただ静かに涙を流す。

 俺の周りに居る女は大げさに泣くことが多かったから、女という生き物は静かに泣くこともできるのかと、そんなどうでもいいことを思っていた。


 とはいえ、この場に居続けることも気まずくて、そのときはその女に場所を譲って、仕方なくその場を離れた。


 次にその女を見たのは、謎のモニュメントが置かれている中庭だった。

 講義に向かっていたところで、視界の隅にそいつが居た。


 つい見てしまったのは、その女がフられたはずの男と居たからだ。

 あんなことがあっても普通に会話ができることが不思議だった。


(泣いてなかったっけ、あいつ……)


 女は笑っていた。

 あの日の涙は幻だったのかと思える笑顔である。

 益々恋愛が分からない。あの女は本当は、あの男のことが好きではなかったということだろうか。

 

 それから何度か女を見かけた。女は男と楽しそうに笑っていたから、やっぱり好きではなかったんだなと腑に落ちたとき、何度目かで気がついたことがある。


 女は、男と離れるといつも悲しそうに笑う。


「ねえ翔悟、今日うち来ない?」

「ん? あー、うん、行く。暇だし」

「え、本当!? やった! 楽しみにしてるから!」


 いつから居たのか、俺があの女を見ているうちに、気がつけば何度か寝た女が隣に座っていた。名前は忘れたが、性欲は溜まっていたから、二つ返事で了承を返しておいた。


 本当になんとなく、あいつを見かけるたびに目で追うことが増えた。

 理由はない。ただ見てしまった場面が「恋愛」に関する場面だったから、それが気になっていた時期だったこともあり、経過が気になったのかもしれない。


 今日は友達と居るのか。友達も同じようにおとなしそうなやつだな。

 今日もあいつか。傷つくくらいなら一緒に居なけりゃいいのに。

 本読んでるのか。読みそうだもんな。

 なんだ、失恋の傷は癒えたのか。平気そうな顔してるな。

 今度はあの男のことが好きなのか? 失恋から結構長い時間が必要だったな。


 見かけるたびにいろいろなことを思い、そしてどんどん女のことに詳しくなっていた。


 大学の卒業式、最後にあの女を見かけた。

 どうやらあいつが次に恋をしていたのが、卒業生だったらしい。

 どこの学部かも分からない、知らない男だった。また告白でもするのか、ひと気のない場所に二人で消える。

 少し考えたが、最後だからとひっそりとついて行った。

 そして女は、またしてもフられていた。

 けれどやはり大げさに泣くことはなく、前の男のときのように感謝を述べると、男が見えなくなるまで見送り、静かに泣いていた。


 せめてあの女の「恋愛」が成就するところまで見られたなら、俺の「恋愛」への価値観も変わったかもしれない。最後まで女の恋がうまくいかず、結局俺の価値観も変わらなかった。


 それから、三年後。


「新入社員の花岡美央さんだ。うちの部署を第一希望で出してくれていたみたいでね、同じ大学だったから、松崎くん、花岡さんの教育を頼めるかな」


 女が、俺の職場に居た。

 まさか会うとは思ってもいなくて一瞬呆けてしまったが、部長から「松崎くん?」と再度呼ばれて、ようやく我に返った。

 花岡美央という名前だったのか、とか、最後に見たときよりも大人っぽくなったな、とか。

 そんなことを考えていたら、反応が遅れてしまった。


「すみません、大丈夫です。よろしく、花岡さん」

「あ……はい。よろしくお願いします」


 当たり前だが、懐かしい声だった。

 そして女の目に俺が映っているということがなんだか不思議で、それがなんとなく嬉しいと思えた。


 彼女は大学で見ていた通り真面目で、穏やかで、優しくて、そして静かだった。

 俺が教えたことはすぐに吸収する。誰にでも愛想がよく、元気で、社内の人間はすぐにみんな美央を大好きになった。


「え、花岡さん、松崎のこと知らなかったんだ!? 勝手に有名人なのかと思ってた」

「学年も学部も違っていると、意外と知りませんよ。松崎さんも私のこと知らなかったでしょうし」

「へえ、そんなもんなんだ」


 彼女と一緒に、仕事の合間の休憩をとっているときのことだった。

 なぜか同僚が集まり、彼女との会話を楽しんでいた。

 そんな空気の中「俺は知ってたけど」と言い出すこともできず、ただ会話を聞き流すことしかできない。


「あはは! 松崎は会社でめっちゃモテるから、多分花岡さんもびっくりすると思うぞ」

「余計なこと言わないでくれよ。俺はもうセイジツに生きるんだからな」

「はいはい、程遠いわ」

「ね〜、ほんっと似合わない。総務の子とかに手出したでしょ〜」

「花岡さんも気をつけてね、手ぇ出されないように!」

「ちょっと、やめろよ本当。俺のイメージ落とすなって」


 彼女はにこにことしながら、何度も繰り返し頷いていた。

 きっと彼女は、俺とは正反対の人種だ。俺のことを好きになるようなタイプではないし、むしろ嫌いという可能性もある。だからこそあまり、彼女に何かを吹き込んでほしくない。


 そんなことを考えて、ふと気付く。

 別に好かれる必要はないのではないか。


(まあ、別に俺は好かれようが嫌われようが、関係ないわけだし……)


 だから、大学時代に彼女に知られていなかったということを悔しいと思うことも、間違えている。

 なぜこんなにも気になるのか。

 大学時代から、彼女が入社してからもずっと、そんなことが分からなかった。


 だからこそ、自覚はやや強制的だった。


「え、花岡さん彼氏居ないの? こんなに可愛いのに?」

「あ、えっと……私、好きな人に好きになってもらえたことなくて……彼氏なんて程遠いっていうか」

「えー、まじ? おれはめっちゃ可愛いと思う。研修のときからしっかりしてるなって思ってたし!」


 おそらく、彼女の同期の男だろう。

 明らかに好意を持った目を彼女に向けていた。


 昼休憩の終わり頃、廊下にある自動販売機の近くを通りがかったときのことである。

 なんとなく二人の前に出ることが出来ず、足を止めて物陰に隠れた。


「そう? そんなこと言うの、三井くんだけだよ」

「いやいや、本当! 今度どっかご飯行かない? 部署で歓迎会してくれたときに教えてもらったところで、すっごい美味しそうなところがあってさ」


 男がスマートフォンを操作して彼女に見せると、彼女はそれを覗き込み「確かに美味しそう」とポジティブな感情を伝えていた。


 それが、とてつもなく嫌だった。

 きっと彼女はあの男を好きになる。そしてようやく、彼女にとっては念願の両思いを迎えるのだろう。

 どの男からもフラれ続けてきた彼女だからこそ、一番最初の恋人はきっと、あの同期のような誠実な男がお似合いである。


 分かっているのに、邪魔をしてやりたいと思った。


「花岡さん、ちょっといい?」


 何食わぬ顔をして、彼女を呼びつけた。

 彼女はもちろんこちらにやってくる。男は残念そうにしていたが、最後に「また連絡する」と言っていたから、きっと諦めないのだろう。


 彼女にとっては迷惑なことに、俺はどうやら、彼女のことを好きになっていたらしい。


 おそらく、大学時代から好きだった。

 彼女が恋愛しているところを見ては、あんなふうに想われる男は幸せだろうと羨ましかったのかもしれない。


 彼女となら、恋愛をしてみたい。

 心の底からそう思えた。


 だからこそ、地道なアピールをするために、会社の飲み会ではずっと彼女の隣を陣取っていた。


「本当、失敗ばかりで申し訳ないです……私、全然成長してないですよね……」

「そんなことない。花岡さんは頑張ってる。みんな分かってるよ」

「ありがとうございます……気を遣わせてしまって、申し訳ない……」


 うつらうつら、彼女のまぶたが落ちていく。

 眠たいのか、酔いが回ったのか。気持ちを自覚してから初めての飲み会で、彼女とゆっくり話す機会を得られたからと、調子に乗って一緒に飲みすぎていたようだ。

 気付いた頃には、彼女は机に突っ伏していた。


「え、あ、花岡さん!? やっば……気付かなかった……」


 慌てて水を注文して飲ませようとするも、なんとか起きた眠たげな彼女は、水を少ししか飲んでくれなかった。


 その日は本当に下心も何もなく、ただ彼女を送り届けるつもりだった。

 誠実な彼女とは誠実に恋愛をしたかったし、そもそもそのために飲ませたというわけでもない。だから周囲から「送り狼になるなよ」「お前に任せるの心配だわ」とどれほど言われようとも、強気に「手ェ出すわけないだろ」と強い意志を持って返事が出来たのだが。


「わたし、先輩のこと……好きで……」


 彼女をベッドに横たえてすぐ、感謝と共に小さくそんなことを言われては、我慢できるわけもなかった。

 

 彼女はうとうととしながらも俺を受け入れた。

 ハジメテだったから出来るだけ優しく触れたし、その中で「好きだ」と何度も告げた。

 


「おー、松崎。珍しいな食堂に居んの。ここ座っていい?」


 やってきた同期の仙葉がうどんの乗ったトレーを置きながら、答えも聞かず勝手に俺の正面に腰掛けた。

 営業部では一応、上位の成績の男である。


「今日は美央が体調悪くて、俺も寝坊したからな」

「なるほどね、それで弁当がないってことか。花岡さんつわりひどいのか?」

「悪いときは悪いって感じ。さっき『落ち着いた』って連絡きたけど」


 天ぷらを口に突っ込みながらスマートフォンを開く。すると新しいメッセージが更新されていた。


『今日の晩ご飯は何が良いですか?』


 彼女の家に入り浸るようになってから、毎日のように聞いてくれるそれ。たまに俺が作ったりもしていたが、今日もそうしたほうが良いだろう。


「……まさかお前が、花岡さんと結婚するとはなぁ……」


 ずるずるとうどんをすすりながら、仙葉が興味もなさそうにつぶやいた。


「なんだよ」

「いや……お前が結婚する想像ができてなかったから、なんとなく意外で」

「……まあ、俺もできてなかったけど」


 そもそも、恋愛する自分の姿すら想像できていなかった。


「だけどいいのか? 産休明けから花岡さん、営業事務じゃなくて労務に行くんだろ? 結婚してますって言っちまったばかりに」

「まあ……けど、言っとかないと、牽制もできねぇし」

「本当、解釈違いだわ」


 今日は俺が作るよ。そうメッセージを返して、スマートフォンを机に置く。


「いいんだよ、なんとでも言え。俺は今浮かれてんだ。……あの同期くんも、ようやく諦めたみたいだしな」


 籍を入れたのは、彼女の妊娠が分かった直後。そしてそれを会社に言ったのも同時期だった。

 すぐに噂は広がり、彼女を狙っていた同期が彼女からの他意のない報告を聞いて、戸惑っている場面を目にした。きっと俺が行動していなければ、俺があの男の立場になっていたのだろう。

 そんなことを申し訳なく思いながら、心のどこかで安堵したのを今でも良く覚えている。

 そしてしばらく勤めた彼女は現在、産休に入っている。


「なんだよ同期くんって」

「別に〜」

「てかお前今日の飲み会どうすんの?」

「出ねえに決まってんだろ。帰って美央と飯食う」

「はー、愛妻家だねぇ」


 愛妻家だろうか。あまりピンとこない。ちょうど昼食を食べ終えたところで、スマートフォンが鳴る。


『さっき、今日は飲み会があるって蘭子先輩から聞きました。すみません』


 汗マークのついたメッセージを見て、彼女のメッセージの返信が少しばかり遅かった理由を理解した。

 蘭子とは、同じ営業事務の先輩である女性だ。俺よりも少し先輩で、彼女のことをとんでもなく気に入っている。だからもしかしたら「今日の飲み会、早く帰すからね!」と彼女に連絡を入れたのかもしれない。

 スマートフォンに浮かんだ文字を見て、仙葉が「いい奥さんだなぁ」と感心したような声を出した。


「良くない。ちょっといろんな勘違いがあって、ずっと甘えてくれないんだ。マジでどうにかしたい」

「えー、でも飲みに行きたいとか思わねえ?」

「別に興味ない。酒が好きなわけでもないし。飲み会も、美央が居たから出てただけだし」

「こわ」

「なんとでも言え」


 彼女と関係を持って以来、俺は付き合っているつもりだったのだが、彼女からはずっとセフレと思われていたと先日発覚した。それを言われてようやく、それまで甘えてくれなかった理由を理解した。

 そしてなぜか、気持ちが通じ合った今も甘えてくれないままでいる。

 どうすべきかとため息を吐きながら、昼食も終えたためにトレーを持って立ち上がった。

 すると「そんなにさ」と、仙葉の言葉が追ってくる。


「そんなに、結婚っていいもん?」

「ん、なんで?」

「いや、なんか松崎、幸せそうだから」


 聞いたはいいが興味はないのか、仙葉は相変わらずうどんをすすっている。


「……まあ、結婚っつーか……好きな人とずっと一緒に居られて、法的に縛れるってのは、幸せだな」


 俺の言葉を聞いた仙葉が小さく「マジで似合わねえ言葉……」と言っていたが、もう良いかと俺はすぐにその場を離れた。

 そしてトレーを返してすぐ、美央にメッセージを返す。


『飲み会には行かないから、一緒にご飯食べよう』


 これからどうすれば甘えてもらえるのか。そんなことを考えながら、彼女とはこれからもずっと一緒に居るのだから長く時間をかけて懐柔してやろうかなと、明るい未来を思ってにやけてしまった。

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